第205話 大岩神社の例祭:side.柊士

「柊士、こっちはもう良い。あとは引き受けるから、大岩様の儀式の方を見てこい」


 目覚めてから何日かが経った頃、大岩様の神社で例祭が行われた。


 例祭は、毎年秋。柊士が倒れる前、目の回る忙しさだったのは、事件による里の処理や妖界への対応もあったが、そこに祭りの準備が重なったのも原因の一つだった。


 祭りは近隣住民の手を借りながら行われる。日向家が中心となって裏方準備をすすめるが、当主交代もあって、全てを父に任せるわけにはいかなかった。挨拶回りしかり、取り仕切りしかり。


 祭りの準備は夜間に妖達の手も借りるが、基本は人の祭りは人の手で、だ。親戚手伝いと称して、力仕事の時と目立たない書類作成などの庶務は妖達に任せられても、それ以外は柊士が表に出る必要があった。

 結局は体調を崩して後半はほとんど父に任せる事になってしまったが。


 奏太が鬼界に行ったと聞かされ倒れたあと、目覚めてからも忙しい日々は続いた。 

 時々やってくる尾定に怒鳴りつけられ、書類を全部取り上げられる事もあったが、立ち止まっている暇はない。

 淕に妖界と本家と里を行き来させて情報を集めさせながら、やるべき仕事をこなし続けた。


 その結果、また倒れるのではと懸念した栞が毎晩同じ時間にやってきて、たとえ仕事が中途半端でも強制的に眠らされるようになった。

 思い出したくもないことを夢に見てうなされ、満足に眠れていないのを見兼ねたのもあるのだろう。

 毎晩つきっきりで、きっちり同じ時間まで寝かされる。結果、睡眠時間だけは十分確保できるようになり、それ以外が不健康でも、あれ以降は倒れるようなことにはなっていない。

 その代わり、栞がいなければ、自力で眠れなくなってしまったが。



 祭りの日、ある程度の仕事が終わると、父に大岩様の儀式に行けと言われた。日向の当主が同席するのが決まりだ。そこで、次の守り手候補を把握する。


 次の守り手なんて見つからなくていい、それが柊士の正直な気持ちだった。護ることにも、大事にしたそれを失うことにも、疲れてしまった。


 自分が動いて済むのなら、もうそれでいい。そう思った。


 今年10歳になった子どもは四人。


「大岩様、大岩様、我らを御守りください」


 そう言いながら、大岩様に触れてぐるぐると周りを回る。手を光らせる子どもが出てくるのは、十年のうちで一人二人。守り手の子どもが育つ年回りだけはそれが増える。


 どうせ出ないだろう、そう思いながら、ぼんやりと儀式を眺めていた。しかし、しばらくそうやってぐるぐる回るのをみていると、そのうち一人の手のひらがうっすらと光り始めた。

 知らない少年だ。しかし手が光ると言うことは、どこかで血は繋がっているのだろう。


 柊士は知らず知らずのうちに、苦虫を噛み潰したような表情になっていた。


 はっきり手が光り始めると、周囲からどよめきと歓声があがる。表向き、手が光る子どもが出ると、向こう数十年は地域の安泰が約束されると言い伝えられている。

 

 実際には、守り手の犠牲によって結界の綻びが塞がれ災厄を退けられ安泰を得られる、というわけだ。


 手を光らせた少年は、周囲の子ども達がその場を離れた後も、しばらくの間、ぼうっと大岩様に手を付けたまま動かず不思議そうに何事かを呟いていた。自分の身に起こった事が信じられないでいるのだろうか。


 気持ちは分からなくない。でも、あまり長く陽の気を放出すべきではない。引き離した方が良いだろうと、指示を出そうとした時、何度か宮司に呼ばれていた少年は、ようやく、ぱっとその場を離れた。


 少年は祭りのために呼ばれた大社の宮司に迎えられて名前を確認され、渡された玉串を祭壇に供えた。当初、動揺を隠せないでいたようだったが、祝詞をとなえる宮司の隣に並ぶと、次第に誇らしそうな顔つきに変わっていく。儀式後、嬉しそうな顔で家族や友人たちに囲まれたのが見えた。

 

 柊士は手を光らせて喜ぶ子どもの姿を見ていられず、手を当てて目を伏せた。

 あれは喜ばしいことなんかじゃない。地獄への入り口だ。柊士が知る限り、守り手になって幸せになった者はいない。

 

「まだ幼いですが、結様、奏太様が人界にいらっしゃらない今、迎え入れる準備を初めた方がよろしいでしょう。直系の子が生まれるまでは時間がかかるでしょうから」


 儀式を共に見ていた粟路が、後ろでボソッと柊士に声を掛けた。

 

 直系の子、とは、柊士の子を指すのだろう。相手すらいない今、確かにそれを待つには時間がかかる。しかし、新たな守り手を迎える気にはどうしてもなれない。

  

「……守り手にするかは保留だ」

「柊士様」


 粟路が咎めるような声を出したが、柊士は小さく首を横に振った。

 

「新たな守り手なんて、俺が死んで誰も担い手が居なくなった時に考えればいい。祭りと里が存続していれば、どうとでもなる」

「万が一の事を考えれば、今のうちに備えておかねばなりません」


 粟路の声音は厳しい。ずっと里を守り続けてきた立場からすれば、今の不安定な状態は受け入れがたいものなのだろう。それでも……


「もう少し、奏太の帰りを待つ。考えるのはその後だ」


 奏太が鬼界へ行ったと聞かされたあの日の騒動を粟路は知っている。柊士から奏太の名前を出した事で、仕方がなさそうに会話を打ち切った。

 

 

 祭りはどれ程憂鬱でも続く。

 

 豊穣に感謝し、この地の穢れを祓い、次の一年の安寧を祈るのが大きな目的だからだ。守り手探しはその一環でしかない。

 

 奏太と白月に何事もなく、新たな守り手候補なんて現れなければ、まだマシに過ごせただろうに。


 陰鬱な気持ちで溜息をつくと、不意に高い少年の声で呼びかけられた。

  

「『ひむかいしゅうじ』って、お兄ちゃんのこと?」


 そこにいたのは、先程大岩様に触れて手を光らせていた少年だった。


「……なんで、俺の名前を?」

「神主さんが教えてくれたんだ」


 手を光らせた者へ最初にコンタクトを取るのは、儀式を執り行った大社の宮司だ。日向が直接関与するのは、守り手として迎えることが決まってから。それまでは接点を持つことはない。それなのに、宮司は何故……

 

 そう思っていると、少年はニコリと屈託なく笑った。

 

「あのさ、さっき僕、手を光らせたでしょ?」

「……ああ、そうだな」


 その話はしたくない。現実も知らずに、純粋に浮かれるだけの声を聞きたくない。 

 しかし、少年はお構いなしに自分の手のひらをパッと広げてこちらに見せた。


「すごいよね、皆にあんなふうに注目されたの、初めてだよ」


 自慢げに言う少年に、心が波立つ。子ども相手に大人気ないとは思うが、今この時にも過酷な状況下にいる者たちがいる。もしかしたら今この瞬間にも命が奪われているかもしれない。それなのに、ただただ楽しそうに笑って話す少年に苛立ちが募る。


「……ああ、すごいな。大した用がないなら、あっちに行っててくれ」

 

 低く素っ気なく返事をしたつもりだったのに、少年は柊士の前から動こうとしない。


「まだ話は終わってないよ」

 

 我慢できずに怒鳴りつける前に、淕にでも命じて親元に連れて行かせたほうが良さそうだ。

 そう思い振り返りかけたとき、少年から思いもかけない言葉が聞こえた。

  

「さっき手が光った時、岩の中から声がしたんだ。『聞こえてたら返事をしてくれ』って」


 柊士はピタリと動きを止めて、少年を探るようにじっと見る。

 

「……声?」

 

 そんな話は今まで一度も聞いたことがなかった。

 柊士自身も何度も大岩様に触れているが、声が聞こえたような事はない。

 

「皆には聞こえてなさそうだったから聞き間違えかもって思ったけど、一応、『誰?』って返したら、その声が『ひむかいしゅうじ』って人を呼んでほしいって。で、神主さんに聞いたら、お兄ちゃんかもしれないって教えてくれたんだ」


 柊士は眉根を寄せた。ひらりと肩に止まった黄色い蝶が囁く。


「危険かもしれません」

「わかってる」


 口をできるだけ動かさず、栞に応じる。子どもは柊士の様子を見て眉尻を下げた。


「すごく困ってそうだったんだ。大岩様のところに行ってあげてよ」

「……そいつは、誰か、と聞いて、なんて答えたんだ?」


 祭りの場で騒動が起こっては困る。人の祭りなら尚更だ。ひとまず、人間に紛れて警備している武官数名に調査させるかと思いながら聞く。


「うーん……なんだったかな…………『そうじ』……なんか違う。『そうま』だっけ? それはクラスの友達だし……うーん……」


 少年はそう言いながら、『そう』の後へあ行から順に文字を当てはめ始める。いつまでかかるか分からない作業に付き合っているのは時間の無駄だ。


「……もういい」


 そう言いかけた時、少年がぱっと晴々とした顔を上げた。


「『そうた』だ! 『そうた』って言ってた!!」

「……そうた?」

「うん『ひむかいそうた』」


 瞬間、柊士はガバっと立ち上がった。


「柊士様!!」


 栞が驚いたように、人目も憚らずに咎める声を上げる。


「奏太? 奏太って言ったのか?」

「うん。そう言ってた!」


 少年は確信を持つ顔だ。

 

「柊士様、どうか落ち着かれてください。このようなところで奏太様のお声が聞こえるわけがありません。きっと、何かの聞き間違いです」


 栞は柊士の考えを制止しようと耳元に舞い上がりまくし立てる。

 

 わかってる。奏太のはずがない。鬼界にいるのだ。大岩様からが聞こえてくるなんて、ありえない。それでも……


「他には? 他には何か言ってなかったか?」 

「あと、『大岩様は鬼の世界に繋がってる』って言ってたよ」

「……鬼の、世界?」


 大岩様が鬼界と繋がってる? そこから奏太の声が聞こえたのだとしたら、それは、本当に……


「柊士様、何者かの企みかもしれません。どうか、冷静に」


 しかし柊士の耳に、もう栞の声は届いていなかった。普段であれば冷静でいられただろう。怪しいと疑ってかかったはずだ。しかし――

 

 いてもたってもいられず、柊士は少年をグイと押し退け置き去りにして、人をかき分けて大岩様に急ぐ。


「柊士様!!」


 それまで静かに目立たぬように警護をしていた淕が慌てたように呼び止めるのを無視して、柊士は岩の囲いの入り口にある鎖を乱暴に外す。

 

 見た限り大岩様に変化はない。


「奏太!!」

「柊士様!」


 柊士は栞が咎めるのも無視して、岩に手を当てて叫ぶように呼びかけた。


「奏太!! 聞こえてたら返事をしろ!!」


 まだ祭りの最中。大岩様の儀式が終わっても、周囲にはたくさん人が居る。柊士の奇行に、近くにいた住民達がざわついた。でも、そんな事を気にしている場合ではなかった。


「奏太!!」

 

 岩から声は聞こえない。やっぱりあの少年の聞き間違いだったのだろうか。でも作り話にしては、あまりに出来すぎている。何も知らない少年が、口からでまかせで言えるような事じゃない。


 なら、何か……


『手が光った時、岩の中から声が聞こえたんだ』


 柊士はハッと自分の手のひらを見た。


「……陽の気か」


 ボソッと呟く。

 陽の気を注いだ者にしか聞こえなかったのなら、あの少年にしか聞こえなかったのにも説明がつく。


「離れてろ、栞」

 

 柊士は自分を落ち着けるように、大きく息を吸って吐き出した。それから、もう一度、大岩様に手を触れる。

 

 直接陽の気を注げば根こそぎ持っていかれる。それは、以前白月と奏太と共に経験済みだ。手が光り始めるまで、じっと待たなければならない。


 少しでも早くと両手をピタリと当てて、集中するように目を瞑る。


「……奏太」


 祈るように、そう呼びかける。


「奏太なんだろ? 聞こえてたら、答えてくれ……」


 鬼界に行ったと聞いてから、安否がわからないままだった。いくら妖界と人界の武官が一緒にいたとしても、無事にいられるとは思えなかった。でも、少しでも希望があるのなら……縋る先があるのなら……


「……奏太……頼むよ……」


 懇願するように、大岩様に額をつけて、繰り返す。


 ……頼むから、応えてくれ。


「奏太」


 ……どうか


「頼むから……どうか、無事で居てくれ……」

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