第202話 襲撃の後①:side.亘

 奏太が連れ去られた可能性が高いと換気口の出口で判断されたあと、亘は拠点入り口の戦場に戻った。


 主が失われてから、どこか耳が詰まったように周囲の音が遠い。息がしにくく胸が痛む。

 手がかりがない、それが一番の問題だった。


 万が一の事がないとも言えない。亘は拠点入り口の戦場に複数いた、主を連れ去った生き物の元へ飛んだ。そして、意思疎通が不可能である事を確認すると、その生き物の腹をズタズタに引き裂いた。主の痕跡が無いことを確認するために。


 何も見つからぬ事に安堵しながらも、手がかりが未だ掴めぬ事に焦燥が更につのる。 


 そこから、近くにいた鬼を捕まえて奏太の居場所を問いただし、知らぬとわかれば別の鬼を捕まえるのを繰り返した。

 既に妖界の者達がほとんどを取り押さえていた為、苦労はしなかったが、情報を搾り取る為に少々やり過ぎたせいか、空木や妖界の者達に止められた。


 鬱陶しい連中を振り払い、鬼を率いていたらしい指揮官に手をかける。すると、あれ程求めた主の情報は呆気ないほど簡単に手に入った。


「日の力を持つ奴なら、キガク城にいるマソホ様の元に連れて行った」


 日の力とは、陽の気のことか。

 キガク城は柾達が偵察に向かった場所のはずだ。


「何が目的だ? あの方をどうする?」

 

 そう問えば、傷だらけの顔で、指揮官は嘲るように亘を見た。


「日の力を絞り尽くす以外に、何の利用価値がある?」


 気づけば、指揮官の片腕を切り落としていた。

 

 悲鳴を上げてうずくまるさまに虫唾が走る。もう片方の腕も要らぬかと刀を振り上げれば、椿に腕を押さえられた。


「やり過ぎです! 亘さん!」

「あの方を奪い道具にしようとする連中に慈悲が必要か? 奏太様の護衛役であるお前が、何故止める?」

「情報源として必要だからです! いくら鬼が頑丈でも、血を失い過ぎれば死にます。それに、相手がいくら鬼であっても、あの方は捕虜となった者にこのような仕打ちを望む方では……」


 亘は苛立ちに任せて椿の手を振り払い、指揮官の隣で虫の息になっていた鬼に刀を突き立てた。


「あの方が望まぬから、なんだ?」

 

 そのようなこと、言われなくとも分かっている。

 だから、今まで我慢してきたのだ。何があっても、主に顔向け出来ぬような行いは控えようと、これでも自制してきたつもりだ。

 

 しかし、そうやって主の意に従い鬼界にまで来て、結局、主自身を鬼に奪われたのだ。

 

 ……なりふり構わずあの方の事だけを考えていれば、このような事にはならなかったのに。

 

『規律、人里、仲間、弱き同種、護衛対象、護らねばならぬものばかりで実に煩わしい』


 柾がそう言ったのはいつだったか。今はそれがよく分かる。


 鬼界に来る前。主が止めようとも、誰が犠牲になろうとも、全てを敵に回しそうとも、主の身を守ることだけを考えていれば、こんな事にはならなかった。

 


 日向の管理する里に取り込まれてから、百五十年も里に属せば嫌でも考え方はそれに染まる。 

 無闇な殺生を行わないという、いかにも人の作ったらしい里の規律に従って、亘もまた、考え方も戦い方も自然とそれに合わせるように変えていった。武器を持ち、広範囲へ被害が広がらぬ様に日向の定めた規律のもとで戦うことが、いつの間にか己の戦い方になるほどに。


 最優先で守るべきは、里の当主となった守り手様で、それ以外の守り手様がそれに次ぐ。里を護り、仲間を護り協調し、里の外の妖を監視し、人里を護る。


 完全に従っていたとは言い難い。それでも百五十年もの間、規律という枠の中に無理やり己を押し込んできたのは確かだ。

 

 そして、規律と同様、守り手様は誰も彼もが無闇に他者を傷つける事を厭った。特に、亘の仕えた結と奏太は、その気が特に強かった。

 

 無関係な者への被害を許さず、仲間が傷つくことを嫌い、敵に対しても非情になれぬ。亘自身が傷つくことも許容しなかった。


 脆弱で非力な人間にくせに、他者を助けるために自ら危険に飛び込んでいく。

 

 そのような気質では、すぐに身を滅ぼすに決まっている。それなのに、仕方がないと結は笑い、奏太は亘に声を上げた。


 いつ何があるかとヒヤヒヤしながら追ううちに、その理解出来ぬ性質を持つよく似た主二人に、亘は不思議と惹かれ、目が離せなくなっていった。

 

『全てはこの方のために』


 気づけば、自然とそう思うようになるほどに。

 

 できるだけ主の意に沿うようにと努め、振り上げた刃を、主の一声によってギリギリのところで下ろすのは、一度や二度ではなかった。


 しかし、その主もまた、里と守り手という役目に翻弄され続けていた。そして、その姿をみるたびに、日向の役目や里そのものに不信感が募っていった。


 それでも主達は、真っ直ぐに、真っ向からそれに立ち向かっていった。痛々しいほどに。


 ……その結果が、これだ。

 

 亘にとって、今や唯一の意味となったその主は、もうここにはいない。


「あの方は、奪われたのだ。このクズ共に。陽の気を搾り取るなどという、くだらぬ事の為だけだに」


 主は、陽の気を使いすぎただけで命の危機に陥る。そうやって動けなくなった姿を何度も見ている。自分の意思に関係なく陽の気を絞り尽くされるようなことになれば、どうなるか。


 考えただけで、胸の中にざわりとしたものが走り、言いしれぬ不安感が責め立てる。助ける手が届かず失うのではという嫌な予感が過る度、脆くなったタガが外れそうになる。

  

 亘は、地面で丸くなり呻く指揮官の襟首を無造作に掴んでズルリと持ち上げた。


「騒ぐな。黙ってキガクとやらの城に案内しろ。こいつのように死にたくなければな」


 側に転がる鬼の死体をガっと蹴ると、鬼は恐怖に青ざめた顔でコクコクと頷いた。亘はそれを見下ろしながら、刀を振り上げる。もう片腕も切り落とせば、鬼は発狂したように声を上げた。


「亘さん!」 

「連れて飛ぶのに、腕は不要だ。爪を立てられては敵わぬ。ああ、重いだけの足も要らぬか」


 そう言って足も落とした。

 

 亘は、血まみれの鬼を片手に引きずるようにして、バサリと翼を広げる。


「亘殿、奏太様の救出に急くのも分かるが、状況の整理が先だ。捕虜を放せ! 死ねば取れる情報も取れなくなる」

「まだ残りがいるだろう。整理がしたくば、勝手にしろ」


 後ろから大股でやってきた蒼穹に見向きもせずに素っ気なく伝えると、自分の前に空木達、人界の者が複数立ちはだかった。


「落ち着いてください、亘さん」

「十分落ち着いている。余計な事を考えるのをやめただけだ。邪魔をするな。お前らも、コレのようになりたいか?」

 

 刀を向けて凄めば、空木は一度グッと口を噤んだ。


「……し、しかし、もうじき夜が来ます。救出に向かうにも準備が必要です」

「ならば尚のこと、急ぐのが分からないか? 守り手様が限界まで陽の気を取られればどうなる? 妖界の者と仲良く状況整理と準備がしたくば、勝手にしろと言っている。椿、お前もだ」


 椿を見れば、亘と空木を交互に見て迷うように瞳を揺らした。すぐに覚悟を決められぬ者を連れて行く気はない。


「私は行く。残るなら、汐にも伝えておけ。あれも、規律を重んじる、根っからの里の妖だからな」

「……亘さん、待ってください!」


 そう止める椿の声を背に、亘は鬼を掴んだまま暗くなりつつある空に羽ばたいた。



 ボロボロになった鬼の首根っこを掴んで、一人、暗くなりはじめた鬼界の空を突っ切っていく。

 鬼が頑丈なことは知っていたが、達磨のようなこの状態でも一応、意思疎通ができるのだ。そこだけは大したものだと思う。


 高く飛べば、時間が経つにつれて周囲の濃い闇が中央に向かって勢力を広げるように夜がやってくるのがわかった。


 闇に覆われかけたその下に、亘が吊るしている鬼が示した城があった。


 夜が来れば、虚鬼と呼ばれる意思なき鬼がやってくる。人界に紛れ込んでいたのもそうだったが、虚鬼は弱いものから強大な力を持つものまで様々だ。拠点を守っていた妖界の武官からは、複数名でようやく一体倒せたような鬼までいたと聞いた。


「……面倒だな」


 亘はポツリと呟いた。


 真下の鬼が言う通りに、主があの城に居るならば、連れ去った者達から主を奪い返し、虚鬼から守りながら連れ帰る必要がある。

 本来ならば、椿や空木達を連れてくるべきだったのだろう。しかし、頭では理解していても、手遅れになる可能性を考えれば、落ち着けと言いながら足止めばかりしようとする者達が邪魔で仕方がなかった。


……城の中に入れれば、少しはマシか。


 奏太を見つけて、何処かに身を潜め、夜が明けてから出ればいい。今は、虚鬼に邪魔される前に城に着くのが先決だ。


 原因となった生き物を八つ裂きにし、行方の分からなかった主の手がかりを掴み、案内のできる捕虜を手に入れた。あとは、このまま主を取り戻せれば、それでいい。次は絶対に目を離すまい。そう繰り返す事で、亘は何とか僅かに残った冷静さを保っていた。

 

 亘が到着するころ、主が囚われている城は濃い闇に包まれていた。

 城が不気味に黒く見える。周囲を包む闇のせいだろうかと思った。しかし、すぐに城自体が黒いのだと気づいた。塗装や積まれた石の黒さではない。城自体が黒い闇を発していたのだ。

 

 深く濃い闇が靄のようにありとあらゆる戸や窓から漏れ出し、それが城の壁づたいに覆うように包んでいる。

 その闇が、人界でも妖界でも鬼界に来てからも感じたことがないくらいに濃縮された重苦しい陰の気だと気づき、背筋がゾッとした。


 人の身に、陰の気は毒だ。もしもこの中に本当に主が居るとして、いくら陰の気を排出する呪物を持っているからといって、無事で居られるのだろうか。


 それに、城の周囲は奇妙なほどに静まり返り鬼の気配が全くないが、城の中からは時折大きな物音や低い叫び声のようなものが聞こえてくる。


「……あの方は、本当にここに連れてこられたのか……?」


 こんなところで、ひ弱な主が無事でいられるのか。

 ざわりと胸が騒ぎ、同時にジリジリと焼き切れるような心地になる。

 

 掴んだままの鬼を少しだけ持ち上げて見下ろし答えを求めようとしたが、連れて来る前に痛めつけ過ぎたせいか、それとも圧倒されるような濃厚な陰の気に当てられたせいか、鬼は口から泡を出して気絶していた。


 亘は小さく舌打ちをする。

 役に立たないものを引きずっていても仕方ない。ドサッと鬼を落とすと、覚悟を決めて城の内部に足を踏み出した。

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