第105話 もう一つの問題事

 レクリエーションに盛り上がる学生達を横目に、俺は静かに部屋に戻る。汐と晦と朔も一緒だ。

 小さな汐は兎も角、いくら仔犬姿でも、晦と朔がいるとそれなりに目立つのだが、二人は俺から離れようとしなかった。


 気を使ってか周囲を警戒してか、三人とも話しかけてはこない。俺はしばらく一人でぼうっとしながら晦と朔を撫でて部屋で過ごした。


「奏太、体調大丈夫? 随分辛そうだったけど。それに、その犬どうした?」


 しばらくしたころ、遥斗が部屋をヒョコっと覗いた。


「……さあ。この宿舎の仔達じゃないかな。遥斗、レクリエーションは?」

「俺もパスした。あの子らちょっとしつこくてさ。」


 遥斗はそう言いつつ肩を竦める。それから、俺の首元のタオルに目を向けた。


「怪我、大丈夫?」

「うん。全然。派手に血が出ただけで掠り傷だよ。」


 俺がそう答えると、遥斗は何気ない仕草で俺の腕を取る。それから確認するようにじっと見つめた。


「腕も怪我してたろ?」


 ……していた。でも、温泉水で今はキレイに治り痕すらない。

 包帯でも巻いておけばよかった。ただ、そんな事に気が回るほど、冷静ではなかったのだ。


「いや、大丈夫だよ。」


 それ以外に言いようがなくて素っ気ない返事になる。それに遥斗は眉根を寄せた。そして、俺の首に巻かれたタオルにもう一度目を向ける。


「首の後ろ、消毒したほうがいいでしょ。」

「もう手当はしてもらったよ。」

「ガーゼか包帯は?タオルを巻いてたら不衛生だよ。」

「大丈夫だって、大げさだな。」


 俺は、ハハっと声に出して笑う。


「一応見せてよ。大判の絆創膏くらいなら持ってるから。」


 遥斗はそう言いつつ、俺のタオルに手を伸ばす。俺はそれを思わずパシッと振り払った。


「大丈夫だってば。」


 取り繕うようにそう言うと、遥斗は訝しげに俺を見る。


「……まるで、見られちゃ困る事でもあるみたいだね。さっきもそうだった。あんな大きな怪我、猫なわけない。いったい何を隠してるのさ。」


 遥斗の声音が少し固くなる。探るような言い方だ。それとともに、晦と朔が遥斗にウゥーと唸り始めた。


「別に、隠してる事なんてない。」


 二人を宥めながらそう答える。

 すると突然、遥斗は俺の腕をグイと掴んで自分の方へ引き寄せた。そのまま首に巻いていたタオルを無理やり剥ぎ取られ、後頭部を思い切り押さえつけられる。

 その手がぱっと離れると、俺は勢いよく体を起こした。


「急に何すんだよ!」


 声をあげて遥斗を見ると、そこには、俺を睨むような、疑うような表情があった。


「人ってのはさ、そう簡単に怪我なんて治らないんだよ。何隠してんのか教えてくんないかな。お前、いったい何なの?」


 遥斗の問に、一瞬言葉に詰まる。遥斗が何を知りたがっているのか、真意が見えない。俺が何か、なんて答えようがない。


「……何ってなんだよ?」


 質問に質問で返すと、遥斗は答えずにスマホを取り出し何やら操作を始める。


「……少し前に、急に季節外れの雪が降ったでしょ。」


 遥斗はそう言いながら、目当てのものを探し当てたのか、その手を止めてスッとこちらにスマホを差し出してきた。


 画面に映し出されていたのは、どんよりとした曇り空と、降りしきる牡丹雪。そして、うっすらとした白い雪化粧の山々の写真だった。


「これが一体……」


 そう言いかけるが、遥斗は無言でその画面を俺に見せたまま触る。指を左右に押し広げ拡大していくと、画像は近くの景色ではなく、曇り空と山々とそれを遮る牡丹雪に近付いていく。そこで、遥斗の指がピタリと止まった。


 そこに写っていたものに、心臓がドクンと大きな音を立てて脈打った。


 ……人だ。牡丹雪の奥。およそ人が居るとは思えないような雲の合間に、何者かの影が写っていた。あの日、俺が着ていた服の配色。短い黒髪。掴んだ上着。


「これ、奏太だろ?」


 遥斗の声が、暗く冷たい響きを帯びる。


 ……いや。これではギリギリ“人” であることの判別はできても、俺だという判別まではできない。


「……何で俺だって思ったんだよ。これじゃ誰か……」


 俺は思わずそう口走った。自分で思っていた以上に動揺していたのだろう。

 その途端、遥斗の唇の端がキレイに釣り上がり弧を描いた。


「へえ、驚かないんだ。人が空を飛んでるのに。」


 遥斗の言葉に、しまったと口を噤むと、冷笑が響く。


「ハハ、表情が固くなったね。図星だった?」


 落ち着け。ここで肯定するような態度をとって、良いことなんて起こるはずがない。


「俺さ、この前の雪の日、スリップ事故で足止め食らっててさ。止まってた車は三台。一台前はシルバーマーク。一台後ろは若い奴数人のグループ。

 最初は後ろで何が起こってるのか気づかなかったよ。俺一人だったし。

 けど、ふとバックミラーに目をやったとき、男が白い着物の女に引っ張られて宙に浮くところを見ちゃったんだよね。」


 ……つまり、あの日、あの場所に、遥斗は居合わせていたというわけだ。

 なんという偶然だろうか。確かに、あの時一緒に足止めされていた他の車に気づかれていた可能性は十分にあった。でもまさか、同じ学内にその人物が居るなんて。


「思わず写真を撮って、しばらく前が動く気配もなかったから、後ろの車の奴らに声をかけに行ったんだ。何が起こったのか聞きたくて。でも、全員だんまり。ただ、そのうちの一人がうちの大学の学生だって気づいちゃったんだよね。向こうは気づいてなかったみたいだけど。で、もしかしたら連れて行かれた奴も同じ大学にいるかもって探してたってわけ。」

「……まさか、それで俺に近づいたのか?」


 警戒する俺に、遥斗はフフっと笑う。


「最初はさ、お前も俺と同じで、巻き込まれた側だと思ってたんだよ。でも、心霊スポットになってる遊園地のお化け屋敷で奇妙な話を見えない誰かとしてるのを聞いちゃったんだよね。それに、今日は意味不明な怪我をしてるのに笑って誤魔化して何も言わない。数時間後にはその傷もキレイさっぱり無くなってる。それに、さっきだってバーベキューの最中誰かと話してたろ。お前一人のはずなのにさ。」


 遥斗はそこまで言うと、その笑いが自嘲するようなものに変わる。


「ああ、そっち側かって。ようやく掴んだ手掛かりなのに。せっかく出会えた仲間だと思ってたのに。」

「……なあ、お前、さっきから一体何の話してんだよ? 仲間ってなんだよ。自分と同じって……」


 戸惑いつつそう聞くと、遥斗から表情がフッと消え失せた。


「俺の母親さ、殺人事件で死んでるんだよね。猟奇殺人。で、父は失踪。母を殺した殺人犯として指名手配された。俺は被害者の息子であり、犯罪者の息子ってわけ。憐れみと軽蔑の目で見られながら、母方の祖父母に育てられたんだ。

 でもさ、父と母はずっと仲の良い夫婦だった。暴力どころか、父が母に暴言を吐くのも見たことがなかった。

 あの日、突然家にやってきた人ではない何かに、母は俺達の目の前でグチャグチャに食い殺されたんだ。そしてそれを助けようとした父は、羽の生えた何かに連れ去られた。

 それなのに、居なくなった父に全ての罪が着せられた。

 幼い俺の話なんて、誰も本気に捉えなかった。そりゃそうだよね。妖怪に殺られたんだなんて言って、誰が信じてくれる?」


 遥斗の瞳に鈍い光が宿る。何かを憎み破壊を望むような。何度か見たことのある光だ。


「俺は知りたいんだよ。俺達家族を地獄に突き落とした存在がなんなのか。突き止めて滅ぼして、地獄を味わわせてやるつもりだった。でも、妖怪探しなんて、雲をつかむような話だった。いくら探しても手掛かりなんてなくて、伝承や伝説ばっかり。そんなの本当に居るわけないって何度も笑われた。お前は、そんな中でようやく掴んだ手掛かりだったんだよ。」


 遥斗はそう言い切ると、おもむろにポケットに手を突っ込む。そして銀色に光る何かを取り出したと思った瞬間、俺はドンと胸のあたりを思い切り突き飛ばされて床に背をぶつけた。

 更に、起き上がるまもなく遥斗は俺に覆いかぶさり、ぐっと体重をかけるように俺の胸を押さえつける。

 その顔が電気を遮って陰になり、冷たく鋭い刃が首筋に当たてられて、ようやく、その手に握られているのがサバイバルナイフだと気づいた。


「ねえ、そろそろ何を隠してるのか教えてくれないかな、奏太。」


 猫撫声のその向こうに見える狂気に、言葉を失う。同時に、汐がふわりと舞い遥斗の背後に晦と朔が回り込んだのが目に入った。


「動くな!」


 俺は思わずそう叫んだ。

 晦と朔の動きがピタリと止まる。


 ……大丈夫だ。相手は鬼じゃない。それに遥斗だってバカじゃない。こんなところで、人を殺したらどうなるかってことくらい分かっているはずだ。

 止めるべきは遥斗じゃない。むしろ今止めるべきなのは、俺を守る為なら問答無用で鬼だろうが妖だろうが人だろうが攻撃対象にする連中だ。


「……落ち着けよ、遥斗。俺は人だ。少なくとも、お前の仇じゃない。」


 こんなところで騒ぎを起こすわけにはいかない。妖による被害者なのだとしたら、遥斗の敵にまわるつもりもない。


「どうやって証明するんだよ。俺が妖怪の存在を証明出来なかったように、お前だって、普通の人だって証明できないだろ。」

「バカなこと言うなよ。今日、寺で聞いただろ。妖怪は日の光に弱いんだって。俺、日中ずっとお前と一緒に行動してただろ。それに、そんなに疑うなら家に来いよ。父親も母親も普通の人間だ。お前、ちょっと冷静になれよ。」


 そう言い募ると、遥斗は、真意を探るようにじっと俺を見つめる。俺もそれを目を逸らさず見返していると、遥斗の瞳が僅かに揺れた気がした。


 遥斗はギリっと奥歯を噛み、目をギュッと瞑る。

 それから、ハアと深く息をはきだしたところで、ようやく胸に伸し掛かっていた圧力が解けた。


 遥斗はゆっくりと立ち上がると、チャッと音を立てナイフをしまう。俺が体を起こすと、何も言わずに背を向けた。


「どこ行くんだよ。」

「……頭冷やしてくる。」


 遥斗はこちらを見向きもせず、小さくそれだけ言うと、振り返ることなく部屋を出ていった。

 ドアがパタリと閉まり足音が遠のく。


「奏太様……」


 俺がドアの向こうを見つめていると、汐が不安げな声音を出しながら肩の上にとまった。


「大丈夫だよ。たぶん、悪い奴じゃないんだ。ちゃんと誤解は解くから、手は出さないでよ。」


 俺は小さく息を吐き出しながら汐、晦、朔を順に見る。


「しかし……」

「こっちは人同士の問題だ。汐は里の問題の方をどうにかしてくれよ。命令だって言っただろ。」

「それでも、奏太様に何かがあってからでは遅いのです。今回の件は柊士様にご報告の上、奏太様の周囲の護りを固めて頂けるよう、お願いして参ります。」


 汐は決意も固く言う。


「奏太様、我らも、次に奏太様に何かあれば、相手が人間だろうと、奏太様の制止があろうと、容赦はしません。」

「何を置いても貴方を御守りすることこそが我らの本分ですから。」


 ずっと仔犬のふりをしてくれていた晦と朔も毅然とした態度でそう言った。



 その後、翌日も含めて遥斗が話しかけて来ることはなかった。ただ、夜のあの様子を見る限り、これで話は終わり、という事はないのだろう。


 互いに距離を取りながら、互いの様子を伺いあう。そうしているうちに、一泊二日の宿泊研修は幕を閉じたのだった。

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