第109話 御伴の交代①

 夜、夕食後に寛いでいると、部屋の窓を強めにバンバン叩く音が聞こえ、俺はビクッと肩を震わせた。


 二階の自室の窓を叩かれるときは、小さく控えめに汐がコツコツやるのが常なので、一体何事かと首筋を寒くさせながら、恐る恐る窓に近づく。


 壁に寄りかかり、カーテンの端をほんの僅かに持ち上げ外の様子を伺うと、見知らぬ若い男が不躾にカーテンとカーテンの間に開いた細い隙間から部屋の中を覗き見ようと窓に顔を近づけているのが見えた。


 ゾゾっと全身が粟立つ。


 ひとまず俺はカーテンをゆっくり放し、窓から気配を消して遠ざかる。


 ベランダはない。脚立を登って来たので無ければ、妖か鬼か。


 もう一度見る勇気はないが、たぶん頭に角はなかったと思う。忍者のような黒い格好に背には黒いトンボのような細長いはねがあった……ような気がする。


 ……ええと 、これはどうするべきだろう。


 柊士に連絡して誰かに来てもらうか。それとも、陽の気で追い払うか。


 カーテンの隙間から見えない位置で窓をじっと見つめて思考を巡らす。

 すると、先程よりも強い力で再びバンバンと窓が叩きつけられた。


 ……っていうか、このままだと助けを呼ぶ前に窓を破られそうだ。


 ひとまず、パンと手を打ち付ける。

 窓越しでも陽の気は届くだろうか。日の光と同じなら、大丈夫だろうけど……


 俺は静かにゆっくり窓に近づき、思い切ってジャッと音を立ててカーテンを開けた。

 驚きに目を見開く男に向かって掌を向けると、男は焦ったように両掌をこちらに向けて大きく左右に振る。


「ち、違うんです! 怪しい者じゃありません! どうか!!」


 男はガラスの向こうでそう喚きつつ、ヒィィ! 窓の下に潜り込む。


 怪しい者じゃ無いというが、あんな風に部屋を覗き込む奴、どう考えたって怪しい。

 俺は窓の外に手を向けて構えたまま、窓越しに隠れた男を見下ろした。


 男は陽の気を避けようとしているのか、ペタリと壁に張り付いていて、黒に青緑のメッシュが入った頭頂部が見えるだけ。表情は見えない。ただ、先程見た細長い黒の四枚のはねが忙しなく羽ばたいていた。


「何の用だ。何しようとしてた?」


 緊張しながら窓越しにそう問いかけると、男は眉尻を下げた情けない顔つきでこちらを見上げる。


「ま、まさか、守り手様になにかしようなどとは……! 僕は案内役としてお迎えに上がっただけです! 鬼界の綻びが見つかったと!」


 必死にふるふると首を横に振り、無実を証明しようと懇願の色を瞳に浮かべる。


「……案内役?」

「う、汐ちゃんの代りです!」


 ……汐ちゃん……


 何となく軽い感じは気になるが、ひとまず里の者であることは間違いなさそうだ。ただ、そうであっても警戒したほうが良いことは、もう学んだ。


「絶対にそこから動くなよ」


 そう牽制しながら、俺はポケットに片手を突っ込みスマホを取り出す。本当に案内役だとすれば、柊士が知らない訳がない。


 しかし、何回コールしても柊士は出ない。仕方無しに本家に連絡すると、いつものように村田の声が返ってきた。


「もしもし、柊ちゃんか伯父さん居ますか? なんか今、変なやつがうちに来てて……」

「ああ、たつみですかね。黒と青緑の髪のトンボでしょう? 新しい案内役だそうですが……本人は何も?」

「あぁ、いえ、そんなような事は言ってましたけど、最近のいろいろを考えると……」


 片手をかざしたままでいると、巽と思われる妖は、さんに手をかけ、恐る恐るこちらの様子を窺うように顔を半分出して俺を見る。


 ジロッと睨みをきかせると、慌てたように再びぱっと窓の下に姿を隠した。

 村田の気遣わしげな声が電話の向こう側から響く。


「ええ、御心配はわかります。でも、旦那様と柊士さんは御不在ですが、粟路さんが遣わした者ですから大丈夫ですよ。どうしても気になるようでしたら、まさきを向かわせましょう。」

「あ、いえ、それなら大丈夫です。確認が取れさえすれば。」


 俺は村田に礼を言うと、通話を切ってスマホをポケットに再びしまう。

 それから、窓をガラッと開けて、小さく震える男を覗き込んだ。


「お前、名前は?」

「た、たつみです……」


 チラッと上目遣いでこちらを見る男に、俺はハアと息を吐き出す。


「確認がとれた。悪かったよ、疑って。ただ、あんな風に窓を叩きつけて部屋の中を覗くのはやめてくれよ。状況が状況だし、こっちもピリピリしてるんだ。」

「は、はい! 申し訳ございません!」


 そう言いつつ、巽ははねを羽ばたかせて再び浮き上がる。


「それでその、鬼界の綻びですが……」

「ああ、行くよ。柊ちゃんも居ないみたいだし。本家だろ。」


 そこまで言ってから、はたと気づいた。


「あのさ、誰に乗っていくの? 行くのはまさきたつみだけ?」

「あ、いえ、もう一人武官が。一応僕も武官なので、御役目には武官が三名同行することになります。近頃、いろいろ物騒ですからね。」


 武官三名か……それだけ警戒しているということなのだろうけど。


 俺は手早く準備を済ませて家を出る。

 すると、真っ黒のはねに、鮮やかに輝く青緑の体を持つキレイなトンボが玄関前までスゥと降りてきて地面にとまった。


「あの、御本家までお乗りになりますか? 僕も大きくなれるのですが。」


 巽の声がトンボから聞こえてくる。


「乗れるほど大きくなれるの?」

「はい! お任せくださいっ!」


 そんな調子の良い返事を聞きながら、大きさを自在に変えられるなんてスゴイな、とぼんやり巽を見やる。


 すると、突然人の1.5倍くらいの大きさまで巨大化したトンボがその場に出現した。


 巨大な複眼、発達した大顎おおあご

 巨大化した肉食虫の顔が目の前に突然現れ、背筋がゾワワっとする。


 怖い。いろんな意味で。


「ご、ごめん! 大丈夫! やっぱり自分で歩いていくから!!」


 思わずそう叫ぶと、巽はガッカリしたような声で


「そうですか……?」


と、シュルシュルと普通サイズまで縮んだ。


 心臓がまだドキドキしている。

 巽には悪いが、巨大化した昆虫は恐怖そのものだ。小さいから良いのだと心の底から思う。


 胸に手を当てて動揺を抑えつつ歩き出すと、小さくなった巽が俺の後を追ってきた。


「あのさ、案内役って皆虫なの?」

「いえ、そんな決まりは無いです。瑶殿のご家系が代々務めるのが慣習になっているだけで。ただ、小さく飛べる者の方が何かと都合が良いだろうと粟路様が。武官であれば、護衛役に憧れるものですが、まさか案内役に任命されるとは思いませんでした。光栄ではありますが。」


 巽は乾いた笑い声をあげる。


「巽は雀野すずの派なの?」

「派閥というのはあまり……僕は南の出ですし。その様な事を気にしているのは、文官か拓眞様の周辺くらいかと。」

「なるほどね。」

「もう一人も南の出ですよ。」


 俺達はそんな他愛の無い話をしながら、本家の塀の前に差し掛かる。


 その時だった。唐突に、


 ダーン!!


という地響きが、本家の裏手から響いてきたのだ。


「何だよ、今の!?」


 そう声を上げ、俺達は慌てて本家に駆け込む。


 本家は一度遼達に襲われている。荒され、燃やされ、伯父さんが死にかけた。

 今の里の不安定な状態も気がかりだ。鬼のことだってある。

 まさか、何かが起こったのではと不安が過る。嫌な汗が出て、状況を確認しようと気持ちが急く。


 走って建物を回り込み、裏山に面した広い庭に出ると、村田が呆然と一点を見つめてペタリと座り込んでいるのが目に入った。


「村田さん! 大丈夫ですか!?」


 駆け寄って声をかけ、怪我がないか、ざっと上から下まで視線を走らせる。見た限りでは特に外傷はなさそうで、俺はほっと息を吐き出す。

 すると、村田は小刻みに震える腕を上げて家の一部に向けて指さした。


 その指の先を追うと、本家の家の壁に無惨にも大穴があいている。しかもその中から、


 ダン! バン! ガタタ! 


という家の中を荒らすような大きな物音が響いてくる。更に女性の声で、


「止めてください! 御二方とも!」


という悲鳴が上がった。


「一体何がどうなってるんだよ……」


 そう呟くと、巽が呆れたように、


「……あぁ〜、少々お待ち下さい。」


と言い残して、スイっと大穴の中に向かっていく。しばらくすると、


「止めてください、御二方! 奏太様がいらっしゃってます!」


と大穴の中で巽が叫ぶ声が耳に届いた。

 それとともに、穴の中の物音がピタリと止んで、ようやく周囲に静寂が戻ってくる。


「……村田さん、一体何が……」


 大穴に目を向けながら小さくそう問い掛けると、そこから人影が四つ、ゆっくりと歩み出てきた。


 顔を青くした、黒のスラックスに白シャツ姿の長い黒髪の見知らぬ女性と、疲れたような表情の巽、そして、その後ろから、傷だらけの亘と柾が続く。


「……奏太さんがいらっしゃるので、本家にいた亘を見送りにと呼びに行ったんですが、外に出た途端に、亘と柾が急に戦い始めてしまって……」


 村田が呆然と四人の姿を見ながら、ようやく呟くように言葉を発した。


「……は?」


 ……仲間内の喧嘩? それでこの騒ぎ? 本家に大穴あけて、御役目前に怪我?


 ポカンと口を開けて四人を見ていると、女性は申し訳無さそうに俯き、巽は視線を反らし、柾は何事もなかったような顔をし、亘がいつもの調子でニコリと笑った。


「……え、何やってんの?」

「柾が挑んで来たので相手をしていました。」

「……挑んで来たって……スゴイ穴開いてるけど……」

「あれは……まあ、その、ものの弾みで。」


 亘はチラと穴の方に目を向ける。


「……原因は?」

「手合わせのですか? そんなものありません。」

「え、理由もなくこんな状況に?」

「ええ、まあ、いつも通りです。」

「……全然意味がわかんないんだけど。」

「まあ、そうでしょうね。私もよくわかりませんし。」

「いや、当事者がわかんなかったら誰が分かるんだよ。」

「それは、もう一人の当事者に聞いてください。」


 亘に言われて俺が柾に目を向けると、柾は亘を見て首を傾げた。


「だから広場に行こうと言ったではないか。」

「御役目前に里に戻れるわけがないだろう。それに、人の姿のまま軽く手合わせだと言って仕掛けてきたくせに、結局巨大化したのは誰だ。」

「お前だって翼も鷲爪も出しただろうが。」

「先に犬の姿に変わったのはそっちだろう。」

「壁を背にした時に急に突っ込んできたのはお前だ。」

「屋敷内で巨大化したまま引っ掻き回したのはお前だからな。」


 二人は不毛な言い争いを始める。


 少し時間を置いたことでだんだんと冷静さがもどってきて、心配して慌てて飛び込んできたのが、何だか馬鹿らしくなってきた。


 それに、原因を突き止めようと思っただけなのに、話は遅々として進まない。それどころか、目の前では醜い責任のなすりつけ合いが繰り広げられている。

 それを見ているうちに、フツフツと少しずつ怒りが湧いてくる。


「そもそも、ただの手合わせだと言っているのに、奏太様は何が御知りになりたいんです?」


と亘に言われたところで、俺の中で何かがプツンと切れた。


「いい加減にしろ、バカ共!!!」


 思わず怒声を上げると、女性と巽だけが、ビクっと肩を震わせた。

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