第11話 学校の怪談②
「……
「いえいえ、
思わず漏れた言葉に、二足歩行の動物はふるふると首を横に振る。ただ、普通の獺は二足歩行はしないし喋らない。
聡は、動いて喋るぬいぐるみのような生き物にポカンと口を開け目を見開いていた。
「……何だよ……あれ……」
「……妖だと思うけど」
俺が言うと、獺はコテリと小首を傾げた。
「それ以外に何に見えます?」
「……妖? あれが……?」
「俺がキャンプで見たのは、あんなかわいいヤツじゃ無かったけどな。ブヨブヨベトベトの大蝦蟇だぞ」
潤也は思い出したように顔を顰めた。
「まあ、妖にもいろいろ居るからな」
汐や亘みたいなのもいれば、蛇女もいるし、蝦蟇もいるし、烏天狗もいる。こいつは前に病院でみた
「大蝦蟇ですか。そういえば、少し前に蝦蟇の沼地で大捕物があったと聞いたような」
獺は、ふむ、と言いながら顎に手を当て、クリクリとした大きな目を少しだけ上に向けている。
このかわいいらしい風体の動物からは、どうにも悪意のようなものを感じないのだが、一体何が目的なのだろう。
「お前、俺達をどうするつもりだ?」
まだ何事か考えているような獺に言うと、獺はキョトンとした顔を俺に向けた。
「別にどうもしません。ただ、妖界の入口付近をウロウロしていた理由をお聞きしようと思っただけで。一応、大君とこの出入り口を守るとお約束したもんで」
獺の言葉に、俺達は顔を見合わせる。
「俺達は友達を探しに来ただけだし、探してたコイツは池で何か動いた気がして見に行ったってだけらしいけど」
俺はそこまで言いかけて、ふと潤也に視線を移す。
「……ていうか、それ、この獺だったんじゃない?」
顎で獺を示すと潤也は首を傾げた。
「いや。動いた影を追いかけようとしたら、後ろから引っ張られたから多分違うと思う」
俺はハアと一つ息を吐く。何れにせよ、故意に近づいた訳では無い。
「そういうことなんだけど」
獺を見ると、獺はもう一度小首をかしげた。
「おかしいですね。何だか妙な気配がしたのに」
「……良くわからないけど、コイツが追いかけようとした方の奴だったんじゃないか?」
獺の他に怪しげなやつがいたとしたらそれはそれで嫌なのだが、少なくとも誤解で捕らえられている状態は何とかしたい。
「なるほど。何やらコソコソ嗅ぎ回っていたのは、別の者でしたか。いやはや、それは失礼しましたね」
獺はそう言うと、ようやく俺達を縛っていた
「それにしても、妖界の綻びは開かないって聞いてたんだけど……」
ようやく自由を得て言うと、獺はよいしょと声に出しながら、俺達の前にちょこんと座る。
「綻びじゃないです。意図的に開けられた入口なんで」
「……は? 意図的?」
「ええ。大昔、結界を司る方の家がこの辺にあって、時の大君が密かに行来するために開けた穴なんですわ。ちょっとした仕掛けがありまして、結界を強固にしたところで、塞がらないようにしてあるわけです」
……そんなものがあるなんて知らなかった。しかも、よりにもよって学校の校舎裏に。
「それにしても、人の身でよくご存知ですね。人界では結界のことなど遠の昔に忘れ去られたと思っていましたが」
「ああ、一応、結界を補強しろって言われて、あちこち塞いでるから……」
俺がそう言うと、獺は目を丸くしてしげしげとこちらを眺めはじめる。
「なんと。大君の血をひいてらっしゃると」
「……大君の血……?」
「陽の気を使われるのでしょう?」
「え、まあ、そうだけど……」
そう答えてはみたものの、この獺が一体何の話をしているのかがさっぱりわからない。
しかし、質問をしようとしたところで、潤也がツンツンと俺の袖を引いた。
「なあ、そんなこといいから、さっさと帰ろうぜ。勘違いだったみたいだし」
確かに、それはそうだ。こんなところで獺と話し込んでいたって仕方がない。
コクリと潤也に頷いて見せると、再び獺に向き直る。
「とにかく、誤解が解けたなら、俺達は帰るよ」
しかし、立ち上がろうとしたところで、獺がそれに待ったをかけた。
「その前に、一個だけお願いがあるんですけど良いですか? せっかくこうやってこちらにいらしたんですし」
「……いや、勝手に連れてこられて、その上お願いって……」
潤也が呆れたように言う。俺も潤也の言葉に頷いた。
「それに、もう遅い時間だし、さすがに帰らないと」
しかし、獺はふるふると首を横に振る。
「どうせ、私が道を教えて差し上げねば、帰り道はわからないでしょう? 人の子が妖界で道に迷っても良い事などありませんよ」
獺は眉尻を下げ、困った子ども達を諭すような言い方をする。
……いや、そもそも勘違いで連れてきたくせに、手伝わなければ帰り道を教えないと脅すのはいかがなものか。
潤也と聡の顔を見ると、二人は困ったような、諦めたような表情でこちらを見ている。
ハアと一つため息をつくと、俺は再び獺に目をむけた。
「……わかった。何をすればいいんだ?」
そう答えると、獺はニコリと満足そうな笑みを浮かべた。
獺の頼みは、陽の気が満ちているという池での物探しだった。
陽の気が妖にとって危険なものだということは、キャンプのあの日、赤く発光しながら焼けていった蛙たちで実証済みだ。
ただ、だからといって、俺達が探さないといけない理由にはならない。
「何で俺達がこんな事……」
小さな池の前で乾きかけた服を脱ぎながら、喋る獺に慣れてきたらしい聡がぼやく。
三メートル四方くらいの大きさで、青い絵の具を溶かしたような不自然な色の池だ。水は濁っているようで、底はまったく見えない。
「ていうか、獺が何で池に入れないんだよ」
潤也も聡に同調するように不満を漏らす。
「無茶言わんでください。陽の気の満ちる池に入ったりすれば、体が焼けただれて死んでしまいます」
獺は眉尻を下げる。
これに落ちたら全身焼かれるというのだから、妖からしたら恐怖の池だろう。
「それで、何を探せって?」
「輪です。これくらいの大きさの、金色の」
そう言うと、掌を大きく広げて輪の形をつくる。
「昔、大君に頂いたのです。私、別に朝廷の使いではないんですが、不老不死を見込んで御自分の直属にくわえてくださると朝廷の使いの印を賜ったのです。ただ、何百年か前に、人界への入口を悪用しようとした不届き者に、陽の泉に投げ込まれてしまって」
「……不老不死?」
なんか、突然もの凄いパワーワードが出てきた。
「ええ。八百比丘尼ってご存知です? あれと似たようなもんです。ちょっといろいろあって、人魚の肉を食ったら、この有様で。もう千年ほど前になりますか」
……人魚の肉……千年前……?
「……千年前って、まさか平安時代か……?」
聡が唖然としたように呟く。
俺と潤也もぽかんと獺を見た。
すると、獺は照れたように頭の後ろを掻く。
「そんな風に見られるのは久々です。そもそも、あんまりお客が来ることもないもんで」
亘が二百年生きたと聞いて尊敬したのが嘘のような年月をこの獺は生きてきたということだ。
まさか、平安時代を自分の目で見てきた者に会えるとは思いもしなかった。
「凄いな。時々話を聞きに来たいくらいだ」
日本史好きな聡が、獺を好奇心と尊敬の入り混じったキラキラした瞳で見つめた。
さて、探しものはわかった。
つまり、以前キャンプの時に助けてくれた宇柳という朝廷の使いが足首につけていた、金属の輪を探せばいいわけだ。
ただ、狭いとはいえ濁った水の中だ。しかも冬目前の晩秋。さらに、深い所では胸くらいの水深なので、潜らないとならない。
寒さと戦いながら、潜っては息を吸いに水面から顔を出し、また潜っては水面から顔を出すことを繰り返す。
泉の底をさらって行く作業はそれほど楽じゃない。
「くそー! 水を全部抜きたい!」
ぷはっと水面から顔を出した潤也が叫ぶ。
「数百年前ってことは、底の砂の中に埋まってる可能性もあるわけだろ。見つけるのは無理じゃないか?」
聡が諦め混じりにそう言うと、獺は絶望したような顔になった。
「そんなこと言わんでください……ようやく手元に戻ってくると期待したのに……」
「せめてどのあたりに投げ込まれたのか覚えてないのか?」
「……ええと……確か、その辺りでしょうか」
獺はそう言うと、割と岸に近い場所を指し示す。
水深膝上くらいの場所だ。
「それを早く言えよ!!」
俺達は三人揃って声を荒げた。
とにかく、獺が指し示したあたりを集中的に探していく。
中腰になり、池の底を掘り返すようにしながら地道に端から探していくのは意外に大変だ。
ただ、潜らなくて良い分進みは早い。
「あったぞ!」
と、顔に泥をつけながら潤也が声高に叫び、金属の輪をつかんで天にかざしたのは、それからしばらく経ってからのことだった。
潤也の見つけた金属の輪は、くすんではいるが確かに金色で、獺が示したような大きさのものだった。
泉の水で簡単に洗って、水気を完全に拭き取ってから潤也が獺に手渡すと、獺は感じ入ったように、無言で金属の輪を見つめた。
「ああ、これです。ずっと探し求めていたものです……本当に、本当にありがとうございます」
目に涙が溜まっているところを見ると、凄く大事なものだったのだろう。
潤也と聡に目をむけると、二人はほっとしたような顔で笑っていた。
獺は嬉しそうに足首に輪を嵌める。すると、獺の足にはブカブカ過ぎてすぐに落ちてしまうだろうと思えた金属の輪が、どういうわけかキュッと縮まり、獺の足にピタリと嵌まった。
「……それ、どういう仕組みなの?」
「さあ。仕組みまではわかりません。朝廷支給のこの輪は、こういうものですから」
じっと獺の足首にはまった輪を眺めていたが、つるりとした表面に、仕掛けのようなものは見つけられなかった。
人界への出口は、茂みの中に隠れた小さな洞窟の奥にあった。
白い光を放つ縦長の渦の左右に、どこかで見たような蚯蚓文字が描かれている。
「これは?」
「陽の気を持つ者だけが扱える、神代の文字だそうです。これがあるから、ここは渦が消滅せず、ずっと道が繋がったままなのです」
獺は懐かしそうな顔でそれを眺める。
陽の気の使い手だけが扱える、ね……
俺はこの文字が読めないが、模写したら同じ事が出来るのだろうか。
……まあ妖界への入口なんてろくな事が起こらないから、やろうとは思わないけど。
白い渦を通り抜けると、そこは、水晶庵の後ろにひっそりと開く、妖界側より更に狭い洞穴の中だった。
しかも、洞穴は入口に向かうにつれて天井が低くなり、最終的には四つん這いで出なくてはならない始末だ。
更に、入口はうまいこと大きな石碑のようなものに隠され、人界側から見ても知らなければ気づかないような場所にあった。
ようやく穴から這い出て見慣れた学校が目に入ると、どっと疲れと安心感が押し寄せてくる。
潤也と聡も同じような顔をしていた。
「大君が移り変わって忘れ去られたはずのこの場所を、今になって探ろうとする者が居るようです。良い者か悪い者かはわかりませんが、お気をつけを。大君の血筋の方とそのお友だちならば、何かあったときにはお手伝いしましょう。こちらのお手伝いもして頂きましたしね」
先程まで先頭で案内していた獺は、そう言うとニコリと笑った。
気づけば月が高く登り、学校の明かりは殆ど消えている。
俺達は獺に見送られながら互いに顔を見合わせて、ハアと揃ってため息をついた。
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