第178話 妖界の結界石①
妖界へ行く当日。昼夜逆転している人界の妖達とは違い、人と同じ生活リズムで暮らしている妖界に合わせて朝の出発となった。護衛役達の休憩時間も加味して、俺は前日の夜から本家に泊まっている。普段、夜間に動く同行者たちは交代で仮眠を取りながら過ごしていたようだ。
共に行くのは、汐、亘、椿、巽、淕。それから、普段俺の家の外で夜間警備をしてくれている者達が二名、目付け役に瑶がつけられた。案内役二人、護衛役五人、里の文官一人。結構な大所帯だ。
この日ばかりは柾をつけては、という提案もあったが、丁重にお断りをした。幻妖宮の壁を破壊する未来しか見えない。
俺は早朝から叩き起こされ、
当初は普段着でサラッと行ってサラッと帰ってくるつもりだったのに、
「妖界の者たちに付け入る隙を与えてはなりません」
と、汐に似た厳しい表情で瑶に言われた。
ちなみに、椿は凛々しく男性陣と同じ姿、汐は重たそうな幾重にも重ねた着物姿だ。実寸大の雛人形のようで、とても可愛いと思う。
あまりに似合っていたのでそう伝えてみたが、何が悪かったのか汐にはそっぽを向かれてしまった。唖然としながら原因を確かめようと亘と巽を見れば、ニヤニヤと笑いをこらえていた。性格が悪い。
「大丈夫ですよ、奏太様」
椿にフォローされたけど、一体何が大丈夫なのかはよくわからない。その後、普通に汐が接してきたことで、怒らせたわけではないことはわかったけど。
本家の奥、人界と妖界を繋ぐ扉を揃ってくぐれば、本家の通路とは違う色合いと造りの、別の建物の中に出たことがわかった。左右に大きな体格で厳しい顔つきをした門番がいて、頭を下げて恭しい態度で通してくれる。門番の一人に誘導されて通路の先の戸が開かれた。
そこには、
予想だにしていなかった光景に、思わず息を呑んだ。
迎えがいても、せいぜい一人か二人くらいだろうと思っていた。接点があるという意味で宇柳だったらあんまり緊張しなくていいな、なんて思っていたのに、まさか待ち構えているのが、妖界の四貴族家のうちの二つ、それぞれの当主とは。
「お待ちしておりました、奏太様」
「人界よりわざわざ御足労頂きましたこと、恐縮の極みに存じます」
人界の里でもこんなに丁寧な対応をされたことがない。どう応じるべきかと戸惑っていると、すっと瑶が一歩前に出てくれた。
「尊い御血筋を重んじ、妖界の四貴族家の御当主様方にお迎え頂けたこと、奏太様も大変お喜びです」
え、俺? と喉元までかかったが、微笑む目の奥で『黙ってろ』と言われている気がして口を噤む。こういう場での正解がわからない以上、丸投げできるなら丸投げした方がいいんだろうけど、なんとも落ち着かない。あと、急に話を振られでもしたら対応できる気がしない。
ドキドキしながら瑶達のやり取りを見守り、ただただぎこちない微笑を浮かべてやり過ごす。
と、璃耀が背後から差し出された木箱を受け取ったのが目に入った。その箱の蓋を丁寧に開け、更に中に入った艶のある布を払ってこちらへ差し出す。
「妖界の環境は、人の御身体には合わぬと伺っております。どうぞ、こちらをお納め下さい」
中には、漆黒に金の縁ついた腕輪のようなものが入っていた。中央には艶のある濃紺の石が埋まっている。
「こちらは?」
「京や幻妖宮を守る陰の気の結界石を参考に作らせたものです。お身体に溜まる陰の気を外に出せるように、と」
どうやら、先日柊士から受け取ったガラス玉と同じ様な効果があるらしい。ちなみに今日も着物の下、首から下げて着けているし、俺の護衛役達や淕、着替えの時に同席していた瑶もその事を知っている。
似たものをもらっても仕方がないので断るのかと思いきや、瑶は恭しくそれを受け取った。更に淕に回され、じっくりと時間をかけて品物が検分されていく。横から、上から、下からと角度を変え、中面を覗きこみ、実際に着けてみて様子を窺う。
何もそこまでしなくても……というくらい時間をかけて確認された後、ようやく淕の手によって全体をきれいな布で拭き取られて俺の手元にやってきた。
差し出す淕から腕輪を受け取るとコクリと小さく頷かれたので、着けて良いと判断する。手首を通すと、ややブカブカなように感じた腕輪がシュッと縮み俺の手首ぴったりに嵌まった。
この感覚は覚えがあった。以前妖界で手枷を嵌められたときもこうやって縮んだし、宇柳達が時々つけている朝廷の使いの証もそうだ。学校の獺がつけたときに本人のサイズに合うように縮んでいたのをみたことがある。きっと同じような仕組みなのだろう。
「人界との交流が決められた頃から研究させていたのです。これで、今後こちらへお越しになる時はもちろん、白月様が戻られたあとも直接触れて陰の気を出す必要がなくなります。御安心して頂けるかと」
ハクが陰の気を取り除こうと俺に手に触れるたびに、苦虫を噛み潰したような顔をしていた妖界の者達の顔を思い出す。目の前でキレイな笑みを浮かべた璃耀に、『御安心頂ける』の意味合いを尋ねる気にはなれなかった。
関所を出ると、亘よりも大きな鳥が二羽、豪華な牛車の屋形のようなものの前後で待機していた。屋形には金に塗られた極太の綱が二箇所巻きつけられ、その先が二羽の鳥に繋がっている。牛が引くための二本の長い柄はあるのに、肝心の牛は一頭もいない。
「……まさか、これに……?」
思わず声が漏れ出た。
流石に安全対策は万全だと思いたいが、箱を吊り下げられる図を思い浮かべて首筋がヒヤッとする。
亘や椿に直接乗るほうが百倍安心だ。万が一、自分達が乗ってる箱が綱から抜け落ちたり、鳥の方にくくりつけている綱が解けたりしようものなら……そんな怖い想像が容易にできてしまう。
「中に乗れるのは璃耀様、泰峨様、奏太様だけです。他の者は周囲を飛びつつ守ります」
瑶に言われてそっと背を押された。
「え、こっちは俺だけ?」
「妖界のしきたりに則れば、高貴な身分の方しか乗れません。中の様子は我らからも見えるようにしていただくので、ご安心を」
「いや……でも……」
どうしても足が前に進まない。
「……やっぱり俺は、亘に乗せてもら……」
「御用意頂いたものに乗らずにあちらの面子を潰す様な事は出来ません」
「で、でもさ……」
「きちんとした装い、きちんとした方法で宮中に赴くことは、最初の大君の御血筋である貴方が侮られない為にも必要なことです」
「だけど、どう見てたって危険……」
「おや、我らとの同乗がご不安でしたら、従者の方を御一人お乗せいただいても結構ですよ」
小声でと瑶と言い合っていたはずなのに、突然背後から璃耀の声が響き、ビクリと肩が跳ねる。
「え、いや、そういう意味では……」
決して璃耀と泰峨と乗るのが怖いという意味ではないのだが――いや、それがないとは言えないけれど――、せっかく用意してもらった乗り物が途中で落下しそうだから乗れないとは言い出せない。
何も答えられずにいると泰峨が悲しそうに眉尻を下げた。
「共に戦場を駆けたというのに、我らは信用なりませんか……」
「い、いえ、そういうわけでは! ……あ……あの………………その………………乗ります。」
了承の返事にニコリと笑んだ妖界の貴人二人を前に、俺は引き攣った笑みを浮かべるのが精いっぱいだった。
結局、護衛として椿が同乗した。妖界の貴人相手に、むさ苦しい男が同乗するより、武官姿でも女性のほうがという意見が上がったからだ。
それに、泰峨は戦場の兵を率いて最前線で戦うことを厭わぬ武人。狭い箱の中で万が一が起こっても対応できる、という意味合いもあった。
さらに言うなら、万が一箱ごと落ちても、椿が隣にいるなら俺が安心できる。最悪、箱から椿に抱えて飛び出してもらえばいい。
ドキドキしながら、大して会話もない小さな箱の中で過ごす時間は地獄だった。綱で釣られた状態では風の煽りも受けるし、時折気持ちの悪いゆったりとした横揺れや、上下にふわりと内臓が浮き上がるような感覚もある。
泰峨が気を使って話題を振ってくれても、いつ落ちるかと気が気じゃなくて会話どころでは無かった。
しばらくすると、小さな窓から懐かしい幻妖京の町並みが見え、あと少し、というところで空飛ぶ箱は下降を始めた。
「え、ここで降りるんですか?」
「ええ、ここからは陸路を牛に引かせます」
一体何のために付いているのかと思ったが、前方にある二本の柄はきちんと使う用途があったらしい。
これ以上空を飛ばずに済むのはありがたいが、あとちょっとなのだからそのまま行けばいいのに、とも思う。小さく零すと、璃耀は首を横に振った。
「白月様にも常々申し上げていますが、決して急がず、
「堅苦しく御面倒と存じますが、どうかご辛抱ください」
真面目な顔の璃耀をチラッと見やり、泰峨が苦笑する。
「私も、義兄の失脚で担ぎ出されるまでは気儘にのんびりと京の外で生きてきましたから、未だに煩わしく感じるものです」
「見た目や形式を重んじる者が多いのです。当時とちがい、貴方様は虜囚でも重要参考人でも白月様の御厚意で参内を許された異邦人でもありません。高貴なる御血筋の大事な御客様を軽んじるような者が出れば事ですから」
最後の言葉に、過去幻妖宮に来た時の扱いを嫌でも思い出した。
……京の門前で縛り上げられて、目の前の男の命令で拷問されるところだったしね……
じっと璃耀を見ると、笑っていない目で唇の両端だけを上げられ、俺は慌てて視線を逸らした。
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