第118話 人界の観光①
祭りは基本的に夜間行われる。里の連中の生活が昼夜逆転しているのだから、それは仕方ないとは思っている。
ただ、俺達には昼間に普通の生活が待っている。
つまり翌日、大学の講義は当たり前にある、ということだ。
夕方頃から行われた祭りに参加し、深夜に途中抜けして帰宅。少し寝て大学へ行き、夕方帰宅後また里へ行く。今日明日はこのハードスケジュール。
本当は休めれば良いのだろうが、既に結構欠席しているし、今後もそうならないとは限らない。
出られるときに出られるだけ出ておかないと、単位を落としかねない。
ちなみにハク達も、俺達と同じ様に祭りを途中で抜けて本家で昼間寝泊まりし、夕方に里に戻る形で明日と明後日を過ごすことになった。
妖界に帰れよ、と柊士に遠回しに言われたハクは、それに気づかなかったかのように明日も残ると宣言した。
あんな思いをしてまで残らなくても、と少し思ったが、ハクが残りたいと言うのなら思うようにしてあげた方が良いのだろう。
ただ、里に残すのは不安なので、手狭だけどと伯父さんが前置きした上で本家に泊まることになった。
俺から見れば全然手狭なんてことはないのだが、確かに妖界の貴人達を泊めるには向かないのだろう。
祭りの翌朝、俺は眠い目を擦りながら家を出る。
せめてもの幸いだったのは、一限が臨時休講になったことだろうか。
とはいえ、憂鬱な思いは消えない。溜息をつき、とぼとぼ歩みを進めていた。
角を曲がると、少し先の方を五分袖の服にロングスカートの女性が歩いているのが目に入った。帽子を被っているが、後ろに一つでくくった髪は薄い銀灰色で光を湛えている。
……あれ? あの髪の色……
いや、まさか、とは思うものの、あんな髪色の人物、こんな田舎ではまず見ない。あと、背格好も思い浮かべた人物と完全に一致してしまう。
……もし、本物だったら結構不味いよな?
そんな考えが過り、俺は思わず駆け出した。
すると足音に気づいたのか、その人物がふいっとこちらを振り返る。
「あ、やば。」
思った通りの顔が、そう小さく呟くのが聞こえた。
「ちょ、ハク! なんでこんなところに!」
そう呼びかけると、ハクは踵を返して脱兎の如く走り出す。
でも、走るのに適さない格好の女の子に追いつくなんて難しいことじゃない。全速力で追いかけると、あっという間にその腕を捉えた。
「何やってんだよ、こんなところで!」
グイっと腕をこちらに引き寄せて足を止めさせると、ハクは俺の手から腕を取ろうと必死にもがく。
「み、見逃して! お願い、今日だけだから!」
「いや、その言い方、絶対脱走してきてるじゃん!」
「脱走だなんて人聞きの悪い! ちゃんと相談してきたし!」
「なら、何で逃げるんだよ!」
そんな問答を繰り返しながら揉み合っていると、ヒョイっと一枚の紙人形がハクの胸ポケットから飛び出てきて、俺の腕にトンと着地する。
それとともに、小さな手を金色に光らせて俺の腕にポンと触れた。
瞬間、静電気よりも更に強い衝撃がビリっと走る。
「痛っ!!! 何なんだよ、いったい!」
思わず声を上げて手を振り払うと、紙人形は身軽にヒラリと飛び上がり、ピョンピョンとハクの肩の上に座った。
「カミちゃんはポケットに入っててってば。」
ハクは仕方がなさそうにそれを掴むと、そのまま胸ポケットに滑り込ませる。
しかし、紙人形は頭と光る両手をポケットの外に出したままこちらをじっと牽制していた。
「……え、なんで翠雨さん昼間に外に出れるの?」
「カミちゃんは、この姿だと陽の気に耐えられるの。今思えば、この紙自体が人界のものなのかも。妖界の物だと燃えちゃうし。」
ハクはそう俺に言いながら、「こら、やめなさい!」と紙人形を窘める。
「……あのさ、一応確認するけど、相談相手は翠雨さんだけじゃないんだよね。柊ちゃんは知ってるんだよね?」
俺は、ポケットに入れられた紙人形姿の翠雨が仕方なさそうにハクを見上げて手を光らせるのをやめるのを見ながら、ハクに尋ねる。
すると、ハクは
「ああ、うん、そうだね……」
などと曖昧な事を言いながら、ツイと視線を逸らした。
まあ、そうだろうとは思ったけど……
周囲から許可なんて出るわけがない。
俺でさえ余計な事をするな、遠出をするなと言われているのに、妖界の頂点が自由に人界を歩き回るなんて、ダメに決まってる。
俺は時間を確認したくておもむろにスマホを取り出す。余裕があればハクを本家に送り返したい、そう思っただけなのだが、ハクは慌てたようにパッとスマホを握る俺の手首を掴んだ。
「待って、本家に連絡はやめてっ!」
「……連絡しようと思った訳じゃないけど、確実に黙って出てきた事だけはわかったよ。」
呆れ果ててそう言うと、ハクは気まずそうに手を引っ込める。
「もう、本家まで送っていくから帰りなよ。」
「今日だけだから! 人界でだって奏太より長く生きてるんだし大丈夫だよ! お願い!」
パンと手を合わせて頭を下げるハクを見つつ、俺は小さく息を吐いた。
昨日からのいろいろを考えれば少しくらい、と思わなくもない。でも、ハクが居なくなったと気づかれれば、絶対に大騒ぎになる。人界側も、妖界側も。
昼間である以上、連れ戻せるのは俺達人間だけ。見つけてしまったからには、無事に送り届けるのは、もはや義務に近い。
「やっぱダメ。ここで見逃してハクに何かあったら困る。」
そうやってハクの手を掴んで引き返そうとしたときだった。
不意に、
「……なんでまだ居るんだよ。」
という、聞き覚えのある男の声が、ハクの向こう側から聞こえてきた。
俺は視線を上げて唖然とする。
なんでこのタイミングでコイツがここに居るのか。家の場所を教えた覚えもないのに、なんで寄りにもよって、ハクと一緒に居る時に……
「……なんでお前がここに居るんだよ。」
俺がそう言うと、声の主である遥斗は、はばかることなく舌打ちをした。
「それはこっちのセリフだ。わざわざ、お前が一限から講義がある日を選んで来たのに。」
「……何しに来たんだよ。」
眉を
「お前が見に来いって言ったんだろ。」
「わざわざ、俺が居ないときを見計らってか?」
「お前が帰って来るのを待つつもりだったさ。周囲をきっちり確認してから、だけど。」
俺と遥斗が睨み合ってると、ハクは俺達を交互に見る。
「あー……お友達? それなら、邪魔しちゃ悪いから、私、もう行くね。」
そう言いつつ後退りするハクの腕を、俺はグイッと引く。どさくさに紛れて見失う訳にはいかない。
「行かせるわけ無いだろ。」
「女の子に乱暴はやめなよ。らしくないな。」
遥斗はハクにチラと視線を向けたあと、からかうようにニヤと笑って見せる。
「ああ、もしかして痴話喧嘩の最中だった?」
「そんなんじゃない。ただの従姉だ。」
「いとこ? へえ、全然似てないね。」
……しまった。
いつもの調子で答えたけど、今のハクと俺は似ても似つかない風貌だ。髪の色にせよ、瞳の色にせよ。
チラとハクを見ると、困ったような顔で俺を見返す。それから、ハアと小さく息を吐いて、気を取り直した様に遥斗に目を向けた。
「髪を染めてカラコン入れてるの。似合うでしょ?」
「そうなんだ。君、高校生? 今日平日だけど、学校大丈夫?」
「ううん、もう卒業した。幼く見られるけどね。今日はお休み。」
キレイな作り笑いで応じるハクを、遥斗は訝しげに見る。
これ以上、ハクの事を詮索されたくない。
自分が巻いた種だし、ハクさえ居なければ、遥斗を家に上げて両親に会わせて送り返せば、ひとまずはそれでいいハズだけど……
「遥斗は俺の家に来たんだろ。招待してやるから、ちょっと待ってろよ。その間にこの子を送り届けてくるから。」
俺が遥斗に言うと、ハクはムッと口を尖らせる。
「だから、見逃してって言ってるのに!」
「だから、ダメだって言ってるだろ!」
できればこんな口論も遥斗に見せたくないのに、なんでこんなに
そう思っていると案の定、遥斗が興味を唆られたようにハクを見た。
「君、どこかに行くの?」
「東京。いろいろ見に行きたいところがあるの。」
「友達と?」
「ううん、一人で。」
……勘弁してくれ。
翠雨が一緒とはいえ、今は小さな紙人形だ。
「ダメだってば。少なくとも、一回戻って保護者の許可を得てからにしてよ。」
俺はハクの腕を掴む手に力を込める。すると遥斗は呆れたように俺を見た。
「もう高校卒業してるなら、同じ年かそれ以上ってことだろ。なんで自由にさせてやらないんだよ。」
それから、ニコリといつもの人懐っこい笑顔をハクに向ける。
「ねえ君、どうせなら俺と一緒に行かない? 一人じゃつまんないでしょ。」
「はぁ!? ダメに決まってるだろ!」
俺は思わずハクを引っ張って、自分の背の後ろに隠した。
遥斗の狙いはわからないけど、ハクを連れて行かせるわけにはいかない。
「だから、なんでお前が決めるんだよ。たかが、いとこだろ。」
遥斗は眉を顰める。
すると、ハクが俺の後ろから、ヒョコっと顔を覗かせた。
「行きたいところがあるんだけど、それでもいいならいいよ。一人じゃ奏太が行かせてくれそうにないし。」
「バっ! やめろよ! 寄りにもよってこいつとなんて!」
俺は目を見開く。
「嫌だな、別にとって食ったりしないよ。」
遥斗はハハっと笑うが、そういう問題じゃない。
鬼や妖を憎んでる遥斗と、事情を知らない妖連中の総元締めを一緒に行動させられるわけがない。
何より、ハクに何かがあったら……
想像しただけでサアっと血の気が引いていく。
「絶対にダメだ! 良いから余計なことしないでくれよ! 二人共!」
殆ど叫ぶように言うと、ハクはコテリと首を傾げた。
「じゃあ、奏太も一緒に来たら?」
「だから、そもそも外出するのがダメだって……」
「じゃあ、奏太の友達と行って来るからいいよ。」
「なんでそうなるんだよ! もう黙って帰ってくれよ、頼むから!」
これではいつまで経っても平行線だ。互いの事情も狙いも正体もわからないから起こっている事態ではあるが、頭が痛くなってくる。
一体どうすべきかと額に手を当てていると、ハクは懇願するように俺を見上げた。
「ねえ、奏太、今日くらいしか自由に外に出られないの。わかるでしょ。今度いつ故郷の
うるうるとした瞳でじっと見られて、俺はうっと息を呑む。
一方で、横から見ていた遥斗は大した疑いもなく表面的にその言葉を受け取ったのだろう。
「あれ、君、この辺に住んでるわけじゃないの?」
とハクに問う。
「うん。生まれはここだけど、普段はもっと離れたところに住んでるの。いろいろ事情があって。めったにこっちに来られないし……場合によっては二度とこんな機会……」
遥斗にそう答えつつ、ハクは最後の言葉だけはじっと俺を見つめて言った。
その瞳に思わずたじろぐ。
……俺だって、ハクが言おうとしていることが分からない訳では無い。
青空も太陽も見えない妖界にいるハクにとって、生まれ故郷の陽の光はきっと凄く貴重なものだろう。
それに、帝になったことで自由に外を歩き回ることだって普段はできないはずだ。
里の祭りすら普通に楽しめない立場になってしまった。
そこに本人の望みはどれだけ介在していただろうか……
俺の迷いを見て取ったのか、ハクは更に言葉を重ねる。
「ねえ、奏太、お願い。今日だけだから。」
……今日だけ。
よくよく考えれば、その言葉だって、普段気安く使うものとは含まれる重みが違う。
もしかしたら、常に周囲を護衛で固められ、宮中から身動きが取れなくなった人界生まれのこの貴人にとっては、本当に今日一日だけ、自由に人界を……陽の下を歩けるチャンスなのかもしれない……
俺は、ハクを見て、チラと本家のある方を見て、もう一度ハクを見る。
それから、覚悟を決めてフウと息を吐き出した。
「……わかった……俺も行く。」
俺がそう答えると、先程まで潤ませていた瞳もどこへやら、ハクはニコリとキレイな笑みをこちらに向けた。
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