第116話 祭りの来客②

 急いで迎えに行けと言われ、俺は亘に乗って里の入口に向かう。柾と椿も一緒だ。

 というか、本当は俺との同行指示を出されたのは柾と椿だけだった。ただ、当たり前のような顔で亘が率先して大鷲に代わり俺に声をかけたので、成り行きで亘も同行することになったのだ。


「ハクが関わるときだけ前向きになるのは何なんだよ。さっきまでいとまがどうとか言ってた癖に。」

「省みろと仰ったのは奏太様ではありませんか。」


 ……ホントにこいつは、ああ言えばこう言う。



 薄暗い坑道を通り里の入口に着くと、結構な人数の妖界の者達が一所に集まり、苦い表情で、しゃがみ込んで仔犬姿の晦と朔を抱えるハクを見守っていた。


 名前の分かる範囲では、翠雨、蒼穹、凪、桔梗、紅翅。他にも見た事のある顔が何人かいる。


 当の晦と朔は、


「あ、あの!」

「は……白月様……っ!」


と戸惑うような声を上げているが、尻尾はブンブンとしっかり振られていた。


 背後から舌打ちが聞こえて振り返ると、亘が凄い形相で晦と朔を睨んでいる。


「……あの二人、白月様となられてまで……!」


 ……ああ、なるほど。


 ボソッっと発せられた言葉に、亘が殊更晦と朔にちょっかいを出すのはこれも要因の一つかと、妙に納得してしまった。


「奏太様、膝をついて“白月様”とお声を。」


 ギリっと歯軋りした亘に、背後からコソッと声をかけられる。

 さっさとあれを止めさせろ、という強い意思が伝わってくるようだ。


 俺が亘に言われた様にその場に膝をついて


「白月様」


と声をかけると、ハクはぎゅっと晦と朔を抱き上げて立ち上がり、こちらを見た。

 亘からは更に大きな歯軋りが聞こえたが、一回無視だ。


「今日は璃耀も居ないし、そんな畏まらなくて良いいよ、奏太。」


 ハクはニコッと笑う。

 ただ、その後ろにいる翠雨の表情を見るに、多分そうはいかない。

 先程の宇柳の言葉然り、妖界に居たときに和麻に聞かされた話然りだ。

 ハクの為なら裏で何でもするのが翠雨と璃耀だと言われたのは忘れていない。


 それを証拠に、翠雨は眉根を寄せてこちらをじっと見据えている。イライラしているのは恐らく晦と朔の件も相まってだろう。

 さっき、亘と同じくらい苦い顔をして二人を見ていたのは翠雨だった。


「失礼ながら、白月様をお招きしておいて、些か準備不足では御座いませんか。奏太様。」


 翠雨の言葉は丁寧なのに、こちらを慮ろうという態度は微塵も感じられない。しかも、


「奏太が悪いわけじゃないでしょ。」


とハクが言うと、更に眉間の皺を深くする始末だ。ここは、ハクになんと言われようと謝っておいたほうが良いのだろう。


「申し訳ありません、白月様。」


 翠雨に謝るのもおかしな話なので、ハクに向かってもう一度頭を下げる。


「頭を上げて。大丈夫だよ、奏太。祭りに案内してくれる?」


 ハクの柔らかな声が聞こえてきて顔をあげると、一応ハクの許しを得たからか、翠雨はムスッとした様子はあれど、それ以上は何も言ってこなかった。


 小さく息を吐き出して立ち上がり、


「こちらです。」


と案内を始めると、ようやく一行はその場を動き始めた。


 戻りは伯父さんの指示に従い、徒歩での移動だ。できるだけ準備を整える時間を稼げ、というのが俺に任された使命だった。


 ちなみに、晦と朔に関しては本来の役目に返してもらった。門番が居なくなると困るというのもあるが、これ以上ハクに二人を連れて歩かれたら、うちの護衛役はもちろん、翠雨も他の妖界の者たちも、雰囲気最悪の状態で祭りの席に行くことになりそうだったからだ。


 二人はハクから解放されると、ほっとしたような、寂しそうな表情で俺たちを見送った。



「懐かしいなぁ。」


 里をテクテク歩きながら広場に向かっていると、ハクがポツリとそう零した。


「ハク……白月様は、よくここに来ていたんですか?」


 いつものように話しかけそうになって慌てて敬語にすると、ハクはクスッと笑う。


「いいよ、ホントにいつも通りで。時々来てたの。今日は祭りだから人気がないけど、ここを通るときには皆笑顔で迎えてくれて。人の世界が嫌になると、ここに来てぼうっと亘が稽古してるのを見たりしてた。」


 そういえば、紬も結に絵本を貰ったと言っていたっけ。


「もう一度ここに来ることになるなんて……」


 ハクの表情は、寂しそうな懐かしむような複雑なものだ。亘もまた、同じ表情でハクを見ていた。


「白月様。」


 翠雨は逆に、不安そうな表情でハクに呼びかける。


「大丈夫だよ、カミちゃん。帰りたいなんて言わない。今の私の居場所は幻妖京だから。」


 ハクは安心させるようにニコリと微笑んで見せた。



 広場に近づくと、椿が走って知らせに向かう。幕の前に辿り着くと、椿と巽が幕を両側から押えてハクの通り道を確保して頭を下げた。


「ありがとう。二人とも。」


 リンと鳴るような声に、幕の向こうの皆が膝をついてハクを迎える。


「ご無沙汰しております。ようこそ、おいでくださいました。白月様。」


 まるで予定通りとばかりに、伯父さんが頭を下げたままそう言った。


 奥にはいったい何処から持ってきたのか、天蓋が設けられた場所が中央に用意され、俺たちが座っていた場所よりも更に一段高くなっていた。

 そして、俺たちが座っていたのと同じ高さで天蓋の両脇に斜めに置かれた台があり、人界の二貴族家の座るもう一段低い台が両側並行に置かれた形だ。


 ひとまず席へハクを案内するのが先決なのだろう。伯父さんと柊士の挨拶が済むと、伯父さんは早々に立ち上がる。


 しかし、まるで当たり前のような顔で、伯父さんの案内を待っていたハクの前に榮が割り込んで膝をついた。


「お久しぶりですね、結様。いえ、今は白月様とお呼びすべきでしょうか。」


 こういう礼儀作法は良く分からないけど、普通、挨拶をするなら筆頭である粟路が先だろうし、何より日向の当主が案内をしようとしていたのを遮るようなものではないことは、俺にだって分かる。

 しかし、榮は素知らぬ顔だ。榮の後ろには拓眞が同じように当然の顔をして控えていた。


 ハクの表情が強張ったのが傍目にも分かる。以前の榮の発言を鑑みれば、結にも俺にしていたのと同じ態度で接していたはずだ。


「父上。」


 都築が厳しい声音で背後から呼びかけるが、榮はそれも無視だ。

 空気が読めない、というより、敢えて読まないつもりなのだろう。


「本当にお懐かしい。結様には、最後にお会いしたときがお会いした時でしたから。あの時はどの様になるかと気を揉んでおりましたが、転換の儀も無事に相成り、今では大層御壮健であらせられる御様子。何よりで御座います。」


 最後に会った時、という言葉に、ハクの表情が一層固くなる。


「常よりお側におった我らがお伴できないなか、女子の身で一人妖界へなどと心配しておったのです。貴方の小さな両肩には帝という荷は余りにも重たいものでしょう。」


 ハクを慮るような言い回しだが、そうでないことはよくわかる。皆も眉を顰めて榮を見ている。


「父上、そのくらいに。あまりにも不敬です。」

「私は結様の行く末を心配しているだけなのだが、それが不敬か?」


 都築の指摘に、榮は確かめるような顔でハクを見る。ただ、ハクは蒼白な顔のまま動かない。


「榮、もういい。道を開けろ。」

「おや、老人の過ぎた御節介でしたかな。」


 見兼ねたように柊士が鋭い声を上げると榮はニコリといやらしい笑みを浮かべた。


「では、拓眞にお席へ御案内させましょうか。」


 榮の言葉に、拓眞がずいっとハクの前に進み出る。その顔には、榮と同じようにニヤとした笑みが浮かんでいた。


「白月様、御手を。」


 拓眞はそう言うと、ハクの手を取ろうと腕を伸ばす。

 瞬間、ハクの後ろにいた翠雨が一歩前に出て懐に入っていた扇子でパチンと拓眞の手を弾いた。


「汚らわしい手で白月様に触れるな。人界に残された二貴族家の分際で、主上の行手を阻み煩わせるとは何事か。」


 何時も以上に厳しく凍りつくような翠雨の声音は、ゾッとするほどだ。キレイな顔だけに、冷たく拓眞を見据える表情がすごく怖い。


 しかし、拓眞はそれに怯むことなく、大袈裟に叩かれた手の甲を押さえた。


「突然何をなさるのです。妖界の貴族家の方は随分と不行儀でいらっしゃる。」

「不行儀はどちらだ。知らぬようだから説明してやるが、我が柴川と、雉里、申岡、狗山の三家の立場が明確に異なるように、人界に残された雀野、亀島とこの四家では立場が大きく異なる。弁えよ。」


 翠雨がそう言い放つと、様子を伺っていた榮がわざとらしく驚いたような表情を浮かべて拓眞の前に再び出る。


「おやおや、柴川家の方でしたか。これは大変な失礼を。後程、改めて御挨拶にお伺い致します。是非御近付きになりたいものです。」


 榮は柔和な笑みの中に瞳を光らせる。獲物を見つけたような、取り入ろうとするようなものだ。

 しかし、翠雨はそれを浅ましいものでも見るように見下ろした。


「挨拶など不要だ。」


 翠雨が冷たくそう返すと、榮はその笑みを一層深める。


「左様ですか。では、時を改めましょう。戻るぞ。」

「はい、父上。」


 二人はそう言うと、ハクと翠雨に一礼して、ようやく自分達の席に戻っていった。


「大変な御無礼を、誠に申し訳御座いません。」


 そう膝をつく都築を横目に、翠雨は表情を緩めてそっとハクの背を押す。


「参りましょう。白月様。」


 榮達に発していたのとは全く違う柔らかい翠雨の声にハクは小さく頷いたが、その表情は色を失っているように見えた。

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