第71話 人界への帰還②

「私は許しません。」


 汐は強い光を瞳に宿して俺を睨みつけている。


「周囲の心配も他所に無断で飛び出していったことも、危険を顧みずに戦に向かった事も、私を一人置いていった事も、結局二人揃って大怪我を負って帰ってきたことも、です。」


 俺は目を丸くして汐を見る。

 押し退けられた潤也と聡はもちろん、他の周囲の者達も、呆気に取られた様に汐を見つめていた。


「私が結様の心配をしていなかったと思いますか? 奏太様の心配をしなかったと思いますか? 元の主が危険に晒され、今の主が危険に飛び込んで行き、どちらの御方にも共にお仕えしたはずの者が妖界に向かったという話を、私は他人事のように後から聞かされて知ったのです。」


 汐はそう言うと、僅かに俯いて唇を噛む。


「……貴方はこちらに残るべきでした。でも、私の話は聞いて下さらなかった。結果、大怪我を負ったのでしょう。二人共が。

 御守りすべき方を御守り出来ずに失うことが、どのようなことか……貴方にはお分かりにならないのです……このまま帰ってこられなかったらと……何度、思ったことか……」


 汐の目に、徐々に涙が溜まっていき、ぽたりと一粒が溢れ落ちた。


「ご……ごめん……」


 こんな風に、汐が感情を顕にするとは思わなかった。狼狽しながら謝ると、汐は目元を手の甲で拭ってから、もう一度顔を上げ、再びキッと俺を睨みつけた。


「許さないと、申し上げたはずです。」


 すると、亘が俺と汐の間に立ち、宥めるように両掌を汐に向ける。


「汐、その……相談しなかったのは悪かったとは思っているが、どうしても、結様をお救いしたかったのだ。此度こそはと……話せば止められると……」

「止めるに決まっているでしょう! 結様の事があったからこそ、奏太様を失ってはならぬと、あれ程言っていたのに! 貴方がお止めせずにどうするの!」


 汐は声を張り上げる。

 本当に、これ程興奮する汐を見ることになるなんて。

 でもきっと、それだけ心配をさせたのだろう。汐が言う通り、結の事があったからこそ。

 いつも三人で行動していたのに、結果的に汐を一人だけ取り残して行くことになってしまったのだ。何も言わずに。

 汐に一番、悔しい思いをさせたのだと思うと、罪悪感に胸が痛む。


 俺と亘が揃って汐にタジタジになっていると、不意に、ヒラリと金色の蝶が現れ、汐の周りを舞った。

 そして、その場で汐に似た少女の姿をかたちどる。


「汐、そのくらいになさい。奏太様も傷つき疲れていらっしゃるのでしょう。」

「でも、栞……」

「貴方の怒りもわかるけれど、こうして戻ってきてくださったでしょう。しかも、きちんと結様もお救いになって。」


 栞の言葉に、汐は眉根を寄せ、口を噤んで俯く。


「あ……あの……汐? ……ホントに、ごめん。汐の気持ちも考えず、声もかけずに勝手に妖界に行って……」


 遠慮がちにそう言ってみたものの、汐は俯いたままこちらを見てくれない。


「……あの……もう、こんなこと絶対にしないから……これからは、何かあったらちゃんと汐にも相談するよ。少なくとも、何も言わずにおいていくような事はしないから……」

「当たり前です。この様な事、二度もあってはたまりません。」


 汐は低い声でそう小さく答える。


「……ごめん。」


 それ以上何と言えば良いのか言葉が出てこない。


 俺が口籠っていると、亘もまた、困ったように俺の方に目を向け、それから、もう一度汐に目を向けて、躊躇うようにおずおずと口を開いた。


「……汐、悪かった……その……汐の言う事もきちんと考えるべきだったと思っている……結様を思う気持ちも、奏太様を守ろうと思う気持ちも、汐も同じであるはずなのに、一人で突っ走ってしまって……」


 しかし、汐は亘の言葉を完全に無視して、黙ったまま答えない。

 俺と亘は視線を交わし合う。でも、汐をなだめる術は見つからない。

 しばらくの間、無言を貫く汐に二人揃ってオロオロしていたのだが、長く続く沈黙に耐えかねたのか、ようやく亘が躊躇いがちに言葉を発した。


「……あーーー、その、汐? ……そういえば、白月様が仰っていたのだが……」


 機嫌を取ろうとするように、亘がハクの名前を出す。すると、汐は俯いたまま、ピクリと僅かに反応を示した。


「……もし汐が望むのならば、妖界に会いに来てほしいと仰っていたのだが……次に妖界に行く機会によければ共に……」


 亘がそう言いかけると、今まで何を言っても俯いたまま大した反応を示さなかった汐が、ばっと勢いよく顔を上げる。


「そんなの、行くに決まっているでしょう!!」


 汐は涙をこらえ真っ赤になった目で、噛みつくようにそう声を張り上げた。


 結の効果は絶大だ。当たり前の話だが、汐にとってもまた、大きな存在、大きな出来事だったのだろう。


 結局、汐の赦しは得られた訳では無い。頑なな様子の汐に気が遠くなるような思いがするが、それもまた、罪滅ぼしと思って言葉と態度で示しつつ信頼を取り戻していくしかないのだろう。


 俺は、汐をなだめる亘を横目に、押し退けられ少し離れてこちらを見ていた友人二人に視線を移す。

 聡も潤也も汐と亘の様子に苦い顔を浮かべつつこちらに歩み寄ってくる。


「俺達にも声をかけずに出てったこと、一発殴ってやろうかと思ってたけど、先を越された。」


 潤也は汐と亘をチラッと見ながら言った。聡もそれに苦笑を漏らす。


「まあ、あんな風に女の子に突然平手で殴られたら、俺等の出番はないよなぁ。」


 茶化すようにそう言うが、ここに降りてきた時の表情を見るに、たぶん二人にも相当心配をかけたのだろう。


「……二人とも、ごめん。」


 素直に頭を下げると、潤也が眉根を寄せて静かに俺を見据える。


「ちゃんと、ハクを助けてきたのか?」

「うん。」

「もう大丈夫なんだろうな? ハクも、お前も。」

「うん。もう、大丈夫だと思う。」

「気は済んだか?」

「……うん。ごめん。」


 そう言うと、潤也もまた、ハアと息を吐いた。


「お前、もう絶対やめろよ。せめて一言くらい声かけろ。俺等にまで黙って行くなよ。」

「うん。悪かったと思ってるよ……」


 そう言うと、聡は仕方の無さそうな顔をする。


「さっきの子も言ってたけど、ハクを心配してたのはお前だけじゃない。お前を心配してる奴だってたくさんいる。あんな風に何も言わずにおいていくなよ。」

「……ごめん。」


 二人の言ってる事は尤もだ。俺が逆の立場なら、きっと同じ事を言っていると思う。

 俺はただ、謝ることしかできない。


 そうやって項垂れていると、聡が出し抜けに、トンと俺の背を軽く叩いた。

 顔を上げると、ニッと意地の悪い笑みをかべる。


「俺等を無視して黙って出てった罰はきちんと受けてもらうからな。」

「……罰?」


 一体何かと訝しみながら二人を交互に見ると、潤也もまた、ニヤッと笑う。


「学校を何日も休んでた分、大量の宿題が待ってるぞ。」

「勝手に出てった奴に貸すノートなんてないからな。自力で何とかしろよ。」


 追い打ちをかけるように言う聡に、


「うっ……」


っと思わず声が漏れる。


「向こうに捕まってた間なら、手伝ってやろうと思ってたけど、自業自得だ。自力でどうにかするか、先生に頼んで一人で補習でも受けてこい。」


 突き放すような友人二人に、俺はぐうの音もでない。

 縋るように二人を見ると、二人揃ってククっと堪えるように笑いを零した。


「ま、それくらいの罰は甘んじて受けて貰わないとな。」

「残念ながら、こっちが現実だ。」


 聡はとてもいい笑顔を浮かべ、潤也は怪我のない方の俺の腕をトンと小突いた。



 友人二人と亘達、妖達に指示を出しに行く柊士を見送って家に入ると、母がリビングで静かに待っていた。

 あまりに静か過ぎて、いた事に驚くと同時に、不穏な空気を感じ取る。


「……か、母さん?」


 声をかけると、凍り付くような冷たい声で呼ばれ、カーペットの上で正座をさせられて、長々と小言を言われることになった。


 俯いて聞いていると、途中で声が揺れ、掠れて、鼻をすする音が聞こえてきた。

 母にも相当心配をかけたのだろうということは、それだけで痛いほどに伝わってきた。


 ようやく小言から解放されて部屋に戻ると、友人二人の言っていた通り、机の上には学校に行けなかった分の各教科の宿題プリントが大量に積まれていた。

 両親から、念のため学校を休めと言われていたのに、結局俺は翌日、ヒイヒイ言いながら宿題をこなすことに追われることとなった。


 柊士はというと、いつまでも俺の家に居るわけにいかないと、翌日には本家の管理下にあった結の家のライフラインを整える手配を行い、早々にそちらに移っていった。

 本家を立て直すまでは、伯父さんとそちらに住むそうだ。


 当の伯父さんは未だ入院中。それでも、話が出来るくらいには回復してきているらしい。

 ハクの手紙も柊士から伯父さんに渡され、事の顛末も説明された。

 ハクの手紙には、いずれ挨拶をしに人界に来ること、本家と妖界を繋いで次代を担う柊士や俺と交流を持ちたいことなどが書かれていたらしい。


 柊士が言うには、伯父さんは険しい顔でそれをじっと読んでいたが、最後には深く息を吐き出して、


「帝を迎える用意を整えろということか?」


と、小さくぼやいたそうだ。

 一応、ハクの提案を受け入れるつもりはあるらしい。


「親父は何も言わなかったが、結への負い目のようなものはあるんだろう。じゃなきゃ、たぶん受け入れない。」


と柊士は言った。


 ならば、と、ハクの願いであった遼の事をどうするつもりなのかと尋ねてみたが、柊士には、


「お前が気にするようなことじゃない。本家に任せておけばいい。お前も余計な事は言うなよ。」


と釘をさされ、そのまま話をはぐらかされた。


 妖になり妖界で果てた者をどのようにするつもりなのか、人界の常識には当てはまらない事態を本家がどう処理するのかが気になったのだが、誰も教えてくれる様子はない。

 ただ少なくとも、遼の実家で葬儀が行われたという話は一切耳にしなかった。


 結の話を聞いた時のように、不完全燃焼な気分だけが心に残る。子ども扱いされているからか、分家だからなのか。後ろ暗いところがあるのではと、どうしても勘繰ってしまう。こういうところで、本家へのもやもやが募っていくのだが、一方で、知りたいような、知りたくないような、知れば否応なしにそちらに引き込まれて行くような気がして、無理に聞き出そうとは思えなかった。


 ハクの手紙には更に続きがあって、父への手紙と同様に、亘の処遇についても書かれていたそうだ。

 亘は、俺を戦場へ連れ出し、それによって俺が怪我を負った事でだいぶ責められたのだと聞いた。

 

 手紙には、妖界の帝である白月、亘の元主である結、二つの立場から、亘の罪への減刑についての嘆願が書いてあったそうだ。


 もちろん、俺も伯父さんと粟路に直談判しに行った。どういう風の吹き回しか、柊士も一応口添えをしてくれたことで、最終的には一年の謹慎処分で決着がついた。


 どうせ俺も受験生でそんなに飛び回っていられないし、全てを知った母から凄い剣幕で本家にクレームが入ったようなので、ほとぼりが冷めるのを待つ意味でも丁度良かった。


 もちろん、幻妖京上空の結界を閉じに行くのも、亘は留守番だ。


「そ……そんな……」


と亘はガックリ肩を落としたが、もっと重い罰を与えられていたかもしれないのだ。我慢してもらうしかない。


 そんな亘を横目に、汐は何も言わずに、フンと鼻を鳴らした。

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