第200話 拠点の襲撃①

「ほう。まさか日の力とは」


 低く感心したような呟きが上から降ってきた。

 

 突然の鬼の出現に、俺はここが上空である事も忘れ、慌てて再び手を打ち付けようと咄嗟に動かす。

 しかしその前に、パシッとゴツゴツとした手に手首を掴まれた。ギリリと握りしめられ動かせない。痛みに顔を顰めると、頭上から


「そういえば、先程、日の力を出す時にも手を打っていたな」


という声が降ってきた。更にそれに応じるように、別の方向から低い声がしてざわりと全身が粟立った。


「確か女神もそうしていたと聞いた。日の力を出すには必要な動作なのかもしれんな」

 

 周囲を見回してみれば、俺を掴んでいる鬼以外に、三体が俺を取り囲むように宙に浮いていた。そのうちの一人の手には、襟首を掴まれグッタリとした様子の男が吊り下げられている。

 見覚えのある姿に、俺は目を剥いた。


「巽っ!!」


 先程声が聞こえたのは気の所為ではなかったらしい。俺が引き上げられた狭い穴の中を一人で追って来たのだろうか。俺はもう一度周囲を見回す。しかし、亘の姿はもちろん、他の仲間の姿はない。


「巽、しっかりしろ!!」

「……うぅ……すみ……ません……奏太さま…………」


 俺の声に、巽はピクリと頭を動かして反応した。どうやら意識はあるようだ。しかし、その声に力はなく、悔しそうに、途切れ途切れに掠れていた。


「せっかく……追いついた……のに……僕は何も……――うっ! ぐっうぅ……!」


 全てを言い終わる前に、槍の柄で鬼にドッと胸のあたりを思い切り突かれ、巽は苦痛に表情を歪めて呻く。


「やめろ!!」


 思わず声を上げると、ふっともう一つの影が俺の上に落ちた。同時にヒヤリと冷たく鋭いものが首筋に当てられる感触がする。視界の端に映ったのは、出刃包丁を大きくしたような、鈍い光を放つ刃だった。


「騒ぐな」


 武器を突きつけた一体は、面倒そうに俺を見下ろして鼻を鳴らしたあと、俺を吊り下げている方の鬼に目を向ける。


「押さえてろ。縛り上げて城へ連れて行く。マソホ様の判断を仰いだ方がよかろう」

「本隊へは戻りますか? 何やら戦闘に入っているようですが」


 俺の真上からの声に、目の前の男が何かを確認するように視線をどこかへずらした。


「蟲を戻すついでにミツチに報告に行かせれば良い。キガク城の残党探しも、我らが抜けたところで大した影響はあるまい」 

「承知しました。そっちの人妖はどうしますか?」


 目の前の鬼は、今度は巽の方を振り返る。

 

「アレは日の力も使えぬようだし、こちらで処分しても問題なかろう。喰えるなら、喰っていい」


 その言葉に背筋がゾッとした。人界で鬼に食い散らかされた妖の姿が脳裏に蘇る。光をなくしてこちらを見ていた目を思い出して、俺は自分を縛める痛みも視界にちらつく鈍い光も関係なく、顔を上げて声を張り上げた。

 

「巽、起きろ!!」


 このままでは、巽が喰い殺される。俺がここを抜け出ることは出来なくても、せめて巽だけでも逃さなくては……


「巽!!」


 しかし、巽はグッタリとしたまま動かない。先程のようにこちらに応える様子もない。人の形をとっているのだ、生きているのは間違いない。でも、反応が全くない。


「頼むから、起きろって! このままじゃ……」

「騒ぐなと言ったはずだぞ」

「――っ!」

 

 首筋に当てられた刃が押しつけられ、ズキッと首筋に強い痛みが走って、思わず声が途切れた。だらりと生暖かいものが首筋を伝う。


「ミツチ、それを処分しろ。肉は等分だ!」


 目の前の男が命じると、巽を捕らえていた男が素早く槍を振り上げた。


 ――ダメだ!!

 

 そう声を出す間もなく、光る切っ先が空を切り、真っ直ぐに巽に落ちていく。 

 まるでスローモーションの映像を見せつけられているように、俺は息を呑み目を見開くしか出来なかった。


 巽の体に槍がズブっと突き刺さり、ふっと小さなトンボの姿に形が変わる。人の姿を掴んでいたはずの鬼の手が外れて、小さなトンボは力なくハラリと風に煽られながら落下を始めた。

 

「…………た……つみ……?」

「なんだ、小虫か」


 呆然と呟く声に、心底がっかりしたような酷く不快な鬼の声が重なった。


「あの小ささでは喰う場所がありませんね。形が変わったので、仕留められたかどうかまで分かりませんが、とどめを刺しにいきますか?」


 耳鳴りがして周囲の音物が遠くなる。その中で、不思議と明瞭に鬼たちの会話だけが入ってくる。

 

「いや、いい。虫けらなんぞ放っておけ。どうせ何の役にも立たん。塵芥ごみに時間をかけている時間はない。息があったとしても、勝手に野垂れ死ぬだろう」


 どんどん小さく見えなくなっていく巽の姿を見下ろし、鬼は吐き捨てるように言う。

 

 ……役に立たないゴミ? 勝手に死ぬ?


 瞬間、頭に血がのぼり沸騰していくような感覚がした。

 

 武官なのに無力だといつも嘆きつつ、それでも巽はいつも俺を守ろうとしてくれていた。弱い事を気にしながら、いつだって俺の意図を汲んで、周囲を仲裁しながらうまく立ち回ってくれるのが巽だった。俺にとっては大事な護衛役であり案内役だったのだ。


……ふざけるなよ。

  

 気づけば、俺は空いている方の手に陽の気を集めていた。その手でガッと自分の首元にある刃を掴む。


 手のひらに鋭い痛みが走り、血が滲みポタポタと滴っていく。でも、そんなのどうだっていい。

 俺はそのまま、刃に陽の気を最大出力で注ぎ込んだ。刃から柄へ、柄から鬼の手へ。そう意識しながら。

  

 刀に直接陽の気を注げば強力な武器になると、鬼界に来てから蒼穹に教えられながら稽古をしてきた。自分の武器に使うなら、手から柄へ、柄から切っ先へ。ならば、逆でも同じだ。


「グゥアッ!!」


 武器を伝って陽の気が届いたのだろう。鬼が呻きながら、慌てたように手を放した。

 その拍子に、ズシッとした重みが刃を掴んでいた手と指に伸し掛かる。片手では持っていられないくらいの重量に刃が手の中でズルリと滑り深く食い込んだ。酷い痛みを残して、鬼の武器は地上へ落下する。


 俺はそれ無視して、痛む手で首元に下げていた妖界の温泉水を、一緒に下げていた結のお護りごと掴んだ。

 何かあった時のために、お護りの効果がはっきりしてから肌見放さず温泉水と一緒に首から下げていたものだ。けど、今どうにかしたいのは、俺の身じゃない。

 紐を思い切り引きちぎり、巽が落ちていった方に向かって力いっぱい投げた。少しでも、巽の護りになるように……


 悔しいけど、この状況で俺にできることなんて殆どない。陽の気でほんの少し鬼を遠ざけることができても、自力で空は飛べないし、武器を持つ複数の鬼相手に制圧するような力もない。どれだけ冷静さが吹き飛んでいても、それくらいは分かってる。


 俺にできるのなんて、ちょっとした隙を作って、自分の持っているものを巽に与えることくらいだ。 

 そしてそれさえも、意味のあることなのかはわからない。

 

 こんなところから投げて巽に届くかどうかもわからないし、巽に自力で使えるほどの力が残っているかもわからない。そもそも、こんな事をしたところで、もう手遅れかもしれない。

 

 巽を助けてくれとお護りに祈って、ほんの少しの希望にかけて温泉水を投げただけ。ただの神頼みだ。意味がなさすぎて泣きたくなる。


 でも何もせずに諦めて、巽を失うことだけはしたくなかった。可能性がほんの少しでも残るのなら……ただ、その一心で……


 俺は、自分の非力さに奥歯を噛んで、ギュッと目を瞑った。

 

 ……どうか、届いてくれ。

  

「人妖ごときが調子に乗るな!!」

 

 突然、轟くような怒声と共に、ガっと何かで頭を殴られたような強い衝撃が走った。目の前がチカチカと明滅する。ふらりと頭が揺れて力が抜け、重すぎる頭を思うように上げることができない。

 

「さっさと鎖で縛りあげろ!! これ以上余計な真似をさせず城へ――」


 目がかすみ意識が朦朧とする。聞こえたのはそこまでだった。

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