閑話 ―side.晦:巽との御役目―
「はぁ〜」
隣で
今日の相棒は朔ではなく巽だ。初めての仕事を任される時には、必ず別々に経験者がつけられる。
ここは御番所の中。管理すべき重要物が納められている扉の前だ。中には押収された呪物や、転換の儀を始めとした様々な儀式の道具などが保管されている。
以前まで儀式の道具などは日向の御本家で保管されていたのだが、1年ちょっと前に襲撃にあったのを機にこちらに移動されたと聞いた。
そうは言っても、私には実際のところはわからない。私達に任されているのは扉の外の守りだけで入室は許されていないからだ。
私達が守る扉の内側には、もう一枚、鍵付きの頑丈な扉が用意され、許可のある者に鍵が貸与されることになっている。その為、私達のような普通の武官や文官は中へ入ることが出来ない。
ここを守るというのは、それだけ重要な御役目だということだ。
今までと違う仕事は新鮮だし、里の出入り口で岩壁に囲まれている仕事に比べて御番所の中での仕事は、自分の働きぶりが認められて一歩成長したようにも思える。自然と背筋がピンと伸びる心地だ。
それなのに、指導官であるはずの巽には、一切ハリがない。
「どうやったら、奏太様に護衛役と思ってもらえるようになるんだろう……」
護衛役の御役目で何かがあったらしいが、今日はずっとそればかりだ。
巽が不定期で一時的に護衛役補佐を任されていることは異例中の異例だ。案内役代理を務めていたことで奏太様の信頼を得ているから、軽い護衛任務にだけ同行が許されている。
でも正直、皆が噂する通り、巽には分不相応で荷が勝ちすぎていると私も思う。
しかも、巽が異例の出世を勝ち得たことで、いらぬ妬み嫉みが生まれているし、案内役から護衛役という道ができたと考える短絡的な愚か者もいるらしい。
拓眞様が亘を狙ったように、汐が……あ、いや、汐と栞が、変な輩に狙われたりしないだろうかと心配だ。
逆に、任された仕事も後輩への指導もそこそこにダラダラと愚痴ばかり零している巽に関しては、一回変な連中に絡まれて身の程を知ったほうが良いと思う。
奏太様の御側にお仕え出来るだけで名誉なことなのに、護衛役だなんておこがましいと何故思わないのだろうか。
「なぁ、
「うるさい、仕事しろ。」
今日何度目かの質問に、全てを聞かずにピシャリとそう返すと、巽は再び深い溜め息をついた。
「晦、僕は真剣に悩んでるんだよ。もうちょっと親身に聞いてくれてもいいだろ。」
「頂いた御役目の最中に話すようなことじゃない。」
「なら、終わったら聞いてくれる?」
「終わったら自分の友達にでも話せば良いだろ。」
「もう、誰も聞いてくれないんだよ〜頼むよ~」
情けない声を出されたところで、付き合うつもりはない。
巽にとっては真剣な悩みであっても、聞かされた方にとってはただの自慢話にしか聞こえない。
「じゃあ、他の護衛役に相談すれば。」
「……亘さんにはからかわれるだけだし、柾さんに言えば稽古と称してボコボコにされるし、唯一聞いてくれていた椿にも最近は無視されるんだ……」
亘と兄上が当てにならないのはわかるが、あの椿にも無視される程とは、いったいどれだけしつこくしたのだろうか。
「なら、
「淕さんも
「……私は暇にみえるのか?」
「暇だろ、今、現在。」
「御役目中だバカ! ちょっとは先輩らしくしろ!」
思わず声を荒げると、巽は何故か突然、キリッと真面目な表情を貼り付けて背筋を伸ばす。
いったい何事かと眉を顰めると、トッとすぐ近くで足音がして、ドクンと心臓が跳ねた。
「随分賑やかだね。どうかした?」
聞き覚えのある里の上位者の声が響く。
私は反射的に体の向きを変え、顔も確認せずに慌ててその場に膝をつこうとした。しかしすぐに、
「晦、警固の最中だぞ。」
という巽の叱責が飛んできて、何とか踏みとどまった。
「巽の言う通りだよ。相手が守り手様方で無い限り、警固中に膝をつく必要はない。
恐る恐る顔を上げると、そこには優しげに微笑む
湊様は、
亀島家でありながら、未だに文官仕事の取り仕切りを任されているのも、そういう部分が評価されてのことなのだろう。
拓眞様の一件を引きずっている私からすると、まだ疑心暗鬼の目で見てしまうのだが……
「保管庫に御用ですか、湊様。」
「ああ、いつもの点検だよ。最近新たに入れられた物はないし、早めに終わると思う。通してくれるかい?」
「御当主は不在と伺いましたが、許可が?」
巽は世間話でもするかのような調子で尋ねるが、ここを通す前に必ず確認しろと言われていた事だ。
「ああ、
優梛様とは柊士様の母君だ。柊士様が幼い頃、御役目の最中に亡くなられ、西の里の近くにあるその山中に墓が立てられた。
毎年、命日を迎えるこの頃、柊士様と前御当主は弔いのため、西の里へ泊りがけで赴いている。
柊士様がこちらから離れて暮らしていた時期も、欠かすことはなかったらしい。
いろいろあった為、いつもよりも日数は減らしているが、亀島家の長男の治める地の視察も兼ねて、今年も弔いに向かう事にされたようだ。
湊様が従者を振り返ると、従者は心得たように一枚の紙を取り出して巽に見せる。
巽はそれを受け取り一通り目を通した後で、従者にそれを戻した。
「確かに。では、御入室ください。」
巽がさっと扉の脇に移動するのを見て、私も同じ様に反対側に退き、扉の前を開ける。
ふと、私の前を通過した従者から甘ったるい匂いがした。我等は普通よりも鼻が良い。巽はどうやら気づいていないようだが、心の中がザワッとするような、嫌な感じがした。
甘い香りには気をつけよ。
近頃よく言われていることだが、湊様の従者からそんな匂いがするとは思わなかった。今この場で口を開くわけにもいかず、私はそのまま口を噤んで二人を見送る。
不意に、チラと湊様がこちらを振り返った。唇に指がかざされ、何故かはわからないけれど、私は思わずコクリと頷く。
そうしている間にも、従者によって最初の木造りの扉が開けられ、更に湊様が取り出した鍵で重厚な内扉が開けられた。
二人が中に入ると、扉はギィと音を立てながら、ゆっくりと閉じられていく。
完全に扉が閉じるのを見届けると、巽からハァと安堵の息が聞こえてきた。
「大きな声をだすなよ。咎められるかと思った。」
「……ごめん。」
一応謝ってみたものの、そもそもは真面目に御役目に取り組まない巽が原因だったのではなかっただろうか。
解せない思いで見ると、巽は何かを考えるように顎に手を当てる。
「……それにしても、最近入れられた物はない、か……じゃあ、あれはまだ亘さんが持ってるのかな……?」
「あれって?」
ブツブツ呟く巽に首を傾げると、
「ああ、何でも無い。」
と、巽は誤魔化すようにニコリと笑った。
説明する気が無いなら、最初から聞こえるように声に出さないでほしい。
なんだか今日の御役目は、巽のせいでどうにもやりにくい。早く朔と二人で任せてもらえるようになりたいものだ。
……あれ、そう言えば、何か報告すべき事が無かっただろうか……?
そう思ったが、いったい何だったのかが思い出せない。
まあいいか。思い出したら報告すればいい。まだまだ今日の御役目の時間はたくさん残っている。
私は残り長い巽と二人の時間を思い、長々とした溜め息をついた。
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