第201話 拠点の襲撃②:side.亘

 前の拠点と同様に作られた新拠点の最奥。奏太が入る前に誰も居らず異常がないことも確認したはずのその場所から、主の叫び声が突然上がった。


「奏太様!?」 


 巽が素っ頓狂な声を出したのも無視して、亘は奏太が居るはずの最奥に向かって駆け出した。一歩遅れて巽の足音が重なり始める。


 最奥にいる時は用を足すから離れていてほしいと、当初から奏太に言われて距離をとっていた。


 やはり、本人が嫌がろうと、どんな時でも一人にするのではなかったと、亘は苦い思いで舌打ちをする。

 

 拠点の最奥に駆け込むと、主の胴がテラリとした艶のある太くて長い何かに掴まれ、天井にあいた換気口の中へ飲み込まれていくところだった。


 ザッと冷水を浴びせかけられたような心地になり、一瞬で全身の血の気が引いていく。

 

「なんだ、あれは……」

 

 巽が唖然と呟くのを他所に、亘は暗い穴の中の向こうへ消えつつある主の足をつかもうとバサリと翼を広げて飛び上がって手を伸ばした。

 

 しかし、一歩遅かった。

 

 奏太の体は穴の奥深くにズリズリと引きずられ、既に亘がいくら腕を伸ばしても届く場所にない。


「クソッ!」


 亘の大きさでは、穴の中を翼を広げて追うことはできない。かと言って、穴の中をよじ登っていくには時間がかかりすぎる。

 

 主を連れて行ったものが何かはわからないが、得体の知れない鬼界の生き物など、どうせ碌なものではない。早く助け出さねば追いつく前に喰われてしまう可能性だってある。

 

 自分の手の届かぬ闇に、亘はギリっと奥歯を噛んだ。

  

「巽!」


 このまま行方が分からなくなるくらいなら、戦う力に不安があっても、小さな蜻蛉とんぼの姿になれる巽に追わせた方がいい。

 自分で追えぬ悔しさを噛み殺して振り返ると、巽は心得たように、さっと蜻蛉に姿を変えた。


「僕が追います」 

「奏太様の居場所を突き止めるのを優先しろ。あの方の身に危険が及べば、お前が盾になって耐え忍べ」


 巽が無闇に立ち向かって敵う相手でない可能性もある。瞬殺されて主に危害を加えられたり遠くへ連れ去られるくらいなら、うまく立ち回って時間を稼がせるべきだ。

 

「わかってますよ。待ってるんで、早めに応援をお願いします!」 


 巽は緊張を誤魔化し軽口をたたくように言うと、迷わずスウっと穴の向こうへ飛んでいった。


 亘は巽の姿を最後まで見送ることなく穴に背を向けた。 

 巽一人に任せるのは、やはり不安が残る。巽の後を追える者が必要だ。それに、あのまま上方へ進み地上に出るのなら、拠点の出口から回り込めば追いつけるかもしれない。


鷲の姿に変わり、大きく羽ばたいて元来た道を全速力で戻る。奏太が生活していた小部屋の前を通り過ぎ、一直線に大広間へ向かった。汐や椿に説明している時間すら惜しい。空木を探し出して直接指示を出すほうが早い。


 しかし、大広間へ辿り着き空木を探し出す前に状況の異変に気づき、亘は翼をたたんで人の姿に変わった。


「何事だ?」


 広間から外へ繋がる出入り口に妖界の武官達が集まり、武器を手にしているのだ。物々しい雰囲気で、出入り口に向かって警戒をしている。


「拠点が意思ある鬼・・・・・の襲撃を受けてるのよ」


 ふと、背後から汐の声が聞こえた。


「五十にも満たないらしいし、妖界の武官達であればどうにでもなるでしょうけれど」」


 亘は忌々しい思いで拠点の出口を見た。

 

 鬼の襲撃と奏太の連れ去りが重なったのは、偶然とは思えない。奏太を連れて行ったのが、正体不明の生き物単体ではなく、複数で襲撃してきた鬼であれば、巽一人で手に負えるものではない。


「空木!」


 亘は声を張り上げた。空木をこの集団の中から探し出している余裕はない。


「拠点の最奥にある換気口から、奏太様が連れ去られた! 換気口に入れる大きさの者を集めろ!!」


 反響するほどの大音声に、皆が目を剥いて亘を見た。当然だ。人界の者からすればたった二人しかいない守り手様のうちの一人を、妖界の者からすれば白月を救う要となる方を、失うことになるのだから。


「亘、どういうこと? 奏太様は……」

「詳しく説明している暇はない。巽が一人で追っている。加勢が必要だ」


 問い詰めたそうな汐にそれだけ言うと、周囲が騒然とする中、一人翼を広げて飛び上がった空木に視線を移した。

 柾の補佐を押し付けられているだけあって、空木は状況の飲み込みが早い。上空から数名の武官の名を呼びはじめたのを確認して、亘もまた一度翼を広げた。

 

「空木、私は外から行く! 奏太様は換気口の奥だ。追跡は任せるぞ!」

「はい!」


 後は外に出るだけだ、そう思った。しかし、亘は再び足止めを食らわざるをえなくなった。


「奏太様が連れ去られたとはどういうことだ。説明せよ」


 厳しい声で呼びかけ悠然とこちらへやってくる妖界の貴人に、亘はもう一度、小さく舌打ちをした。この一刻を争う事態に、妖界の四貴族家の相手などしていられない。


「説明は後で致します。どうか今は御容赦ください」


 言葉だけは慇懃にしても、どうしても苛立つ表情を隠すことはできない。璃耀は亘の態度を咎めるでもなく眉を顰めた。


「状況を把握できねば助力も出来ぬ。あの方が白月様の未来を左右するのだ。其方らだけの問題ではない」

「今この時にもあの方が何処ぞへ連れ去られそうになっているのです。手の届かぬ場所に行く前に追いつかねば、救えるものも救えません」


 ギリギリと歯噛みしながら、声を荒げたくなるのを堪える。大して信用もできない妖界の者の助力など乞うてる余裕は一厘もない。

 

 璃耀は周囲をざっと見回してから亘に視線を固定する。


「現場を見ているのは其方しかおらぬのだろう。ただでさえ襲撃を受けている最中なのだ。正確な情報が無ければ混乱が生じる。適切な行動も取れぬ」


 亘はグッと強く奥歯を噛み、どうにか怒りを押さえて、事実だけを早口に伝えた。


 奏太から離れた隙に叫び声が上がったこと、本体の全容は見えていないが、ぬめり気のありそうな蛇とも蚯蚓ともつかない大きな細長い何かに絡め取られ、奏太が地上に続く換気口に引きずり込まれたこと、翼のせいで換気口を通れぬ亘に代わって、武力に不安の残る巽が一人でそれを追っていること。亘は出てくる可能性の高い換気口の先に回り込むつもりでいること。


 全てを一気に言い終えると、璃耀はふむと顎に手を当てた。


「地中に逃られれば厄介だな。和麻は宇柳と共に行ったか。他に地中を動けるものが居たほうがよさそうだが……」

 

 何やらブツブツ言っているが、そんなことに構っていられない。亘は苛立ちのままに璃耀の言葉を遮った。

 

「これでよろしいでしょう。御前を失礼させていただきます」 


 そう言い放つと、璃耀の許可を待たずに背を向けた。無礼と言われようが、関係ない。これ以上時間を浪費するわけにはいかない。

 何の返答もないのを良いことに、亘は璃耀を放置し今度こそバサリと翼を広げて天井付近へ舞い上がった。焦燥を募らせながら出入り口を塞ぐように集まっている妖界の者達の頭上を横切る。


「亘さん、私も行きます!」 


 後を追ってくる椿をチラと見ると、亘はコクリと頷いた。

 鬼の襲撃があり、それとは別に奏太が拐かされたのだ。他にどれ程の敵がいるかわからない以上、信用できる戦力は居たほうがいい。

 

 背後で空木が数名を名指しして自分と共に亘の助力をするように指示を出す声と、璃耀が人界勢とともに換気口へ向かうよう指示を出す声が聞こえてきた。

 


 外では半球状に張られた結界の維持に複数名が駆り出され、更にその向こうで鬼一体に二、三名がつく形で妖界の武官達が戦っていた。数の力で押している為、苦戦している様子はない。多くの武官が拠点内で待機していたのはその為だろう。


 しかし、そんなことよりも亘の目を引くものがあった。

 

 複数の蚯蚓が絡まって蠢いているような大きな塊が、見える範囲で三つある。いや、時折複数本が絡まった長い触手のようなものを伸ばしたり縮めたりしているのだ、生きているのだろう。

 それは明らかに、奏太を連れ去った得体の知れない生き物だった。


「あれだ、椿! 奏太様を探せ」

 

 亘は声を上げると、結界を張る一人を急かして一部だけ結界を解くよう働きかける。しかし、妖界の武官は首をなかなか縦に振らなかった。

 拠点の護りのために上役の許可が必要だとか、ふざけたことをほざく妖界の武官を怒鳴りつけ、その間に空木が蒼穹と話をつけに行く。


 結界から外に出るにも時間が食われることに苛立ちばかりが募る。

 

 ようやく結界に通り抜けられるくらいの穴があけられると、亘はバッとどんよりと暗い大空へ飛び出した。それに続いて椿や空木達も同じように空へ舞い上がる。


 よくみれば、先程固まっているように見えた三体のほかにも、鬼に連れられてズルズルと触手のようなものを器用に使いながら移動しているやつがいた。


「あの気味の悪いものが奏太様を?」

「しかし、戦う者の中にも、あの生き物の近くにも、それらしい影は……」


 皆で奏太の姿を探す。しかし、どれ程目を眇め戦う者たちの間をくまなく探しても、空木の言う通り、そこには奏太どころか巽の姿すらない。


 ……ここではないのか? まさか、喰われたなどということは……


 奏太を連れ去ったあの生物を見つけたのに、主の姿がどこにもないことに、じわじわと嫌な予感が掻き立てられる。


 ……いや、まだだ。まだ探すべきところはある。


 亘はギュッと拳に力を入れて握りしめる。そうでもしないと、言いしれぬ恐怖にのみ込まれそうだった。

 

 亘は周囲をぐるりと見た後、奏太が連れ去られた換気口があるはずの方向へ目を向ける。


 拠点の出口で足止めを食らったが、それでもまだ、それ程の時間は経っていない筈だ。あの生き物には翼がない。見たところ、動きが速いわけでもない。

 奏太を連れ去ったアレが地上にでたならば何処かに姿が見えるはずだ。そう思った。


 拠点の最奥にあたるであろう場所に向かって空を進む。しかし、換気口を広げたような、やや大きな穴が見えても、それ以外には何もない。ただただ、何もない砂地が広がるばかり。


 ドクドクと嫌な音が耳に響く。じわりと手のひらに汗が滲む。


 ……どこだ? 一体、どこに……


 周囲に視線を走らせても、拠点の入り口付近で戦う者達以外には何も居ない。見落としが無いかと何度見ても、それらしき姿はない。

  

 換気口の中に未だ留まっているのだろうか。それとも、換気口から逸れて地中の何処かを進んでいるのだろうか。

 そうであれば、空木が選んだ者達が見つけるはずだが……


「穴の中から、武官達が出てきたようです」


 ふと、椿の声が聞こえた。指さす方をみれば、複数の武官が穴の周辺に集まっている。


「行くぞ」


 亘は焦る気持ちのまま、椿や空木達がついてきているかの確認もせずに、次々と武官達が出てくるあたりに向かった。


 

「広間から最奥、それから、最奥から換気口を抜けてここに至るまで、何者の姿もありませんでした。横に逸れた形跡もありません。血痕なども無かったため、害されたのではなく連れ去られた可能性が高いと思われます」


 人界の若い武官からの到底受け入れられないような報告に、亘は愕然とした。

 

 あの生き物がいる場所にも、上空から見える範囲にもいなかったのだ。穴に引きずり込まれた主がいるとしたら、あの穴の中しかあり得ない。そのはずだった。


「きちんと探したのか? 隅から隅まで、一部も見逃さずに探したのか?」

「我らも探しましたし、妖界の方々にも確認いただきました。何処からか逸れて地中を進んだような跡もありません。穴を抜けてそのまま地上にでたとしか考えられません」

 

 その報告に、たった一つの希望も潰え、心の中が真っ黒に塗りつぶされたような心地になった。


 居ないのだ。どこにも。鬼界という未知の世界で、主の行方を辿る術が立ち消えてしまったなんて、考えたくなかった。

 

「馬鹿な事を言うな。絶対に何かを見逃しているはず

だ。あの方の姿をどこにも見つけられぬなどということが、あってたまるか!!」


 亘は怒声をあげながら、乱暴に若い武官の肩をつかんで力いっぱいに揺すった。


 ……そんなことが、あってたまるか。護りも何もない鬼界で、手がかりすらないまま、あの方の行方が分からなくなるようなことが……


「穴の中へもう一度行って来い! あの方が見つかるまで……せめて、手がかりが見つかるまで何度でも!!」

「やめてください、亘さん!」


 空木達が総出で亘を止めて、若い武官から引き離そうとする。椿が痛みを堪えるように眉を震わせ目を伏せる。妖界の者たちが顔を見合わせ困ったように璃耀への説明の仕方を相談している。


 誰も、未だ近くに居るはずだと探そうとはしない。まるで、もうここには居ないのだと言う様に。


 亘は自分を押さえている者たちを思い切り振り払った。

 

 ここに居ないのなら、すぐにでも探し出さねば。そう思い周囲を見回す。しかし、ただただ広い砂地ばかりの場所で、どこに行けば良いかもわからない。


「亘さん、捜索は続けさせますが、恐らく、この近辺で見つかる可能性は低いと見て良いでしょう。遠く連れ去られた可能性が高いと思います。態勢を整えて範囲を広げなければ……」

「…………その間に、あの方に何かあればどうする? もしも血など残さず、穴の中で何かがあったのだとしたら?」


 自分の発言に、胸のあたりがギリギリとつぶされるように痛んだ。

 

……すぐにでも探し出さなければ。あの方の身に何かが起こる前に。命の危機に瀕する前に。それなのに……


「しかし、無闇に探して見つかるような場所ではありません」

 

 空木の言葉が亘の不安を突く。

 

 分かっている。だから気が急く。あの方が未だ近くにいるうちに、手がかりがなくなってしまう前に、そう心が焦る。


 しかし、宛がない。手がかりを見つけられない。


 砂地ばかりがどこまでも永遠に続く世界で、自分を繋ぎ止めていた唯一の繋がりが断ち切られたような孤独感と不安感が押し寄せる。


……絶対に失ってはならぬ方なのだ。

 

 必ず護ると誓った敬愛する以前の主を、自分の手で二度も死へ追いやった。命をもってしても償いきれぬ罪の意識と全てを飲み込む闇のような深い深い悔恨。今にも潰されそうだった重荷にギリギリ耐えていられたのは、奏太を護らねばならぬという一点があったからだった。亘にとって、唯一つ残った生きる意味だったのだ。

 

『お前は、俺の・・、護衛役だろうが!!』


 奏太が亘に放ったその一言を頼りに、今にも崩れそうだった己を支えていた。けれど……


 絶望感が胸中を埋め尽くす。重すぎる心が体を支えきれなくなり、ふらりと足元が揺れる。闇に包まれ真っ黒になった視界を覆うように、亘は目元に手を当てた。

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