第72話 帝の訪れ①
帝の訪れを告げる使者が妖界からやってきたのは、それから半年ほど経ったある日の夜だった。
その頃には本家は建て直され、時々訪れると言った帝を迎え入れられる広めの部屋も作られていた。
部屋の奥には隠し戸があって、そこに妖界と人界を繋ぐ入口を用意する予定なのだそうだ。
いつ来るかも分からない妖界の貴人を迎え入れる為に、工事を急がせなくてはならなかったと伯父さんがぼやくのを柊士や父経由で聞いていたのだが、何とか間に合ったようだ。
書状に記された日には、俺も本家に呼ばれた。その日ばかりは、亘の謹慎も一旦解除だ。
ここ数ヶ月、そして向こう半年弱は、俺は受験に集中、亘は謹慎で、例え鬼界の入口が開いたとしても柊士が全てまわることになっていた。
だから、亘に会うのは本当に久しぶりだった。
汐は時々俺の部屋を訪れて、鬼界の穴や柊士、本家の状況を伝えに来てくれていた。
妖界から帰宅直後の汐の態度は、こちらから声をかけるのを躊躇うくらいにトゲトゲしいものだった。
しかし、結界の穴を塞ぎに行った際にハクに会い、亘のときと同様にハクから直接声をかけられた事で、俺や亘への怒りが紛れて溜飲が下がったのだろう。
「奏太のことをお願いね、汐。」
とハクが最後に言ってくれたことも効いているのか、一応今は、以前と同様に接してくれている。
ハクが訪れることになった満月の夜。
本家に行くと、塀の上や電線の上には夜にも関わらずポツポツと雀や鳩などの鳥がいて、猫、鼬などの姿もあちこちに見られた。どれも周囲を見回し警戒をしている。
本家の門をくぐると、武装した妖達が、外の動物たちと同様に周囲を警戒をしていて、厳戒態勢が敷かれていた。
物々しい雰囲気の中、伯父さんと柊士が着物姿で外で待ち構えていた。
「え、俺、制服で行けって言われたから、この格好で来ちゃったけど……」
と言ったら、
「学生の正装は制服なんだから、それで良いんだよ。」
と柊士に言われた。
そうは言っても、この中に居ると、自分だけが時代を間違えたようで、すごく居心地が悪い。
それに、見知った者たちに会うだけなのに、何故だかすごく緊張する。
そうやってしばらくの間ソワソワしながら外で待っていると、
「いらっしゃったようですよ。」
と、淕が空の一点を見つめて言った。
その声に空を見上げると、複数の鳥が月明かりに照らされ、群れを成してこちらに向かって来ようとしているのが目に入った。
その群れは、こちらへどんどんと近づいてくると、そのまま庭に下降してくる。何羽かの鳥の背には、蒼穹など見覚えのある者たちの姿もあった。
ただ、その中にどうもハクの姿が見えない。
首を傾げているうちに、鳥たちは次々と人の姿に変わっていく。
そんな中、四羽だけが転々と大きな四角を描くように鳥の姿のまま着地した。
更に、その者達も人の姿にふっと変わると、その四人が囲む真ん中に忽然と、平安絵巻などで見るような豪奢な装飾を施した牛車の、屋形部分だけが姿を現した。
本当に突然現れたので、唖然としたまま見つめていると、妖界の者達も人界の妖達も、皆が一斉にその場に膝をつく。
更に、周囲の者達はもちろん、伯父さんと柊士までもが跪き、俺は目を見開いた。
いや、行儀作法のようなものがあるなら、先に教えておいてほしいんだけど。
心の中でそう悪態をつきながら、慌てて俺も二人に倣ってその場に膝をついた。
出口となるだろう部分の御簾が上がり、素早くその場に台が用意される。
すると、その中から冠に束帯姿の璃耀がゆっくりと降りてきた。物凄く絵になる光景に、頭を下げるのも忘れて目を奪われる。
続いて、同じ様に正装をした翠雨が降りてきて、揃って入口の両脇に控えた。
二人が向き合い、御簾の向こうに目を向ける。
俺も同じ様に御簾の向こうの暗がりを見ると、そこから艶やかな赤い着物が僅かに覗いた。
一歩、また一歩と、中の人物がしずしずと歩みを進め、その姿が少しずつ明らかになってくる。
見事な柄の施された十二単が見えたかと思うと、キラキラ輝く簪を幾つも差して着飾ったハクの姿が月明かりの下でくっきりと浮かび上がるように現れて、その光景に思わず息を呑んだ。
正装をしたハクは、周囲から溜息が漏れるほどに美しくて、空に浮かぶ満月も相まって、まるで御伽噺のかぐや姫がそのまま現実世界に出てきたかのような、神々しく幻想的な雰囲気を纏っていた。
その場だけが、全くの別世界であるかのように見え、自分がその世界に無理矢理引きずり込まれていくような不思議な感覚がする。
言葉も忘れて、その光景に見入っていると、ハクはそのままゆっくりと歩み出て、そっと差し出された璃耀の手にその小さく白い手を着物の袖から僅かに覗かせて添えた。
が、その時だった。
ハクが台を降りようとしたその瞬間、恐らく裾を踏んだのだろう。
「う……うわっ!」
とハクが大きな声を上げた。そしてそのまま、つんのめるように前のめりに台から落下しかける。
慌てた璃耀と翠雨がハクの体を何とか支えて事なきを得たのだが、そのあまりに間の抜けたハクの姿に、一気に現実世界に引き戻された。
……俺のさっきまでの感動を返して欲しい。
「……台無しです。白月様。」
翠雨のその言葉が、その場のすべての者の言葉を代弁していた。
「だって、しょうがないでしょ。だから、十二単は嫌だって言ったのに!」
ハクは八つ当たりのように声を上げる。
「普段から慣れておかぬから、いざという時に、このような事になるのです。」
璃耀はハクを支えてゆっくりと立たせつつ、呆れたような声を出した。
それにハクはムッと唇を尖らせる。
「そもそも、こんなに仰々しく来る必要あった?いつもの着物で凪に乗って来れば、それで十分だったのに。」
「そのお話は何度も宮中でしたでしょう。」
……できたら、もう喋らないで貰えないだろうか。
せっかくの幻想的な雰囲気が一気に霧散していき、残念な空気がその場に漂い始める。
あーあ……と思っていると、すぐ近くで、ゴホンと、咳払いが響いた。
それだけで、その場がピリっと引き締まる。
「ようこそおいでくださいました。陛下。ご案内を。」
伯父さんがスッと進み出ると、ハクもまた、先程まで見せていた子どもっぽい表情をぐっと引き締めて姿勢を正した。
ハクの視線は、伯父さんの目を真っ直ぐに捉えている。
「ええ。お願いします。」
凛と響くような声音と表情は、先程までの言動を完全に拭い去った、妖界を治める者の顔つきに見えた。
室内に入ると、伯父さんはハクを上座に座らせて、伯父さん、柊士、俺がそれに向き合うように座る。
ハクの両脇には翠雨と璃耀が控えた。
紙にかかれたハクの言葉を代弁をするのは翠雨だ。
起こった事の概要、御礼、今後についての話が述べられ、手土産に温泉の湯を汲んできたものを渡された。
翠雨が読み上げたのは、温泉に居た時に一度ハクから聞かされていた話だった。
それが確認するように述べられていく間、ハクは一言も発せず、雛人形よろしくその場に座り、朗々と響く翠雨の声をただじっと聞いているだけだった。
まるで何かの儀式のようなその会合が終わると、ずっと黙ったままだったハクは、すっくと立ち上がり、徐ろに俺と柊士の前に歩みよる。
「白月様。」
ハクの後ろから咎めるような璃耀の声が響いたが、ハクはそれを無視して俺達の前にしゃがみこんだ。
「二人にちょっと話したいことがあるんだけど、いい?」
「俺達二人に?」
柊士は眉を顰めてハクを見る。
こんな公の場で、伯父さんもいるのに、わざわざ俺達だけに話そうとするのだ。きっと何かあるのだろう。
「そう。ちょっと二人に相談したいことがあるの。」
ハクはニコリと笑う。それから、璃耀の方をチラッと振り返ると、璃耀は仕方がなさそうに、ハアと息を吐いた。
「悪いが、この場をお借りしたい。」
「二人の護衛は残しても?」
伯父さんは訝しみながらハクをみてから、璃耀に訪ねる。璃耀の視線を受けたハクは、コクリと小さく頷いた。
「淕、栞、亘、汐のみ許可します。こっちも、凪と桔梗だけ残して璃耀とカミちゃんは外して……」
ハクがそう言いかけると、璃耀は口元にだけ笑みを浮かべて首を横に振る。
「いいえ。私も御側に。」
全く目が笑っていない璃耀の圧力に、ハクはうっと小さく息を呑む。
「白月様、璃耀に同席を許可するのならば、私も共に。」
ハクは困ったように、璃耀と翠雨へ視線を行ったり来たりさせている。
「……できたら、ある程度話がまとまってから二人には相談したいんだけど……」
「何のお話をされるおつもりかは存じませんが、話が纏まってからでは遅すぎます。むしろ、人界の者に話す前に、我らに先にご相談頂きたいのものです。」
璃耀の言葉は、ネチネチとハクを責めるような声音を帯びている。
「でも、どっちかというと、人界の協力がないと話が進まないことだし……」
ハクはそこまで言うと、あとに続く言葉を濁すように口を噤む。
璃耀の視線は鋭くハクを捉えたままだ。ハクは居心地が悪そうに視線をツイっと彷徨わせる。
そうやって、しばらく二人の間に沈黙が流れたが、先に折れたのはハクだった。
「……わかった。わかりました。璃耀とカミちゃんの同席も許可します……」
ハクは諦めたように小さくそう言った。
俺達を残して皆が退室していく。
その中で、伯父さんだけは立ち上がったままその場に佇み、ハクに目を向けていた。
「……結。」
伯父さんは静かにそうハクに呼びかける。
しかし、聞こえている筈のハクには何の反応もない。伯父さんの方を見ることもなく、ただじっと、退室していく者たちの背を見送っている。
でも、意識は伯父さんの方を向いているのだろう。ハクの表情が固く強張ったのがわかった。
その様子を見た伯父さんは、もう一度口を開く。
「……結。あの時は、すまな……」
伯父さんがそう言いかけると、ハクはギュッと目を瞑り、
「やめて。」
と、静かな声でそれを遮った。
そして意を決したように目を開き、伯父さんに視線をうつしてその目をじっと見据えた。真っ直ぐに。
「私はもう、未来を生きるって決めたの。もう振り返るつもりはない。」
強い声音で言い放ったハクは、それ以上、許すとも許さないとも言わなかった。
ただキッパリとそれだけ言い切ると、袖を翻して伯父さんに背を向ける。
その姿が、もう結として話すことは何もないのだと、言外に示しているようだった。
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