第127話 里の出口①
「亘、怪我は?」
「こんなもの、どうということもありません。」
里の上を飛びながら、亘は平然とそう言うが、未だ柾と戦っていたときに負った傷から血が染み出している。
騒ぎは広場だけで起こっていたようで、入口に向かうに連れてどんどん喧騒から遠ざかっていく。
「椿か巽、妖界の温泉水を持ってない?」
俺が一緒に飛ぶ二人を見遣ると、亘は仕方が無さそうに、
「また汐に叱られますよ。」
と言う。でも俺は首を横に振った。
「前にも言ったけど、護衛役が十分に戦えないんじゃ困るだろ。」
「守り手様のものなのにと、淕からも小言を言われるのですが……まあ、無事に御本家に戻ってから考えましょう。今は先を急ぎます。」
そう言いつつ、亘は里から外に出る洞窟の手前に降りる。
洞窟の中は狭くて、亘が俺を乗せたまま翼を広げて羽ばたけるだけの広さがない。
前を亘が、後ろを椿が守り、巽はトンボの姿で俺の周囲を飛び回って警戒しながら、ポツポツとした明かりを頼りに洞窟を走り抜けた。
狭く薄暗い中を走っていると、先程まで里で起こったことへの不安感が押し寄せてくる。
「ハクは大丈夫かな……柊ちゃんも、里の皆も……」
「白月様の傷は、湊様が塞いだと仰っていたのです。きっと大丈夫ですよ。」
椿がはげますように言ったが、チラと見える亘の表情は硬い。
巽もまた、俺の隣を飛びながら、緊張した様な声音を出した。
「里に鬼が現れるなんて……広場を離れる時の光景は、僕が湖で
そういえば、湖で奇妙な幻を見せられた時、巽は里が鬼に襲われる光景を見たと言っていた。
「その後の光景は見たの? 里がどうなったか、とか。」
「いえ。先程の光景以上のものは見ていません。白月様がいた事すら見えていなかったくらいですし……ただ、こうなってくると柾さんが見た光景も気になります。」
巽の言葉に、亘は訝しむように眉根を寄せる。
「柾は何を見たと言ってた?」
しかし巽の返答を聞く前に、亘は何かに気づいたように走っていた足をピタリと止め、サッと腕を上げて俺達を制止した。
そこは里の出入り口。亘の向こう側には何者も居ない。
……里の出入り口のはずなのに、居るはずの門番が居ないのだ。
巽がスゥっと亘の前に飛んでいき、人の姿に変わって検分するように地面にしゃがむ。
その視線の先には、僅かな明かりで黒くくすんで見えるが、ドロリとした血溜まりがあり、周囲に血糊がベッタリとついている。
ここで何かがあったのだと、一目で分かる状態だ。
「……さっきの話の続きですが、柾さんが見たのは、晦と朔が拓眞様の連れた鬼に襲われる場面だったそうです。」
静かに響いた巽の声に、ドクンと心臓が大きく跳ねた。
「……まさか……これを見たのか……? ここで、拓眞に晦と朔が襲われた……?」
確かにあの時、柾はそう言っていた。二人を鍛えてやらなければと。まさか、今日ここでそれが起こったのだろうか。
つい数時間前に、柊士に褒められて喜んでいた二人の姿が目に浮かび、急に冷や水を浴びせられた様な気持ちになる。
「あくまで可能性の話です。
ただ、力比べに里中の注目が集まる中で鬼が放たれ、そこに拓眞様の御姿はありませんでした。
拓眞様に求められれば、晦と朔の二人には、里への出入りを止めるようなことはできません。
拓眞様を入れようとして鬼と共に里へ押し入られたのだとしたら……」
巽の言葉に、心臓が早鐘を打つように鳴る。
「でも、じゃあ二人は一体どこに……それに拓眞は……」
「念のため辺りを探りますか? もしかしたら、晦と朔はまだ近くに居るかもしれません。」
椿が周囲に視線を走らせながら言う。
まだそうと決まったわけじゃない。でも、もしあの二人に何かがあったのだとしたら、早く見つけてあげたい。それに、広場に拓眞の姿が無かった事を考えると、まだ里のどこかで何かを企んでいる可能性もある。
俺は椿に頷きかける。
しかしそれよりも早く、亘が否定の声をあげた。
「いや、奏太様を無事に安全なところに送り届けるのが最優先だ。護衛役が主以外に優先すべきものなどない。」
亘の声は酷く冷徹に響く。
「でも亘、もし晦と朔が鬼に襲われたんだとしたら……そこにある血が二人のものだとしたら……? 最初に見つけた俺達が動かなきゃ、助けられるものも助けられなく……」
「だとしても、優先すべきは貴方です。奏太様。」
それは、もしもの事があったとしても、二人を見捨てろと言うことだろうか。
今俺達が動けば、助けられるかも知れないのに。これだけの血を流しているのだ。一刻を争うことかもしれないのに。
「亘、俺はあの二人を死なせたくない。」
「諦めてください。」
「亘!!」
俺が声を荒げると、亘は真っ直ぐに俺に向き合う。感情を配したような表情とは裏腹に、その目は怒りとも悔恨ともつかない色に染まっていた。
「……白月様が鬼に襲われたのです。広場にも複数出たと聞きました。拓眞様の仕業だとすれば、他に何を企んでいるともわかりません。貴方を安全に逃がすべき時に、貴方は私に、主を失うかもしれぬような愚を犯せと仰るのですか。」
亘は低い声で言う。
「あの方が再び鬼に襲われたと聞きながら、それでも奥歯を噛んであの場を離れたのは、貴方を優先して御守りするためです。それなのに、貴方は新たに得た主まで危険に晒すような真似を私にさせるのですか。」
そう言う亘の様子に、俺は口を噤む。
ハクに許されたからって亘の後悔が無くなるわけではない。ましてや、つい先程、その元主が失った時と同様に鬼に襲われて倒れたのだ。
いつも通りに見せていただけで、心中は全然平静では無かったのだろう。
今の亘の口調は何時もとは全く違う。責めるような、咎めるようなものだ。ただ、その矛先は恐らく俺だけに向けられたものではない。
だからか、その声にも表情にも悲痛さが交じる。
「里の武官の至上命題は守り手様を御護りすることです。あの二人もまた、貴方を御護りするために在るのです。その二人の為に貴方が危険に晒されるような事があってはなりません。」
亘の主張も、それが守り手を護る為であることもわかってる。前に柊士に言われた事も、持たされた御守りにこめられた意味も、忘れてはいないし、亘の後悔だって痛みだって分かってるつもりだ。
でも、たとえそうだったとしても、俺はあの二人を助けられる可能性が少しでもあるのなら、そのチャンスを失いたくはない。
「俺達が動けないなら、せめて、巽に助けを呼びに行かせる。」
「奏太様。」
亘は厳しい声を出す。
だけど、ここだけは譲れない。
「俺が自分の安全を優先したうえで、お前らが動く理由が晦と朔の為じゃなけれな良いんだろ。
いずれにせよ、ここを通らなければ柊ちゃんもハクも本家へは向かえない。注意を促すことは必要なはずだ。晦と朔のことを知らせないわけにはいかない。」
「その様な屁理屈を……」
「屁理屈でもこねなきゃ、あいつらを助けられないだろ。」
俺と亘はしばらく睨み合う。
しかし、先に折れたのは亘の方だった。
小さく息を吐き出して、忌々しそうな表情で俺を見た後、巽に視線を向ける。
「……この状況下では、奏太様の守りは多ければ多い程良いのですが、巽を護衛として役に立たないと判断されるのなら、仕方がありまんね。」
俺達のやり取りを椿と共にオロオロしながら見ていた巽が、ギョッと目を見開いた。
「巽を貶めるのはやめろよ。信頼してるから任せるんだ。」
「何度も言いますが、この状況下で奏太様の護りを減らすのは愚策です。巽を護衛役として無能と判断されないのなら、この場を動かすことは出来ませんね。」
……この言い方は俺への腹いせなのだろうが、巽を巻き込んでいる分質が悪い。
ただ、この不毛な言い合いをしている時間すら惜しいのだ。
いつか護衛役になりたいと言っていた巽には悪いが、今は臨時であって本来の護衛役ではない。あくまで本来の仕事は案内役代理だ。
「分かった。そう言わせたいならそれでもいい。巽は優秀な案内役だからな。」
俺は愕然とした表情の巽を視界に入れないようにそう言い放った。
椿が気の毒そうな、気遣わしげな表情で巽の事を見ていたので、きっと全てが落ち着いたら、フォローくらいしてくれるだろう。
肩を落として飛び立って行く巽を見送りながら、
「お前、ホント性格悪いな。」
と言うと、亘はフンと鼻を鳴らし、
「奏太様もでしょう。それに、全てをわかっていながら、聞き分けなく我儘を言う主のせいだと思いますが。」
と皮肉混じりに返された
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