閑話 ―side.識 : ある検非違使の話―

 驟雨様が処刑されたあの日、それまで明るく照らされて見えていた全てが崩れ去った。



 盗人の家に生まれ、母が逃げ、父が捕らえられ、路頭に迷っていたところを救ってくださったのが驟雨様だった。


 祖父も父も盗人で、自分もそのように育てられた事で、どこかに潜み、偽り、騙し、事を為すのは得意だった。

 そんなクズのような特技を、驟雨様は、活かし方によっては大物になれるぞと笑いながら褒め、検非違使として遇してくださった。


 狗山家の当主であり、検非違使別当である瑛怜の下に加えられたが、俺自身は驟雨様にお仕えしているのだと、そう思いながらずっと仕事をしてきた。


 驟雨様御自身も、四貴族家である瑛怜を動かすよりも使い勝手が良かったのだろう。

 御自分が見出し拾ってきたのだと仰り、瑛怜を飛び越してお声がかかり、直接命を頂くことも度々あった。


 自分を必要とし、何かといえば声をかけて重用していただけるのは心地が良かった。


 妖界の底辺で無意味に野垂れ死んで行くのだろうと思っていた我が生が、驟雨様に拾われた途端に価値のあるものに変わったのだ。


 それは、我ながら、充実した日々だったと思う。



 驟雨様は時折目を輝かせ、人界のお話をなさることがあった。

 先の帝の側近くで、人界の様々な事をお聞きになり、人の織り成す様々な文化、便利な物、豊かな生活、そして先の帝御自身が経験なさった様々な出来事に心を踊らせたのだと仰った。

 そして、それを聞くたびに、段々と大きな憧れになっていったのだそうだ。


 驟雨様が、人界をも手中に収め統治するのだと仰るようになったのは、何時からだっただろうか。


 ただの憧れだったものが執着に代わり、驟雨様の周りに不穏が立ち込めるようになった。


 そして、妖界の事は妖界の者が治めるべきだ、人界から来た帝など受け入れる必要はないと仰るようになると、一人、また一人と驟雨様を裏切る者共が現れ始めた。


 自分の上司である瑛怜もまた、その一人だった。


 翠雨、瑛怜、璃耀と、本来帝を支えるべき四貴族家の者たちが反旗を翻し、仮の御方は、憧れて止まなかった人界からやって来た者によって討ち滅ぼされた。


 別に白月に恨みはなかった。ただ持ち上げられただけの、取るに足らぬ小兎などどうでも良い。


 ただ、驟雨様が支えた百年の世に生きたにもかかわらず、急に出てきた小兎を祀り上げて驟雨様を追い落とした者達が許せなかった。

 驟雨様の支えた京に住みながら、急にやってきた兎を英雄のように讃える京の者達が許せなかった。


 それでも、心に渦巻く憤りをぶつける場所は、新たな御代にはどこにもなかった。


 一方で、白月は生温い事に戦後の処理に於いて、一部を除き驟雨様に仕えていた者まで生かそうとした。


 瑛怜が必死に情報を集め、生かすものとそうでないものを仕分けていったが、その情報をすり替える事など、内部にいればさほど難しい事ではない。

 白月は、俺が偽り差し替えた情報をもとに、朝廷に驟雨様の手の者を抱える事になった。


 表面ではいくら取り繕っていても、腹の中では何を考えているかはわからない。

 一部には、驟雨様から白月に乗り換えた不届き者もいたが、俺と同じ様に今の朝廷に憤りを覚えている者も、戦で家族を処刑され恨みを持つ者も、仲間を殺され唇を噛んだ者もいた。

 俺はその一人ひとりに声をかけて近づいていった。


 新たな帝に従順であるという仮面を貼り付けつつ探っていけば、今の朝廷を転覆させることは叶わずとも、一矢報いる機くらいは巡ってくるかもしれない。


 そう思いつつ、有象無象の中に、そいつ等と共に身を潜めた。



 もう一つ、白月が帝位につくとともに行ったことがある。

 人界への入口を確保しておくことだ。


 白月が帝として、妖界を守る結界を維持する結界石に力を注ぎ、結界の綻びを塞ぎきるまでにはある程度の時間があった。

 驟雨様が憧れた人界への入口を完全に閉ざさせるわけにはいかない。


 俺は検非違使としての仕事の中で見つけたいくつかの結界の綻びに当たりをつけ、入口を閉じられぬように細工を施した。


 見様見真似だが、方法は知っていた。


 固定された人界への入口を祖父が偶然見つけて利用していたのだと父に聞かされ、検非違使となってから見に行ったことがあったのだ。


 近くに住む獺が目障りではあったが、いつか、驟雨様のお役に立つこともあるだろうと、岩壁に書かれた奇妙な文字を書き写していた。


 何がいけなかったのか、いくつか失敗した場所もあったが、3箇所程入口の確保に成功した。

 確保した入り口は人目につかぬように隠していたが、それでも不安で、時折様子を見に行っていた。


 偶然そこで出会ったのが遼だった。


 遼は人界と妖界が繋がる陽の泉を探していたところで、偶然俺が確保していた妖界への入口を見つけたらしい。


 妖界へ来たはずの女子を探しているのだと言ったが、人界から迷い込んだ者を探すのは難しい。

 適当にあしらってさっさと追い払おうとしたのだが、話を聞くうちに、遼が探す女子が、ただの人では無いことに気づいた。


 驟雨様に代わり、この妖界を治める者こそ、遼が探す女子だった。


 俺に心当たりがある事に気づいた遼は、必死に白月に会わせて欲しいと頭を下げた。

 婚約者だったのに奪われたのだと、人界に連れ戻したいのだと、そう言い募った。


 遠目から白月を見る限りでは、連れ去られた者のような雰囲気ではない。

 ただ一方で、白月の人界での記憶が一部定かでない部分があると聞いたこともあった。


 もし、遼が言うことが本当ならば、白月を排斥し、朝廷の者共に一泡吹かせる光明に繋がるかもしれないと、直感がそう言っていた。


 それに、他にも嬉しい誤算があった。


 一つは、遼自身も陽の気の使い手だったことだ。

 上手く利用すれば、強い武器になるだろう。


 聞けば、あと二人ほど陽の気の使い手が居るという。

 上手く使えそうかと聞いたが、遼は首を横に振った。使えぬのならば、陽の気の使い手など厄介なだけだ。始末してしまった方が良いだろう。


 もう一つは、雑魚の集まりではあるが、蛙の集落を協力者に引き込んでいた。

 俺と会った時と同様に、白月を探しているときに偶然会ったらしいのだが、奴らの恨みを買った阿呆が人界にいたらしい。

 しかも、なんの因果か、先に話に出た陽の気の使い手がその阿呆だという。

 遼はそいつを差し出す約束をする代わりに、白月の情報を集めていたのだそうだ。


 戦力にも数えられない雑魚とはいえ、見張りくらいは出来るだろう。頭数はいくらあっても良い。


 俺は、ひとまず遼との協力姿勢を示しつつ、妖界に留めて情報を引き出していくことにした。


 もともと、人だった頃の白月に強い執着があったのもあるのだろうが、遼の精神は、面白い程に妖界の陰の気にどんどん蝕まれていった。


 せっかく手に入れた駒だ。体に異常が出るのなら、程よく人界に帰してやろうと思っていたが、幸いな事に、そのような心配は不要だった。

 精神汚染くらい、どうということもない。



 そんな中で、一つ、白月を攫い、京を攻める好機が生まれた。


 莫迦な事に、烏天狗の山に娯楽の延長で出向くと言うのだ。

 白月が京を出るときには、白月の警備のために、近衛も軍も駆り出される。

 更に、今回は文官連中も動き、膨らんだ人数の警備のために検非違使の一部も駆り出された。


 京の警備が手薄になるのだ。


 その反面、白月の周囲の警備は厳重になる。

 しかし、結界が無い分、拐かすには都合が良い。

 連れて行かれる連中の中に、こちらの手の者を潜ませれば、隙をつくのも難しくはないだろう。


 上手くいかねば白月を攫うのは諦め、混乱に乗じて殺せば良い。それだけで、朝廷も京も混乱する。

 せっかくだから、遼を上手く使うために白月を捕らえられれば良いと思ったが、無理をする必要はない。


 そうして作戦を立て、実行に移した。


 白月を捕らえるところまでは、こちらが驚くほど簡単に事が進んだ。

 ついでに、遼を使って蛙共にも恨みの対象を餌にやり、京を攻める手伝いをさせようとした。


 しかし、白月に降った犬どもは、殊の外鼻が効いた。


 こちらが思うよりも早く、白月とついでに捕らえた人界の小僧を奪い返され、蛙共を焼かれて駒の一部を失い、更に実行犯となった仲間内の数名を捕らえられたのだ。


 忌々しいことに、白月の捜索で更に手薄になった京を攻めるはずが、早々に計画を潰される事になったのだった。



 体制を立て直すには、少しばかり時間を要した。白月を陥れた協力者を探せと宮中が躍起になる中、それを、片っ端から情報操作をしていく必要があったのだ。


 ようやく落ち着きを取り戻したのはしばらくしてからのことだった。



 ある日突然、白月が姿を消したと宮中が騒然となった。そして、その翌日、青嗣が良い話を持ってきた。


 それは、遼を白月と同じ妖に転じさせる方法だった。つまり、結界を解く力を手に入れられる方法だ。

 璃耀は白月の力を隠したがっているようだが、人の口に戸は立てられぬ。こちらには筒抜けだ。


 結界を自在に解けるということは、京を攻める強力な手段が増えることに繋がる。

 驟雨様がされたように、鬼界の入口を開けて鬼どもを京に放っても良い。

 人界の陽の気を使う方法もあるだろう。


 ああ。せっかくだから、京の空を人界と繋げ、陽の光をたっぷり注いでやろう。

 きっと眺めの良い光景が見られるはずだ。


 白月と同じ存在になれる。人界でも妖界でも共に生きられるようになれる。そう遼を唆して、妖に転じることに意欲を出させ、足りない情報を得るために、人界にある本家とやらを襲わせた。


 人界の事は遼と青嗣達に任せていたが、上手くやったようで、戻ってきた時には遼は妖に転じていた。


 もともと精神汚染が進んでいたせいなのか、人界の妖共に邪魔されて妖界で転じることになったせいなのかはわからないが、遼は今までに増して、邪悪な気に満ちていた。

 しかし、そんな事は大した事ではない。


 邪魔になったら消してしまえばそれで良い。

 そもそも、白月と同じ存在になったからといって、帝と仰ぐつもりはない。

 驟雨様が仰ったように、妖界の事は妖界の者が治めるべきだ。



「ああ、今度こそ、驟雨様を陥れた者達に地獄を見せてやれそうだ。」


 俺はこれから京に起こる惨劇を思い、一人ほくそ笑んだ。

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