第189話 穴蔵の生活①
翌朝、直ぐ側でスウスウと小さな寝息が聞こえてきて目が覚めた。不思議な感覚に緩慢に目を開くと、僅かに濡れた長いまつ毛が見えた。その下には整った小鼻があり、薄紅色のふっくらとした唇。顔の輪郭に沿って流れる黒く艷やかな髪。
美しい女性の寝顔がかつて無いほど近くにある事にようやく気づくと、ドキリと心臓が跳ねて一瞬で眠気が吹き飛んだ。
「―――はぁっ!?」
カッと顔全体が熱くなりアワアワしながらドッと砂壁に張り付くと、その顔の持ち主……椿が目をこすりながら起き上がり、ふわりと笑う。
「お目覚めですか、奏太様」
「お、お目覚めですかじゃないよ! なな、なんで椿が俺の隣で……!?」
「昨夜、筵をかけて眠られていたのですが、寒そうにされていたので私の翼で少しでも暖かくなればと……」
動揺する俺に、椿は困ったように眉尻を下げた。
「膝を抱えて丸くなられていたので、見るに見かねたのです。私が添い寝するよりも良いでしょう」
離れて俺たちの様子を見ていたのだろう。亘の笑いを嚙み殺しそこねたような声が聞こえてきた。
固く冷たい地面の上、確かに寒いし寝苦しいなとは思ってたけど、まさか椿に添い寝をされるとは思わなかった。しかも、白鷺姿ではなく人型に真っ白な翼という状態で……
「……あ、ありがけど、せめて鳥の姿にしてよ。心臓に悪いから……」
まだ鼓動が煩くバクバクいっている。
「この姿の方が奏太様が喜ぶだろうと亘さんに言われたのですが……」
「亘と一緒にしないでくれよ!」
亘の場合、絶対にいたずら半分で言ったに違いない。それを真に受ける椿も椿だ。半ば叫ぶように言うと、案の定、亘は堪えきれなかったように声を上げて笑った。本当に性格が悪い。
その一方で―――
「……ねえ、なんか汐の機嫌、悪くない?」
最初に作られた広間に顔を出すよう告げに来た汐の表情が、いつも以上に固い。汐について歩く間にコソッと巽に聞くと、巽は呆れ果てた様な顔になった。
「……奏太様は、あんまり変化のない汐ちゃんの表情に気づけるのに、なんでそう大事なところが鈍いんですか?」
「……え?」
そんな顔をされるようなことをしただろうかと首を捻っていると、声を潜めていたはずなのに、汐がくるりと振り返りニコリとキレイな笑みを浮かべた。
「その話は今必要なことなの、巽?」
「不要です! すみません!!」
ピシッと背筋を伸ばして直立不動で謝罪をする巽に、冷たくフンと小さく鼻を鳴らしたあと、汐は前に向き直って歩き始める。
これ以上口を開けばやぶ蛇だ。二人のやり取りは気になったけど、俺も空気を読んで口を噤んだ。
広間に出ると、妖界勢も人界勢もまとめて、その場にいた皆がピタリと動きを止めてこちらに向き直り膝を折って頭を下げた。何だかとても居た堪れない。
「おはようございます、奏太様」
「おはようございます。璃耀さん、皆さんにいつも通り普通にするよう伝えてもらえませんか……?」
進み出てきた璃耀にそう伝えると、璃耀は一度背後を見たあと、懐かしそうに目を細めて俺を見た。
「……白月様と同じ事を仰るのですね。今は有事ですから、そのようにさせて頂きましょう」
璃耀が背後の者たちにふっと手を振ると、皆がそれまでと同じ様に動き始める。
「ハクも、ですか?」
「帝位に就かれて間もなくは、同じ様に戸惑い、皆に普段通りにする様にと仰っていました。その様な事を周囲に許して良い御立場ではないので、慣れて頂くしかありませんでしたが」
ハクの事を語る時、璃耀はすごく柔らかい表情をする。それだけ大事だということなのだろう。璃耀達にハメられた事は腹立たしいけど、ハクを早く見つけて今まで通りの生活に戻れたらと心からと思う。
「これからどうするんですか?」
「周囲が明るくなったため、半数を周辺の調査に当たらせ半数をこちらの護りに残します。人界の皆さんも同行するそうですが、奏太様の護衛の方も周囲の確認をされたほうが良いようであれば御同行を」
「それであれば、私が一度見てまいります」
亘が俺の許可を得るためにこちらに目を向ける。それに俺はコクと頷いた。
「分かった。なら、俺も一緒に行くよ。ハクを探すなら……」
「何を仰っているのです。貴方が結界の外に出て動き回って良いわけがないでしょう」
亘と共に外に出る覚悟で言ったのに、俺の言葉を遮って馬鹿を見るような目で璃耀に見られた。さっきの柔和な雰囲気は微塵もない。
「え、いや、でも、俺が必要だから連れてこられたんじゃ……」
「今日は調査だと申し上げたでしょう。必要な時だけお呼びしますから、それまでここで待機ください」
「……必要な時って……?」
「白月様を見つけた時か、拠点を移す時ですが」
それはつまり、しばらくの間はこの穴の中に引きこもっていろということだろうか……
「……せめて、ほんの少しだけでも外の様子を……」
明るくなった鬼界の世界がどうなっているのか気になるし、土と濡れた砂に囲まれた穴の中にずっといたら気が滅入りそうだ。少し気分転換に外の空気が吸いたい。そう思っただけなのに、そばにいる全員が眉根を寄せた。
「奏太様、たとえほんの少しであろうと外に出るなんて危険すぎます」
「ここは鬼の巣窟です。何かあったらどうされおつもりですか」
困ったように椿が言えば、汐が厳しい声音を出す。
「さすがにやめた方がいいですよ、奏太様」
「むしろ、この穴の中のさらに奥にある御自分の部屋に引っ込んで、一歩も外に出ないようになさってください」
巽に呆れられ、亘には部屋から出ることすら禁止された。まさか寄って集って否定されるなんて思いもしなかった。いくらなんでも過保護すぎじゃないだろうか。しかも、
「椿、巽。奏太様が部屋から出ぬよう見張りと護衛を。私が戻るまで、誰も部屋に寄せ付けるな」
「はい」
「承知しました」
などと言い出す始末。護衛はわかるけど、俺を部屋から出さない為の見張りまで徹底させるとは。何が何でも、俺を穴の奥に閉じ込めておくつもりらしい。
「いや、さすがにそれは……」
俺がそう反論しかけた時、まるで先を言わせまいとするように璃耀がパチンと手を叩いた。
「どうやら決まりのようですね。側近の皆さんにも御理解頂けているようで何よりです」
「え、いや、あの――………………いえ、何でもありません……」
有無を言わせぬ皆のニコリとした笑みがトドメとなった。
俺は結局、ほぼ挨拶の為だけに広間に出向いただけで何もさせてもらえないまま、すごすごと自分の為にあけられた穴の中に戻り引きこもることが確定した。
諦めて戻ったはいいものの、それからどれほどの時間が経ったのか。暇すぎて穴蔵生活1日も立たずにリタイアしそうだ。
転換の儀の偽装の最中も引き籠もり生活だったけど、柊士が本やマンガ、トランプをこっそり手配してくれたおかげで、退屈しのぎができた。
でも、当たり前だけどここには何も無い。話をして時間を潰しているけど、そんなにネタが続くわけでもない。いざという時の為にスマホの電源も切ったうえに外も見えないから朝なのか昼なのか夜なのかもわからない。
変化があるとすれば、時折汐が様子を見に行っては、他の者達の状況を教えてくれるくらいだ。
汐曰く、和麻によって鍛錬場のような広間がもう一つ作られていたそうだ。警備の合間に武器の手入れをしたり、鍛錬場で体を鍛えたりしている者もいるらしい。
俺は部屋から出るのも禁止されたので、それを見ることすら出来ないけれど。
そんな話を聞きながら筵の上でゴロゴロしていると、ようやく亘が戻ってきた。
「……何その棒」
開口一番出たのは、そんな言葉だった。
亘が持っていたのは、ところどころ歪みのある1本の白っぽい木の棒。亘の身長の半分くらいの長さだ。それを、無造作にポイッと投げられる。
俺の手前でコロリと転がる木の棒に首を傾げた。
「え、何?」
「退屈でしょうから、稽古の続きを行えるよう、ちょうど良さそうなものを取ってきました。どうせ時間はあるのです。この機にしっかり鍛えておきましょう」
「……それはいいけど……外でなんかあった?」
里でも俺を鍛えることにそこまで乗り気じゃ無かったのに、鬼界に来てまで自分から稽古をつけると言い出すとは思わなかった。
「……少々、嫌な予感がしたので」
「嫌な予感?」
「昨夜襲ってきた鬼達は、全て話ができずただ本能で飛び掛かってくる者ばかりだったそうです。その為、数が多くとも妖界の精鋭だけで十分対処が可能でした。ただ昼に遭遇した鬼は、力こそ弱く数は少ないですが、どれも意思疎通の可能な者ばかり。人界でもそうですが、頭が働く分そういう鬼の対処は厄介です。しかも、あちらにとって、こちらはただの餌ですから」
俺自身、人界でどちらの鬼にも遭遇したことがある。そして確かに、言葉を話す鬼は厄介な者が多かった。最初に遭遇した鬼にせよ、バスジャックにせよ、寺の住職に化けていた奴にせよ。
「でも、それは最初から分かってたことだろ?」
「問題はここからです。妖界の者達は複数人がかりで鬼を捕らえ、白月様の目撃情報を集め始めたのですが、そのうちの一体が、奇跡の村の話を口にしたのです。多くの者がその場所を探し求めていると」
「奇跡の村?」
鬼が村を作って生活している事自体意外だったけど、その上、奇跡の村なんてものがあるとは。一体どんな出来事があれば奇跡だなんていわれるようになるのだろう。
「どうやら、女神が降り立ち一夜にして村中に緑が満ちた村だと噂になっているようです。外を飛べばよくわかりますが、この周辺に緑が生い茂るような場所はありません。それだけ緑の植物が貴重だということです。村がどこにあるのかは分からないが深淵と呼ばれる場所に近いところにあると聞いて探していた、と」
「ふぅん、確かに不思議な村だね。ただ、それが亘の嫌な予感と何が……」
そう言いかけると、亘は眉根を寄せて凄く厳しい表情で俺を見た。
「何故わからないのです?」
「……いや、なぜって……」
「緑が貴重だとすれば、濡れた砂の土地に降り立っただけで周囲に草をはやした奏太様はどれほど貴重な存在になるのでしょうね。まるで、その女神さまです」
巽の言葉に、俺は目を見開く。
「え、まさか、その女神様って……」
「昨夜の奏太様の状況を見るに、白月様である可能性が非常に高いです。妖界勢もその可能性を視野に調査を始めています」
「そっか。思ったより、早くハクの手掛かりが掴めそうで良かった」
ほっと胸を撫で下ろしたが、亘の表情は変わらない。というか、先程よりも更に険しい。
「どこまで御目出度い頭をしているのですか。貴方の身がどれほど危険かわかっていますか?」
「……え、ちょっと……言い方……」
ハクを探し出す糸口が見つかって喜んだだけなのに、いくらなんでも酷い言い草だと思う。控えめに抗議の声を上げたけど、亘にはじろりと睨まれただけだった。
俺が理解していないのを見兼ねたのだろう。やれやれと言わんばかりに巽が亘の言葉を補足する。
「奏太様の力が露見して不毛の大地に緑を齎す貴重な存在だと知られたら確実に狙われますよ。捕まったら飼い殺し間違いなしじゃないですかね。相手は鬼ですから、死んだほうがマシだと思うような目に合わされるかもしれませんし」
巽の言葉に、パカリと口があいた。
「そ、そんな大袈裟な」
「大袈裟ではないから亘と巽が御忠告申し上げたのですよ。妖界の者達も同じ意見でしたから」
俺が穴の中に閉じこもっていた間に情報収集に飛び回っていた汐も難しい表情だ。
この穴の中に引っ込んでれば問題ない気もするけど、皆の反応を見るに、それでは警戒心が足りないということらしい。俺のそばにずっといた椿も不安そうな顔でこちらを見ている。
「……わかった。十分、気をつけるよ」
ひとまず俺は、殊勝な顔をして皆に小さく頷いてみせた。
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