三章

閑話 ―side.柊士:記憶の中の闇

「これに陽の気を注げ、柊士」

「……いいけど、結は?」


 本家の地下。土の地面に祭壇が置かれ、左右に鈴のたくさんついた長い杖がささっている。中央には落とし穴と言うには大きすぎる穴が空いている奇妙な部屋。

 

 そこに、榮と粟路という二貴族家の当主と、日向当主の父がいた。いつも共にいる淕と栞は居ない。亘と汐は居るのに結も居ない。何故この面子がここに揃っているのか。


 大きな穴の中には、人ひとりが入れるくらいの大きさの、土で薄汚れた箱があった。


 それに陽の気を注げ、父は柊士にそう言った。

 

 榮は不満そうに、粟路と父は無表情に、そして亘と汐はまるで悲痛なものを飲み込むように穴の中を見ている。


「結界の穴でもあるまいし、何でここに陽の気なんて」

「後で説明する。先に仕事を終わらせろ」


 何かを隠している。柊士は父の様子からすぐにそう察した。しかし、食って掛かったところで無駄だろうという思いが同時に湧いた。それに、余計なことを言って榮に煩わされるのも面倒だ。

 あとから説明してくれると言うなら、今は言われた役目を済ませた方が良い。


 柊士は慣れた手つきでパンと両手を打ち付けて穴の中の箱に陽の気を注いだ。

 それに合わせて、何故か粟路も同じ様に陰の気を箱に注ぎ始める。さらに奇妙だったのは、頭に流れる祝詞がいつもと少し違ったこと。そして注ぎ終わった時に、カッと穴の中の箱が光を放ったこと。


「亘、埋めろ」

「…………」


 日向当主の命を受けても亘は何故か動かない。


「亘」


 父がもう一度呼びかけると、亘はグッと拳を握りしめ苦しそうに声を絞り出した。

 

「…………このままでは……いけないのですか……? この上、土をかけ埋めるなど……」

「手順通りに正しく進めねば、正しい結果を得られない可能性がある」

「……正しい……? これの……何が……っ!」


 亘が何を躊躇い、何に憤っているのかがわからない。ただ、奥歯を噛み激情を押し殺していることだけは柊士にも分かった。

 

 それに榮がうんざりしたような声を上げる。


「主を帝として送り出す栄誉を賜りながら、一体、何が気に入らぬのだ。結様と其方等には勿体無いほどの御役目だというに」

「榮殿」

「おや。雀野も本来は柊士様であるべきと申しておったではないか。それを、鬼に襲われる様な失態をおかした結様があちらへ送られ帝位に就き、亘と汐が栄誉を得るなど。人界の面目はどうなる?」


 ……榮は、一体何を言っている……?


「やめてください、柊士の前です」

「そもそも、柊士様に何も知らせぬまま転換の儀を手伝わせるなど、当主代理は何を考えていらっしゃるのです? 柊士様も帝位を結様に奪われさぞお悔しい事でしょうに」


 とってつけたように憐れむような榮の目が柊士に向く。


「……は……? 転換の儀の手伝い……?」

「先程、陽の気を注いだではありませんか。転換の印を押し箱に入れ、声の聞こえなくなったあの方に陽と陰の気を注ぐ。これで埋めれば転換の儀はほぼ終いです。あとはあちらにお送りするだけ」


 ……俺が陽の気を注いだ……? それで、転換の儀が終わった……? 一体、何を……


「これで、箱の中で人の生を終えた結様を妖界に送る手筈が整ってしまったわけです。もう後戻りできません」

 

 以前、父から聞かされていた。いつかその日が来るだろうと。有力なのは、日向家前当主の血を引き男である柊士だろうと。

 

 実感は湧いていなかった。すぐの話じゃなく、遠い未来の話だと思って、考えるのを先延ばしにしていた。自分が死んで妖に生まれ変わる未来なんて、想像したくなかった。何故自分なのかと思ったのは一度じゃない。


「……でも、何で……結が……」


 何故自分がと思っても、それを結に代わらせる未来なんて望んでなかった。


「……何で……結が…………何で、俺じゃなく……」


 周囲の音が遠くなる。何も耳に入ってこない。胸が苦しくて息がしにくい。


……何がどうなってる? 俺の代わりに結が死ぬってことか? その為に俺はあの箱に陽の気を注いだのか? 結を、終わらせる為に……?


「……バカなこと、言うな」


 ついこの間まで、楽しそうに笑っていた結の姿が脳裏に浮かぶ。幼い頃から自由奔放で、手を引いて、手を引かれて、付き合わされてきた日々が浮かんでは消えていく。母を亡くして涙をこらえた横で、結が大泣きしながらぎゅっと強く手を握ってくれていた過去が蘇る。

 

 …………結は、俺の身代わりになったのか……?


 そう思った途端、柊士の目の前が暗闇に包まれた。

 


「―――そもそも、」


 榮によく似た、それでいて少しだけ高い聞きたくもない声が遠くに響いた。


 ぼうっと周囲が明るくなる。そこは、気づけば儀式の間ではなくなっている。


「貴方だって、あの方を失う事になった原因の一つではありませんか」

「……は?」

「そうでしょう? あの日、愚かな貴方が外に出さえしなければ、優梛ゆうな様が駆り出されるようなことはなかったのですから」


 視線の先、薄暗い石牢の向こうで毒を含んだ笑みを浮かべた湊がいた。


「おっしゃっていましたものね。日頃から、御自分は立派な守り手様になるのだと。だから、鬼が出たと聞いて非力なくせに飛び出したのでしょう? 英雄ぶって」

「……ちがう」

 

 結が泣いてた。怖いものを見たと言って。早く帰りたいと、こんなところにいたくないと。だから、大丈夫だと示したくて、二人で外に出た。ただ、様子を見に行くだけのつもりだった。俺の母さんとお前の父さんが守ってくれてるから、怖いものなんて出てこないんだと。


 忘れていたはずの記憶なのに、何で今頃……

 

 暗い外、先生の目を盗んで結の手を引いた。いつまでも泣く結をなだめたくて。大丈夫だからと。外には何もいないからと。


 でも、そのあと、すぐに…… 


「貴方と結を救う為に、あの方は誠悟の後を追ったのです。貴方がたが宿舎でじっとしていたら、誠悟だけで片が付いていたはず。それに、結が捕まりさえしなければ、あの方は……」

「やめろ!!」


 頭が痛い。こんなこと、思い出したくなかった。

 

「ああ、やはり御心当たりがあるのですね。御自分の罪を突きつけられた気分はいかがです?」


 湊は皮肉るように口の端を歪める。


「……ちがう」


 ……ちがくない。俺のせいだ。俺が、結を連れ出したりしなければ……

 

「本来居なくなるべきだったのは、貴方がただったのに。あの方は、貴方がたの身代わりに奪われたのです」 


 ドクンと痛いくらいに鼓動が打ち付けた。


「貴方さえいなければ、優梛様を失うことはなかった。結と亘を断罪出来ないのは、御自身の罪も理解されているからでしょう? ねえ、柊士様」


 ……俺のせいで、母さんは……

 

「黙れ。柊士様に罪などあろうはずがない」


 不意に、淕が冷たく低い声を出した。


 ……淕。

 

 また、目の前が暗転する。

 


「何も知らぬ柊士様を質に取られた状態で、選べる道が無かったのです」 


 ……淕、何を言っている?


「貴方は日向家の御当主です。里をまとめて行かれる方を失うわけには参りません」


 ……お前が、奏太を差し出したのか……? 俺の……代わりに……?


「私が、進言いたしました」


 ……やめろ。やめてくれ。

 何で、俺の片腕のはずのお前が、奏太を……


『奪っていくなよ! 母さんも、結も、奏太も……! 俺から、何もかも奪っていくな……っ!』


 ……やめろ、違う。俺のせいだ。奪われたんじゃない。奪ったのは、俺自身だ。俺のせいで、皆、身代わりに……


 暗闇に目の前が飲み込まれる。足元が消え、ガクンと体が揺れたような感覚に陥る。そのまま、下へ、下へ―――



 暗闇の中、子どもが一人、うずくまって泣いている。

 

……あれは、俺だ。


 たった一人で泣いている目の前へ、ふわりと一人の女性が現れ、少年の肩を抱く。

 

「ほら、柊士、もう泣かないの。守り手になるなら、強くなきゃ。貴方なら、きっと立派に皆を守れるわ」

「……ホント?」

「ええ、もちろん」


……母さん!


 声をあげたつもりだったのに、耳に自分の声が聞こえてこない。駆け寄ろうとしたのに、足が何かに掴まれて動けない。


「大丈夫よ。ママは必ず戻ってくるから、そこで皆を守っていてね」


 母はポンと幼い柊士の頭に手を乗せると立ち上がる。


「ママ! 待ってよ! 置いてかないで!」


 母がくるりと背を向けて歩き出すのを、幼い柊士が追いかけようとする。でも、その足は、今の柊士と同じように何かに掴まれて動けない。


「ママ!」 


 叫ぶ声が届かないのか、母は柊士に背を向けたまま、スッと姿を消した。


 幼い柊士はまたその場にうずくまって泣き始める。


「……ママ……ママ……」

「……泣かないで。大丈夫だよ、私が側にいてあげる」


 気づけば、その隣に同じくらいの背丈の小さな女の子が座っていた。


 ……結。


 結は幼い柊士の手を掴み、ギュッと握りしめる。


「一人じゃない。一緒にいれば怖くない。大丈夫」


 結は屈託なくニコリと笑う。幼い柊士は目を丸くしてそれを見たあと、へへっと笑ってその手を握り返した。


「俺だって、結の側にいるよ。何かあったら、俺が結を助けるから」


 ニコッと笑い合う二人。しかし、その瞬間、フッと幼い柊士の隣から結の姿が掻き消えた。


「……結? 結、いったいどこに……?」

 

 キョロキョロと結を探す幼い柊士の目の前に代わりに現れたは、蓋の閉じた薄汚れた箱。


「…………は? …………結…………なんで……」


 ふらふらと立ち上がり、幼い柊士は棺桶のようなその箱に覆いかぶさる。


「結! 結! 返事しろ!」


 バンと力いっぱい叩くが、反応はない。

 

「行くなよ! 俺を置いて行くな! 身代わりになんてならなくていいから! 俺が行くから! だから、一人でそっちへ行くな!!」


 幼い柊士は、バン! バン! と必死に箱の蓋を叩く。泣いて、叫んで、どれほど返事を求めても、何も返ってこない。


「……結……頼むから……行かないでくれよ……」


 ポタ、ポタタ、と音を立てて涙が落ちる。


 ふと、棺桶に覆いかぶさるように泣いていた幼い柊士の肩を、高校生くらいの男子が軽く叩いた。


「柊ちゃん」


 ……奏……太……


「大丈夫だよ、俺がやるから。心配しないで俺に任せてよ」


 奏太はグイっと幼い柊士の腕を掴んで立たせると、後ろに回って、ポンと背を押す。

 結の入った箱は消えていて、押された拍子に幼い柊士はトンと一歩前に出た。


「教えてよ。ちゃんとついて行くから」


 にっと笑う奏太を振り返ると、幼い柊士は仕方が無さそうに笑った。


「わかったよ。今度は、ちゃんと守るよ」


 幼い柊士はそう言って前を向く。しかし、もう一歩を踏み出そうとした瞬間、背を押していたはずの奏太の姿がフッと消えた。


「……奏太?」


 振り返っても、そこには誰もいない。


「奏太!!」


 あたりはシンと静まり返った闇だけが広がる。


「奏太!!」 


 声を張り上げても、何も返ってこない。ぽつんと一人、幼い少年が立っているだけ。

 

「……お前まで……行かないでくれよ……頼むから……」 


 ポタリ、幼い自分を見つめる柊士の頬を、冷たい涙の雫が伝って地面に落ちた。涙の染みた地面にピシッと亀裂が走る。

 足元が再び崩れ、ガクンと体が揺れる。

 抵抗も許されず、柊士の体は先程よりも更に深い闇の中に飲まれていった。

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