第163話 最後の足掻き
「湊が何か企んでる?」
「はっきりしたことは言えないけど、あいつ、連れて行かれる前にほんの少しだけ、笑ったんだ。」
こういう嫌な予感は、何故かわからないけど結構な確度で当たる。一応警戒してもらった方が良いだろう、そう思い柊士に言うと、柊士は疲れた様子で小さく息を吐いた。
「淕。」
「承知しました。周囲の警戒にあたらせます。」
いろいろあったし、これで、きっと慎重に確認を進めてくれるだろう。そう思い、俺は胸を撫で下ろす。
周囲はまだ騒然としている。
しかし、粟路と都築がそれを宥めて自分の手の者を動かしながら事態を収めていくのが目に入った。
そのうち、この状態も落ち着いて行くだろう。残すのは後始末だけ。そしてハクの目が覚めれば、時間はかかっても、きっと元通りに戻っていくのだろう。
「……奏太様……」
不意にそう後ろから呼びかけられて振り返る。すると、椿が泣き腫らした目で俺のことを見ていた。
「……………………ごめん。」
じっと見つめる目に耐えきれなくなって、何かを言われる前にそう返すと、椿の目から、再びポロポロと涙が溢れた。
「ごめんって!!」
慌ててもう一度謝るが、椿は目を手の甲で拭いながらも、泣き止む様子が見られない。
「……もう、お会いできないかと思いました……妖界に行かれる事さえ、お別れしなければならないことが辛くて…………喜ばしいことなのに、素直に喜ぶ事ができなくて……苦しくて…………それなのに、それすら叶わず亡くなられているだなんて…………いわれたら……………………」
「わかったよ、驚かせてごめん。ホントに。」
椿に関しては、謝る以外の言葉が見つからない。タジタジになりつつジロっと柊士と淕を睨むが、柊士は素知らぬ顔をしているし、淕は忙しいふりをしてこちらを見ようともしない。
そのうちに、椿の怒りの矛先は、別の方向へ向かっていく。
「亘さんも汐も、酷すぎます! 二人共知っていたのでしょう!?」
「しかし、我らも儀式の間に奏太様と閉じ込められてたわけだし……」
「申し訳ないとは思うけれど、仕方が無かったの。」
亘と汐も、歯切れ悪く言い訳をしている。なんか、ちょっとだけ既視感を覚える。前にもこんな事があった気がする。あのときの相手は汐だったけど。
憤懣やる方ない椿は、俺の足元で普通のネズミのまま隠れるように小さくなっていた忠のことも睨みつけた。
でも、忠に関しては完全にとばっちりだ。
拾い上げて両手で包み、俺の背後に隠すと、手の中でホっと息を吐いたのが分かった。
全然納得してくれた様子はないけれど、なんとか宥めて椿を落ち着かせると、柊士は見計らったように俺に声をかけた。
椿を里の皆を欺く為の道具に使った張本人のくせに、なぜこれ程無関係を装っていられるのか、納得がいかない。
「あとは、こっちで処理する。久しぶりだ、家に帰って良いぞ。」
「……じゃあ帰るけど、あとで椿への説明を頼むよ。」
俺の後ろで未だ不満そうにしている椿をチラと振り返り柊士を再び見ると、その視線を受け流すように柊士は自分の後ろの淕を見た。
「そっちは、淕がなんとかするだろ。」
丸投げされた淕の表情が少しだけ引きつったように見えたが、あとは頑張って説明してもらうとしよう。
「ひとまず、今は奏太様にお供します。まだ不安定な状態では、護りは堅くしておいた方が良いでしょうから。」
言いたいことは残っているのだろうが、一応護衛の役目を優先してくれるらしい。
今度は一晩中一緒にいることになる亘が顔を引きつらせたが、見なかった事にしておいた。
「忠を遊園地に戻してやんなきゃ。」
「巽が水晶玉で連れてくる鬼の方の聴取が必要だ。しばらく里で保護する。」
「俺、まだ帰れないんすかっ!?」
忠が泣き叫ぶように言う。
「一回、帰してやってくれないかな?」
「こっちの事情に巻き込んだんだ。少なくとも、安定するまではこっちにいた方が良いんじゃないか? 真犯人は捕まえたが、危険がないとも言えないぞ?」
「……まあ、確かに……」
手の上で小さくなるネズミに目を向けると、うるうるした大きな目で見つめ返して来る。帰りたいけど、怖い、と言ったところだろうか。
「分かった。ひとまず、柊ちゃんに任せる。」
小さな両手両足で、俺の手にしがみついて離れまいとする忠を引き剥がして柊士に渡すと、縋る様な目で見つめられた。でも、安全確認が済むまでだ。もう少しだけ、我慢してもらおう。
忠はそのまま柊士を通過して淕の手に渡る。
「大丈夫、悪いようにはされないよ。……たぶん。」
「そんな! 奏太さまぁぁ〜!」
首根っこを淕に掴まれ泣き叫ぶ声にパタリと耳を塞ぎつつ、俺は亘の背に乗った。
「ホントに、こうして家に帰れることになって良かったよ。一時は、二度と帰ってこれないかと思ったから。」
明るく電気の灯る家を見下ろしながら言う。数日前、早朝に遥斗に呼び出されてからここに帰って来るまで、本当に色々ありすぎた。
「ええ。無事にお戻りなられて良かったです。」
汐も蝶の姿で頷く。
「――奏太様が何事かに巻き込まれるのは昼も夜も関係ないとわかりましたし、今後の対策を考えねばなりません。」
真面目な声音でそう付け足した汐に、不安が過った。
「俺、昼間くらいは普通に過ごしたいんだけど……」
「そのような事を仰っても、普通になど過ごせぬではありませんか。」
「いや、でもさ……」
そう言ってみるが、二の句が継げない。ここまで大事になったきっかけは昼間の出来事からだ。
「私も、もうこの様な思いはたくさんです。柊士様にも粟路様にも御相談しましょう。」
鼻息荒く言う椿には、もはやぐうの音もでない。
助けを求めて亘の背を数度叩いてみたが、苦笑いで躱されてしまった。
玄関前で降ろしてもらい、ただいま、と戸を開けると、汐がひらりと着いてくる。
「お部屋までお送りします。」
「心配し過ぎだよ。」
「足りないくらいですよ。」
汐の過保護さがどんどん増していっているのがとても怖い。以前懸念した通り、家から一歩も出られなくなりそうだ。
そう思いつつ、家の中に上がる。
いつもなら、母や父の声やテレビの音が聞こえて来るはずだが、明かりはついているのに物音がしないのが、なんだか奇妙だ。
寝ていてもおかしくはない時間帯ではある。でも、寝る時にはしっかり電気を消すはずだ。それなのに、玄関も廊下もリビングも、電気は点けっぱなし。
「父さんがリビングで寝てるのかな?」
時々、全ての電気を点けたままにして寝落ちしている事がある。だいたい、次の日に母に怒られるところまでがセットだ。
もしもそうなら、起こしてやった方が良いだろう。
そう思いながらリビングのドアを開ける。
しかし、俺はそこで目を見開いて足を止めた。
「奏太様?」
俺の後ろから、汐に呼びかけられる。でも、すぐには声が出なかった。そこにあったのは、血に染まり倒れる父母の姿。
「……なん……で……」
「お帰りなさいませ、奏太様。」
不意に部屋の中、扉の直ぐ側から、男の声が聞こえた。しかし、それが何者かを確かめる前に胸のあたりから背にかけて、強烈な痛みが走る。
この短い期間に、これ程まで似たような痛みを何度も味わう事になるとは思わなかった。
「奏太様!!!」
汐の悲鳴が上がる。
それに応えるように、バン! と玄関ドアが乱暴に開いた。
「何事だ、汐!!」
亘の声が響き、椿と共に入ってきたのか、バタバタという足音が聞こえる。でも俺は声も出せず、確かめる余裕もなく、その場に膝をついた。目の前が霞む。
「汐、温泉水を! 奏太様の部屋にあるはずだ!」
亘が叫ぶように言う。
「椿、奏太様を護れ!」
「はい!」
皆の声が、遠く聞こえる。
父さんと母さんは大丈夫だろうか。
何だか息が苦しい。
だけど、何故か足や腹を刺された時のような痛みは、次第に和らいでいく。
なんだか、不思議な感じだ。
まるで何処かに吸い込まれる様に、だんだんと意識が遠退いていく。もう、どこも痛くない。
暖かいのか寒いのか、よくわからない。
体がなんだか重たくて、力を入れようとしても動かない。
俺を支えて覗き込む椿が、また泣いてる。亘が何かを叫んでいる。
まあ、いいか。どうせ動けないし。何だか疲れたし、このまま一回、寝てしまおう。
俺は心地よさに任せて、意識を手放そうと目を瞑る。
瞬間、バシンと思い切り頬を叩かれた。
スゥっと意識が浮上していき、先程まで痛みなどなかった筈なのに、再び激痛が全身を支配する。
更に、口の中に生ぬるい水を流し込まれて思わず咳き込んだ。
「奏太様!!!」
胸の痛みが少しだけ引いた気がしたけど、代わりに耳元で、汐の怒鳴るような声がキーンと響く。
「……汐、俺、気持ち良く寝ようとしてたんだけど……」
「馬鹿なことを仰らないでください!!!」
汐は、怒っているのに目に一杯に涙を溜めている。
「……父さんと……母さんは?」
「椿が処置を。」
「……亘は?」
そう訪ねたところで、ダーンっ!! という大きな音が響いた。
体を起こすのを手伝ってもらい、音のした方を見ると、部屋の中は、驚くほどにグチャグチャになっていて、ソファは切り裂かれ、壁に穴が空き、壁の向こうに吹き飛ばされた見たことのない男が起き上がろうとしているのが見えた。
「榮様の元護衛役です。」
汐が小さな体で、まるで俺を守ろうとするように抱え込みながら言う。
「なんで、榮の……?」
「湊様に従っていたようです。計画が失敗したら、せめて奏太様だけでも始末しろと言われたと。」
悔しそうに唇を噛み、汐は涙が溜まったままの目で男を睨みつける。
「亘から、どうしても奏太様を奪いたかったようです。」
湊のさっきのあれは、これのことだったのかと、ようやく繋がった様な気がした。
実際、たぶん俺は死にかけたんだろう。痛みもなく意識を失う寸前だったことを思いだしてゾッとする。
でも汐のお陰で、だんだん意識がはっきりしてきた。酷い痛みがあるけれど、たぶんこれが正常な状態だ。
戦いは狭い部屋の中で繰り広げられていて、互いに思うように動けていないように見えた。ただ、恐らく亘が
刀を振り回すには狭い室内。亘は自分の爪を使い、男は短刀を使っている。
亘が振りかざされた短刀を爪で弾くと、男のほうが、もう片方の手を亘のものより細い黒い鉤爪に変えてかざす。それに瞬時に気づいた亘は男の手首を掴んで止め、思い切り男の腹を蹴り飛ばした。
男は思い切り逆側の壁に背を叩きつけられ、姿勢を崩す。それを見逃さず、亘もまた、懐から短刀取り出して、ダンと床を蹴る。
瞬間、男は先程までの戦いに向かう武官の表情を取り外し、何故か短刀をスッと下ろした。
一体どういうつもりかと訝っていると、男はまるで別人のように亘を見つめて首を傾げる。
「亘、本当に良いの? 私は貴方の敵じゃない。」
その男は、低い声をほんの少しだけ高くして言った。
傍から見れば、悪ふざけにしか見えない。馬鹿な事を言うな、そう思う。なのに、亘はピタリとその動きを止めた。
何で……そう思いかけて、すぐにその理由に思い至った。
ハクの事が、亘に迷いを与えているのだ。亘が護りたいと思っていたかつての主をその手で斬ったことが、亘の中で尾を引いている。それを、あいつは利用しているのだ。
男はニヤと口元を歪める。
……ふざけるなよ。
男の様子に、裏で糸を引いた湊に、激しい怒りが湧き上がってくる。
うちの護衛役を、これ以上煩わせるな。
「亘!! 迷うな!!」
俺は思わず、そう声を張り上げた。
妖界の温泉水があったって、息は苦しいし、胸も背中も激しく痛む。それでも、そう叫ばずにはいられなかった。
汐が俺を止めようと必死に抑える。でも、俺はそれを振り払った。
あの日、あの穴蔵の中で、亘を止めたのは俺自身だ。でも、亘の行動は間違ってない。
迷うな。見失うな。
「お前は、
気力を振り絞って叫んだ声とともに、亘は思い切り床を蹴った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます