第89話 初夏の雪⑤ : side.柊士
柊士は淕に奏太を抱えさせて下がらせると、連れてきていた、
奏太が力尽きるギリギリまで陽の気を注ぎ戦っていたであろう炎を纏う巨大な悪鬼は、白く透ける結界の向こう側で、本体と思われる黒い中心部を結界にぶつけたり体全体で押たりしながら、轟くような唸り声を上げて何とかそこを突破しようとしている。
結界があってなお、悪鬼の発する瘴気が胸に重くのしかかり、ジリジリとした暑さに体力を奪われる。
奏太はこんなところで一人で戦っていたのか。
そう思うと、苦い思いがこみ上げた。
最短となるよう急がせて来たつもりだったが、衰弱しきった奏太の姿に、もっと早く辿り着けていればと思わずにはいられない。
奏太がスマホ越しに助けを求めたあの時、柊士は自分で思っていた以上に動揺していた。
奏太を結のようにさせるわけにはいかない。そんな焦燥が心に押し寄せた。
結は白月となった。しかし、人であった結は、やはり死んだのだと柊士は思っている。鬼に致命傷を負わされたがために、柊士の代わりに人界での存在を消されたのだ。それは、死んだと同義だった。
そして万が一、奏太の身に同じことが起こったら、今度は妖界へ行くという手段も失う。妖界に陽の気の使い手が二人存在することは、あちらに余計な混乱を招くことになるからだ。
それはさながら柊士自身を縛る呪いのように冷静さを奪い蝕んでいく。彼の中に居座るもう一つの呪いと共に。
柊士は余計な事を思い出そうとする頭を振って、目の前の結界を見据えた。
今は、この悪鬼の封印が最優先だ。
柊士と柾達が同時に陽と陰の気を岩に注いでいくと、悪鬼の前に張られた白い結界は次第にその白さを増していき、同時に灰色の結界が下からそれを補強するように迫り上がり始めた。
結界が重なるように強化されていくたびに、周囲の気温はどんどん下がり、気温の低下とともに立ち込めていた瘴気が薄くなり正常化していく。胸の重さも比例するように軽くなっていった。
灰色の結界が天井につくころには、怒り燃え盛っていた化け物の姿はベールに覆われたかのように薄っすらと見える程度になり、更に気を注いでいくと、大穴の周囲を囲っていた黒い渦が、次第に内側に向って広がり始める。
まるで出番が来たとばかりにぐんぐん閉じていく黒い渦が、化け物を閉じ込めた向こう側の空間を完全に隠すと、今度は黒い渦自体が収縮し始める。
そしてついに、異界と繋がる不穏な穴は、その姿をフッと消し去った。
柊士は、ようやく元凶が姿を消した事に安堵し、ふぅー、と深く息を吐きだしながらその場に座りこむ。
その途端、
「柊士様!」
と、淕が慌てたような声を上げてこちらに呼びかけるのが聞こえた。
奏太を抱えて動けないのだろが、相変わらず心配性な護衛役に内心呆れる。
想定以上に力を使い目眩はするが、それだけだ。体に異常はないし、少し休めば問題ない。奏太のあの状態は、恐らく枯渇寸前まで力を使ったせいだ。奏太が気を注ぎ続けたお陰だろうが、柊士にはまだ少し余力がある。
同様に、三人で力を注ぎある程度余裕があったのだろう。柾達も心配そうに柊士の側へ駆け寄ってきた。しかし、柊士は片手を上げてそれを制する。
まだ後始末が残っている。
「俺は大丈夫だ。」
そう言うと、柊士は一度ギュッと目を瞑り、揺れそうになる体をぐっと堪えて立ち上がった。
不意に、ずっと黙って静観していた白い髪白い着物の少女がブツブツと呟くのが耳に届く。
「やはり、体ごと埋めて岩に気を吸わせるより、直接注いだほうが効率が良いのだな。あっちの小僧など、枯渇して死ぬのが早いと思ったが。」
その言葉に柊士は眉を顰めた。
人が死ぬのを何とも思っていないような言い方にも、それが懸命に結界を強化するために力を使い続けた奏太に対するものであることにも、言いようのない不快感が湧き上がる。
そこへ、堪えきれなかったのか晦が怒声を上げた。
「お前、奏太様を何だと思っている!」
柾と朔も険しい顔で少女に詰め寄る。
しかし少女は、妖連中に怯むことなく、周囲を取り囲む柾たちを見やり、ハアと息を吐いた。
「睨むな。あやつにも言ったが、悪鬼が穴から出てまき散らす災厄に比べれば、贄など大したことではない。」
「世の為なら犠牲も仕方ないって? ふざけんなよ。」
柊士自身、少女の言葉が全くわからないわけではない。恐らく、世を守るため、そうやって災厄を退けてきた過去もあるのだろう。ただ、時代と対象が悪い。身内を人柱になどされてはたまらない。
しかし、少女はそれに不思議そうな顔で首を傾げた。
「汝は違うのか、陽の気の使い手。汝らも贄を妖界にやるのだろう。つい最近、あちらにやったと聞いたぞ。」
「……贄?」
柊士は怪訝な目を向ける。
「妖界を守るという大義のために、人界の者を殺して送るのだ。贄だろうが。」
少女の言葉に、胸にザワッとしたものが走った。
「やめろ! あいつはそんなんじゃ……」
そう声を上げ否定しようとする。
柊士とて頭ではわかっている。少女の言う通りだ。だからこそ、胸がザワつくし、否定せよと騒ぐ。自分達の罪をまざまざと突き付けられているようで、心が受け入れるのを拒否している。
柊士の心うちを読むように、少女はフンと一笑した。
「言動と心情が一致せぬとは難儀なものだな。ある程度の割り切りも必要だろうに。
まあ、認めたくないのなら、それでも良い。妾には関係のないことだ。この地が守られればそれで良い。」
そう言うと、少女は興が醒めたように柊士から視線を離す。そして、ふわりと宙に浮いて柾達の頭上を飛び越し大岩に触れた。
「ふむ。気の力で十分に満たされたようだな。底をつきかけ弱ったところを不届き者に破られたが、これならしばらくは、贄なしでも封を破られることはなさそうだ。」
「……お前、一体何なんだよ。」
羽もないのに宙を浮き、世のために贄を使って悪鬼の封印を行おうとし、陽の気の使い手と妖界の帝の関係を知っている。しかも、つい最近結を送ったことまで。
人間でないことは確かだが、その辺の妖でもそんな事まで知っている者は殆どいない。里の者でもない限り。
柊士が問うと、少女はこちらを見向きもせずにストンと地面に降りた。
「妾は、人の言葉で言えば “土地神” と言うやつだ。」
「……神?」
「かつて悪鬼に苦しめられていたこの地に住まう者達の祈りから生まれたのが妾だ。」
―――神。
その存在を、柊士は今まで見たことがない。ただ、聞いたことだけはある。陽の気と陰の気のどちらにも干渉を受けない、寿命すらない、鬼でも妖でも人でもない存在。
そういえば、白月もまた、龍神に会ったと言っていなかったか。
そう思っていると、少女は柊士に背を向け、スタスタと淕と奏太の方へ歩みを進めた。
奏太を守ろうと晦と朔が飛び出しかけたが、柾が腕を掴んで引き止める。
「もしも神だとすれば、我らが手を出して良い存在ではない。」
確かに柾の言う通り、こちらから手を出すべきではないのだろう。神を名乗る少女が何をするつもりなのか不安は募るが、敵対的な態度が現状ない以上、こちらから下手に手を出さないほうが良い。
すると、奏太を守るように身構えた淕を他所に、少女はそっと奏太の胸に触れた。
「汝には礼を言わねばならぬな。汝があやつらを呼んだお陰で岩を満たすに至った。妾も何かがあったときには手を貸そう。」
少女がそう言うと、奏太の胸にあてたその手が僅かに光った気がした。
「奏太に何をした?」
「礼だ。汝らにも世話になったな。何かあればここに来い。多少は力を貸してやれるだろう。ついでに、数十年に一度、気を注ぎに来てくれると助かるが。」
「……取引ってわけか。」
「そこまで堅苦しく考えずとも良い。汝らが来なければ、また贄を埋めるだけだからな。」
少女は何でもないような言い方をするが、そんなことを聞いて放っておける訳がない。
「……分かった。気は提供する。だから、生贄を埋める前に、こちらを呼べ。」
柊士が苦々しい思いでそう言うと、少女は満足そうに頷いた。
「それから、そっちの奴らは回収していくぞ。」
柊士は、岩の周りの穴の中で倒れている男女を顎で示す。
扉の前のバールといい、床に落ちた自撮り棒とスマホといい、スコップといい、興味本位で鬼と神の領域に足を踏み入れた馬鹿であることは推して知るべしではあるが、このままにはしておけない。
岩が気で満たされた以上、この馬鹿共も用済みだろう。
そう思っての言葉だったのだが、少女は惜しいものを見るように、倒れている男女に目を向けた。
「……せっかくだから埋めようと思ったのだが……」
「昔と違って、人が一人でも居なくなれば大騒ぎになる時代だ。埋められたら困る。」
柊士が言うと、少女は分かりやすく眉尻を下げる。
「うーむ……騒ぎになるのは困るの……まあ、岩は気で満たされておるし、良い時代になったのだろうと諦めるしかないか……」
少女はそう言いながらため息をついた。
「淕、奏太と汐は大丈夫か?」
二人に歩み寄りながらそう声をかけると、淕はゆっくりと首肯する。
「ええ、大丈夫です。息はありますし、怪我もありません。どちらも深く眠っているだけです。」
「汐は蝶の姿でしたし、触れれば気の流れがわかる我らと違い、奏太様は慌てられたでしょうね。見た目には生死は分からなかったでしょうから。」
朔はそう言うと眉尻を下げた。それに、晦は憤るようにフンと鼻を鳴らす。
「亘が目を離すからこのようなことになるのだ。そもそも、さっさとお側に辿り着いていれば、奏太様だって、このような事態に巻き込まれるようなことは無かっただろうに。」
「そう言うな、晦。この様な失態、亘らしくない。きっと何か理由があるはずだ。」
柾が窘めると、晦はギュッと眉根を寄せ、抗議の声を上げる。
「兄上は、亘贔屓が過ぎます。」
「別に、贔屓している訳では無い。ただ、拓眞様が妙な動きをしているのが気になってな。我らが里を出るときに、あの方の取り巻き連中を見かけなかったのも気掛かりだ。護衛役に余程執着がお有りのようだし、祭りの前でもある。亘にしろ淕にしろ、思わぬところで策に嵌まれば足元をすくわれることもあるだろう。」
その言葉に、今度は淕が訝しげに眉根を寄せた。
「拓眞様が御役目の妨害をしたと?」
「さてな。妙な話を聞いただけだし、あくまで可能性の範疇を出ない。どうせ、何かがあったとて亘自身は何も言わぬだろうしな。」
柊士は面倒事の気配に、額に手を当てた。
せっかく悪鬼の封印を成し遂げたばかりなのに、今度は内輪揉めの話とは。また亀島かと思うと、疲れが三割増になったような気分だ。
「柊士様、御加減が……」
淕の心配そうな声に、柊士はハアと息を吐き出した。
「何でもない。とにかく、亘を探させろ。ついでに他に変わったことがあればそれも合わせて報告しろ。それから柾、お前は念の為、拓眞について調べておいてくれ。お前なら近づきやすいだろ。」
柊士は淕と柾を順に見て指示を出す。少なくとも、この二人に伝えておけば上手く探りを入れて報告が上がってくるだろう。
「ええ。承知しました。」
柾は爽やかな笑顔で胸を叩く。
「妙な小細工で不調の亘と戦ったとて仕方ありませんからね。力比べで亘や淕と本気で戦うためです。いくらでも尽力いたしましょう。」
柾の言い分には頭痛がするが、純粋に強者と戦って己を高めたいと思っているだけである分、信頼はできる。
これで、場所を選ばず亘に挑んで周囲を破壊したりしなければ……
次々と発生する問題ごとに重い気持ちになりながら、柊士は目眩と頭痛を抑えたくて目元をグリグリしつつ、しなければならない事を思い途方に暮れた。
淕に奏太を抱えさせて、奏太の胸に汐を乗せる。
柾達に人間の男女を運ばせ、何が写っているかわからないスマホは破壊した。
扉の外で守りを任せていた二名の武官と合流して社の外に出ると、雪はすっかり止んでいて、夜空には月と星が浮かんでいた。
柊士はそれにホッと息を吐く。
「悪鬼の力を抑えるために雪を降らせ山を凍らせたが、明日には殆ど元のとおりに戻るだろう。」
少女もまた、空を眺めながらそう言った。
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