第100話 黒の鬼灯②

 いったい何が起こってる?

 全く状況の理解が追いつかない。


 樹と呼ばれた奴が持っている香に鬼がつられて出てきたように見えた。亘は今、鬼に向かっていて動けない状態だろう。香炉が割れた途端に亘が呻いたのが気掛かりだ。

 それに、今はもう痛みはないが同じくらいのタイミングで胸の中を締め付けられるような痛みが走った。

 汐も心配だ。叫び声が聞こえたが、大丈夫だろうか。


 俺を捕えているやつの目的は何だ。敵は鬼を除いて二人か? 三人か? それとももっと……


 疑問ばかりが浮かぶ中、不意に


「どういうつもりだ、いつき! 碓氷うすい!」


という亘の怒声が周囲に響いた。


 碓氷? 樹と同じく、里の者か? でも、それがなぜ……


 すると、背後からこの状況を面白がるような声が聞こえてくる。


「おいおい、バラすなよ。穏便に済ませるために妖界の連中の真似して仮面をつけて、奏太様の目隠しまでしたのに。お前と汐が居なくなれば、樹と鬼と謎の男の仕業で終わっただろ。気の利かない奴だな。

 まあ、せいぜい鬼相手に頑張れよ。奏太様は無事に送り届けるから安心しろ。」

「何が目的だ!?」

「樹が言っただろ。お前を始末するんだよ、亘。しぶとい奴め。」


 亘を始末する? さっきまでの樹の言葉もそうだ。二人で共謀し、御役目のタイミングを狙って仕掛けてきたのだろうか。しかも鬼を使ってまで?


 何れにせよ、このままではこいつらの言う通りになってしまう。亘はたった一人であの鬼とこいつらを相手にしなければならないのだ。

 汐が助けを呼びに行けるか、せめて俺が陽の気を使えれば……


 それなのに、捕まえられたまま暴れようとしたところで相手はびくともしない。


「ふざけんな、離せ! こんなことをして、ただで済むと思うなよ!」


 こんなところで、亘を殺させるわけにいかない。きっと、汐だって無事では済まされない。


 しかし相手は俺を嘲笑うようにククっと笑いをこぼす。


「随分と威勢の良いことで。大丈夫、ご心配なさらずとも、すぐに全てどうでも良くなりますよ。亘と汐の死すら、ね。」


 耳元で囁かれる声に、首筋がゾワッとする。


「……何をするつもりだ?」

「ついてからのお楽しみです。」


 そう言うと、碓氷の顔が少しだけ離れる。


「樹、先に戻る。あの方がお待ちだ。今度こそ失敗するな。次はないぞ。」


 その声とともに、バサリと羽ばたく音が聞こえ、グイと持ち上げられて内蔵が浮くような浮遊感に襲われた。

 碓氷に捕らえられた状態で宙に浮き上がったのだろう。


「クソ、離せ! 亘! 汐!!」


 俺はそう叫びながら何とか手を振りほどこうと暴れる。亘と汐を置いていけない。それに、このまま連れて行かれては良くない事が起こる予感がする。落ちて怪我した方がまだマシだ。


 そうやって宙に浮いたまま必死にもがいていたその時だった。


「奏太様!」


という聞き覚えのある声が遠くから聞こえてきたのだ。この絶望的な状況に光が見えて、無我夢中でそれに縋り付く。


「淕! 鬼だ! 亘と汐が!!」

「そちらは、別の者が対処に向かいました。もう、心配はいりません。」


 それと共に、カチャリと刀が鳴る音がし、チッという舌打ちが直ぐ側で聞こえる。


「碓氷、奏太様を返してもらおう。」

「何故こんなに早くお前らが……」

「奏太様の周りの不審な動きを、柊士様が見逃す訳がない。周囲で状況を伺う者をつけさせていたのだ。」

「クソがっ!」


 碓氷がそう吐き捨てたと思った直後、首に鋭く尖った何かが突きつけられた。何度も経験があって嫌になる。つまり、俺の立場が回収対象から人質に変わったという事だ。


「奏太様を質にとってどうするつもりだ?」


 淕の声が低く響く。


 しかし碓氷からの答えが返る前に、背後から突然何かが突撃してきたような物凄い衝撃が走った。


 ウグっと碓氷が呻く声が聞こえ、首に突きつけられていた尖った何かが外れる。


 ただ、ホッとする間もなく俺を捕らえていた碓氷の体が離れ、俺の体だけが宙に取り残された。それと共に浮力を失った体が無情にも一直線に落下し始める。


「う……うわっ!!」


 さっき、落ちて怪我した方がマシだとは言ったが、どう考えても今じゃない。

 目隠しされた真っ暗闇の状態で体が落ちるのは恐怖以外の何者でもない。


 ―――死ぬっ!!


 数秒にも満たない一瞬の間に、恐怖と絶望に心が埋め尽くされる。しかし、直ぐにグイっとみぞおちのあたりを何者かに掴まれ、俺はグエっと声を漏らした。

 落下は止まったのは良かったが、腕と思われるものがみぞおちに食い込み吐き気がする。

 今度は何が起こったのかと思っているうちに、ハラリと目元に巻かれていた布が取れた。


「奏太様、ご無事ですか。」


 亘の心配するような声音が背中越しに響いてきて、俺はホッと息を吐き出す。


「……何とかね。そっちは?」

「汐も私も無事です。」


 しかし不意に視線を下に向けると、そう言う亘の腕からはボタボタと血が滴っているのが見えた。


「何が無事だよ! 怪我してんだろ!」

「これくらい、かすり傷ですよ。」


 声を荒げる俺に、亘はカラカラと笑う。俺を安心させようとしているのが透けて見えて、溜息が出る。


「汐に怪我は?」

「網で捕らえられたようで、少しだけ傷付いていますが、大事はありません。」

「そっか……」


 亘に支えられて下に降りると、汐がホッとした様な様子でこちらに駆け寄って来た。

 亘が言うように、大きな怪我はしていないようだ。


「奏太様。お怪我は? 先程、胸を押さえていらっしゃったでしょう?」

「俺は大丈夫。何だったのか良く分からないけど、もう痛みもないよ。汐は? 怪我をしたって聞いたけど。」

「私の怪我など、大した事はありません。それならば、手当が必要なのは亘だけですね。」


 汐はチラと亘の方を見る。

 亘はいつもと同じ様な平然とした顔をしているが、その腕からは血が滴り落ちている。


「見せろよ、その腕。尾定さんに教えてもらったから、応急処置くらいできる。」

「大丈夫だと言っているでしょう。」


 そう言う亘の腕をグイと掴み、怪我をしている部分を露わにする。

 鬼にやられたのだろうか。深く肉を抉られたような線が三本出来ていて、次から次へと血が染み出し、その周囲が紫色に腫れ上がっていた。


「どこが掠り傷だ、バカ!」


 俺は思わず声を上げた。

 それから、持ってきていた小さなバッグに突っ込んでいた小瓶を二本取り出し、蓋を開ける。


「あの、奏太様、それは……」


 汐が躊躇いがちに俺を見上げる。


「妖界の温泉水だよ。」

「いけません! それは、奏太様ご自身に何かがあったときのために……!」

「まだたくさんあるし、無くなったらまた取りに行けばいいだろ。俺を乗せて行くのは亘だし。」


 俺はそう言いつつ、汐の制止も聞かずにそれを亘の傷にバシャバシャと振りかけた。


「護衛役には万全な状態で居てもらわないと困るんだよ。」

「無理矢理薬で傷を治させ馬車馬のように扱き使おうとは、とんでもない主ですね。」

「そんなこと言うならそもそも怪我なんてするなよ。ハクに言いつけて説教してもらうぞ。」


 亘には、俺なんかより、よっぽどハクの言葉のほうが効く。だからそう言ってみたのだが、亘は逆にキラキラとした期待に満ちた目で俺を見た。


「なんと! そのような素晴らしい機会を与えてくださるとは! 先程の大変失礼な暴言をお許しください! 奏太様は本当によく分かっていらっしゃ……なんです、その侮蔑の目は。」


 ピタリと手を止めて俺と汐が白い目で見ると、亘は気持ちの悪い笑みのまま首を傾げた。



 俺が見たときには既に半分出てきていた鬼は、加勢した者たちによって無事に討ち取られていた。

 樹と碓氷は捕らえられたが、碓氷は亘の攻撃で意識を失い、樹の方は狂ったように、


「もう終わりだ! 全て、お前らのせいだ! 呪ってやる!」


と叫んでいた。本人たちから詳しい話を聞ければいいが、難航しそうだと淕が零した。



「奏太様、この様な状況で申し訳ありませんが、結界を。」


 俺は淕の言葉にコクリと頷く。


 状況を整理したい気持ちはあるが、結界を塞ぐのが最優先だ。これ以上鬼に出てこられてはたまらない。

 俺は周囲を妖連中に囲まれ護られた状態で、ようやく落ち着いてパンと手を打ち鳴らしキラキラ光る陽の気を黒い渦に注いでいった。

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