第177話 押収物の使い道
数日後、本家当主執務室。机の向こうから、ぽんと紺色のガラス玉を投げられた。丸くヒヤッとした感触に、思わず取り落としそうになる。スルリと指の間から抜けたガラス玉をすんでのところで受け止めてくれたのは、今日護衛についている椿だ。
違うものだとわかっていても、何となく触れるのを躊躇う見た目。俺は椿にガラス玉をもたせたまま、柊士の方に向き直った。
「これ、何?」
「お前の家に侵入した自称呪物研究者の住処から押収した。陽の気や陰の気を吸い取るものなら作れるとか何とか言ってただろ。それがそのガラス玉だ。触れていれば陽の気を勝手に吸い出すものと、陰の気を勝手に吸い出すものがそれぞれ複数。それは陰の気を勝手に吸い出す方のガラス玉だ。椿にあまり長いこと持たせるなよ。気の力が奪われすぎるとどうなるか、お前が一番わかってるだろ」
そう言われて、ヒヤッとしたものが背筋に走った。慌てて奪うように椿の手からガラス玉を取り上げる。椿は大丈夫なのだろうかとじっと見ると、照れたような嬉しそうな表情が返ってきた。
「心配してくださってありがとうございます。確かに少しずつ吸い出されて行く感じがしましたが、気になるほどではありません。お気になさらず」
一人で先走って焦った事に何となく恥ずかしくなりながらホッと息を吐いていると、柊士は難しい表情で俺の手の中のガラス玉を見た。
「押収したものは、吸い出される量としてはどれも微量だった。でも、それを更に改良して一気に奪うような事になれば、人にとっても妖にとっても危険なものになる。所持の禁止はできないが、呪物の取り締まりはもっと厳重にすることに決まった」
そういえば、水晶玉の対価にされた御守りには、おはじきのような物が入っていて、陽の気を込めたら一気に奪われたんだった。あれとこれを作ったのは同一人物らしいし、このガラス玉にも同じ事をしたら似た現象が起こるかもしれない。
「でも、何でそんなものを俺に?」
「陰の気に触れる機会が多くなるからだ。幻妖宮の結界石に陽の気を注ぎに行かなきゃならなくなる。遼のようにはなりたくないだろ」
陰の気に支配されて、幻妖京を焼いてでも結を取り戻そうとした男のことを思い出す。
『結ちゃんが、もう辛い思いをしないように、笑って過ごせるように』
そう最期に交わした約束が不意に頭を過った。結局俺は、死の目前で振り絞るようだった遼の願いを、守ることができていない。
「奏太」
俺が急に黙り込んだからだろう。柊士に心配そうな声で呼ばれた。あの約束は、亘やあの場にいたほんの数名が報告していなければ柊士は知らないはずだ。わざわざ伝えるような事でもない。
俺は平然と見えるように表情を取り繕って首を傾げた。
「このガラス玉に陰の気が吸い出されていくとして、これがいっぱいになったらどうなるの?」
「……勝手に少しずつ抜け出ていく。永遠に貯めておけるようなものではないみたいだな」
柊士は様子をうかがうような目でこちらを見ながらもそう答えた。
「じゃあ、これを持ってれば、陰の気を溜め込まずにすむんだね。何と言うか、呪物ってホントに使い方次第って感じだ」
「道具なんて、何でもそんなもんだろ。人間が陰の気を溜め込んで良いことはない。常に身につけておけよ」
言われてもう一度ガラス玉を見れば、紐を通せる様な小さな金具がついていた。紐を通して首から下げておけば良さそうだ。
「柊ちゃんも持ってるの?」
「一応な。結界石に陽の気を注ぎに行くのは、互いの状況を見て都度決める。とはいえ、これを作った奴の処理と呪物の取り締まり強化で、しばらく忙しくなりそうだ。まずは1週間後、お前に妖界に行ってきてもらいたいと思ってる」
「わかった」
俺は普通にそう答えたつもりだったが、柊士は不安げに俺を見る。
「大丈夫だよ、行って陽の気を注いでくるだけでしょ。幻妖宮には行ったことがあるし、そんなに心配しなくても……」
「幻妖宮に行くのは、あの事件以来初めてだろ。あちらから協力要請をしたくらいだ、表立って無下には扱われないだろうが、裏でどんな態度を取られるかわからない。あそこは白月の信奉者も多いし、万が一にも……」
柊士はそこまで言うと、言葉を探すように視線を下げる。それを引き継ぐように、柊士の横で黙って様子を見ていた淕が口を開いた。
「あちらに後先考えぬ者がいないとは限りません。柊士様はこちらで執務にあたられますし、屋敷の中にいる限りは護りは強固ですから、当日は、私も奏太様にお供致しましょう」
その言葉に、椿がおずおずと柊士と淕を見る。
「……あ……あの、それは大丈夫なのでしょうか……特に、亘さんと汐が……」
特に転換の儀の一件がきっかけだと思うけど、もともとそんなによくなさそうだった淕と亘の関係性が更に悪化していると聞いた。
事件の直後に二人で手合わせしたと聞いて案外大丈夫そうだな、なんて思っていたのに、よくよく聞けば、手合わせというより亘から仕掛けた取っ組み合いに近かった。柾が乱入したおかげで御番所の壁に穴をあけ、駆けつけた瑶に周囲が引くほど怒鳴られたお陰でなあなあで終わっただけで、いつ同じことが起こってもおかしくない、と巽が言っていた。
汐と栞も似たようなものだ。元は仲の良い姉妹だったのに、今や家でも殆ど口をきかないらしい。会話は本当に必要最低限。それも事務的な仕事のやり取りのような状態なのだそうだ。武官同士の諍いは一喝で終わらせられる瑶も、姉妹の冷戦には手を焼いているらしい。
こちらの情報源も巽だ。つくづく文官向きだと思う。本人に言ったら泣かれそうだけど。
そんなこんなで、うちの側近達と柊士の側近達の関係性は今、過去最悪な状態なのだ。
正直、何が起こるか分からないと言われた妖界へギスギスした状態で行くのは避けたい。流石に亘も含めて、皆が場をわきまえているとは思うけど、ふとしたきっかけに乱闘騒ぎでも起こしたら事だ。せめて身内にだけは不安要素を持ちたくない。
「……あ〜、とりあえず、安全を期して淕じゃないほうが有り難いかも……あ、いや、淕が不満とかじゃなくてっ!」
随分失礼な物言いをしたことに気づいて、慌てて言葉を足すと、淕は困った様に苦笑した。
「いえ、仰りたいことはよくわかっています。ただ、少しでも信用出来る者をお側に、という柊士様の御心も御理解頂けたらと」
俺を守ってくれるという意味合いでは信用できるけど、亘との諍いを起こしそうという意味では全く信用できないんだけど……
さすがに、俺を気遣ってくれている相手にそんな事を言えるわけもなく口を噤むと、何を勘違いしたのか、柊士が珍しく申し訳無さそうな顔をした。
「悪い、奏太。本当は、向こうの様子を探らなければならない初回は俺が行くつもりだったんだ。何が起こるかわからない状態で行かせるんじゃなく、できれば、安全確認が終ってからお前に行ってもらいたかった。ただ……」
「だ、大丈夫だって! 淕もつけてくれるんだし、きちんと役目をこなしてくるよ。急に当主自ら行くより、俺が先に見に行ってきた方がいいだろうし、たまには心配しないで任せてよ!」
柊士は今まで気丈にいつも通りを装っていたのかもしれない。俺に謝ったその瞬間、表情に一気に疲労の濃さが表れた。事件の処理や体制変更、里の立て直し。今まで普通にこなしていた仕事もあるだろうし、妖界側への対応もある。それらが大変じゃないはずがない。
そんな顔で謝られて、俺は自分に任せろとしか言えなかった。加えて言うならば、万が一の乱闘が怖いから、別の者を人選して淕を変えてくれだなんて、口が裂けても言い出せなかった。
仕方ない。妖界では亘と淕の様子に目を光らせて、俺がしっかり手綱をとるしかないだろう。
……とりあえず、一緒に行く他の皆にもお願いしておこう。
「あと、こっちは返しておく」
差し出されたそれは、見覚えのある御守り。以前、縁日で不意打ちで陽の気を奪われたアレだ。確かに返してくれるとは言ってたけど……
「返してもらっても、これをどうすれば良いのか分かんないし、困るんだけど……」
「人でも妖でも、強く握って願えば込められた気の力の分だけ陽の気で自分や周囲を一時的に守れるそうだ。以前渡した結の御守りも陽の気が込められているなら似た効果があると、例の自称研究者から聞いた。こっちは時間が経っても陽の気が抜けていくことはないらしい。あに研究者が作った呪物を仕込んだ物は効果が段違いらしいが……」
「妖でもって、陽の気に焼かれないの?」
普通、妖でも鬼でも、陽の気に触れれば体が耐えきれず焼かれてしまうはずだ。しかし、柊士は首を横に振るう。
「願った本人なら焼かれないそうだ。ただ、数がない。ひとまず空の御守りをもう一つ回収させたから、余裕がある時にお前の陽の気をこめて叔父さんと叔母さんに渡しとけ」
以前もらった結の御守りは使い道がよくわからなかったから気休め程度だと思っていたけど、そんな使い方があったなんて。
護衛が居るとはいえ、あの小男の侵入を許したばかりだ。両親の護りは心配だった。これで少しは二人も安心できるだろう。
俺は有り難くそれらを受け取って、両親の分の御守りにせっせと陽の気を込めることに決めた。
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