第117話 祭りの来客③
「ハク、大丈夫かな。」
「大丈夫だよ。来たばっかりじゃない。」
と笑うだけだった。
皆で顔を見合わせ、それ以上の追求ができなかったのだが、あの一時、明らかに様子がおかしかったのだ。
「あの男が転換の儀の事など持ち出したからです。あのような者、白月様に近づけるべきではありませんでした。」
俺の背後で亘が堪えきれなくなったようにそう零す。
「あの方の傷を
亘はそう言うと歯噛みする。
転換の儀。結がハクになる直前の出来事ということだ。つまり、結が死の淵に立たされていた時の……
「転換の儀で、榮との間にもなにかあったの?」
俺の言葉に、亘はチラとこちらの声が聞こえていないかを確かめるようにハクに視線を向ける。それから、怒気を
「あの男があの方の最期に放った言葉です。」
「―――人界ではもう使えぬのだから、最期に人柱としてくらい役立ってもらわねば。女子の身で妖界の帝など務まると思えぬが、あちらでどうなろうと送ったという
「……何だよ……それ……」
それが御役目に向かい鬼に襲われ傷ついた結に掛けられた言葉だとしたら、あまりに残酷で卑劣だ。
「なんて
横で聞いていた
「御当主や
あの時のあの方にはきっと、その後の我らの言葉など届いていなかったでしょう。それだけ強烈な言葉でした。死を目前にしながら、役立たずは切り捨ててしまえと、そう言われたのですから。」
俺はチラと亀島の方に目を向ける。難しい表情の
言った方は覚えているのだろうか。覚えていたとして、それがどれ程傷つけたのかわかっているのだろうか。
自分の事でもないのに、何だか悔しくなってくる。
「今のあの方の御立場なら、何かと理由をつけてこの場で処断することも可能でしょう。しかし、あの方の事です。その様な事、お望みにならないでしょう。いつも、あの方ばかりが我慢を強いられるのです。この期に及んでもまだ……」
亘はそう言うと、拳を握りしめて口を
榮への怒りか、今の自分に何もできない歯がゆさからか、近くで支える事すらままならない悔しさからか、それとも、結を救うことも出来なかった自責の念からか、もしくはそれら全てからか。
亘はただ、それ以上は何も言わなかった。
伯父さんにも柊士にも、亘の話は聞こえていたはずだ。でも二人は黙ったまま、じっと舞台の上を見つめていた。二人には、いったいどう聞こえたのだろう。
舞台上での神事や催しが終わると、二貴族家をおいて里の者たちで賑わう広場に向かった。
榮の一件から、誰もハクに榮を近づけたくないという意識が働いたからだろう。亀島が近付く隙を与えないよう
伯父さんもまた
「お前らでご案内しろ。」
と幕の内に残った。
ハクが少しでもあの時の出来事に煩わされないように気を使ったのかもしれない。
俺達は、妖界の面々を引き連れて、出見世の並ぶ場所へ向かう。
もっとも、案内役は祭りを実質取り仕切っていた湊が担っている。
前に出過ぎず柊士を立てて裏方に徹するその姿勢は、本当に榮の息子だろうかと疑いたくなる働きぶりだ。亀島家にあって、唯一湊だけが同行を許可されたのも頷ける。
見たところ都築も常識人っぽいが、榮を抑えるという最重要の役回りを担ってもらわなくてはならない。
むしろ、次男の
兎にも角にも、俺達は湊の案内で賑わう広場にやってきた。
ざわざわ、がやがや。
楽しげな声で周囲が満たされ、風車や水ヨーヨーを持った子どもが駆け回る。
人の世の祭りと何ら変わらない光景に、何だかこちらもワクワクしてくる。
ただそんな状況も、広場の入口につくまでだった。
俺達の姿を見るやいなや、ざわめきが手前側からどんどんと収まっていき、ピタリと止まる。
シンと静まり返るなか、皆が左右に避けて道を開け、端から膝をついていったのだ。
ようやく柔らかくなってきていたハクの表情が再び固まる。
「あ、あの、湊、皆に普通にするようにって……」
ハクがそう言いかけると、湊は首を横に振る。
「公の場で貴方様をお迎えするのに粗相は許されません。守り手様方の御立場もございますから。」
ハクは湊を見て、柊士と俺を見て、翠雨を見る。
「白月様、貴方は既にその様な御立場です。其の者の言う通り、公務であればこそ、その御立場は最大限尊重されねばなりません。」
翠雨の言葉に、ハクは少しだけ視線を下げた。
何だか居た堪れなくなり、俺は
「柊ちゃん……」
と小声で呼びかける。しかし柊士からもまた、
「二人の言う通りだ。少なくとも、榮に余計な事をこれ以上言わせたくないだろ。こういう場面で堂々としていることも役割の一つだ。
初めて里に来たときに、お前も教えられたろ。」
と淡白な返事が返ってきた。
「それはそうかもしれないけど……」
周囲はそう言うけれど、里に入った時のハクの表情や、祭りの雰囲気で柔らかくなった表情を考えると、何だか気の毒な感じもする。
せっかく人界に来て、しかも祭りなのに、榮に嫌な思いをさせられて、堅苦しい神事を見て、静まり返った出見世の見学だなんて。
そう思っていると、ハクは小さく息を吐き出す。そして、諦めたように湊に微笑みかけた。
「湊、案内をお願い。説明は簡単にで大丈夫だから。」
湊がそれに恭しく一礼すると、一行は祭りとは思えないくらいに静かな広場を進み始めた。
里で作られたお面や小物、団扇、子どもの遊べる竹細工のおもちゃなどが、それぞれの屋台の中に並ぶ。
まるで大名行列かと思うような状況の中、いくつかの出見世に寄って説明も受ける。でも店主はカチコチに緊張してい満足に受け答えもできない状態。
時々顔見知りがいたのかハクが親しげに話しかけたりもしたが、相手は恐縮するように頭を下げるばかりだった。
俺は黙ったまま、ハク達の後ろをただただついて歩く。
そうやっていくつかの店を回った頃、不意に、隣の店の売り物が目に付き、俺はふっと足を止めた。
店構えは普通の金魚すくい。ただ、泳いでいるものがおかしかった。
最初はカラフルな熱帯魚かと思ったのだが、そうでもない。
「ねえ亘、あれ何?」
「金魚ですが。」
「は? いやいや、金魚ってあんなんじゃ無いだろ。少なくとも、普通は金魚に
浅い水槽の中には、背中からピンクや赤、青や紫、金など色とりどりの蝶の翅のようなものを生やし、翅と同じような色味の長い尾をなびかせながら、水中を羽ばたき舞うように泳ぐ魚の姿があった。
キレイはキレイだけど、どう考えても普通ではない。
「羽ではなく背ビレですよ。」
「背ビレ? あれが? 羽ばたいてるけど。」
俺がそう言うと、亘はこれみよがしに、ハアと溜め息を一つつく。
「守り手様ともあろう方が、里の金魚も見たことないとは。」
「いや、お前らと一緒に行動してて、どのタイミングであんなの見る機会があったのか、逆におしえてもらっていい?」
呆れてそう言うと、亘は首を傾げた。
「我らと共に居る時に見る機会などありませんよ。陽の気の泉に生息しているものなので。何故か新月の夜に水面近くに上がって来るので、それを捕獲しているのです。」
「え、あれ、陽の気の泉にいるの?」
「ええ。陽の泉の底は妖界と繋がっているそうですから、妖界側から来たものかも知れませんが。」
まさか、そんなところに居るとは思わなかった。
ということは、尾定と一緒に妖界に行くときに見ていた可能性があるということだろうか。
でも、流石にあんなに派手なのが泳いでいたら気づくと思うんだけど……
それに、あれが陽の泉の水だとしたら、妖連中には危険なのでは……
「あの水、大丈夫なの?」
「あれは普通の沢の水です。タモで掬って移し変えるので危険はありません。」
別に陽の気の満ちる水でなくても良いらしい。あと、陽の気の泉で生きられるということは、少なくともあの魚は妖では無いということだ。
だからといって、普通に人界で見かける種ではない。謎だらけだ。
「興味がお有りなら、一匹連れ帰っては?」
「あんな変な魚を連れて帰って、万が一誰かに見つかったら大変だよ。人に乱獲されてペットショップで高値で売られる未来しかみえない。少なくとも人前に出しちゃダメなやつだよ。」
「……なるほど。人の世とは世知辛いものですねぇ。」
亘は考え深げにそう言った。
「あの、奏太様、そろそろ先に進んだ方が良いのでは……」
椿の言いにくそうな声にはっと周囲を見回す。
どうやら金魚に目を奪われているうちに、皆先に進んでしまっていたようで、気づけば俺と俺の護衛役達だけが取り残されてしまっていた。
「ああ、ごめん。」
そう言って追いかけようとしたところで、ふとヨーヨー釣りの出見世が目に入る。
俺は、遠くに見えるハクの顔をチラと見やった。
「……金魚は生き物だし陰の気に満ちる妖界に連れて行って育てるのは難しいかもしれないけど、ヨーヨーくらいお祭りのお土産にあってもいいよね。」
そう言うと、亘もまた、いつもとは違う優しげな笑みでハクの方に視線を向ける。
「ああ、それは良い考えですね。では、私が取ってまいりましょう。奏太様はあちらに合流なさった方が良いでしょうから。」
「あ、いや、それなら私が行きます。亘さんは奏太様のお側に……」
巽がそう名乗り出る。でも、俺は首を横に振った。
「いや、亘に任せるよ。好きな色くらい、覚えてるだろ。」
亘だって、きっとハクに渡すものは自分で取ってあげたいはずだ。誰に任せるでなく、自分の手で。
「もちろんです。お任せを。」
亘はそう言ってニコリと笑った。
広場を抜け、一行が少し離れたところまで来ると、広場に再び賑やかさが戻ってくる。
「せっかくのお祭りに水を刺しちゃったね。」
ハクは寂しそうな表情で微笑みながら、近くの階段にストンと座る。
「白月様、はしたないですよ。」
一緒に来ていた紅翅が窘めるが、ハクはその場にいる面々に視線を向けたあと、
「ちょっとだけ休憩させて。また元いた場所に戻るんでしょ?」
と言った。
ここに居るのは、慣れ親しんだ妖界の者達、柊士と淕を含む柊士の護衛役、俺、俺の護衛役達、そして湊だけだ。
湊の事は気になるものの、無理して肩肘張るような者達ではない。
柊士はハアと息を吐く。
それから、淕から何かを受け取ったと思うと、スッとハクにいちご飴を差し出した。
そういえば、途中で柊士が淕にコソッと何かを指示していたっけ。
「好きだっただろ。」
「へえ、優しいじゃん、柊士のくせに。」
「うるせぇよ。」
柊士はそう言いながら、ハクの隣にドサッと座る。
翠雨はハクの直ぐ側で苦々しげに柊士を見たが、何も言わなかった。
今日、この里に来てからのハクの様子を一番近くで見ていたのは翠雨だ。きっと、思うところがあったのだろう。
俺も何となく出ずらくて、黙ったまま二人の様子を眺める。
すると、戻ってきていた亘がずいと水色に青と紫の模様の入った水ヨーヨーを俺の前に突き出した。
「ああ、ごめん、ありがとう。」
「ああ、ではありません。まさかとは思いますが、お忘れになっていたのではありませんよね?」
「そんなわけ無いだろ。ただ……」
柊士の二番煎じな感じがして出にくくなっただけで……
俺が言葉を濁すと、亘は仕方のなさそうな顔で俺を見たあと、水ヨーヨーを俺の手に押し付けて、トンと背を押した。
「柊士様に先を越されている場合ではありません。」
押された勢いでトトっと前に出ると、ハクが首を傾げる。
「どうかした?」
不思議そうなハクの表情に恨めしく思いながら亘を振り返ると、さっさとしろとでも言うように、手を前後にパッパと振られた。
「あ、あの、これ……」
仕方なくヨーヨーを差し出すと、ハクは目を丸くしてこちらを見たあと、クスッと笑う。
「私に? ありがとう、奏太。」
「あ、いや、亘が取ってきてくれたんだ。ハクの為に。」
「亘が?」
ハクが亘の方に視線を向けると、亘はまるで聞こえなかったフリでもするように居心地悪そうに視線をそらす。
さっきは俺の背を押して強引に突っ込んで行かせたくせに、一体お前は何なんだよ。
しかしハクは、そんな亘の素振りもお見通しのように、小さくフフっと笑った。
「亘も、ありがとう。」
ハクに笑顔を向けられ、慌てて頭を下げる亘の耳が僅かに赤くなっているのを、俺は見逃さなかった。
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