第180話 妖界の結界石③

 結界石を包む黄色のドームから出ると、翠雨がホッとした表情を浮かべて、俺に膝をついた。


「御協力に感謝致します。奏太様」


 結界石に陽の気を注ぐ前とはまるで違う、柔らかな雰囲気だ。なんとなく、緊張していたのは俺達だけじゃなかったんだなと思った。妖界側もまた、守る者の居なくなった大事な要石の行方を案じていたのだろう。


 幻妖宮を出た牛車の中、

 

「――驟雨しゅうう……翠雨様の兄上こそが、かつてあの結界石を破壊しようと目論んだ張本人でした。」


 そう、璃耀がポツリと零した。

 

「……え?」


 思わず妙な声が出た。

 聞けば、翠雨の兄、以前の帝は、陽の気の結界の中に入れるハクを使って結界石を破壊させようとしたのだそうだ。鬼と共謀しすべての結界を取り払い人界を支配しようとしたのだと。 


「白月様の御命令とはいえ、あの場に貴方がたをお入れすることを最も悩んでいたのが翠雨様でした。万が一結界石に何かがあれば……もしも外の者を引き入れ、何かのきっかけで再び争いが起これば……白月様お戻りの前に自分の判断によって妖界を混乱に陥れるようなことになれば……」


 あのホッとした表情にあったのは、無事に陽の気が注がれたという事以上の意味合いがあったらしい。


「安心されたのだと思います。あの方は、何よりも妖界の安定を望む方ですから」


 遠ざかる幻妖宮の方を見ながらそう言った璃耀の顔にも、安堵があるように見えた。



 ガタゴトと揺られながら京の門を出てしばらく。中途半端なところで、突然牛車がピタリと止まった。しかも何だか周囲が騒がしい。


「何事ですか?」


 椿がほんの少し移動し、外の様子を伺おうとした時だった。


「奏太様!!」


という椿の叫び声と同時に、

 

タンッ!!


と、何かが木に思い切り突き刺さった音がすぐ近くで聞こえた。見ると、ビィンと妙な音を立てた白い矢が壁に突き刺さっている。矢先から血が滴り壁を伝う。


「――なっ!」


 状況を処理しきれずに目を見開いて固まっていると、今度は真横から思い切り突き倒された。拍子に壁に頭をぶつけて声が出そうになる。でも聞こえてきたのは俺の真上、別の声だった。


「…………奏太様、御無事ですか?」


 何者かの影で暗くなったその場所を見上げれば、俺に覆いかぶさるような体勢になった泰峨たいがの顔があった。ポタリ、ポタリと、あたたかい何かが床についた手に落ちる。


「……一体、何が……」


 そう呟きつつ視線を落とすと、俺の手と床が真っ赤に濡れていた。滴る赤い液体の元をたどれば、泰峨の背に、先ほど見たのと同じ白い矢が……


 心臓がドクンと強く打ち付ける。


「射手を取り押さえろ!!」


 泰峨が俺を背にかばったまま怒声を響かせる。

 

「すぐに捕らえろ! 逃がすな!!」

「奏太様を御守りしろ!!」

「璃耀様は御無事か!?」

「誰ぞ、泰峨様の御手当を!!」


 突然の襲撃に、外が混乱している。

 さっきから、音が遠い。代わりにキーンと耳鳴りがする。


「奏太様!!」 

「奏太様にお怪我はない。其方が咄嗟に最初の一矢を防いでいなければ、どうなっていたか……其方は大丈夫か?」

「私は掠り傷です。矢を止めきれず申し訳御座いません。何と御礼を申し上げたら良いか……」

「奏太様が御無事ならばそれで良い。こちらは頼むぞ。」

 

 慌ててやってきた椿に泰峨が場所を譲り、心配そうに覗き込む椿の顔が映る。その肩にも血が染み出しているのが見えて――

 

 途端に全ての音が消え失せ、耳鳴りの音が大きくなった。俺を庇って死にかけた亘と先ほどの泰峨の姿が、血を流し心配そうに俺を見る椿の目が、あの日と重なる。

 ドッドッと打ち付ける鼓動が痛くて、冷や汗が吹き出し、手が震える。


 目の前が真っ白になり何も考えられなくなっていると、思い切り肩を掴まれて揺さぶられた。


「奏太様!!」


 椿の隣には、いつの間に来たのか、心底不安そうな顔で俺を覗き込んでいる亘の顔があった。


「……わ……たり……?」

「しっかりなさって下さい」 

「……わたり……、たくま……の………………」


 うまく言葉がでてこない。でも、すべてを言い切る前に亘の眉間にぎゅっと皺が深く刻まれた。


「ここには拓眞もその取り巻きも鬼も居ません。泰峨様も椿も大丈夫です」

「……でも……」

「あの時とは違います。周囲は味方の武官ばかり。幻妖宮から応援もくるでしょう。誰も死に直面するような事態に陥っていません。拓眞の時とは違います。」


 きっぱりと言い切る亘の言葉にゆっくり視線を動かすと、亘が俺の肩をきつく掴み、椿に手を握られていて、その上には蝶の姿の汐がいた。巽が外から心配そうにこちらを覗き込んでいて、淕や他の護衛役達が牛車の護りにつき、瑶や、泰峨や璃耀など妖界の者達がせわしなく動き回っているのがチラチラと見えた。


「……ホントに……大丈夫なんだ……」


 そう声に出した途端、どっとした疲れとともに、全身の力が抜けた。


「奏太様」


 汐が心配そうな声を出しながら、ヒラリと俺の肩の上に降りる。


「…………ごめん……俺、自分で思ってたよりも……あの時のこと、引きずってるみたいだ……」


 その後に起こったゴタゴタが衝撃的だったから思い出さずに済んでいただけで、別に乗り越えられたわけじゃなかったらしい。


 亘の手に、ぎゅっと痛いくらいの力が込められたのがわかった。 



「すみません、泰峨さん。護っていただいて、ありがとうございました。」


 椿の肩に温泉水をかけさせて、ある程度落ち着きを取り戻したあと。外の泰峨に頭を下げようとすると、スッと手で止められた。


「いえ、安全確保が十分でなかった我が方の落ち度です。申し訳ございませんでした。射手は捕えましたが、念の為、周辺調査と護衛の増員をしています。足をお止めしてしまい恐縮ですが、もう少々お待ちください。」

「こちらは急いでいないので大丈夫です。でも、あの、怪我は……?」

「私は例の温泉水で治っていますので、お気遣いなく。奏太様が御無事で何よりで御座いました」


 温泉水をかけて見た目は治っても、痛みが結構続くのは経験済みだ。俺を護ったせいでと申し訳ない気持ちでいると、泰峨はこれでも武官の端くれだから問題ないと、笑って飛ばした。 

 端くれどころか、近衛の頂点にいる人だ。これ以上ウジウジ心配しても迷惑になりそうで、それ以上は何も言えなかった。



 そこから無事に関所まで送り届けられ、数日後、正式なお詫びと事件の顛末が記された書状、大量の妖界の温泉水が璃耀によって届けられた。


「狙いは我ら四貴族家の当主でした。白月様御即位の折に随分と恨みを買っています。あの方の不在が何処からか漏れ、反乱を起こす輩が出てきているのです。それだけ正統なる大君の存在は大きなものですから。奏太様には内輪揉めに巻き込んでしまい、申し訳ありませんでした」

「……いえ、俺は……。ただ、ハクが居なくなった影響がそんなところにも出ているなんて……」

「あの方が帝位に就かれてまだ数年。ようやく安定してきた矢先でしたから」

 

 少しだけ目を伏せ疲れを滲ませた璃耀の表情に、胸が痛む。妖界で生きていこうと決意したハクを失ったのは、人界の……俺達のせいだ。妖界の結界石に陽の気を注げばそれで良いなんて、そんな簡単な話じゃない。

 ハクがいれば、賠償として妖界の結界石に陽の気を注ぎにいく必要はなかったし、反乱も起きなかっただろう。璃耀は御詫びと言うけれど、俺達が責めて良い訳ない。


 同席していた柊士もまた、難しい顔で考え込んでいるように見えた。

 


 ―――幻妖宮


「それにしても、森の中で襲撃とは」

「京で事が起これば瑛怜えいれい殿が煩いですからね。泰峨たいが殿が随分と骨を折ってくれました」

「それで? 人界側の信用は得られたと思うか?」

「さて、どうでしょうね」


 璃耀が首を傾げると、翠雨は不満げな表情で机を指で叩く。

 

「何故、其方はそれ程無関心なのだ」

「今更、気にしても仕方がないからですよ。当初は随分警戒されていたようですが、結界石の話の後は幾分表情が和らいでいました。これ以上こちらから何かすれば過剰ですし、あとは成り行きを見守るしか無いでしょう」

「……その様な不確定な状態で本当に大丈夫か?」


 ジロリと睨まれたところで、璃耀の考えは変わらない。


「御心配ならば、蝣仁と手筈でも再度確認されてはいかがですか? どちらが転んでも成立しませんから」

「私が失敗するとでも?」

「少なくとも、序盤の成否でオロオロされるようでは困ります」

「私がいつ、オロオロした?」


 あからさまにムッとした翠雨に、璃耀は笑みだけで返す。


「……ただ、一つ気になるのは、奏太様でしょうか。」

「奏太様?」

「ええ。人界に行った折にも、御本人は気づかれて居ないようでしたが過保護と言っていいくらいに護られていました。恐らくあの襲撃が原因でしょう。どうやら、癒えていない傷を突付いてしまったようですね。」


 今までの戦や守り手としての話を聞く限り、矢が近くに二本飛んできたところであそこまで怯えることなど無さそうなものだが、護衛役達が寄って集って心配するくらいに奏太は顔を青褪めさせ、身を硬くしたまま動けなくなっていた。

 

「それ程か?」

「御当主が大層御心配なさっているようで。こちらが詫びを述べている間もしきりに様子を窺っておいででした」

「……あそこはいつもそうだろう」


 呆れた様に翠雨は言うが、我が方も白月相手にはそうなる自覚がこの方にはあるのだろうか。


「普段よりも過剰に、という意味合いです」

「なるほど。まあ、状況によっては今後の妨げにも助けにもなるのだから、様子を見るしか無かろう」


 璃耀もそれには同意する。

 今は何よりも、あの方を妖界に連れ帰るために粛々と準備を進めるだけだ。


「早く、鬼界への穴が開けば良いが……」


 今まで自分達が決して望んだことのない望みを……前の戦で何としても食い止めようとしていた事柄を望む言葉を、翠雨がポツリと零した。

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