第204話 夢の続き:side.柊士

 ハッと目を覚ますと、自室の天井が見えた。夢そのままに、涙が頬を伝って落ちる。手が震えている。さっきまでの感情を引きずるように……


 ……酷い夢だ。

  

 柊士は震えたままの手を額に当て呼吸を何とか整えようとする。頭の中をめちゃめちゃにかき混ぜられたような不快感。


「柊士様」


 不意に、栞の心配そうな声音がすぐ側に落ちた。


「……栞、結と奏太は?」

「……結様、ですか?」


 栞の表情が、先程よりももう一段曇る。間違った事は言っていないのに、何が……そう思ったところで、結と呼ぶのは随分久々だった事に気づいた。


「……いや」


 まだ、夢の中の感覚を引きずっているのだろう。柊士は深く息を吸って吐き出す。


「白月の行方に関する知らせは? 奏太はどうなった?」

「……まだ、どちらの知らせも。妖界への問い合わせも禄に返事がなく、淕が妖界へ……」


 栞はチラと戸の方に目を向けた。


「戻っているのか?」

「はい。呼びますか?」

「……ああ」


 少しだけ返事が遅れる。それを見て取った栞がそっと柊士の腕に触れた。


「もう少しお休みになった方がよろしいのでは?」

「問題ない」


 栞が小さな溜息をついて立ち上がる。自分の手を見下ろせば、未だ僅かに震えていた。

 


「お呼びと伺いました」


 ベッドの横、淕は膝をつき頭を垂れた。部屋に入ってきた時から、柊士の目を見ようとしない。


「妖界の様子は? 翠雨から何か引き出せたのか?」

「いいえ。周囲は人界の者への警戒でピリピリしていましたが、あの方はいつも通りでした。あちらの企みに関しては謝罪があったものの、璃耀様の独断であったとしらを切るばかりで……」


 飄々とした様子で淕の追求を躱す翠雨の姿がありありと目に浮かぶ。あの男に誠実な対応を求める方が間違っているのだろう。


「それから、翠雨様より柊士様へ宛てた書状をお預かりしております」


 淕に差し出された書状にチラと目を向ける。どうせ碌なことは書かれていないだろう。


「目は通したのか?」

「……いえ、柊士様の御許可を得てから、と」


 淕から受け取ったは良いが、読む気にならない。


「鬼界との交信は?」

「手段がある事は事実であると認められましたが、今のところ、なんの音沙汰も無いと」

「お前はどう思った?」


 柊士が問うと、淕はほんの少しだけピクリと肩を揺らす。


「……恐らく、本当のことを仰っているかと。お尋ねした際、平静を装ってはいましたが僅かに苛立ちのようなものを感じました。手掛かりが掴めていない証拠でしょう」

「……そうか」


 翠雨ですら、あちらの状況を掴めていない。ただ進展がないだけなら良い。鈴が役目を果たせていないだけなら良い。しかし、交信手段は確保できているのに、それが出来ない状態に陥っているとしたら……


 『全滅』


 どうしても嫌な考えが頭に浮かぶ。

 

 ……万が一、奏太にまで何かがあれば……


 柊士は受け取った書状に視線を落とす。少しでも、どんな小さなことでもいい。情報がほしい。

 

 カサリと紙を開くと、短く流麗な妖界の文字が現れた。


『奏太様の御決断に目を回されたとか。日向家の御当主たる御方が、よもやあの方々の無事を信じていらっしゃらぬなどという事は無いでしょうが、どうぞ足を止めずに歩まれますよう』


 ……勝手な事を言ってくれる。

 

 グシャっと紙の端を握りつぶし力が入った指に、栞の小さな手が重ねられた。


「どうなさいますか? 柊士様の御心を煩わされるような真似をしたのです。淕を解任し、別の者を呼びますか? 柊士様が動けずとも、里には貴方の御命令で動ける武官はたくさんおります。」

「栞っ!」


 栞が本当にそんな事を思っていない事は明白だが、淕は狼狽えるように栞を見たあと、恐る恐る柊士の顔を見上げる。


「どう思う、淕?」

「……ご……御命令とあらば……御心のままに……」


 怯えたような淕の様子に柊士は小さく息を吐き出した。

 

 淕が柊士に忠誠を誓っていることは、柊士自身が一番良く知っている。身命を賭して仕え、おそらく柊士の命令があれば、その命すらなげうつのだろう。


 柊士を気遣ってあえて真実を隠すことはあっても偽ることはない。あの時もそうだ。 

 あの場には、鬼界の綻びの前にいた淕以外、真実を知る者はいなかった。奏太の事を妖界のせいにして偽ることもできたはずだ。それでも淕は柊士を前に自らの行いを明らかにした。


「淕、奏太は今、どうしてると思う?」

「……私の口からは……なんとも申し上げられません……」


 淕は膝の上で強く拳を握り口を引き結ぶ。

 

「隠すな。お前の本心を聞いてるんだ」


 口にして良いものか、淕はしばらく俯いたまま考え込んでいたようだったが、柊士が黙ったままじっと見据えていると、耐えかねたように目を伏せた。

 

「……恐れながら……あの日、奏太様は妖界や私の選択に思う所はあったのでしょうが、それでも、黒の渦に向かう時には真っ直ぐ前を向いていらっしゃいました。あの方の側には亘や柾、人界の武官達も妖界の武官達もついています。鬼界へ行かれても、御自身の御心に従い歩まれているのでは、と……」


 それから、ガバっと床につかんばかりに頭を下げた。


「私が申し上げて良いことでは無いことは重々承知です。申し訳ございません」


 結と奏太はよく似ている。翠雨と淕は、鬼界に行った二人が自分の心に従い進んでいると考えているらしい。


 純粋でまっすぐ。不器用故に躓いて転んでも、前に進もうと足掻く従妹弟達の姿が脳裏に過る。


 柊士は握り潰した翠雨の手紙に視線を落とす。


 ……足を止めずに、か。


「御心のままに、さっき、そう言ったな?」

「……はい……」

「なら、何が何でも、あいつらを無事に連れ戻す方法を考えろ。俺の護衛役として知恵を絞り死力を尽くせ、淕」


 淕は驚いたように目を見開き、じっと柊士の顔を見上げた。


「奏太が戻った時に、赦しを請え。俺がお前を赦すのは、その後だ」

「しかし……」

「妖界に言われるのは釈然としないが、確かに立ち止まってる場合じゃない」


 まだ死んだと決まったわけじゃない。完全に失ったわけじゃない。見苦しくもがいてでも、まだこの手に取り戻せるのなら、こんなところで自分が折れている場合じゃない。あいつらが前を向いてもがいているならなおのこと。


 柊士はそのまま、ビリっと翠雨の手紙を破り捨てた。

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