第98話 遊園地のお化け屋敷②

 ヒソヒソとした妙な声が耳に届いたのは、しばらく進んだ頃だった。


「……え、まさか、なんでこんなところに……俺、何もしてないのに……! お前確かに見たんだろうな?」


 声のする方を見ると、先程見た鬼火のようなものが地面近くでふわりと揺れていた。


「里の頭目の一人がわざわざ来るなんて、まさか、俺を陽の気で焼きに来たんじゃ……!」


 ……陽の気で焼きに……

 そんな言葉、こんなところで聞きたくなかった。


 心霊スポットには陰の気が満ちている、そして、陰の気が満ちた場所では厄介事が起こりやすい。

 遊園地だからって関係ない。ピタリと状況が当てはまったわけだ。


 無視していいだろうか。いや、無視していいよな。


「どうかした?」

「あ、いや、何でもない。」


 そう言いつつ、なるべく先程の声を頭の外に追い払うべく、さっさと先に進む。


「……まさか、人相手に盗みを働いてたのがバレたんじゃ……」


 背中越しに聞こえてきた声に、俺はピタリと足を止めた。そして、目をギュッと瞑る。


 ……聞きたくなかった。ていうか、何でそんな事を聞こえるように言うんだよ。人に害を与えるような妖を放っておいていいわけないだろ……


 遥斗にチラと目を向ける。本当に小さな声だったせいか、遥斗が先程の声を気にしている様子は見られない。


 俺はハアと息を一つ吐き出した。


「ごめん、遥斗、先行ってて。」

「は? なんで?」

「……落とし物した。探してから、後を追うよ。」

「はぁ? それなら、俺も一緒に探すよ。」

「いや、係員さん見つけて、探してもらった方が早いから。」

「なら、俺も一緒に……」

「ちょっと先に進むの怖くなってきてたところだったんだ。見つけたら、緊急脱出口から外に出してもらうよ。出口で合流しよう。」


 俺はそれだけ言うと、遥斗の背を押す。


「ほら、お前は俺が居ないと怖くて進めないってわけじゃ無いだろ?」


 振り返った遥斗にニヤッと笑ってみせると、遥斗もまた、ハアと息を吐き出した。


「わかったよ。じゃあ、先行ってる。出口で待ってるからな。」

「ああ、また後で。」


 俺が手をふると、遥斗はようやく俺に背を向けて先へ進み始めた。


 俺は遥斗の背を見送ると、くるりと鬼火の揺れる方を向く。さっきの声からするに、やっぱりあれは作り物ではなく本物の鬼火だったのだろう。

 そして、俺は鬼火が喋っているのを今まで聞いたことがない。それはそうだ。喋れていたら、捕まってランプになんてされていないはずだから。


 つまり、鬼火のそばには少なくとももう一体、妖がいるはずだ。俺達に襲いかかってくることも、今まで騒ぎにもなっていないことから、恐らく鬼では無いだろう。


 ただ、用心するに越したことはない。それに、何も知らない人間を巻き込みたくない。


 俺は周囲を見回し誰も来ていない事を確認した上で、いつでも手を打ち鳴らせるように構えたまま順路を外れ、ゆっくり鬼火の方に迫っていく。


 すると思った通り、鬼火の向こう側、セットとして置かれた棚の影で何者かが動いた。


 俺は息をスウと吸い込み、


「おい、お前、そこで何してる?」


と思い切って声をかける。

 すると、何者かがビクリと震えたと思うやいなや、


「ぎぃやぁぁぁー!!」


と、ゾンビに遭遇した人間の客もかくやというくらいの、こちらが驚くような叫び声を上げてしゃがみこんだ。


 その姿をよく見ると、そこには服を着た二足歩行型の小さなネズミが頭を抱えるようにして屈んでいた。体長はたぶん50センチくらい。まるで絵本から抜け出して来たような風体だ。


「ごめんなさい、ごめんなさい! 俺、何にもしてないっすぅ!」

「……何にもしてないのに、何でそんなに謝ってるんだよ?」


 俺は警戒してたのも嘘のように、呆れ果ててそのネズミを見下ろす。


「本当に何にもしてないんす〜っ!」


 ネズミは懇願するように、丸くて大きな黒い瞳をウルウルさせてこちらに向けた。


 俺はその側にストンとしゃがむ。ちょうど、ざわざわと次の客がやってきた声が聞こえたのだ。ここなら棚の影になり順路からは見えないだろう。


「じゃあお前、こんなところで何してたんだよ。さっき、人から盗みを働いたって言ってただろ。」


 声を潜めてそう尋ねると、ネズミはわかりやすく視線を彷徨わせる。


「あ……あの、そんなに大したものを盗んだわけでは……」

「何盗んだんだよ。」

「……菓子……とか……」

「とか?」

「い、いえ、休憩室のゲームとかマンガとかは借りたら返してますので、盗んだ訳では!」


 ……しょうもな。小学生の悪ガキか。


「そんな事をするためにここに?」

「い、いえ……こういう場所は居心地がいいんです。陰の気が溜まってるので……むしゃくしゃしたら人を驚かせてやればいいし……」


 まあ、お化け屋敷である以上、人を驚かす事はなんの問題もない気がする……


「他に悪さは?」

「す、するわけ無いっす! わざわざ里の方々に目を付けられるようなこと! むしろ、何故里の頭目様がこの様なところにいらっしゃったのか、私には皆目検討もつきません!」

「さっきから、その里の頭目って何?」

「あの、貴方様は陽の気を使われるのでしょう?」

「まあ、そうだけど、何でそんなこと……」


 俺がそう言うと、ネズミは自分の周りをふわりと飛ぶ鬼火を指差す。


「こいつが、貴方様に助けて頂いたことがあると言うので……二年ほど前に……」

「二年前?」

「ええ、どこぞの大鷲に捕らえられていたところを逃していただいたと。」


 どこぞの大鷲……

 そういえば、一番最初に結界の綻びを閉じた時に、亘が何処かから連れてきた鬼火を逃してやったことがあったな……


「え、まさか、あの時の鬼火?」


 そう呟くと、鬼火はふわりと上下に揺れた。


「そうだと言ってますね。」

「でも、二匹いただろ?」


 俺がそう言うと、鬼火はネズミの周りでふわふわと纏わりつく様に飛ぶ。ネズミの方はそれを見ながらふむふむと頷いていた。


「もう一匹は空へ帰ったそうです。こいつは、もう少しこちらに残りたかったのだと。」

「ていうか、鬼火と話ができるの?」

「ええ、まあ。生き物であれば大抵意思疎通はできますよ。私の特技なんです。」


 目を丸くしてネズミを見ると、ネズミはそう言って胸を張って見せた。


 まさか、そんな事ができる者がいるとは思いもしなかった。それに、何が鬼火には意思がないだよ、亘のやつ。


「それで、お前はここでこの鬼火とずっとここにいるのか? 今までよく妖界に追い返されなかったな。」


 以前、亘が悪ガキ貂二匹を妖界に送り返していたことを思い出しながらそう言うと、ネズミは首を傾げた。


「妖界へ行かず、里に属さず、自由に人界で暮らす妖など、いくらでもいます。問題ごとを起こせば人界の妖連中を取り締まっている里の方々に処分されますが、静かに生きる分には、はい。」

「取り締まり? そんな事までしてるの?」

「ええ。我ら有象無象の妖からすれば、武に秀で厳しく律するあの方々は恐ろしい存在です。その頭目たる貴方様方など、御前に行くことすら畏れ多い雲の上のような存在なのです。」


 人界に里の連中以外にも妖が居ることにも驚きだが、まさかそれを里の連中が取り締まっていたとは思いもしなかった。

 もちろん、その頂点は日向の本家だ。それは俺のことを警戒するわけだ。警察のお偉いさんが急に家に押しかけてきたら、大した事をしてなくても慌ててしまうだろう。


 俺は、ハアと息を吐き出した。


「わかった、ごめん。別に平穏な居場所を脅かしに来たわけじゃない。悪さするつもりがないなら、このまま見逃すよ。」


 そう言うと、ネズミは晴れやかな笑みを浮かべる。


「わかっていただけて良かった! 助かりますです、はい!」


 ただし、ホッと胸を撫で下ろすネズミに釘を刺す事も忘れない。俺が見逃したせいで騒ぎでも起こされたらたまったものではない。


「ただし、盗みはやめろよ。それに、騒ぎを起こしたら里の連中に捕らえさせるからな。」

「もちろんです、肝に銘じます!」


 ネズミは元気よくそう返事をした。


 ……騒ぎを起こすなと言ったばかりなのに、声がでかい……


 呆れつつネズミを見ていると、不意に、


「……なんだよ。そっち側かよ。」

 

と、ぼそっと呟くような低い声がどこからか聞こえた気がした。

 慌てて周囲を見回してみたのだが、暗がりの中いくら探しても、その姿を見つけることはできなかった。



 無事にお化け屋敷を抜けると、遥斗が出口で心配そうな顔で俺のことを待っていた。


「なかなか出てこないから、何かあったのかと思ったよ。探しものは見つかった?」

「ごめんごめん。無事見つかったよ。」

「なら良かった。じゃあ、次は何に乗ろうか?」


 遥斗は早速とばかりに園内マップを広げる。


 太陽はちょうど俺達の真上に達する頃。思わぬ遭遇はあったものの、まだまだ遊びはこれからだ。

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