第70話 人界への帰還①

 ある程度話し合いが終わると、ハクは紅翅に紙と筆を容易してもらい書状を二通したためてくれた。

 怪我のこともあるので誰かが代筆を、という話も出たが、人界の言葉で書かないと読み取れないということで、ハクの直筆だ。

 怪我の痛みもあるだろうに、真剣な表情で書状を書くハクに、申し訳ない気持ちになってくる。


 ハラハラしながら見守っていると、ハクはしばらくしてから、キラキラした表情で、


「書けた!」


と、ニ枚の紙を掲げた。


 その手紙は、二通にわけて封をされ、一通は柊士、もう一通は俺に渡される。


「そっちの書状は?」


と柊士が訝しげな視線を向けたが、ハクが、


「奏太の家の叔父さんと叔母さんにだよ。奏太のこと、心配してるでしょ。」


と言って誤魔化してくれた。



 幻妖京上空の結界を塞ぐのは数日後に決まった。ハクも俺も、傷を癒やすのが優先だ。

 温泉の湯もたっぷり持たせてもらったので、しばらくはそれを使いつつ治療をしていくことになる。

 ハクも、しばらくはこの温泉地に留まるそうだ。傷を癒やしながら、ここの守りの体制を構築するらしい。



「じゃ、気をつけて帰ってね。」


 出立準備を整えた俺達を、ハクが凪に支えられながら、外まで見送りに来てくれた。


「数日後、結界のことお願いね。人界の人達にもよろしく伝えておいて。あと、書状も忘れずにね。」

「お前じゃあるまいし、そんなに確認しなくても大夫だよ。」


 俺と一緒に淕に乗った柊士が呆れたようにハクを見ると、ハクはそれにムッとした顔をする。

 しかし、すぐに表情を戻すと、今度は何かを言おうとしたのか、躊躇うように何度か口を開閉させた。


「……何だよ。」

「……あ、あの……あのね、あっちでの遼の事を、お願いしたくて……出来たら、きちんと弔ってあげてほしいの……こっちでは、きっと難しいから……」


 ハクは言いにくそうに言葉を選びながら、小さくそう言った。


 それに、ハクの周囲の者達は険しい表情を浮かべる。皆、遼達に煮え湯を飲まされた者達ばかりだ。弔うどころか、ハクが遼の名前を出すこと自体、面白くはないだろう。京を焼き、ハクを一度は奪っていった者の名なのだから。


 でもハクは、周囲の反応をわかっていて、それでも柊士に伝えたかったのだろう。

 徐々に俯いていくその様子に、柊士は仕方の無さそうな声を出した。


「俺だって一応、幼馴染みだ。心配すんな。こっちで何とかする。」


 柊士がそう言うと、ハクは眉尻を下げ、小さく笑みで返した。


 それからハクは、今度は亘に目を向ける。


「亘、汐にもよろしくね。あの子の事だから、亘程、気に病んでないかもしれないけど……」


 亘はそれを遮り、ゆっくりと首を横に振った。


「お伝えします。必ず。貴方がこちらで信頼できる者達と笑顔で過ごされていると。叶うことならば、何れ汐も共に拝謁を。」

「拝謁だなんて。また今度、汐が望んでくれるなら、妖界に連れてきて。」

「……はい……ありがとうございます。」


 亘は目を潤ませながら、そう頷いた。



「行くぞ!」


 柊士の声で、俺達は空に舞い上がる。

 温泉地から見送ってくれるハクに上空から手を振ると、ハクもまた、小さく手を振り返してくれた。


「そろそろ前向け、落ちるぞ。」


 柊士に言われて前を向くと、亘もまた、ハクの姿が見えなくなるまで何度も何度も振り返っているのが目に入った。


 眼下には、妖界の雄大な自然が何処までも広がっている。

 あんなに大変だった戦が、この大自然の中ではちっぽけな出来事のようにすら思えるから不思議だ。

 まるで何事もなかったかのように佇む妖界の自然を見下ろして、さっきまでのことが夢か現かわからなくなるような、そんな奇妙な感覚がした。



 さて。


 妖界の兵が幻妖京の上空まで案内をしてくれて、結界を抜ける頃には、人界はもう夜を迎えていた。

 人界の闇夜を抜け、見慣れた景色が目に映る頃から、俺の胃はキリキリと痛みだしている。鳩尾あたりに手をあてていると、柊士の冷たい声が前から響いた。


「自業自得だ。ちゃんと叱られてこい。」

「わかってるよ。わかってるけどさ……」


 勢いで向かって柊士に怒鳴られたのとは違って、全てが終わって冷静な状態で一歩一歩断罪に近づいて行く感じは恐怖でしかない。


 家の上空まで辿り着くと、淕と亘だけが我が家の庭を目指して下降していく。


「他の皆は?」

「全員でお前の家に居ても仕方がないだろ。先に帰った者たちに合流させるんだ。指示は後で出しに行く。」

「そっか。」


 俺を家に帰すのを優先してくれた、という事らしい。少しでも執行猶予を引き伸ばしたい俺としては、余計なお世話だと言わざるを得ない。


 まあ、時間を引き伸ばしたところで待っている結末は同じだろうけど。



 庭に近づくと、父、潤也、聡が庭の真ん中でこちらを見上げ、少し離れたところにポツンと人の姿になった汐が座り込んでいた。


 庭に淕が降り立ち、そこから俺と柊士が降りると、父や友人達が物凄い形相で駆け寄ってくる。


「あ……あの、ご、ごめ……」


と言いかけたのだが、全てを言い切る前に、父に襟元を思い切り引っ張られて、グェっと妙な声が出た。


 父は何も言わずに、乱暴に服を引っ張り俺の肩を剥き出しにしつつ服の中を覗き込み、胸、腕、背中と入念に見ていく。


「……刀で肩を刺されたと聞いたが……」


 しばらくすると、伸び切った襟ぐりをぱっと離し、戸惑うように柊士を見た。


 どうやら、先に帰った者たちが、俺の状態を事前に父に報告していたらしい。


「向こうの薬のおかげだ。表面上はキレイに見えるが、痛みは残ってるようだから恐らく中はまだ傷ついたままだ。尾定さんに診せてきちんと休ませた方がいい。」


 柊士がそう言うと、父は眉根を寄せる。


「……そうか。柊士、お前は?」

「俺は大した怪我はしてない。」


 父はそれに頷くと、不意にバシっと俺の頭を思い切り叩いた。


「この、馬鹿息子が!!! 勝手にいなくなって、どれだけ心配かけたと思ってる!!!」


 キーンと耳に響くような怒声を浴びせられ、思わず身を竦める。


「戦場に危険も顧みずに飛び出していくような馬鹿に育てたつもりはない!! 反省しろ! この馬鹿が!!!」


 しかも、この短い言葉の中に三回も馬鹿が出てくるとは……それだけ怒っているということなんだろうけど……


「……ごめんなさい。」


 俯いて、謝罪の言葉を述べると、父は怒りに任せて盛大にガシガシと頭を片手で掻きむしる。

 そして、もう一度、バシっと、再び俺の頭を思い切り叩いた。


「叔父さん、気持ちはわかるけど、今日のところはそれくらいにしてやってよ。さっきも言ったけど、傷が治り切ってない。」


 見かねたように柊士が言うと、父はググッっと奥歯を噛んだあと、自分を落ち着けるように、思い切り息を吐き出した。


「奏太、白月から叔父さん宛に手紙を預かってただろ。渡さなくていいのか?」


 ……そうだった……


 柊士に言われて、俺は自分のポケットをまさぐり、恐る恐るハクからの手紙を差し出す。


「……あの……ハク……結ちゃんから……」


 白月、と言うより、父からしたら結の名前を出したほうが馴染みが良いだろうと結の名前を出すと、父は眉間に皺を寄せた。


「結から?」


 父はハクからの手紙を俺の手から乱暴に奪い取ると、その場で手紙を広げる。

 ハクの手紙はそれ程長くない。それに、腕が傷付いているせいだろうが、文字が歪んでいる。それでも一生懸命に書いてくれたのだ。

 俺達が妖界に行った後に何があったのかを。


「……お前が身を挺して自分を守ってくれたと書いてある。お前がいなければ死んでいたと。」


 父は目を通し終わると、手紙をゆっくりと折りたたむ。それから、その手紙で、今度は軽く俺の頭をパシっと叩いた。


「お前が無断で抜け出して戦場へ出ていった事は許される事じゃない。……ただ、あの子を二度も殺さずに済んでよかった。」


 父は、視線を手紙に落として、静かにそう言った。


「柊士、亘の活躍も記されてる。あまり重い罰を課さないでほしい、とのことだ。考慮してやれ。」


 父がそう言うと、亘は感激するように、


「白月様!」


と叫んだ。


 一方で柊士は、ジロッと俺に視線を寄越す。ハクに頼んだ事は聞かれていなかったハズだが、バレていたのだろうか……


 顔を引き攣らせて視線をそらすと、そこには、こちらを怒りを湛えて睨みつける、潤也と聡の姿があった。


 物申そうとしたのか、二人は一歩前に踏み出す。

 しかしその前に、二人は小さな影に押し退けられた。

 汐が底冷えのするような目でこちらを見据え、つかつかと歩み寄って来る。


「う……汐……?」


 声をかけると、汐はピッタリと俺の前で足を止め、思い切り平手を振り上げた。


 瞬間、頬に強い衝撃が走ると同時に、パン!という音が耳の奥に響いた。

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