第31話 結の記憶④

「あれが結ってどういうことだ。説明しろ。」


 走りながら、柊士は眉根を寄せる。


「妖界に居るはずのあいつが何でこっちにいるんだ。」


 ……妖界に居るはずの?


「柊ちゃんも全部知ってるの? 結ちゃんの事。」


 ちらっと柊士に目を向けると、柊士は決まりが悪そうに目を逸らす。


 何も知らなかったのは俺だけだ……

 なんだか凄く悔しくて、グッと奥歯を噛みしめる。


「記憶を無くして姿容も変えて妖界にいたのに、遼ちゃんのせいで記憶が蘇って、自分が誰かを知るためにこっちにたった一人で戻ってきたんだ。」


 柊士は更に不可解そうな顔をする。


「何でそこで遼が出てくる?」

「いろいろややこしいんだ。説明は後!」


 浴衣姿で走りにくいとはいえ、簡単には捕らえられないスピードでハクは走り続けている。

 だんだん息があがってきた。


「一体どこに行くつもりだろう。」


 ハアハア息をしながら、まるで何処かを目指しているかのように迷いなく走るハクを見る。


「あれが結なら、多分自分の家に向かってる。」


 柊士は少し先に見えてきた二階建ての家を指し示した。


 柊士の言葉の通り、ハクはその家の門に差し掛かると、迷いなくその中に入っていく。

 俺達もその門前に差し掛かると、ハクは手慣れたように鉢植えの一つをひっくり返して鍵を取り出しているところだった。


「結!」


 柊士が呼びかける。


 ハクはビクッと肩を震わせたかと思うと、脇目もふらずに玄関の鍵を開けて中に駆け込み、ガチャガチャと内側から鍵を締めた。


「ハク!」


 扉をドンドン叩くが、開けてくれる様子はない。

 中から、バタバタと階段を駆け上がる音だけが響いてきた。


 俺も柊士も、玄関の扉を見つめたまま、ハアハアと肩で息をする。


「よくわかんないが、お前、ここで結が出てこないか見張ってろ。俺は実家にここの合鍵を取りに行ってくる。」

「本家に合鍵があるの?」

「ここにはもう住人が誰もいない。本家の管理になってる。」

「そうなんだ。じゃあ、ついでに亘を呼んできてよ。」

「亘を?」


 鍵を開けて押し入ってもいいが、多分、ハクはまた逃げ出してしまう気がする。

 それなら、ハクがきちんと頼れる人に来てもらった方がいい。


「亘と一緒に、妖界から誰か迎えを呼んでくる。

 尾定さんも伯父さんも、結ちゃんとは全くの別人みたいに接してた。まるで拒絶してるみたいに……亘と汐も、結ちゃんを向こうに送った側だとすれば、人界の者相手じゃ多分落ち着いて話を聞いてくれない。

 きちんと、今の居場所になっている者に話してもらったほうがいいと思う。」


 俺の言葉に、柊士は眉を顰める。


「呼んでくるっていうが、どうするつもりだ。綻びなんて今から見つけていられないだろ。」

「心当たりが一つある。陽の泉を通らずに行き来できる方法。」


 学校の獺が守る出入り口から向こうに行ける。でも、幻妖宮が遠いなら、亘に乗せてもらわなければ、夜が明ける前に呼んでこられない。


「……わかった。なら、そっちはお前に任せる。ただ、汐を貸せ。あいつがどこにも行かないように、見張りが必要だろ。」

「うん。でも、変に刺激は……」

「しねーよ、そんなこと。居なくならないように外で見てるだけだ。」


 ハクなら、妖界への入口を開くこともできるだろう。でも、自分がもともと育った家に帰ったということは、少しでも落ち着ける場所に逃げ込んだということだ。

 変に刺激したりしなければ、このまま落ち着くまでは家に留まるだろう。


「うん。分かった。じゃあ、ハクのことお願い。」

「ハクっていうのは、今のあいつの名前か?」

「うん。白月っていうんだって。」

「……そうか。」


 柊士はそう言いながら、二階の窓の一つを見上げる。

 そこに、結の部屋があったのだろうか。ハクは今、あそこに居るのだろうか。


 そう思っていると、不意に柊士は何かに気づいたように窓から視線を逸らす。


「ああ、呼びに行く手間が省けたな。」


 俺も同じように見上げると、亘と汐がこちらに飛んでくるところだった。


 ……そうか。汐がいつも俺の家に呼びに来ていたように、その前までは結ちゃんの家に呼びに来ていたんだ……


「奏太様、柊士様。あの方は?」


 汐はふっと蝶から人の姿に変わる。

 柊士はそれに、すっと親指で結の家を指し示した。


「家に入った。ご丁寧に鍵をかけて。亘は奏太と行け。汐は、俺と一緒にあいつが何処かに行かないよう外で見張りだ。栞達も呼んでこい。」

「……奏太様と行くとは……?」


 亘は怪訝な顔で首を傾げる。


「俺は幻妖宮に行くつもりなんだ。ハクを説得できる人を呼びたい。人界の者じゃ話を聞いてもらえないだろ。」


 俺はチラッと亘手首に目を向ける。ハクが触れた手の型そのままに、赤く焼け爛れたあとが残っている。

 亘も同じように、自分の手首に目を落として顔を曇らせた。


「妖界への行き方は俺が分かる。説明は行きながらするよ。夜が明けるまえに帰ってこないと。」


 亘は戸惑うように、結の家と俺とを交互に見る。

 ハク、、、いや、結のことが気になるのだろう。

 でも、亘には一緒に来てもらわないと困る。


「結ちゃんと話をするには、亘の協力が必要なんだ。ここにいる誰も、今は結ちゃんに近づけないだろ。」


 敢えて、ハクではなく結の名前を出すと、亘は悔しそうにぐっと唇を引き結んだあと、コクリと頷いた。


「……わかりました。参りましょう。」


 俺は亘に飛び乗ると、学校に向けて飛び立った。


 亘は、いつもと同じ調子で他愛の無い話を続けている。ただ、結の話には触れようとしない。

 心中で思うところはあるのだろうが、それを取り繕っている感じだ。

 別にそれを突こうとも思わない。しばらく二人で行動するのだ。こちらもその方が有り難い。それに、何だか、亘達の口からそのことを聞くのが怖い気がした。


 学校にたどり着くと、裏の茂みに目立たないように降りてもらい、水晶庵を目指す。

 隠れた場所にひっそりある、以前見た小さな洞穴を指し示すと、亘は眉根を寄せた。


「これは、通り抜けるのに難儀しそうですね……」

「でも、ここしか無いんだ。」


 亘の体は俺に比べると大きい。入れないことはないと思うが、結構ギリギリだろう。

 それでも、躊躇っている場合ではない。

 夜が明ければ、次の夜が来るまで、妖は外に出られない。


「急ごう。」


 亘の様子を他所に、俺が四つん這いになって穴の中に入り込むと、亘もまた、何も言わずに後ろから着いてきたのがわかった。


 狭い洞窟を進んでいくと、徐々にスペースが生まれて余裕が出てくる。

 ようやく立てる場所に出ると、亘はほっと息を吐いた。

 目の前には大きな灰色の渦が巻き、妖怪への口を開けている。


「行こう。」


 そう声をかける。

 しかし、返ってきたのは


「うわぁっ!」


という亘の驚いたような声だった。


 ビックリして振り返ると、獺が亘の背にしがみつくようにして噛みつき、爪を立てている。


「やめろ、このっ!」


 亘は振り払うようにその場でぐるりと勢いよく回る。

 しかし、獺はしっかり張り付いたまま離れようとしない。


「やめろ!」


 俺が声を張り上げると、獺がぱちくりと目を瞬いたあと、ぱっと亘から離れ、ひらりと地面に着地した。


「おや、大君の血を引く御方。このようなところで何を?この御方は貴方のお知り合いですか?」


 獺は首を傾げつつ、亘を指差す。


「そうだよ。向こうに用があるから、ここを通りたいんだ。」

「用とは?」


 獺は訝しげに眉間にシワを寄せる。


「今の大君が人界にいて大変なんだ。夜が明ける前に朝廷の人を呼んできたい。」

「ほう。今の大君が人界に。大変とは一体何があったのです?」

「閉じこもって出てこなくなっちゃったんだ……って、もういいから通してよ! 急いでるんだ!」


 この調子で問答を続けていたら、いつまで経っても向こうに行けない。


「天岩戸に閉じこもった天照大御神を、呼び出して下さる方々をお連れしたいと、そういう訳ですね。」


 獺はふむふむ、と小刻みに首を動かす。

 良く分からないが、納得してくれるならそれでいい。

 余計なことは言わず、じりじりと様子を伺っていると、獺はようやく、


「良いでしょう。お通り下さい。」


と頷いた。


 獺の先導で抜けると、そこには以前見たのと同じ景色が広がっていた。


「ねえ、幻妖宮はここからどっちの方角?どれ位かかるかわかる?」


 獺に尋ねると、木立の向こう側をスッと指し示す。


「ここから北方向に真っ直ぐ進んで、早く飛べる方なら半刻もなく着けますよ。」

「半刻?」

「今の人界の言い方で一時間位です。参りましょう。」


 亘はそう言うと、大鷲の姿に変わり、バサっと翼を広げる。


「今晩のうちに、朝廷の人を連れて来るつもりだから、また後で戻ってくるね。」


 そう獺に声をかけると、獺はコクリと頷いた。


「ええ、お待ちしています。」


 亘に乗り、真っ直ぐ獺が指し示した方向に向かって進む。


「あの獺は足に朝廷の使いの印を着けていたようですが、朝廷の者なのですか?」

「ううん、大昔の帝に貰ったんだって。帝の言いつけで、大昔に開けられたあの入口をずっと守ってるんだ。」

「なるほど。だからいきなりあのように飛びかかられたのですね。思いの外力が強くて……」


 亘はぼやくように言う。


「まあ、それでも大勢でお仕掛けられでもしたら、あの小さな獺に守り切るのは難しいよね。」


 獺の体格を思い出しながらそう言うと、亘は小さく首を横に振る。


「人界側の穴が小さいので、向こう側で守っていれば、大勢に飛びかかられるようなことは早々無いでしょう。一対一で四つん這いになった者を相手にするなら、何とか防げるかも知れませんよ。あの力なら尚の事。」


 確かに、あの小さな体格で俺達を運ぶ力はあったようだし、意外に向いているのかもしれない。


 そんな話をしているうちに、幻妖京が見えてきた。


 夜なのに、煌々と街が明かりに照らされ、人通りがある。

 その奥にある宮中も同様だ。商店の通りと同じくらいに明るく照らされていた。


「ハクに学校で会った時には、既に皆、寝てる時間だって言ってたんだけど……」


 首を傾げつつ疑問を声に出すと、亘が頷く。


「ええ、そのはずです。都の商店通りは遅くまで賑わっているそうですが、宮中まであれ程明るいというのは、少々不自然です。もしかしたら、あの方の不在に気づいたのかも知れませんね。」


 朝までに帰れば大丈夫だとハクは言ったが、全然大丈夫じゃなかったという事だ。

 話を聞いてもらう前に捕らえられてはたまらない。慎重に行動しなければ。


 ざわざわ賑わう都を目前に、コクリと一度つばを飲み込んだ。

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