第142話 遥斗の呼び出し②
……あの赤い液体を、何で遥斗が? それに、まさか飲んだのか? あれを……?
自分が飲まされかけた液体を思い出し、ゾッとする。
「遥斗! お前、誰に飲まされた!?」
「誰に? あの人の名前なんて知らない。これを俺にくれるんだ。それだけでいいだろ。」
遥斗はそう言うと、口で瓶のコルクを引き抜く。勢いで僅かに手の甲に飛んだその液体をペロリと舐め取ると、遥斗は恍惚の表情を浮かべた。
それとともに、甘い匂いがこちらに届き、ズキズキと鈍く胸が痛みだす。あの時と一緒だ。
遥斗の状態はどう見ても異常だ。匂いを嗅いだだけでこんなに胸が痛くなるのに、遥斗はおかしなほどに、この赤い液体を欲している。強い依存の状態だ。
それに、この液体を持つ者に従って行動している。たぶん、あれほど憎んでいたはずの『妖怪』に。
「しっかりしろよ、遥斗。」
「しっかりしてるよ。」
遥斗はそう言いつつ俺を力いっぱい引き寄せ、口元に瓶を押しつける。それとともに臭気を直接吸い込んでしまい、鈍かった痛みが一層強くなって俺は思わず胸を押さえ込んだ。
……あの時のように飲まされるなんてゴメンだ。
俺はキッと瓶を睨み、遥斗の手首を掴む。そのまま抵抗しようとする遥斗と揉み合いながら捻りあげると、遥斗はようやくポトリと瓶を取り落とした。
瓶の中身の殆どが溢れ、地面に染み込むと、
「なにすんだよ!!」
と遥斗は怒声を上げて、地面に転がる瓶を拾い上げた。そしてそのまま、瓶の口を自分の唇に押し当て、本当に僅かになった中身を飲もうと傾ける。
「やめろ、バカ!」
俺は咄嗟に声を張り上げ、遥斗の手にある瓶を叩き落とした。
再び瓶が地面に落ちる。遥斗は慌てて地面に膝をついて拾い上げようとしたが、今度こそ中身は完全に土に吸われて消えていった。
「……ふざけるな」
ボソリと、背を向けて座り込む遥斗から低い声が聞こえた。
「ふざけるなよ、お前。」
もう一度、遥斗はそう繰り返す。
次の瞬間、キラリと何かが鬼火の光にきらめいたのが見えた。それと同時に、
すぐには何が起こったかわからなかった。激しい痛みに奥歯を噛み、痛む足を押さえて膝を折る。一体何がと目をやると、酷い出血に自分の手が濡れていた。
「……なに、してんだよ……」
絞り出した声の先。遥斗の手には、ポタリと血の滴る小刀が握られていた。以前持っていたナイフではない。大きさこそ果物ナイフ程度だが、亘が使っているような小さな日本刀だ。
「お前が悪い。」
遥斗は俺を睨んでいる。
患部が痛くて熱い。意識をそっちに持っていかれて、頭がうまく働かない。
「あれを、無駄にするなんて。」
激痛の中で、遥斗の声が遠く聞こえる。
『―――無駄にするなよ』
あの時の拓眞の声が頭を過る。
「……お前、ホントに……誰に、飲まされたんだよ……」
拓眞は死んだハズだ。じゃあ、誰が遥斗をこんな風にした……?
遥斗は、疑い深くてしつこくて、正直鬱陶しいと思ったことも一度や二度じゃない。でも、こんな風に簡単に人を傷つけるような奴じゃないハズだ。前にナイフを突きつけられたときだって、全然本気じゃなかった。
「……だれに……」
遥斗は利用されているんだ。恐らく、俺を呼び出すためだけに。それが無性に悔しい。
あれを飲まされて、自分を失うほどに依存させられて……
「来いよ、奏太。」
遥斗は立ち上がり、俺の腕を掴んでぐいっと引き上げようとする。
「……無理だよ。動けない。」
足に力を入れると酷く痛む。できるだけ動かしたくない。
すると遥斗はチッと舌打ちをし、ポイと刀を投げ捨てた。そして、今度は俺の方に体を寄せて自分の肩に俺の腕を回す。更に、もう片方の手で逆側の体が支えられた。
「お前が一緒に来ないと、あれがもらえないんだよ。引きずってでも歩かせるからな。」
遥斗はイライラとした様子でそう言い放った。
それからどれほど歩いたのだろう。足の痛みに耐えながら、引きずられるように歩く。荒い息を吐き出すたびに膝を折りたくなってくる。
嫌な汗が額と頬を伝って顎からポタリと地面に落ち、足が止まりそうになるたびに遥斗に乱暴に引っぱられて、否応なしに歩かされる。
気が遠くような時間の中で、しばらく前から一本道の先に扉が見えていた。土のトンネルに不似合いな、蔵などで見るような重く頑丈そうな扉だ。周囲には何もない。遥斗が目指しているのはあそこだと、嫌でも分かった。
ようやく休めるという気持ちは大きい。でも一方で、着いてから起こることへの不安と恐怖も湧き上がってくる。
せめて自分の居場所を誰かに知らせるためにと何度かスマホを取り出そうとしたが、遥斗に体を押さえられたままでうまく動けずにいた。
自分で対処できない上に、助けすら呼べないなんて、情けなくて泣きたくなる。
友人を利用されてまんまと誘き寄せられたうえに、自力で満足に歩けもしない。二人でどころか、一人ですら逃げるのは絶望的だ。
柊士や亘や汐達に頼ることしかできない無力さに嫌になる。
嫌がられても、突き放されても、柾に稽古を続けてもらうんだった。いや、そもそも汐の言うように、無闇に家から動かなければよかったのかもしれない。
人助けなんて言って、迂闊についてきたりしなければ……自分でもできることはあると過信しなければ……
負の思考がぐるぐると頭の中を回り続ける。
これから俺はどうなる? あの赤い液体を飲まされて遥斗みたいに誰ともわからない奴の言いなりになるのか、何かに利用されるのか、それともわけもわからないまま殺されることになるのか。
目の前の扉は、休息場所か、処刑場か。
ピタリと扉の前に止まると、遥斗は俺の体を支えていた方の手を放して前に突き出し、目の前の扉を押し開けた。
そこは、窓のない、壁も床も土でできた穴蔵。
穴の最奥には、薄い着物を着崩し、黒く長い髪を垂らした、見たこともないくらいに妖艶で美しい女性が座っていた。
しかし、視認できたのはそこまで。向こう側が見えるとともに、ブワッと強烈な甘い匂いが向こう側からこちらへ広がった。
先ほどとは比べ物にならないくらいの胸の痛みがズキッと走る。グラリと体が揺れ、何とか遥斗を支えに踏みとどまる。
しかしそれも束の間、支えにしていたはずの遥斗に、ドンと背中を思い切り突き飛ばされた。
バンと扉が閉まり、ズシャっと地面に無様に倒れ込む。変な倒れ方をしたせいで、じくじく疼いて仕方のなかった足が激しく痛み、うめき声がでた。
なんとか痛みを堪えつつ顔をあげ、地面に倒れたまま体の向きを変えて周囲を見る。
一瞬見た時には気づかなかったが、穴蔵の壁際には女性の他に、ぼうっと宙を見つめて座る着物姿の男が二人いた。壁をぐるりと囲うように首輪のようなものが複数埋め込まれて垂れ下がり、そのうちの二つに繋がれている。
部屋にはどこかに繋がっているのか、頑丈そうな扉がもう一つあった。
まるで罪人を捕らえているかのような空間。
首輪に繋がれていないのはたった一人。先ほど見えた美しい女性だけ。その頭には、白い二本の短い角がのぞいていた。
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