第128話 里の出口②

 巽を見送ったあと、俺達は足早に里の出入口を抜ける。ただ、抜けた先ですぐに、その足を再び止めることとなった。


 鳥居を出たところで、篝火に照らしだされた武官四名、そして首に鎖を巻かれた鬼三体に取り囲まれたからだ。

 そしてその足元には、血だらけの仔犬が一匹……


「朔!」


 俺は思わず声を上げる。

 息がまだあるのか、ここからでは分からない。呼びかけても反応がない。それに、晦の姿が見える範囲のどこにもない。

 状況を確かめたくて一歩を踏み出す。しかしすぐに、亘にグイと腕を思い切り引かれた。


「先程までの話を、もうお忘れですか。」


 亘は苦い表情で武官達を睨みながら、俺を掴む手に痛いくらいに力を込める。

 それに気圧されたように、鬼の鎖を持つ三人がザッと迎え撃つ姿勢を取った。


 一方で、一人はその様子を悠然と眺めて薄く笑う。


「やはり、貴方が先に出てこられましたか、奏太様。次期御当主は、結様を亡くされて、随分貴方に御執心と伺いました。あちらで何かがあれば、真っ先に貴方を逃がすだろうと思いましたよ。」

「そんなのはどうだっていい。晦はどこだ? 二人を返せ。」


 亘に腕を掴まれたまま低く言うと、武官はわざとらしく首を傾げた。


「別に捕らえている訳では無いのです。亘の手を振り払って、こちらへいらっしゃっては如何です?」


 そう言うと、朔を思い切り踏みつける。


「やめろ!!」

「奏太様、落ち着いてください!」


 再び飛び出しかけた俺を、亘はグッと力いっぱいに引き止める。

 でも、この状況で冷静になれという方が難しい。

 朔はぐったりとして動けない状態なのだ。それなのに、無抵抗なのを良いことに踏みつけるなんて。


 俺は、怒りと悔しさに歯を食いしばる。


 亘は俺が踏みとどまったのを確認すると、再び武官達を見据えた。


「拓眞の差し金か? この様な反逆行為が許されると思っているのか。」

「亀島家の方に対して不敬が過ぎるぞ。証拠が残らなければ良いのだろう。この場で門番と護衛役二名が死に、守り手様が行方不明にでもなれば、何の問題もない。」

「奏太様をどうするつもりだ?」

「そのような事、これから死ぬお前が知って何になる?」


 質問に質問で返すのだ。答える気は無いのだろう。

 でも、このままでは確実に奴らの思惑通りになってしまう。それだけの戦力差がある。


「四名とも飛ぶことができます。このまま逃げるにしても分が悪いですね。戻りますか?」


 椿が前方と背後を警戒しながら言う。

 しかし、それが聞こえたのか、武官はクッと声に出して嘲笑した。


「戻れると思うか? 今頃、姿を消して潜んでいた仲間が、結界で入口を中から塞いでいる。」

「それはまた無駄な事を。そのうち、柊士様が淕達を連れてこちらへ来るぞ。」


 硬い表情のまま徴発するように亘が言うが、武官は平然とした姿勢を崩さない。


「無用の心配だ。その前に終わる。」


 すると、亘は俺を自分の背後に隠すようにして一歩踏み出し、後ろ手に俺を岩壁の方に押した。そして前をじっと見据えたまま、声を潜める。


「奏太様、貴方には陽の気があります。背を壁につけ、誰にも背後を取られぬようにしながら、貴方に近づく者があれば、陽の気を躊躇わず放ってください。じきに柊士様達がいらっしゃるでしょう。それまで、目の前で何が起ころうと、絶対に壁から離れてはなりません。」

「……この数相手に、亘達はどうするんだよ……」

「時間を稼ぎます。」


 そう言うと、亘と椿はスッと刀を構える。

 二人の敵を見定める目に、なんだか嫌な予感がした。


‘’目の前で何が起ころうと‘’


 それは、つまり……


「だ、ダメだ。勝ち目のない相手に、時間を稼ぐためだけに捨て身で向かっていくなんて。それじゃまるで……」

「何を仰ってるのです。相手を殲滅するだけが勝利ではありません。此度においては、柊士様が自らの護衛役と妖界勢と共にここへ来るまで、貴方を御守りすることこそが我らの勝利条件です。」

「でも……」

「覚悟をお決めになってください。何を捨てても自らが助かる覚悟を。」


 ……何を捨てても自らが助かる覚悟……?


 手が震える。息がしにくくなるほどに胸が苦しい。何度言われたって、頭で理解してたって、やっぱりそんな覚悟、決められるわけがない。


「大丈夫ですよ。我らの事は御心配なさらず。必ず御守りしますから。」


 椿が安心させるように柔らかく微笑む。


 しかし、それを破るように武官の一人がぱっと手を上げて軽く振った。


「やるぞ。」


 指示と共に、武官達が鬼の首に着いていた鎖を手放し、同時に鬼達がダッと駆け出す。足元にいる朔を無視して、鬼たちは我先にとこちらへ向かってくる。まるで武官の指示に従うように。


 それに合わせて相手方の四人が刀を手にはねや翼を羽ばたかせ、上空へ飛び上がった。


「上は私が食い止める。椿は鬼の始末を優先しろ。」

「はい。」


 亘の言葉に椿が短く返事をするのが早いか遅いか、二人はダンと地面を蹴った。

 亘はバサリと翼を広げて上空に舞い上がり、椿は鬼に真っ直ぐに向かっていく。


 鬼に翼はない。

 椿は、鎖を放され真っ先に駆け出した鬼の目の前ギリギリまで走りより、鬼が爪を突き出そうとした瞬間を狙ったようにタンと地面を蹴った。ふわりと宙を舞い、体を翻しながら鬼の首の後ろめがけて刀を振るう。

 篝火にきらめく刃はザンと的確に鬼の首に下ろされ、どっと音を立てて地面に転がった。


 もう二体の鬼は、遅れを取ったとばかりに最初の一体を追いかけていたが、椿に首を落とされた鬼を見て駆け寄る足を緩め、椿を敵と見定めたように距離を取って警戒を始める。


 俺はその光景を唖然とした面持ちで見つめていた。まさか最初の一体をこんな短時間で倒してしまうなんて。

 力比べで予選免除の対象だったと聞いたが、その実力は伊達では無かったらしい。

 椿は再び刀を構え直し、鬼二体と向き合う。先程の不意打ちのような攻撃と違い、互いに出方を伺っているのが分かる。


 更に上空では、明かりに照らされる範囲よりも少し上で人影がせわしなく動き回り、刀を激しく合わせる音が響いている。

 ただ、四対一の構図ではあるものの、戦いは拮抗しているようにも見えた。


 もしかしたら、そこまで不安がる必要は無かったのだろうか。


 そんな思いが過ぎった時、


「奏太様!」


という椿の叫ぶような声と、


「そのように余所見をしていて良いのですか?」


という声がすぐ近くから響き、ザワリと総毛立った。


 俺は反射的にパンと手を打ち付ける。

 しかし、視線の先に見覚えのある男の手で無造作に持ち上げられた一匹の仔犬が見えて、俺は動きを止めた。


 一体どこに潜んでいたのだろうか。

 そこにあったのは、晦の首根っこを掴む拓眞の姿だった。


 意識を失いボロボロになった晦を盾にされた状態では、陽の気は放てない。気の力に焼かれるのは拓眞だけではなくなる。


「やはり、奏太様はお優しいですね。この駄犬諸共は焼けませんか。」


 拓眞は嘲るように笑う。それから、片手に持った刀の切先を俺の首元に突きつけた。


「両手をこちら側に見えるように上げてもらいましょうか。このまま喉を一突きにされたくなければ、妙な動きはしないことです。」


 拓眞を睨むと、選びたい方を選べとでも言うように、わざとらしく肩を竦める。


 ……悔しいけど、こんな選択を迫るということは、直ぐに殺すつもりはないということだ。

 狙いは分からないけど、ここで抵抗して殺されるより、今は言うことを聞いて時間を少しでも稼いだ方がいい。


 俺が両手を上げて言う通りにすると、拓眞は満足そうな表情を浮かべて、ボトっと晦を地面に落とす。


 その時だった。それに合わせるように、ダーンッと突然何か大きなものが上空から拓眞の後方に降ってきて、心臓がドキッと跳ねる。


 そこには、呻き声を上げて地面でのたうつ男の姿があった。

 空を見上げると、亘が別の者の刀を受け止めながら


「奏太様!」


とこちらを気にしながら叫ぶのが目に入る。

 でも、目の前の者達の相手で精一杯で、こちらに来たいのに来れないような状況に見えた。


 しかも激しく動く亘からは、ボタボタと何かが垂れ落ちて来る。


 地面に染み込む赤黒いそれに背筋がゾッとした。


 そもそも、亘は万全の状態ではない。柾と戦い怪我をした状態だったのだ。手負いのまま残った三人の相手を未だに続けている。

 ボタボタと落ちてきた血は、柾との戦いの傷によるものだろうか。それとも、今の戦いで大きな怪我をしたのだろうか。


 亘を心配する俺を他所に、拓眞はチラと地面に落ちた武官を見やり、


「役立たずが」


と悪態をつく。更に、苛立ちをぶつけるように、足元にいた晦を蹴り飛ばした。


「晦!!」


 声を上げて駆け寄ろうと踏み出す。瞬間、首に鋭い痛みが走る。


「御自分の状況を理解できていないようですね。動けば一突きにすると申し上げたはずですが?」


 ギリと奥歯を噛んで睨みつけると、拓眞は馬鹿にしたようにフンと鼻を鳴らした。

 そして、おもむろに懐から、一つのガラス製と思われるコルク詮の詰まった小瓶を取り出す。手に収まる程度の大きさの小瓶の中で赤黒い液体が揺れている。サラサラした水のようなものではなく、少しだけとろみがあるようにも見える。


 拓眞はそれを俺の方に差し出し、手に取れと言うように顎でクイと示した。

 躊躇っていると、再びグッと刀の先を押し付けられる。警戒しながらそれを受け取ると、拓眞は嫌らしく口角を引き上げた。


「それをお飲みください。」


 俺は拓眞を見やり、手の中にある小瓶に視線を落とす。

 毒だろうか。死に至るようなものか、それとも、別の何かがあるのか。飲むことで何が起こるのかがわからなくて、小瓶を見つめたまま動けない。


 普通ならこんな正体不明なものを飲むような選択肢は絶対にない。でも、躊躇ううちに喉にぐぐっと刀の切っ先を押し付けられる。このまま喉を裂かれるか、僅かでも希望を信じてこの液体を飲むか。


 視線を亘と椿に向ける。二人とも、こちらを気にしながらも、目の前の相手で精一杯で、その場から動けないでいる。


 俺は一度だけ目をギュッと瞑る。


 殺すつもりなら、さっさとやってるはずだ。きっと、直ぐに死ぬような毒じゃない。


 俺はそう信じて、意を決して瓶のコルクを引き抜いた。

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