第157話 柊士の通告
柊士が西の里に帰ってきた、その知らせを受けたのは、宇柳と巽を見送ってすぐのことだった。
宇柳と話をしている間に本家に連絡が入り、今はこちらへの帰還準備をしているそうだ。
「帰ってきたって、探して見つけたんじゃなくて、柊ちゃんが自分で戻ってきたって事ですか?」
知らせてくれた村田に尋ねると、村田は困ったように眉尻を下げた。
「ええ、そのようです。近所の子どもの探しものに付き合っていたら気に入られてしまったようで、そのままその御宅に泊まることになったと。」
「でも、それなら連絡くらい……」
「途中でスマホを無くしてしまったようで……御父様の電話番号もわからなくて連絡ができなかったそうです。」
確かに、俺も人の電話番号なんていちいち覚えてないし、スマホを無くしたら、誰かに連絡を取れる気がしない。さすがに自宅の電話番号くらい覚えていてもいい気はするけど……
「まあ、人騒がせではあるけど、無事で良かった。」
「黙って居なくなるような方では無いので私も驚きましたが、きっと今頃きっちり叱られている頃だと思いますよ。」
村田は苦笑しながらそう言った。散々周囲に心配かけたんだ。いつも俺に怒鳴るみたいに、せいぜい皆に怒られれば良い。
そんな事を思いながら、俺は柊士の帰りを待った。
柊士が本家に帰ってきたのはその日の夜。荷物の片付けや報告事項を受けるなど、何だか慌ただしくしていて柊士と話す時間をなかなか作れない。
湊の事を伝えないといけないのに、柊士の部屋には夜遅くまで、ひっきりなしに誰かが出入りしていた。
「湊様の捜索は引き続き柾達が行っていますし、白月様は巽に任せたのです。概要はすでに伝わっているでしょうから、御報告は明日にしましょう。」
様子を見に行ってくれていた汐にそう言われ、仕方がなく、その日は柊士に話すのを諦めた。
事件があった日からずっとハクの件を急ぐことを優先してバタバタしていたし、不安感からあまり睡眠も取れていなかった。それが、ハクを宇柳に任せられて安堵し、さらに柊士が帰ってきたことに内心ほっとしたせいなのだろう。それまでにたまった疲労も相まってか、翌日目が覚めたのは昼前になってからだった。
「起こしてくれればよかったのに。」
様子を見に来た汐にそう言うと、困った子どもでも見るような目で微笑まれた。
「心労もあっただろうから寝かせておいてやれと柊士様が。食事を摂られたらお部屋に来るように、とのことでした。」
「……わかった。亘の様子はどう?」
「宇柳殿が来て白月様の方の見通しがついたからだと思いますが、だいぶ落ち着いてきています。御報告に同行出来るよう呼んで参りましょう。」
あれから亘の顔を見ていなくて心配していたが、落ち着いて来たならよかった。ハクの魂を確保できていなかったら、きっとこうはいかなかっただろう。偶然の重なりと巽の機転に助けられた部分が大きい。
村田に用意してもらった朝食兼昼食をとって部屋を出ると、亘が部屋の外で待っていた。
「御心配と御迷惑をおかけし申し訳ありません。」
汐はああ言っていたけど、やっぱり何だか表情と口調がかたい。あと、微妙に顔色が悪い。
「……まだ本調子じゃないだろ。」
俺が眉根を寄せると、亘は一瞬ピタリと固まったあと少しだけ表情を柔らかくさせた。
「御心配なく。動いていた方が良いこともあります。」
亘の真意を探ろうとじっと目を見つめると、ふいっと視線を逸らされた。
……無理をしていることはよくわかった。
俺は小さく息を吐く。
「……あのさ、一応言っておくけど、あの時亘は俺を護る為に最善の行動をしたんだって、俺は思ってるから。きっとあの場に誰がきても予測できない事態だった。だから、気に病みすぎるなよ。」
宇柳との話し合いに参加させなかったのは唯一の救いだろうか。『何度も死にたくない』というハクの言葉。最終的に自分がハクの心をあの状態に追い込んだのだと知ったら、きっと亘は耐えられなかっただろう。
それでも、今回のことが亘の傷になったことは確かだ。気に病むなと言ったところで、気にならないわけがない。
ただ、ここで俺がいろいろ言っても逆に傷口を抉ることになる可能性もあるし、無理してでも普通を装おうとしているのなら、こちらも普段通りにしたほうが良いこともある。
一人で鬱々と考え込むよりも動いていた方が良い、というのも確かにあるのだろう。
……一応、汐に様子を見てもらいつつ、あまりにも無理が続くようなら、一回休ませよう。
俺はそう、心に決めた。
「粗方、話は聞いたが、お前が知ってることをしっかり聞いておきたい。」
柊士の部屋に入ると、忙しそうに動かしていた手を止めて、柊士は俺に向き合った。
俺は柊士の言葉に頷き、順を追って説明を始める。
遥斗から朝突然呼び出されたこと。鬼のいる土でできた穴蔵に閉じ込められたこと。鬼の血のこと。
鬼とハクの魂が入れ替わっていると狐面をつけた湊に教えられたこと。
腹を刺されて助けに来た護衛役達が助けてくれたこと。俺を守ろうとして、ハクの魂が入っているとは知らずに亘が鬼を斬ったこと。巽が機転を効かせて以前行商人から買った魂を移す水晶玉にハクの魂を確保してくれたこと。
鬼とハクの入れ替わりにそれと同じ水晶玉が二つ使われた可能性が高いこと。その一つを鬼の体から発見したこと。
鬼火と話せるネズミにハクの通訳をしてもらって湊の狙いを聞いたこと。
鬼が入ったハクの体を始末しないように妖界側に頼んだこと。使者として本家に来た宇柳にハクの魂が入った水晶玉を託して巽を同行させたこと。
護衛役達に口止めしたことも含め、洗いざらい全部伝えた。
柊士はそれを、俯いたままじっと黙って聞いていた。
「行商人やネズミの話に関して、もう少し詳細を聞きたいところだがー――」
……あ、やば。
柊士に報告していない過去の出来事にも触れてしまったがために、柊士の雰囲気が一瞬ピリッとなり、怒られる気配を感じ取って身構える。
しかし思っていた怒声は飛んでこず、柊士は小さく息を吸い込み吐き出して、言おうとした言葉を飲み込んだ。
「妖界側から知らせがあった。鬼と入れ替わった白月が死んだ。昨夜の話だ。」
「……………………は?」
一瞬、時が止まる。
……死んだ? ……ハクが?
「……ま、待ってよ! どういうこと? だって、巽が……」
宇柳と巽が妖界へ行ったのは夕方頃。昨夜連絡があったとしたら、それからしばらく経つ。
つまり、魂を移すのに失敗したということだろうか……ハクの魂が体に移る前に失われた? 間に合わなかったのだろうか、それとも間に合ったけど失敗したということなのだろうか……
疑問が頭をめぐり、鼓動がドクドクと早くなる。
……命は救えると思った。少なくとも、ハクの体と魂は元のとおりに戻ると思った。それが、まさか失敗するなんて……
一人混乱する中、更に、柊士は続ける。
「人界側に責がある、陽の気の使い手を差し出せ。それが妖界側の要求だ。人界側の過失である以上、こちらは向こうの要求に従う」
「…………は? 要求に従う……? それって、陽の気の使い手を……」
……そんなわけない。だって、そんなの湊の思惑どおりだ。
陽の気の使い手は柊士と俺だけ。どちらかなんて選択肢がない。片や人界の妖を統べる日向家当主、片や役を持たない、ただの守り手だ。
柊士は俺をまっすぐに見据える。
「転換の儀を行う。あちらに行くのは―――」
キーンと耳鳴りがした。
やめてくれ。聞きたくない。
「―――奏太、お前だ。」
柊士の低い声が、重く部屋の中に落ちた。
柊士から、そんな通告をされることになるなんて思わなかった。ハクが死んだ。俺達がやろうとした事が失敗して、ハクを失った。
……俺が、その代わり……?
転換の儀。つまりそれは、人界での人生を一度ここで終えろということだ。日向奏太としての人生を―――
「お待ち下さい! 柊士様!!」
汐が鋭い声を上げた。しかし、柊士の後ろにいた栞が汐を冷たい目で見る。
「汐、従者が出る幕じゃないわ。それに、これは決定事項。覆せるものじゃない。」
「…………決定……事項……?」
汐が繰り返す。それに答えたのは柊士だ。
「妖界側の要求に応じなければ向こうは報復に武力行使も辞さない構えだ。」
湊が俺に転換の儀を受けさせようとしていることは察していた。でも、ハクが助かれば問題は無くなると、そう安易に考えた。
実際には、それが失敗に終わって妖界側の怒りを買い、要求を呑まざるを得ない状態を突きつけられている……湊が望んだ通りに……
「……そんな……」
汐が消え入るような震え声でそう呟いた。
「…………俺の意思は?」
行きたくない。
真っ先に頭をよぎったのは、そんな言葉だった。
まだこの世界で生きていたい。
大学を卒業して、就職して、結婚して、子どもができて……そんな人生を、この世界で歩んでいきたい。
…………それなのに…………
「残念ながら、守り手に拒否する権利はない。これもまた、役目だからだ。人界を護るための。」
ハクの気持ちに目を瞑った報いだろうか。
逃げ道は用意されていない。手が震える。指先が冷たくなって感覚がない。
「………………うちの、親は……?」
両親の顔が浮かぶ。どう思うのだろう。何て言うのだろう。俺はあの二人と別れないといけないのだろうか……育ててくれた恩を返せないまま……俺が先に…………
どうしてもやり切れなくて、柊士に問うと、淡々と冷たく事務的な返事が返ってくる。
「この件は、儀式の妨害を防ぐ為、儀式が終わるまで外に公表されない。お前の両親も含めてだ。幸い、お前は既に成人を迎えてる。」
……公表されない? 誰にも……親にも友達にも知られないまま、一人で……?
人界の為に、妖界の為に、日向家に生まれた守り手だから……ただそれだけの理由で、俺の人生は終わるのか?
結が通った道。そう言われればそうだけど…………
「……柊ちゃんは…………」
……何も思わないの?
感情を見せず通告するだけの従兄に、そこから先を聞くことが、どうしてもできなかった。
「……どうにか、ならないのですか……」
奥歯を噛み、絞り出すような亘の低い声が聞こえた。
「ならない。栞が言った通り、これは決定事項だ。」
そう言いつつ、柊士は、一枚の紙を栞から受け取り、俺の前に差し出す。
そこにあったのは、転換の儀を執り行う旨を記す内容に、柊士のサイン、そして複雑な模様を刻まれた四角く大きな朱印。
「既に了承している。最終承認は日向家当主。つまり、俺だ。」
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