第16話 監視の蛙③

 翌日、結局俺は何も聞かされないまま、すっかり体調の戻った聡とバッチリ連絡先を尾定に聞かれた潤也と共に家に帰された。


「もう大丈夫なのか? 聡」

「ああ。この通り」


 聡は腕を少しだけ上げて巻かれた包帯を取った。手首に青痣のようなものが残るだけで、殆ど綺麗に治っているようだ。


「出された薬をこまめに塗っておけば、直ぐに良くなるだろうって」

「凄いな。昨日あの家に運び込んだ時には、本当に死んじゃうんじゃないかって心配してた位なのに」


 潤也は感嘆の息を吐いた。

 

「そういえば潤也、尾定さんと連絡先交換してたろ」

「ああ、今度、聡と一緒に薬草採集に連れて行ってくれるって」


 俺が聞くと、ワクワクしたような声音が返ってくる。尾定は潤也と聡を弟子に据えるつもりなのだろうか。まあ、本人達がやる気なら別にいいけど。

 

 そんな話をしながら二人を駅まで送り、俺もまた家に帰る。いろいろあったせいで、まだ昼間なのにどっと疲れが押し寄せてくる。妖が起こすゴタゴタに巻き込まれ慣れていない二人は、きっともっとだろう。

 

 ……そのうち本家で汐と亘に会ったら問い詰めてやらなきゃ。


 俺はそんなことを考えながら、青い空を眺めた。

 

 聡の体調の急激な悪化、本家で聞いた不可解な話、隠し事をされたモヤモヤ。そういうのが相まって、俺はすっかり忘れていた。

 昨日、蛙を一匹取り逃がしていたことを。



 翌朝、俺は階下から聞こえるけたたましい悲鳴に起こされることになった。

 悲鳴のもとは、どうやら母のようだ。時計をみると朝5時。日の出前で周囲はまだ暗い。しかも今日は日曜だ。忌々しい思いで舌打ちをし、そのまま再び眠りにつこうとした。しかし、安眠を妨げるように、今度はドタドタ階段を上ってくる音のあと、向かいの部屋のドアが乱暴に開く音がした。


「パパ!」


 母の声だ。


「なんだよ」


 父はイライラしたように答える。


「まだ冬なのに勝手口から蛙が入ってきちゃったの! キッチンに!」

「出せばいいだろ」

「それが、スゴく大きいの! 牛蛙じゃないかと思うんだけど、私じゃ出せないから出してよ!」


 父が文句を言いながら重い腰を上げて階段を下っていくのが聞こえる。それを他所に、俺の心中は蛙と聞いてから妙にざわつきはじめた。


 いやいや、気のせい気のせい。

 

 昨日の蛙は、見た目だけならちょっと大きな普通の蝦蟇がまがえるだ。牛蛙じゃない。

 それに今日は休みだ。時間なんか気にせず、ゆっくり寝られる日なんだ。寝なきゃもったいないんだから、変なことを考えてないで寝たほうがいい。


 俺はしばらくベッドの上で目を閉じて、余計な考えを頭の中から追い出し、何も考えずに眠りにつく努力をはじめる。しかし直ぐに、階下から


「なんだ、これ!」


という父の声が聞こえてきて、ああ、無理だ、と悟った。


「何でうちの周りにこんなに牛蛙がいる!?」

「出しても出しても入ってきちゃうじゃない!」


 母の声だ。さすがに二人の様子を無視できなくなって、窓から庭を覗くべくベッドから腰をあげる。

 窓を開けると、湿った空気が体にまとわりついてくる。なんだか憂鬱な天気にため息をつきながら庭を覗きこむ。しかし、すぐにそんな憂鬱さは吹き飛ぶことになった。

 

 覗きこんだ先で、見たこともないくらいたくさんの牛蛙が揃って家の方を取り囲んでいるのが見えたからだ。

  

 窓の真下では、父が家に侵入しようとする数匹を庭箒でなんとか撃退しようと格闘している。思わず、


「うわっ!」


と俺が声をあげると、一匹がそれに気づいたようにこちらを見上げた。

 

 俺を見た蛙が、「ヴォッ」と一度鳴く。 

 すると、それにつられるように蛙達が一斉にこちらを見上げた。あまりの気味の悪さに吐き気がする。

 更に、蛙達は壁を伝って二階によじ上って来ようとしはじめた。俺は思わずその場で後退りをした。

 

 その時だった。耳元で高い囁くような声が耳に届いたのだ。


「奏太様!」


 見ると、青いきれいな蝶が俺の周りで舞っている。


「汐?」

「亘もいます。昨日、蛙を一匹取り逃がしたと言っていたでしょう。念の為、様子を見ていたのです」


 忘れていたのは俺だけで、汐たちはきちんと警戒していてくれたらしい。


「奴らの狙いは貴方です。ここにいれば、いずれ奴らに捕らえられてしまうでしょう。ひとまず逃げましょう」

「逃げるってどこに?」

「一時的に裏山から陽の泉を使って妖界に。日が昇れば妖は手出し出来ませんから、お戻り頂いて大丈夫です。その間、我らも奴らの対処に当たります」


 俺が汐に一つ頷くと、汐は俺の部屋を突っ切って、奥の客間に飛んでいく。


「家の裏手はまだ手薄です。こちらから出ましょう」


 俺の家の裏には、ほとんど人の来ない古びた家が立っている。この家の1.5階位の高さの場所に位置していて庭が広く、客間の窓から見渡すことができる。部屋の窓から思い切り飛び出せば、庭に着地できるくらいの距離だ。

 汐に言われて恐る恐る部屋の窓から隣の家の庭を見渡すと、確かにそこに蛙は居ないようだった。

 俺は一階の父母と、それと格闘する蛙達に気づかれないよう玄関から靴を取ってくると、静かに部屋の窓を開けて勢いよく隣の家の庭に飛び出す。

 その瞬間、真下から「ヴォッヴォッ」という声が聞こえてきた。

 狭い裏庭にまで迫っていた蛙達の真上を飛び越える形になったため、飛び出した音で気づかれてしまったのだろう。

 蛙達は隣家の庭まで登って来ようと石壁に集まってくる。その様子にゾゾッと悪寒が走り、俺は急いで隣家の庭を飛び出した。


「こちらです!」


 汐は誘導するように、俺の前をヒラヒラと飛ぶ。優雅そうに見えるが結構なスピードだ。山裾の獣道の湿った草を踏み鳴らしながら、とにかく必死に汐を追いかけて駆け抜ける。

 しかし、蛙も簡単には撒かせてくれない。いったいどこから湧いて出てくるのかと思うほど現れては行く手を阻む。眼の前の奴らだけでもと陽の気を当てていったが、正直きりがない。


「ていうか、亘は!?」

「今は蛙共の相手をしています!」


 亘に乗って行けば早いのに、と思ったが、亘は亘で取り込み中らしい。


 走っても走っても追いかけてくる蛙に、いい加減にしてくれと思いながら、とにかく走り続ける。しばらくそうやって一心不乱に走ると、ようやく知っている山道に出た。どうやら汐が通ったのは、本家の裏山への近道だったようだ。此処から先はわかる。泉はすぐそこだ。


「私はお供できません。陽の山は安全でしょうが、お気をつけて!」


 泉の手前まで来ると、汐はひらりと身を翻す。俺はいつものように悠長に服を脱ぐ暇もなく、そのまま泉に飛び込んだ。


 尾定について何度も妖界に行っていたおかげで、行き方はもう慣れたものだ。最初に溺れかけた妖界側の底でも慌てることなく、水面を目指すことが出来る。


 ぷはっと陽の泉の水面に浮き上がり岸にたどり着くと、そこでようやくホッと息を吐き出した。


 しかし、そんな安堵も長くは続かなかった。


「久しぶりだな、奏太」


 聞き慣れない男の声が頭上から響いたからだ。

 俺はビクっと肩を震わせ、勢いよく顔を上げる。


「……遼ちゃん……?」


 遼ちゃんとはしばらく会っていなかった。だから、声を聞いても顔を見ても、すぐには以前の印象と一致しなかった。

 

 遼が高校生くらいの頃までは、時々見かけることがあったが、大学に入ると同時に東京に出たのだと聞いた。それは、結や柊士も同じだった。

 あの頃から遼は線が細い印象があったが、あの頃見かけていた姿よりも、更にやつれて顔色が悪く見える。


「……何で遼ちゃんがここに? ここがどこか分かってるの?」

「妖界だろ。ここにお前が逃げて来るのを待ってたんだよ」

「……は?」

「妖から効率よく逃げるなら、陽の気が満ちる場所を使うだろう?」


 ……つまり、大量の蛙を使って、ここに誘導されたということだろうか。


 そう思っていると、遼は不意に俺の方に手を伸ばし、俺の手首を掴む。何事かと思っているうちに、鎖のついたブカブカの金属の輪を両手首に掛けられた。


「なに、これ……」


 戸惑いながらそれを見ていると、不思議な事に、その金属の輪がギュッと縮まり、手首に隙間なくピタリと嵌る。これではまるで、手錠を嵌められた囚人だ。


「なんだよ、これ。外してよ!」


 しかし、遼は答える素振りもなく、俺の両手の間を繋ぐ鎖をグイと引っ張り、無理矢理口の中に何かを突っ込んだ。

 苦味が口の中いっぱいに広がる。

 すぐに吐き出そうとしたが、顎を掴まれて上を向かされて液体を流し込まれる。

 口の中の何かを吐き出すこともできずに、もがいているうちに、それが喉を伝って落ちていくのがわかった。


 ……そこから先の記憶はない。

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