第106話 結の御守

 いろいろな事が起こりすぎたせいだろうか。帰りのバスに乗ったあたりから頭がぼうっとして働かず、だるい体を引きずりながらなんとか家に帰ったら、熱を出していた。

 自分はこんなにヤワだっただろうかと嫌になる。


 しかも、風邪薬を飲んでみたけど大して効かず、熱に浮かされていたせいか寝ている間に悪夢を見た。


 どんな夢だったかは覚えていない。ただ、寝汗でベトベトになりながら飛び起き、ほっと息を吐き出したあと、夜を怖がる子どものように闇夜の向こうに潜む何かが急に恐ろしくなり、ようやく微睡み始めたのは空に光が差してからだった。



 珍しく柊士が家にやってきたのはその日の昼過ぎ。目覚めてしばらくした頃だった。


「あらぁ、柊士君。」


と母が嬉しそうに迎える声が廊下から響いてくる。

 本家と分家の関係性上、こっちが行くことはあっても、向こうが来ることは殆ど無い。

 柊士が家に来たのも、本家が燃えたあのとき以来だ。


「どうしたの、柊ちゃん? どういう風の吹き回し?」


 部屋に来た柊士にベッドから半分起きて尋ねると、柊士はドサっと俺の椅子に腰掛けた。


「様子を見に来たんだよ。」


 そう言いつつ、両掌を組み前かがみでこちらをじっと見つめる。


「お前、大丈夫か?」

「大げさだよ。ただの風邪だって。」

「薬で治るものとそうじゃないものがあるだろ。」


 柊士が示してる事がなんのことかわかって口籠る。すると、柊士は見兼ねたように、スッと俺の方に何かを差し出してきた。


 その手に乗っていたのは、水色のフエルトで出来た手作り感満載な小さな御守りだった。濃い青の刺繍糸で 歪に “お守り” と書かれている。


「どうしたの、これ?」

「お前にやる。」

「え、まさか、柊ちゃんが作ったわけじゃないよね?」

「そんな訳無いだろ。」


 柊士はフンと鼻を鳴らした。それから、俺の方にその御守をポンと投げる。


「もとは、たぶん結が作ったやつだ。」

「結ちゃんが?」


 そう言うと、柊士はきまりが悪そうに俺から視線をそらした。


「……何年か前、俺が役目を負い始めた頃、俺を護って里の奴が一人死んだ。高校生になったばかりの頃で、それがあまりに衝撃的で、しばらく家に引き籠もってた時期があった。」


 まさか、柊士にもそんな経験があったとは思わず、じっと柊士の顔を見つめる。何となく、今の柊士からは想像がつかない。


 柊士はその俺の様子に、チラッっと視線を寄越してから思い出す様に苦笑した。


「学校も行く気にならなくて何日か休んでたら、結が突然殴り込みに来た。

 あいつ、俺の部屋のドアを開けるやいなや、周りが死ぬのはお前が弱いからだ、引き籠もって役目そのものから逃げるな、みたいな事を言い始めた。

 少なくとも、自分のせいで誰かが死んだと落ち込む奴に言う言葉じゃないだろ。」

「……うん。」


 今の俺にとっても、胸に痛い言葉だ。


「ふざけんな、出てけって、結構な喧嘩になった。で、その時に本家にいた淕が仲裁に入った。そしたら、散々言いたいこと言った後で急にあいつが泣き出した。全然意味がわかんなくて唖然としてたら、淕が通訳してくれたよ。」


 そこまで言うと、柊士は真面目な表情で俺の目をじっと見つめた。


「俺達の役目は、妖界と人界双方の為に結界を護り維持することだ。そして、里の連中の役目は、その役目を負う俺達を護ること。それは変わることがない、千年以前にあいつらの主から託されたあいつらの使命であり、誇りであり、本来妖界に有るべき者が人界で生きる意味そのものだ。」


 それは、以前伯父さんから聞かされた、俺達のルーツ。人界と妖界が二つに別れた時、俺達の先祖が人界に残され、人界の妖は本来の主の元を離れて俺達の先祖を支え守るために人界に残った。

 榮が言っていたように、彼らは俺達の先祖のために、元の仲間と袂を分かち、その生き方を変えたのだ。


「それは、千年以上、あいつらの存在意義を支えた生き方だ。あとから入ったやつも同じく、それが奴らがそこに留まる意味になってる。里に来た時点でその覚悟でそこに居るんだ。

 だから、何があったって、あいつらは俺達の盾になろうとする。

 実際、亘は血みどろになったってお前を護ろうとしてきただろ。」


 俺は、血を流しながら、掠り傷ですよ、と平然とした顔で言う亘を思い出す。

 まるでそれが当たり前かのように、俺の盾になり護り戦う。自分がどんなに傷ついても、最後には、御無事で良かったと、いつも俺の事ばかりだ。


「俺達は普通の人間だ。でも、奴らの覚悟と生き方に応えてやれるのは、結局俺達だけなんだ。

 だから、失うことを恐れて立ち止まるな。

 弱くていい。危険が迫れば逃げていい。自分優先でいい。俺達が自分自身を第一に考えて、自分の身を護ることが、結果的にあいつらを護ることにも繋がる。それでも何かあれば、あいつらが助けてくれる。

 だから、奴らの生き方から目を逸らすな。みっともなく逃げてでも、生きて果たすべき役目を果たせ。」


 柊士はそこまで言うと、ハアと息を吐き、椅子の背もたれにギッっと寄りかかりった。


「ってことを泣き喚きながら、ソレを俺に投げつけて、あいつは帰ってった。

 後から聞いたら、死んだ妖は、何度か役目の時にあいつに同行したことがあったらしい。あいつはあいつで、思うことがあったんだろ。まあ、結局あいつ自身が……いや。」


 柊士はそこまで言うと、言葉を切った。


 でも、柊士の言いたかったことはわかる。結局、結は、亘と汐にその役目を果たさせることが出来なかったのだ。結果的に、あの二人を後悔で縛ることになった。

 出来れば、二人にあんな顔はもうさせたくない。


「今の話を聞いてどう思うかはお前次第だ。一番最初にも言ったが、役目をどう捉えるか、判断するのはお前だ。ただ、もうあの時とは違うだろ。お互いにな。」


 役目を初めて与えられたとき、確かに柊士は、判断するのはお前だと言った。何も分からず、知らないままなら、たぶん簡単に拒否することもできた。


 でも、知ってしまった。命がけで俺を……俺達の果たすべき役目を護ろうとする者達のことを。失った事で後悔する者達のことを。亘と汐だけじゃない。淕と栞も、柾晦朔も、妖界で共に戦った者達も。そして、あの猫だって、きっとそうだったんだ……。


 俺は、結が作ったという御守りに視線を落とす。

 柊士の言葉の通り、自分を護ろうとする者たちの為に足を止めるなと。みっともなく自分を守ってでも役目を果たせと、そう言われている気がした。


「正直、あいつのが、よっぽど大人でしっかりしてたよ。ホント。」


 柊士は自嘲するように言う。


「そのブサイクな御守、お前が持ってろ。本当に護ってくれるかは分らないが、戒めくらいにはなるだろ。」


 きっと、今までは柊士の戒めになっていたのだろう。柊士を護って死んだ妖のことも、結の言葉も、そして亘達を遺して行った結自身の事も、きっと、この御守には詰まっていたのだろう。


 それを思い、御守を見つめながら、俺は柊士の言葉にこくりと頷いた。



 俺の反応を確認したからか、柊士はふうと一つ息を吐く。そして、


「それからもう一つ。」


と、先程まで宥め言い聞かせるようだった声音を少しだけ厳しくして言葉を続けた。


「今の話にも通じるけど、お前、役目以外の余計な事には首を突っ込むなよ。偶然なら仕方ないにしても、わざわざ踏み込みに行くことじゃない。」

「……それって、遥斗のこと?」


 それしか思い当たらずにそう尋ねると、柊士はコクと頷く。


「汐から聞いた。ナイフを突きつけられたんだってな。昼間は妖連中が動けないんだ。あんまりそいつには関わるな。そもそも、お前にどうこうできる問題じゃない。」

「……でも、母親を人では無い何かに喰い殺されて、父親も連れて行かれたって……鬼の仕業だろ。せめて原因を突き止めてやるくらいはできるかも……」


 そう言いかけると、柊士は呆れたような顔で首を横に振る。


「さっきの話、聞いてたか? 余計な事に首を突っ込むなって言ってるんだ。

 だいたい、鬼による惨殺なんてそんなに珍しいことじゃない。なにか起きても表向き人に理解できる事件事故で片付けられてるだけだ。」


 ……それは俺にも経験がある。高校生の頃、乗っていたバスが鬼に乗っ取られ数人が怪我をさせられた。その後流れてきたニュースでは熊被害だ薬物使用だと片付けられていた。

 きっと、似たようなことは他にも起こっているのだろうと想像はつく。


「しかもそいつが子どもの頃ならだいぶ前の話だろ。今更探ってどうにかなる問題じゃない。鬼が見つかれば速やかに討伐してるはずだ。探したところで原因が出てくる可能性は低い。」

「でもそれじゃあ、遥斗が……」

「それ以上はそいつの問題だ。鬼も妖も人も関係ない。自分に害成す存在に近づくな。」


 俺が言いかけると、柊士は言葉尻を強めて俺を見据えた。


 ……わかってる。話の根本はさっきと一緒だ。遥斗にナイフを突きつけられた時に晦と朔が攻撃しようとしたように。


 役目をきちんと果たすために、俺を守る者達のために、危険を避けて自分を守れ。結局のところ行き着くのはそこだ。


 それでも、どうしても遥斗の最後の表情が気にかかる。このままでは、遥斗の中では何も解決しない。原因が見つからない限り、恐らくずっと……


 俺が口を噤むと、柊士は仕方のなさそうな顔で眉尻を下げた。


「汐が相当心配してたぞ。晦と朔もだ。お前が思ってる以上に、周囲はお前のことを案じてる。ちゃんと自覚しろよ。」


 柊士はそう言うと、ギッと音をたてて椅子から立ち上がる。それから、俯く俺に、


「忠告はしたからな。」


とだけ言い残して、部屋をあとにした。

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