第203話 キガクの城②:side.白月

 空を飛ぶと目立つということで、鬼界では珍しい雑木林の中を、大きな黒犬の姿で走る柾に兎のまま首の後ろをくわえられて進む。

 

 キガクの城に連れてこられた時に見たが、周囲には何も無い砂地が広がっているのに、この一帯だけが小さな森林地帯になっていた。そうは言っても、妖界や人界の森林に比べれば随分と寂しい感じではあるけれど。


 柾の背には、リンとスズがいた。兎の姿なら二人に追加で背に乗っても大してかわらないと思うのに、口に加えてでも放すつもりはないらしい。


「宇柳、説明して。何のために私がああやって出てきたと思ってるの? しかも、奏太と人界の妖まで巻き込んで」


 低空飛行で柾の少し前を飛ぶ宇柳に声をかける。しかし、宇柳から返事はない。聞こえていないわけではない。たぶん、答えにくい何かがあるのだ。


「宇柳」

「……も、戻るまでご説明はお待ちください。きっと、璃耀様が丁寧に説明くださるかと……」

「説明? 説得の間違いでしょ。誤魔化さないでちゃんと答え――」

「あ! あそこです! セキと数名を何かあった時の為に残しておいたのです! どうやら無事なようですね!」


 宇柳は私の言葉を遮って、慌てたようにそう言った。話を逸らす気満々だ。

 

 宇柳の向かう先には、確かに複数の人影があった。その中に、ボロボロになったセキの姿も。


「姉ちゃん!! スズ!!」


 声を張り上げ駆け出そうとするセキを、妖界の者達が慌てて引き留め口を塞ぐ。まだキガクの城の近く。木々があって隠れやすいからといって大声を上げるべきではない。


「「白月様!!!」」


 ……うるさいのはセキだけじゃないけどね。


 ようやく止まった柾の前に凪と桔梗が飛び出し膝をつく。凪が柾の前にスッと手を差し出すと、そっと柾から私を受け取った。

 そのまま下に下ろしてくれるのかと思いきや、抱きつぶされるのではという勢いで凪にギューッと抱えられた。

 小さな兎の姿で、鍛え抜いた体に力強く抱きしめられてはひとたまりもない。痛いし苦しい。


「……な、凪……落ちついてっ! ……苦っ……しいっ……から!」


 必死の思いでバタバタすると、凪はハッとしたように腕の力を弱める。でも、逃げられないくらいの強さで抱かれたままだ。


 そこへ、ポタリ、ポタリと上から水が落ちてくる。


「……何故……私達を置いて行ったのです……ずっと……探していたのですよ……」


 桔梗も、堪えきれなくなったように、ギュッと唇を噛んでこちらを見ながら涙をながしていた。


 宇柳もそうだったけど、勝手に居なくなったのに、こんな風に泣かれるとは思わなかった。もう会うつもりもなかったし、万が一会ったとしても、妖界を捨てて出てきたことを、もっと罵られるかと思っていた。

 私の護衛をしていた彼女たちからすれば、罰もあっただろうし私を恨んでいても仕方がないと思っていた。それなのに……


「……凪、桔梗……」


 ごめんね、そう言葉をかけそうになって、ぐっと飲み込んだ。胸が痛むからといって、凪達と妖界に帰れるわけじゃない。きっとそのうち迎えもくるだろう。私が選んだ道だ。ここまで来ておいて、今更取り消すことなんてできない。


 ……隙を見て、彼らからも逃げなきゃ……


 寂しさと胸の痛みを殺すように、私はぐっと奥歯を噛んだ。



「しばらく、この周辺に身を隠します。灯台下暗しといいますし、今無理に動くより、警戒が薄れた頃に動いた方が良いでしょう」


 セキ達が待っていた場所には、すでに結界と目眩ましを厳重にかけた避難場所ができていた。こじんまりとした地中の穴蔵。自然に溶け込むように作られた上に更に術がかけられている。


「敵のお膝元でも見つからないように、うちの工作部隊の精鋭で一切の隙なく作らせましたから、しばらくは耐えられるかと思います。偵察を始めてから数日を過ごしましたが、今のところ問題ありませんし」


 宇柳は避難所の中で自信満々に胸を叩いた。


 ……ということは、こっそり出ていくのも容易じゃないってことね……


 私は未だに兎の姿で凪に抱えられたままだ。身動ぎしただけで逃がすまいと力を入れられるので、抵抗する気も失せてしまった。


「……あの……ハク姉ちゃん……なんだよね……?」


 セキがおずおずと私に声を掛ける。


「この方をどなたと心得る。鬼なんぞが気安く……」

「凪」


 ぬいぐるみの様に私を抱えておいて、どなたと心得るもなにもない。


「しかし……」

「いいから。セキ、どうしたの?」

「……あの……」


 セキは周囲の様子を伺いながら、言うべきか迷うように、口を開いては閉じしている。

 それから、意を決したようにギュッと目を閉じた。

 

「ごめん。俺が村長の――」

「待った、セキ」


 私はセキの言葉を遮る。

「言いたいことは分かるけど、もういいの。セキのせいじゃないし、どうせそのうち捕まってたと思うし」


 今の凪達の様子を見ると、余計な事はあんまり言わないほうがいい。

 それに、実際あの時の状況を考えるに、セキに呼びに行かせたのは村人の忠誠心を試すとかその程度の理由しかなくて、私を差し出そうが隠そうが、結果は結局変わらなかっただろう。

 

「ここを無事に切り抜けられたら村に帰るといいよ」

「いえ、それは難しいかと」


 桔梗が言いにくそうに声を出す。


「難しいって?」

「念の為、ここへ来る前に奇跡の村を確認に行ったのです。白月様がいらっしゃった場所なので……。しかし、村の家々は潰され、焦げた草木で黒く染まり、村の者達は惨殺されていました」

「……そんな!」


 リンが口元に手を当てて息を呑んだ。


「……俺が姉ちゃんとスズを追いかけて村を出た時には皆無事だった。だから、その後に何かあったんだと思う……」

「少なくとも、村に生き残りはいませんでした」


 桔梗の言葉に宇柳も頷く。


「何者かに一方的に攻められたように見えました。無事にいたければ戻らない方がよいでしょう」


 セキとリン、スズは不安そうに顔を見合わせた。


「手を出さないって約束したのに……」


 ……いや、そんなのを信用した私がバカだった。


「……とにかく、状況はわかった。ここを出たら、どこかの村に受け入れてもらった方が良さそうだね」

「ひとまず、拠点に戻り相談しましょう。白月様から璃耀様へのお口添えがあったほうが、この姉弟の待遇も粗雑にはならないでしょうから」


 宇柳は意識して言っていないのかもしれないいけど、この姉弟の待遇を考えるなら一緒に来い、と言われているようにも聞こえる。まるでセキの姉妹を質にとったあの鬼達のように。


 ……ひねくれて考えすぎかな。


 ハァ、と私は小さく息を吐いた。


「セキ、あのあと何があったか教えてくれる? 何でセキが凪達と一緒にいたかも含めて」


 ちょっと状況を整理して、これからどうするか考えないと。


 

「……桔梗」

「わかっています、宇柳さん。もう二度と見失ったりしません」

「……はぁ……繋ぎ止めておく理由には弱すぎたかなぁ……」


 私がセキと話を始めたあと、私達から離れて宇柳と桔梗の間でコソコソと短く交わされた言葉は、私の耳には殆ど届かなかった。

 


 避難場所を出たのは、一夜明けてから。

 昨夜、私は結局兎のまま凪の腕の中で寝た。いくら何を言っても放してもらえなかったからだ。まるで寝かしつけるように優しく撫でられるのが気持ち良くて、気づいたら本当に眠ってしまっていた。


 移動は昨日とおなじ。地面に沿って低く移動をする。雑木林を抜けるまでは走り抜け、周囲に何もいない事を確認して砂地に出てからは、人の姿に翼を生やした凪に抱えられたまま低く飛んだ。セキ達は三人そろって、昨日より一回り大きくなった柾に乗って地面を駆けている。


 何も無い砂地をどれ程の時間を進んだだろう。ピタリと柾が足を止めた。宇柳も警戒を強めるようにスゥっと高度を上げて状況を確認するように旋回する。私の耳にも届いていた。


 ……どこかで戦いが起こってる。


「この先に拠点を築いていたのですが……」


 凪がじっと前方を見据える。音がするのはその視線の先からだ。


「様子を見て参ります。少々こちらでお待ちください」


 宇柳は一度こちらへ戻ってくると、先程凪が見ていた方へ飛んでいく。でも、気になるのはそちらの方向じゃない。

 戦禍から少しだけ離れた別の方向。あちらに戦の騒々しさはない。でも――


「…………――――」


 風に乗せられ微かな声が耳元を通り過ぎた。どこか聞き覚えのある声。


 私はスウっとそちらを指差す。


「凪、あっちへ連れて行って」

「あっち、ですか?」


 泣いているような、後悔を滲ませるような声だ。


「行かなきゃいけない気がする」

「しかし……」

「連れて行ってくれないなら、この手を放してよ。一人で行ってくるから」


 私の言葉とは反対に、私を抱く手にギュッと力が入った。私はハアと息を吐き出す。


「逃げないよ。ただ、助けが必要かもしれない」


 放っておいてはいけないような、引き寄せられるような、不思議な感覚。なぜそう思うのか分からないけど、聞き流してはダメな声だと思う。


「だから、連れて行って」

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