第124話 祭の力比べ①

 今日は汐と栞も一緒に力比べを観戦するようで、洞窟を抜けたところで二人揃って俺達を待っていた。


 水色と黄色の揃いの着物を来て並んで立っていると、本当に瓜二つだ。

 ただし、栞はにこやかな笑みで柊士を迎えているのに対して、汐はというと、感情を映さない無表情だ。どうやら怒っているらしい。


「伺いましたよ、奏太様。」


 汐は俺の方に歩み寄ると、冷たい視線で俺を見上げる。何を、とは言わない。でも十中八九、今日の昼間の出来事だろう。


「……あのさ、伯父さんにも柊ちゃんにも、ついでに父さんにも散々怒られたんだ。もう、わかってるよ。」


 少しだけうんざりしながらそう言うと、汐の眉がピクリとほんの僅かに動いた。


「本当にわかっていらっしゃいますか? 白月様を連れ出したことだけではありません。貴方に刃を向けた男と一日中共にいたのでしょう? 危険を避け、御身を大事にしてくださらねば困りますと、昨日も同じことを申し上げたではありませんか。一体何を聞いていらっしゃったのです。それに、我らが助けにも行けぬところで何かがあったらどうなさるおつもりだったのです。」


 淡々と静かな口調なのに、イライラしていることだけは伝わってくる。その様子に、俺はうっと後ろに一歩下がった。


「ご、ごめん……」

「謝ってくださらなくて結構です。だいたい、奏太様はいつもその様に仰いますが―――」


 止まらぬ雰囲気の汐に、俺は助けを求めて周囲を見回す。しかし、柊士や栞、その護衛役達は完全に我関せず。ついでに亘と柾も柊士達と同じ姿勢をとるつもりでいるらしい。一切こちらを見ようとしない。

 椿だけは勢いに押されつつもハラハラと俺と汐を交互に見ていたが、止めようと間に入る事はできなさそうで、どうすべきかと戸惑っているのがよくわかる。


 誰も彼も頼りにならないので、ハクに間に入ってもらおうと視線を送ってみたが、汐の言葉に触発された凪たちに凄みのある笑みで見られて顔を引き攣らせてていたので、そちらも戦力外だった。


 汐の説教が終わるのを待っていられなくなった一行が動き出しても、汐は止まらない。

 言ってることはよく分かる。心配してくれたのもよく分かる。


 でも、誰か止めてくれよ!


 心の中でそう叫んだところで、誰もこちらを見ようとしない。

 俺はとにかくじっと、汐が腹に据えかねていることを吐き出し切るまで、殊勝な態度で項垂れながら、それなりに距離がある広場までの道のりを辿ることになったのだった。



 汐がようやく言いたいことを言い終えて落ち着き始めたころ、昨日の広場に辿り着く。

 俺達を囲っていた幕が取り払われ、力比べの為に舞台の前に大きな相撲の土俵のようなものが用意されていた。


 土俵から少し離れたところには昨日と同じく御簾と布の天蓋の付いた高い台が用意され、その左右にやや低い赤い毛氈の敷かれた台がおかれている。


 広場の前で出迎えてくれた湊に促され、ハクが天蓋の下に、妖界陣が右側に座ると、俺達もハクの左側の席についた。


「なんか、甘い香りがする。花の匂いかな。ちょっと金木犀に似てるかも。」


 不意に、天蓋の下からポツリとした呟きが聞こえてきた。

 確かにハクの席の辺からほんのり甘い香りが漂ってくる。

 うっすらとした香りだからか、何処かで嗅いだことのある匂いだけど思い出せない。でも、何だかすごく嫌な感じだ。

 亘と汐も、


「この香りはどこかで……」


と眉根を寄せているが、他の者は普通の花の香りと捉えたようで、


「白月様がおっしゃるように、金木犀に近いですね。良い香りです。」


と椿がニコリと笑った。


 なんとなく胸騒ぎを感じつつも、思い当たるものが見つかる前に、湊がハクと俺達に恭しく頭を下げたことで思考が中断される。


「本日は武官の催しですから、私はこちらに控えます。何かございましたら、お声がけください。」


 昨日は忙しなく動いていた湊も、今日は別の者に雑事を任せるらしく、ハクや俺達の持て成しの役目に徹するらしい。


「この様な御役目を頂けるとは、大変光栄なことです。」


 湊はそう穏やかに微笑んだ。



「あれ、そういえば伯父さんは?」


 先程盛大に怒鳴られたので、できるだけ距離をおいておきたいなと思いつつ周囲を見回すと、伯父さんどころか粟路や榮の姿も見えない。


日向ひむかいの御当主、粟路殿、父は、この場にはお越しになりません。本来守り手様の護衛役を選ぶ儀も兼ねているので、守り手様を除く里の上位者によって妙な力が働かぬよう席を設けぬのが決まりなのです。」


 湊の言葉に、なるほどと相槌を打つ。


 守り手の護衛役は狙う者が多い名誉な役割だと聞いた。一方で、危険が伴う為に強さがとにかく求められる。だからこそ、純粋な力比べで護衛役を選び、権力者による不正な関与を排除できるよう、考えられているらしい。

 今回に限っては護衛役の選出はないものの、伯父さん達は同じ様に席を外す事にしたようだ。


「亘達も出るんだろ?」


 俺が尋ねると、亘はあからさまに嫌そうな顔をする。


「護衛役を決めるわけでは無いので出る必要は無いと言われていたのですが……」


 そう言うと、恨めしげな視線を柾と柊士に向けた。


「誰に憚ることもなく私や淕と戦える場を整える為に協力したのに話が違う、と柾が吠え始めたせいで、また家を壊されたら堪らないから責任持って相手をせよと柊士様から仰せつかりました……その間の奏太様の護衛は、淕達が何とかしてくれるそうです……」

「……ああ、そうなんだ……」


 それは残念だったねと言うべきか、自業自得だと言うべきか。


「そのような場など無くとも誰かに憚って控えたりしないのに、柾さんは面白いですね。」


 いつの間にか戻ってきていた巽が無邪気にそう言ったが、柾は悪びれる様子もなく、ニッと笑う。


「そのような場ならば、互いに力を尽くせるだろう? 時と場所を理由に手加減されたりしないのが重要だ。」


 それはつまり、自分からは時と場所を選ばず挑んでいるということの裏返しなのだが、本人は理解しているのだろうか。


 珍しく、亘と柊士が揃って深い溜め息をついた。



 亘が出なくて良いと言われていたように、今回の力比べは任意参加らしい。ただ、守り手の前で力を示す場は珍しいため、参加希望者は多かったのだと巽が言った。


「僕も案内役代理から護衛役候補にくらいはなりたくて予選に参加しましたが、結局勝ち残ることはできませんでしたね……」


 残念そうにそう零す。


「予選?」

「武官だけでも結構な数が居ますから、前回の上位者を除いた者達で、昨夜、奏太様達がお帰りになった後に予選会が行われたのです。」

「へぇ、そんな事してたんだ。」


 確かに、以前訓練していた様子を見た時も、妖界にハクを取り返しに行った時も、結構な数の者達がいた。

 相撲のように一対一で戦っていったら、膨大な時間がかかりそうだ。


「しかも、今回は白月様もいらっしゃっていますから、何とか本戦に出場して良いところを見せたいと、当初よりも参加希望者が増えたのです。うまく行けばあの方に直接仕えられるのでは、なんて目論む者も居ますし。」

「妖界に行ってハクに仕える、か……」


 この場にはハク以外にも、左大臣である翠雨も軍団大将である蒼穹も来ている。

 妖界の上位者達の目に留まれば、引き抜かれる可能性もなくはない。

 そして、帝であるハクに直接引き抜かれて仕えられるとしたら、それはきっと彼らの誉れになるのだろう。


 俺はチラと亘と汐を見る。


 ……二人はもう一度彼女に仕えられるとしたら、それを望むのだろうか。


 ザラリとした何かが心の中を過る。


 案内役である汐が彼らの目に留まる機会は無いだろう。でも亘は、この場で改めて妖界の者達に自分の力を見せつけることができる。人界の妖の中で一二を争うほどに強いのなら、実力は申し分ないはずだ。

 それに、いろいろあったにせよ、過去に結に実際に仕えていた分信頼できるのは確かだ。妖界で朝廷の者達とも共に戦って首謀者の一人を仕留めたし、ハクが亘の謝罪を受け入れたことも皆が知っている。

 妖界側だって、遼と識の一件を考えるとハクの周囲に置ける信頼できる者はどれだけ居ても困らないだろう。


 亘自身が望めば、もしかしたら……


 俺の視線に気づいたのか、ふと亘と目が合う。

 すると亘は、少しだけ目を丸くしたあと、クッと笑いを零した。


「そのように不安そうな顔をされずとも、奏太様に解任されてもいないのにあの方に着いていくような真似はしませんよ。」


 面白がるような亘の言い方に、一気にカアと自分の耳が熱くなったのがわかった。


「はぁ!? 不安な顔なんてしてないだろ!」


 そうは言ってみたが、クツクツと笑う声は止まらない。


「あれ程わかりやすく寂しそうな目をされては、何があったとて、奏太様の御側を離れるわけには参りませんね。」

「だから、そんなんじゃないって!」


 亘の様子もそうだが、柊士や汐の生暖かい目も、淕や巽の羨ましげな表情も、椿の「まぁ」という微笑ましいものを見るような笑みも、全てが居た堪れない。


 そんなんじゃないって言ってんのに、皆揃って何なんだよ!


 すると、こちらの騒ぎに気づいたのか、ハクもヒョコっと御簾の向こう側から顔を出す。


「どうかしたの?」

「な、何でもないよ!」


 これ以上、余計なことを広げて堪るか!


 俺は両手をつきだして目の前でブンブン振って見せる。

 ハクはコテっと不思議そうに首を傾げたが、凪たちが


「お控えください!」


と御簾の向こうに押し返した。

 不満気に頬を膨らませたハクの姿が見えなくなると、俺はほっと胸を撫で下ろす。


「必ず戻ってこいと仰ったのは奏太様なのですから、堂々とお待ちになっていれば良いのですよ。」


 俺の直ぐ側で、汐が呆れたような、諭すような声音でそう言った。

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