第199話 拠点トイレの怪
新拠点から偵察隊を送り出して数日。今か今かと帰りを待ち苛立つ璃耀に妖界勢が怯えているせいで、拠点の中はピリピリとした空気に満ちている。
他の者達と同じように気晴らしに稽古でも出来ればいいのだけれど、何故か妖界の温泉水を飲んだのに俺の体からはどうにも重さがとれていない。風邪症状は回復したのに、すっきりしない状態が続いていた。
「まだ回復しませんか?」
「熱は下がったし動けるくらいにはなってるよ。体が重いのも気分の問題かもしれないし」
心配する椿に答える。実際、陽の光に満ちた開放的な場所にでも出られれば、少しは気分が晴れて楽になるのでは、という気もしている。鬼界に居ては絶対に叶えられないことだけど。
「柾達はどうしてるのかな?」
ハクに会う怖さはあるけど、一方で、偵察隊が戻りハクを見つけて、いろんな意味でスッキリしたいという気持ちもある。
「数日は領主の城と周辺の鬼たちの動向を確認する必要がありますからね。そろそろ戻ってくる頃かとは思いますが」
情報収集は汐の仕事だ。俺が部屋と言う名の穴から移動するのはトイレに行くか、ほんの少し広間に顔を出すかくらい。広間に行ってもピリピリした空気に耐えられずにさっさと戻ってくるのがほとんどだ。
俺はいつものように汐が運んできた食事をとったあと、亘に声をかけてトイレに向かう。造りは前の拠点と同じだ。大広間から少し入った狭い通路の途中に俺の部屋があって、更にかなり奥まったところにトイレがある。部屋から結構距離があり、且つ勾配のついた道のりなので、気持ちだけかもしれないけど、運動不足が多少は解消出来ればいいと思ってる。
ちなみに、さすがにこの時ばかりは椿と汐は留守番だ。当初、どこに行くにも全員がついてきたうえに、トイレの中まで揃って入ってこようとしたので、慌てて全員まとめて追い出した。
扉のないただの穴。できるだけ離れていてほしい俺と、なるべく近くで護衛したい者たちとの間で押し問答をした結果、ついてくるのは亘と巽に限定したうえで、トイレに入る前に誰も居ない事を護衛役が確認してから、互いに姿が見えない場所までしっかり距離をとって待つことで収まった。
護衛として亘がピタリと張り付いている間に巽がトイレの安全を確認する。問題が無いという報告を受けてから、一人で中に入った。
一人になれる時間はこの時だけだ。俺はほっと息を吐き出す。別に皆といて息が詰まる、ということはないけど、一人になれる時間は重要だとも思う。
俺はぼんやりと、偵察隊が帰ってくるのは何時になるんだろう、などと考えながら用を足す穴に近づいていく。
すると、不意にガサっと言う音と共に、ザザっと換気口の辺りから砂が崩れ落ちた音が聞こえた気がした。
ただ掘り進んだだけの穴蔵なので、砂が多少崩れて落ちてくることはそれほど珍しくない。だから、それくらいの物音であれば気にしなくなっていた。
しかし、通常であればすぐに鳴り止むはずの音なのに、何故か、ザザ……ザザザーっと、ずっと音が続いている。
……まさか、天井が落ちてきたりしないよな……?
一抹の不安が胸をよぎった。
俺は音のした方……換気口の辺りを見上げる。
その途端、そこにあった何かと
ミミズのような細くてテラっとした見た目の紐状の何かの先に、ギョロリとした一つ目がくっついた何かが、じっと俺を見つめていたからだ。
「――う……っ!! うわぁぁぁぁぁーーーー!!!」
叫び声を上げて一歩下がろうとして足がもつれ、用を足す穴の中に落ちかけた。
その間にも換気口から別のニュルニュルッと長い何かが複数本入ってくる。いつの間にあんなに広くなったのかと思うくらい広がった換気口にギチギチに細い何かが詰まっていて、そこから触手のようなものが複数本垂れ下がっていた。あまりの気味の悪さに全身が粟立つ。
少なくとも、人界でこれと同じような生き物を見たことは無い。強いて言うなら、映画なんかに出てくるエイリアンだ。みているだけで気持ちが悪くて吐きそうだ。
「奏太様!!」
俺の叫び声に気づいたのだろう。亘と巽の焦ったような声が少し離れたところから響いた。
二人の声にハッとして、とにかく逃げなければと慌てて踵を返そうと足を上げる。しかし、不思議なことに自分の動きがそこでピタリと止まった。
「はっ?! 何――っ」
そう声に出して自分の体を見下ろす。
気づけば、穴から出てきた長い触手っぽいものがその体を伸ばして、俺の胴と太もも、それから足首に巻き付いていた。
そのままグイっと引っ張り上げられるように体が持ち上がる。
「は、離せ!!」
体を捻り逃れようとしたけど、もがけばもがくほど、触手っぽいものが絡みついてくる。体は複数の触手に絡め取られるように、あっという間に天井近くまで持ち上げられ、先程までギチギチに何かが詰まっていた換気口に体が引きずり込まれはじめた。
「亘!! 巽!!」
一瞬、二人の姿が入り口付近に見えた気がして手を伸ばす。しかし、すぐに目の前が暗い砂の壁に覆われた。
俺は上方向に伸びる暗いトンネルの中を、ザリザリと体を砂に擦り付けながら引っ張り上げられる。
地上に向かっているのだとは思うけど、出た先でどんなやつが待っているかなんて、想像したくない。
……いくら換気の為とはいえ、外に繋がる穴なんて作るんじゃなかった!!
俺は落ちてくる砂が入らないように閉じていた目にギュッと力を込める。
後悔したところで遅い。そんなこと、俺自身が一番わかってる。
呻きたくなる気持ちをなんとかおさえていると、体を覆っていた砂のザリザリからスポンと抜け出た。
うっすらと明るくなったまぶたを開くと、自分の体は触手に拘束されたまま結構な高さの宙に浮いていて、自分を掴んでいるニュルッっとした触手の先には、ミミズのようにテラリとした紐状のものがグチャグチャに絡まって蠢く大きな球状のものが繋がっていた。
オエッと吐き戻しそうになるのを、何とかこらえて口元を押さえる。背筋にゾゾゾっとしたものが走って止まらない。あまりにもな見た目だ。
しかも、俺をつかむ触手はだんだん短くなっていき、それとともに、グチャグチャの球に自分の体が引き寄せられていく。俺は慌てて、パンと手を打ち付けた。
「奏太様!!」
どこかで巽の声が聞こえた気がしたけど、気にしている余裕はない。そのまま、頭の中に流れてくる祝詞に従って声に出した。
腕に巻き付かれてなくて幸いだった。手のひらからキラキラした白の光があふれる。周囲を照らす陽の気は、一直線に、蠢く球に向かっていく。光が届くと、触手が怯むようにシュッと引かれ、俺の体を掴んでいたものがパッとなくなった。
「うわっ!!」
後先考えず、虫唾の走る謎の物体を何とかしようとしたのがいけなかった。陽の気を放出させている場合ではない。フワッと内臓が浮く感覚とともに下方向からの風を受け、体が落下し始めた。
この高さから落ちたら死ぬっ――!!
そう思った瞬間、何かにグイッと服の背を引っ張られた。襟首に近いところだったせいで、拍子に襟元が絞まり、一瞬息が出来なくなる。慌てて首元に指を突っ込み、もがくようにして気道を確保して、涙目のまま自分を釣り上げた何かを見上げる。
瞬間、心臓がドクンと大きく脈打ち、止まりそうになった。
そこにいたのは、真っ黒なコウモリのような翼を広げる、一本角の鬼。それが、温度を感じさせない冷たい目で俺を見下ろしていた。
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