第162話 儀式の結末

 俺は今、棺桶のような箱の中で、揺られている。

 胸の上には普通のネズミ姿の忠がいる。緊張で震えているので、急に動いたりしないようにがっちり両手で掴んでいる状態だ。


 偽装の為に、俺と忠は儀式用の箱の中に入るように柊士に命じられた。亘がそれに抵抗して一悶着あったが、なんとか説得して黙らせた。湊を誘き出すのに重要な手順の一つだ。偽装だと悟らせるわけにはいかない。

 

 ただ、箱の中に居るのはあんまり気持ちの良いものでないのも確かだ。息はできるようになっているけど、暗くて狭いところに閉じ込められているというだけで何だか息苦しい。


 

 シャン、シャン、と鈴が鳴り、本家の儀式の間から送り出される。


 向かう先は、陽の気の泉。


「着いて蓋が開いても、黙って死んだふりしてろよ。」


 出発前にそう柊士に言われたが、本当に湊を騙せるか心配になる。でも、もっと大変なのは亘と汐だ。全部知っていて尚、儀式の失敗に驚き俺の死を悲しまなくてはならない。死んだふり程度で済むのだから、それくらい完璧にしておかないと、あとで誰に何を言われるかわかったものではない。


 ドキドキしながら揺られること、しばらく。

 ようやく陽の気の泉に到着したのか、揺れが収まりゴトリと地面に箱が置かれたのがわかった。


 周囲にざわめきが広がる。

 妖に転じた者を妖界に送り出す際には里の主要な者が集まるらしい。武官も文官も関係なく、里として、新たな帝を皆で送り出すのだそうだ。

 

 『慶事』と淕は言ったが、本当にそうなのだろう。少なくとも、ざわめく声に暗い雰囲気はない。本気で喜ばしいと思っているのだろうかと不思議になる。送られる方とそれに近しい者にとっては葬式のようなものなのに。


 シャン、シャン。


 再び鈴の音が鳴る。すると、周囲のざわめきは次第に小さくなっていき、シンと静まり返った。


「新たなる大君を、妖界へお送りする。」


 柊士の言葉に、蓋が開けられる。ほんの少し篝火のオレンジ色の明かりが見えて、俺は慌てて目を閉じた。


「……これは……一体……」


 都築の呟きが聞こえる。


「……奏太様……?」

「何故……」


 周囲の者達から順に愕然とした声がさざめきのように広がっていく。

 本来、ここに俺の姿は無いはずだ。人の体が消えて、ネズミの妖の体がここに寝ているはずなのだと聞いた。

 人の姿のままの俺がここにいるのは、儀式の失敗を意味する。

 里の主要な者の多くは結の儀式を目の当たりにしているから、余計にそれに気づくのが早い。


「…………奏太……様……?」


 汐の声が震える。今にも泣きそうな声だ。随分な女優だと、内心驚く。

 まさか今までに演技で泣かれたことはないと思うけど、これから先は十分警戒したほうが良さそうだ。コロリと騙される気しかしない。


「……まさか、失敗、したのか……?」


 一方の亘はちょっとぎこちない。まあ頑張ってるんだろうけど、どんな顔で言っているのかちょっと気になる。大根役者のその顔を、薄目を開けて確認したくなる。


 不意に、


「奏太様!」


という悲鳴が周囲に響き、駆け寄る足音が聞こえた。それとともに瞼の裏側に影が落ちる。


「……奏太……様…………何故……この様な……」


 ポタリ、冷たい水滴が頬に落ちて伝う。


「喜びの場だと……必死で堪えていたのに…………何故…………」


 椿のすすり泣く声が真上から聞こえてきた。

 

 淕がこの前言っていた様に、椿は何も知らないのだ。本気で俺が死んだと思って悲しんでいる。ポタリ、ポタリと涙が落ちてくる。

 

 死んだふりを続けるのが正直辛い。良心の呵責に苛まれる。


 でもきっと、椿の本気の悲しみがあったからこそ、周囲に儀式の失敗の現実味を帯びさせたのだろう。


「……まさか、本当に亡くなったのか?」

「儀式が失敗した……?」

「では、白月様の代わりはどうなるのだ」

「妖界に守り手様をお送りできねば、妖界側が攻めてくるのではなかったのか?」

「守り手様をむざむざ失う様なこと、許されぬぞ」


 儀式の失敗を疑う者、憂う者、これから先を不安視する者、亘と汐を責め立てる者、それらの声が混ざり合い、次第に大きく混乱していく。


 その中で、まるで周囲のざわめきに紛れるように、柊士の命が小さく低く下された。


「捕らえろ。」


 それに合わせて、ザザザ!っと数名が蹴り駆けていく音が聞こえた。少し離れた一箇所でガチャガチャと武器が鳴り、ドサッと倒れ込む音と共に、


「うぐっ!」


という呻き声がする。ザザッと地面を鳴らす音があちこちに広がり、周囲が騒然としているのがわかる。


「クソッ!! 離せっ!!」


 聞き覚えのある声。しかし、聞き慣れぬ程に興奮した怒声が儀式の場に響き渡った。


「何事だ?」

「……あれは……湊様か?」

「頭巾のせいで顔がよく分からぬな。」

「……いや、あれは湊様のお顔だったぞ。」

「しかし、何故湊様が?」

「御暇中ではなかったか?」

「何故、柊士様の護衛役に捕らえられているのだ?」


 騒動に紛れて混乱の声があちこちで上がる。その中で、


「もう良いぞ、奏太。」


と、柊士の声が真上から落ちた。

 

 目を開けてゆっくり体を起こす。一体どういう状況なのかを把握したくて周囲を見回すと、箱を取り囲む様に広い半円を作っていた者たちに、唖然とした顔で注目された。


 それはそうだろう。死んだと思っていた俺が、突然起き出したのだから。

 

 椿もまた、ぽかんと口を開けている。


「……あ……あの…………ごめん、椿……」


 開口一番にそう言うと、少し離れたところから驚愕と怒りの混じった声が耳に届いた。


「……何故、生きてる!? それに、柊士様は母上の血で……!」

 

 柊士の視線の先には、普通の文官に紛れるような目立たない着物を身に着け列の後方で那月達に地面に押し付けられた湊がいた。

 身を捩り、何とか逃れようとしながら喚いている。

 しかし、文官である湊がいくら抵抗しようとも、鍛え上げられた武官数人に押さえられては身動きすらままならないだろう。


 地面に頬を擦りつけながら、憎悪に満ちた目で俺や亘、柊士、兄である都築のいるこちらを睨みつけていた。 

 

「残念ながら、お前に解放されたそのすぐ後に、解毒されたよ。ここまで手の込んだ仕掛けをしたんだ。騙されて、のこのこ出てきてくれて助かった。」


 柊士が口元を歪ませ嘲るような声でいうと、湊は愕然と目を見開く。

 

「……解毒? ……騙されたのか……? 私が…………?」


 信じられないのも無理はない。

 実際、遥斗を使って俺を穴蔵におびき出して亘にハクが入った鬼を斬らせるところまでは湊の思惑通りに進んでいた。それだけ巧妙に様々な事が仕組まれていた。

 俺達が難を逃れたのは、いくつかの偶然が重なったおかげだ。水晶玉を持っていて、ハクの魂を掬い上げ、湊の企みに気づけた。柊士の異変に淕がすぐに気づいたのにも助けられた。

 そして湊が姿を消している間、俺達も情報の取り扱いに慎重になっていた。

 だからこそ、湊がそれまで通りに事が進んでいると思いこむように俺達が仕向けられたのだ。

 

 不可解そうな声を出す湊に、俺は立ち上がって両手を広げ、わざと意地悪くニコリと笑って見せた。


「死んだと思った? でも、お陰様でピンピンしてるよ。ついでに、ハクもちゃんと生きてる。お前の企みは何一つ成就してない。残念だったな。」


 俺だって怒ってるんだ。

 ハクを苦しめて、うちの護衛役を地獄に突き落とそうと画策した。亘の事だけとっても腸が煮えくり返りそうなのに、それによって被害を被ったのは、ハクと亘だけじゃない。遥斗が利用されて毒漬けにされて、汐にも辛い思いをさせた。里だって、鬼による被害をうけたし、利用された里の者、傷つき犠牲になった者も多い。

 それに半分八つ当たりかもしれないけど、巽だって質にとられたまま妖界から戻ってこれていないし、椿だって湊の企みさえなければこんな風に泣いていない。俺も痛い思いをしたし、信頼している従兄に死を宣告される絶望を味わった。


 ハクと亘をあんな目に合わせ自分の目的を果たすために暗躍して、里に混沌を持ち込んだ罪は重い。

 

 俺が言うと、湊は更に大きく目を見開いて声を荒らげた。

 

「ふざけるな!! 結は完全に死んだ筈だ! 亘が斬り殺したのをこの目で見た! お前が殺したんだ、亘!!」


 湊は怒りに任せて喚き叫ぶ。

 でも、そんなことを言われたって、ハクの魂は俺達がきちんとすくい上げている。妖界に送り届けて、今は目覚めるのを待つだけだ。湊がなんと言おうと、事実は曲がらない。湊の思い通りになんて、もうならない。


「うちの護衛役は、誰も殺してない。」

「そんなわけない!」


 自分が幾重にも仕組んできたことがことごとく失敗したのが信じられないんだろうけど、往生際が悪い。

  

 湊に深い恨みがあるのはわかった。でも、振り撒いた災厄はたくさんの者を巻き込み過ぎた。どう考えたってやり過ぎだ。


 俺は苛立ちのままに、湊に現実を突きつける。

 

「あのさ、お前が使った水晶玉、もう一つあったって知ってた?」


 あくまで偶然手に入れたものだ。でも、これがあったから、湊の計画の全てが覆った。湊にこれを売った行商人は然るべき処置を受けるべきだと思うけど、これを俺に売ってくれた一点だけは、感謝している。

 

 俺の言葉に、湊は不審げに眉を顰めてこちらを凝視した。


「……もう一つ……?」

「行商人が売ってくれたよ。たまたま残っていた最後の一個だって。呪物に呼ばれたって言われたけど、本当に助かった。今頃ハクの魂は、水晶玉を介して本人の体に戻ってるよ。お前が鬼の体に残した方も使ってな。」


 そう言い切ると、ニッと唇の端をあげてみせる。湊はそれに、唖然とした様子で固まってしまった。


「…………本当に…………結は…………生きてるのか…………?」


 そう、ポツリと呟く。

 あまりに衝撃的だったのだろう。困惑したまま視線を彷徨わせる。あたりを見回しながら、湊はフッと柊士に視線を止めた。


 その目に、疑問と戸惑いが浮かぶ。

 

「……優梛様を……御母上を殺されたのに……何故、貴方はそちらにいるのです? 捕らえるなら、亘の方でしょう。せっかく私が、結を殺して、奏太を殺して、亘と死んだ誠悟に地獄を見せてやろうとしていたのに、何故貴方が邪魔をするのです。」


 湊の言葉に、近くにいた亘が、ギリッと拳を握りしめたのがわかった。亘と、既に亡くなった結の父親に地獄を見せるため、ただそれだけのために、湊はここまでのことを起こしたのだ。正気の沙汰じゃない。


 柊士はそれに、凍えるような冷たい声音で返す。

 

「そんなくだらない事のために、俺の従妹弟に手を出すな。」


 厳しく、きっぱりと、迷いなく、柊士はそう吐き捨てるように言った。

 

「……くだらない? 御母上の死を、息子である貴方が愚弄するのですか?」 

「馬鹿なこと言うなよ。母さんの死を愚弄してるのは、お前の方だろ、湊。」


 そう言い放った柊士に、湊は怪訝な表情を向ける。しかし、柊士の表情は変わらない。

 

「……私が優梛様の死を愚弄? 違う。そんなわけない。あいつらのせいで、鬼界に置き去りにされて、見殺しにされたんだ。あの方を、私は……!」

「違くないんだよ。母さんの案内役だった? 守り手としての覚悟も知らないお前が、笑わせるなよ。」


 柊士はそう、冷淡に湊を切り捨てた。


 自分が柊士の母親の立場だったら、自分が結の父親の立場だったら、それは、やることが殆どないこの数日で何度か考えた。

 

 鬼界から人界へ鬼の脅威が迫っている中で、自分が鬼界に引きずり込まれ、逃げ出す事もできないほどに傷ついていた柊士の母親。

 

 既に複数の鬼が侵入し、更に、その綻びの向こうに巨大な鬼が現れ、瀕死の姉が鬼界へ引きずり込まれた結の父親。


 互いに守り手であれば、やらなければならないことは、きっと互いに見えていたはずだ。決断しなければならないことは、柊士の母親だってわかっていたのではないだろうか。


 もしも俺が柊士の母親の立場なら、自分が助かるためだけに周囲を危険に晒したくはない。自分の守りたい者達が綻びの向こう側にいるのなら、それを守ることを選択する。自分が助かる見込みがないとすれば、尚の事。


 もしも俺が結の父親の立場で、柊士が鬼界に引きずり込まれたとしたら、俺は結の父親と同じ決断はできないかもしれない。

 でもきっと柊士に綻びの向こうから言われただろう。さっさと閉じろと。迷うなと。それがお前の仕事だろう、と。


 そして、案内役も護衛役も、それは承知しているはずなのだ。自分の主が果たすべき役目をきちんと果たすために、彼らはいるのだから。


 きっと、そう簡単に割り切れるものではない。でも、そうやって飲み込んでいくしかない。俺達守り手も、亘たち護衛役も、汐や湊のような案内役も。


 妖界や鬼界との結界の綻びを塞いで守り、人界を守るために俺達はここに居る。それが、里が存続し続ける本分。

 でも、そんな高尚なことじゃなく、こっちにいる、自分の大事な者達を、ただ護りたいのだ。家族を、友人を、里の仲間を。失わないように、少しでも幸せに過ごしていけるように。


 たとえ自分の身を危険に晒しても、命をかけても、護りたいのだ。


 そして、湊は、その覚悟と思いを踏みにじったのだ。

 里を荒らし、主が護ったはずの者を殺そうとして。

 日向の当主であった柊士の母が、鬼界の綻びに向かい合ったその覚悟を、案内役であったはずの湊が。


「連れていけ。」


 湊はまだ何か言いたそうな顔で柊士を見ていたが、柊士はもう、相手にするつもりが無いのだろう。そう、低く指示を出した。



 湊が無理やり立たされると、さっと皆が避けるように道を作る。このまま、里で事情聴取を受けた上で、榮と同じ道を辿るのだろう。

 

 那月と葛に引かれていく途中、湊はふっと視線を何処かに向けた。そして、口元が短い単語を紡ぐように、声に出さずに動く。


 湊の見た方に視線を向けてみたが、何かはわからない。ただ、その後俯いた湊の唇が、僅かに弧を描いたように見えた。

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