第143話 土牢の鬼①

 足と胸の酷い痛みの中、頭に二本の角を生やした美女を前に、俺は動くことさえできない。


 陽の気を放てても、動けなければ大した武器にならない。このまま襲ってこられたら逃げようがない。

 

 しかし、鬼はこちらへ向かってくる様子も動く様子も見られなかった。

 それどころか、首輪に繋がれた者達と同様に、ぼうっと宙を見つめてこちらに視線も寄越さない。


 何だか思っていたような鬼の様子と異なる。訝りつつ首を傾げると、不意に、遥斗の高揚した声が俺の上から響いた。

 

「あの人に言われた通りに奏太を連れてきました。貴方の血をください。」


 ハッとそちらに目を向けると、遥斗が熱にでも浮かされたように俺を放置してフラフラと鬼の方に歩み寄っていくのが見えた。


 危険だと、思わず手を伸ばして止めようとする。しかし、ギリリと心臓を締め付けられるような感覚がして、俺は再びうめき声をあげて無様に地面にうずくまった。脂汗が頬を伝う。

 

 気力を振り絞って顔を上げ、遥斗を引き止めなければと遥斗の背と鬼に目を向ける。

 しかし、何故か鬼は遥斗に視線を移すと突然怯え出し、逃げるようにジリっと壁に背を押しつけた。

 それと共に、ジャラっと金属を引きずるような音が耳に届く。見ると、鬼の足首には錆びた金属の輪がついていて、そこから伸びる鎖が壁に繋がっていた。それに、その手は後ろ手に縄で括られ拘束されている。

 

 ……まさか、鬼も捕まってるのか……?

 

 『貴方の血をください』

 遥斗は鬼にそう言った。ということは、考えたくはないが、あの赤い液体はあの鬼の血なのだろう。だとすると、部屋に立ち込めるむせ返るようなこの甘い匂いも、あの鬼の血の匂いなのだろうか。


 ……それを、拓眞達はあの鬼から抜き取って瓶に詰めた……?

 

 そう考えて、背筋がゾワリとする。

 

 遥斗の様子や今まで見聞きしてきたことなどを考えれば、その血の効用は、恐らく依存とそれによる支配。

 

 もしも、それを都合の良いように使うために鬼を捕らえて鎖で繋ぎ、血を抜き続けていたとしたら、あの鬼の怯えも理解できる。

 

 しかも、拓眞が居なくなった今、それでもまだ裏で糸を引き続けている者がいるということだ。

 それは、遥斗の言う『あの人』か。


「……遥斗! 止まれ!」


 俺は声を振り絞って遥斗に呼びかける。すると、遥斗はピタリと鬼の手前で立ち止まった。

 こちらを向かないのは気にかかるが、足を止めた事に少しだけほっとする。

  

 ただ、情けないけど、こうして蹲っているだけでも脂汗を流している今の俺には、遥斗を力尽くで連れ帰れるだけの力がない。


 ……今のうちに、せめて本家に居場所だけでも伝えておかないと。


 痛みに震える手でスマホを取り出す。しかし、場所が悪いせいだろう。こんな時に限って圏外。使えないスマホに奥歯を噛んで投げ捨てたい衝動に駆られる。 

 ここは窓がなく重い扉で塞がれた場所。もしかしたら、扉の向こうなら少しは……そう、扉を振り返る。

 

 その時だった。

 

 息を鋭く吐き出すような、声にならない叫び声が突然部屋に響いた。


 声のした方へ目を向けると、何故か先ほどまで鬼とある程度の距離をとって立ち止まっていた遥斗が、鬼に覆いかぶさっているのだ。もみ合う様子を見れば、遥斗が鬼の首筋に噛みついているようだった。

 

 血を欲しているのはわかっていたが、鬼相手に、しかも仮にも女性の姿をした者に理性もなく襲い掛かるとは思わなかった。

 それに、いくら手足を拘束されているといっても、鬼には牙だってある。あんな事をしては、遥斗だってただでは済まないかもしれない。


 俺は自分の怪我も忘れて勢いよく立ち上がろうと足に力をいれた。しかしその瞬間、ただでさえ心臓を握られるような痛みに耐えていたところへ更に足にも強烈な痛みが走り、その場にドシャッと崩れ落ちた。


「くそっ……!」


 地面に顔をつけたまま思わず悪態をつく。自分の不甲斐なさに下唇を噛み、フラフラする体を何とか立たせようと、今度は怪我のある方の足を庇いながら再び力を入れる。

 

 こんな状態の自分が行って何ができるのかとは思うが、それでも遥斗を鬼から引き剥がさないとと必死に立ち上がる。遥斗を死なせる訳にはいかない。


 しかしそう思った時、ギイっと扉が音を立てたのが聞こえて、俺はピタリと動きを止めた。


「何をしている? お前の役目はまだ終わっていないはずだ。」


 どこかで聞いたことのある男の声が、低く部屋に反響する。


 瞬間、部屋にいた俺以外の者達が皆、肩を震わせたのがわかった。

 肩まですっぽり覆うような頭巾を被り狐の面をつけた男は、ザッザッと地面を鳴らしながら、鬼に覆いかぶさる遥斗に歩み寄る。


 面を着けた者に碌な思い出はない。りょうと共に行動していたしき達や、俺を連れ去ろうとした碓氷うすい。姿を明かしたくない者たちばかりだった。

 今この場にいるのは、心身を喪失した様子の者たちと、鬼と、既に操られていると思われる遥斗。

 姿を明かしたくないのは、俺に対してだろうか。


 遥斗は慌てたように鬼から降りて、じっと見おろす男の前で膝を折り、ざらつく地面に頭を擦りつけた。恐れからか小刻みに震えているのがここからでもわかる。

 

 一方、遥斗から解放された鬼は怯えと警戒のまざったような表情を狐面の男に向けていて、仲間という雰囲気ではない。

 周囲で先ほどまでぼうっとくうを見ていた男達もまた、おののくように狐面の男を見ていた。


 支配者は、この男だ。

 傍目から見てもすぐにそうと分かった。


「……里の……やつか……?」


 思考の一部が零れ落ちるように、無意識に口から言葉が漏れる。それと同時に狐面の男にジロリと見られて、思わず身構えた。

 

 一体何をされるのかと警戒していると、狐面の男は殊の外柔らかな声をだして、こちらへ向き直る。


「これはこれは、奏太様。」


 面の向こうにある目が、僅かに弧を描くように細められた。でもそこに好意的な感情はない。何かを企んでいるような、俺を見下すような色に瞳の奥が鈍く光る。

  

 聞き覚えのある声の上、俺を『奏太様』と呼ぶのだ。明確な答えは返ってこないが、里の者かその関係者で間違いないだろう。ただ、それが誰かを思い出せない。


「……お前、誰だ? 遥斗に何した?」


 ピンと張り詰めるような緊張感の中慎重に問いかけると、男はフフッと口元で微かに笑った。

 

「貴方の御友人が丁度良く日向の御膝元をこそこそ嗅ぎ回っていたので、捕らえて言うことをよく聞く薬を与えました。薬の前では獣のように抑えが効かなくなるのが難点ですが。」


 薬と称しているが、十中八九、あの鬼の血だろう。未だに笑みの形をした面の奥の目にイライラが募る。

 

「何で遥斗にそんなことを?」 

「ここに貴方を連れ出す為に決まっているではありませんか。護衛役のいる時間では、こう上手くはいかなかったでしょうから。」


 俺はギリと奥歯を噛んだ。 

 遥斗の言動がおかしくなった時点で、そうだろうとは思ってた。じゃなきゃ、妖や鬼と比べて非力な人間を、わざわざ使う理由がない。

 遥斗は俺のせいで、依存作用のある鬼の血で毒漬けにされたのだ。 

 いろいろ探ろうとしてきて迷惑ではあったけど、巻き込みたくなんてなかった。

 

 苦々しい思いで睨みつけると、男は少しだけ肩を竦める。


「そのような御顔をされずとも、貴方の御友人でなくともこの男は似たような結末を迎えていたでしょう。この容姿ですから。」

「……どういう意味だ?」


 男が何を言おうとしているのかがよく理解出来ず、俺は眉を顰める。

 

「その鬼は美男ばかりをに望むのです。十年ほど前でしたか、少し歳をくっていましたが、たまたま与えた男を酷く気に入ったことがありましてね。その子どもが良く似た顔をしていたので、以前から目を付けていたのです。」

「……以前から……? まさか、それが、遥斗だって言うのか……?」


 思いの外震える声が喉の奥から出てきた。

 そんな偶然あってたまるか、そう頭の中で否定する。


「……その時、子どもの母親を殺したか? 子どもの目の前で……」


 遥斗が以前言っていた話を思い出す。


――ある日、突然家にやってきた人ではない何かに、母親が目の前でグチャグチャに食い殺された。それを助けようとした父親は、羽の生えた何かに連れ去られた――

  

「ええ。女などなんの役にも立たないので。まさかその子どもが奏太様に近づくとは思いもしませんでしたが。」


 頭を思い切り殴られたような気分に、呻きたくなった。


 つまり、遥斗の両親の一件は、無関係に突然現れた鬼が引き起こした “事故” ではなく、故意に起こされた “事件” 。しかも里に関係のある妖によって、遥斗の両親は殺されたのだ。


 遥斗をチラと見やるが、当の遥斗の様子は変わらない。地面に額をつけたまま震えるだけだ。


 両親を鬼に食い殺させ、子をその鬼の血で支配し狂わせる。目の前の男が起こした事に酷い吐き気がした。


「さあ、お話ここまでに致しましょう。まだ仕事が残っていますから。」


 男は愉しそうにポンと一度、手を叩く。場違いなまでに明るく言ったその様子に、俺は警戒心を引き上げた。

 この男は、これから、何を起こすつもりなのだろうか。


「……仕事?」 

「ええ。主を奪った者に、その報いを。」


 フフっと笑いをこぼすその様子に、背筋がスッと寒くなった。

 俺に向かって主の復讐だと言うなら、考えられるのは、俺が陽の気で焼いたらしい拓眞か、拓眞の一件で処刑されることになった榮くらいしか思い浮かばない。


 そう思っていると、男はわざとらしく、


「ああ、そうだ。」


と、何か思い出したように声を上げる。そして、未だ膝をついたままの俺の片端にスッと座り、耳元でそっと囁いた。

 

「一つ教えて差し上げましょう。貴方の目の前にいる鬼はね――」

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