第13話 往診医の薬草採集

「ハハハ。これはまた手酷くやられたな!」


 亘に実質片腕だけでしがみつきヘトヘトになって帰った翌日、本家に呼ばれた初老の往診医は、なんとも朗らかに笑ってそう言った。


 一応、汐の止血と村田の応急処置で血は止まっているが、何故か患部が青紫色に腫れ上がり、そこに赤黒い穴がポツポツとあいている。自分で見ても気持ちが悪い。

 笑い事じゃない、と言いたい気持ちを抑えて、されるがままに処置をされる。


 でも、往診医……名前を尾定というらしいが、薬草を揉み崩してペタペタと貼っていく作業を繰り返すだけだ。

 民間療法と思しき処置に、一抹の不安が過ぎる。

 薬草を湿布のように貼り付けた上から包帯を巻き始めた尾定に勇気を出して、


「……あの、本当にこれだけで大丈夫ですか……?」


と尋ねると、尾定は眉を上げてこちらを見た。


「鬼の瘴気に当てられ、人界にはない毒を含む爪を思い切り突き刺された傷に、こちらの薬など効くと思うか?」

「……い……いえ……」

「刀で切られたような傷であれば縫い合わせるような外科的処置もするが、今回は妖界の薬を使ったほうが治りは早い」

「え、これ、妖界の草なんですか?」

「薬草な」


 いや、草は草でしょ。


「人界のと何が違うんですか?」

「おお、薬草に興味があるのか?」

「え、いえ。ありませんけど」

「そうかそうか。じゃあ今度、薬草採集につれていってやろう」


 今興味ないって言ったよね。


「結構です」

「遠慮するな」

「遠慮じゃないです」


 この寒空の下、何が悲しくて、ほぼ初対面のおじいさんと薬草探しなんてしなくてはならないのか。

 しかし、尾定はお構い無しだ。


「遠慮するなと言ってる。そうだな、じゃあ、次の日曜にここに来い」

「いや、クリスマスイブ!」

「だからなんだ。どうせ予定などないだろう」

「……」


 予定なんてないよ。ないけどさ。よりによってその日はないだろ。

 そう思いつつ口籠り、断り文句を考えているうちに、尾定はすっと立ち上がった。


「じゃあ決まりな。九時だ。絶対来いよ」


 処置が終われば話は終わりとばかりに、こちらの返事も聞かずに尾定はさっさと帰っていってしまった。



 ただの民間療法だと侮っていたが、尾定の言っていた通り、妖界の薬草の効能は凄まじかった。

 全治何週間かと思われた怪我だったが、次の日には腫れが完全にひき、その翌日には色がもとに戻り、更にその翌日にはポツポツとした赤い傷が残るだけとなった。

 薬草探しなど、傷が痛むと断ればいいかと思っていたのに、当日を迎える前に傷は気にならないくらいに小さくなっていた。


 クリスマスイブ当日。

 そんな状態でさすがに無視をするわけにもいかず渋々本家に行くと、荷物を抱えた尾定にニカッと笑って出迎えられた。


「よく来た。さあ行くぞ」


 そう言いながら、ビニール製の口の閉まる大きめのバッグを押し付けられる。こんもり膨らんでいる割にはすごく軽い。


「これ、何が入ってるんですか?」

「タオルとタッパー類だ。薬草を入れるためのな」

「なるほど……」


 どおりで軽いわけだ。


「それで、妖界の草なんて何処に生えてるんですか?」


 本家を出て裏の山を登り始めた尾定に尋ねると、尾定は振り返りもせずに


「妖界に決まっているだろう」


と言った。


「え、綻びから入るんですか? 閉じなくて大丈夫ですか?」

「綻びではない。意図的に開けられた入口だ」


 意図的に……?


 つまり、学校の獺が守っている入口と同じということだろうか。そんなものが裏山にあるなんて知らなかった。


 しばらく道なき道を尾定について登っていく。足元の悪い山道だ。息切れがし始めたころで、前方に注連縄が張り巡らせた場所が見えてきた。どうやら泉の周りに張られているようで、対岸には小さな祠がある。


「ここだ」

「……ここ? 入口っぽい場所がないですけど」

「この泉の底だ」


 尾定はそう言うと、不意に服を脱ぎ始める。


「は!? 嘘でしょ。この冬の寒空の下、泉に飛び込めって!?」

「何が嘘なもんか。水温のほうが高いんだ。入ってしまえばどうということもない」


 尾定はそう言いながら、完全に全裸になった。


「バッグ貸せ」


 そう言われて渡すと、バッグの中に服を詰める。


 ……タオルって、小さいハンカチやスポーツタオルじゃなくて、バスタオルだったんだ……


 チラッと見えた中身にげんなりする。


「お前も脱げ。濡れたまま移動するつもりならいいが、この気候だと確実に凍えるぞ」

「……俺、ここで待ってます……」


 ただの薬草採集なら今日一日くらい我慢しようと思っていたが、寒中水泳とは聞いていない。


「ここまで来ておいて何を言う。いいから脱げ!」


 尾定はそう言いながら、ガシッと俺を捕まえ服を引っ張る。


「や……やめろ……っ!」


 抵抗しようとするが、初老とは思えないくらいに力が強い。というか、普段から鍛えてるのかと思うくらい、筋肉が凄い。

 このままでは、何れにせよ服を引きちぎられて終わりだ。


「……わ……わかった! わかったよ! 自分でやるから!」


 そう叫びながら言うと、尾定はふっと手を離し、仁王立ちでこちらの様子を伺い始めた。


 完全に監視状態だ。


 ……なんでこんなことに……


「パンツも脱げ! 替えなど持ってないだろう」


 会って二回目の爺さんの前で完全に全裸にさせられ、尾定の持ってきたバッグに入れると、泉に向かって背中をトンと押された。


「服以外の荷物はここに置いていけ。行くぞ」


 尾定はそう言うと、躊躇いなくザバザバと泉に入っていく。

 俺は全裸にビニールバッグを持たされ、寒さに凍えながらそれを見送る。服を着てこのまま帰りたい。

 そう思っていると、尾定がくるりと振り返った。


「温泉とはいかないが、然程冷たくはない。早く来い!」


 もう、本当に自分はこんなところで何をしてるんだろうか。

 行きたくないと心が叫びだすのをぐっと堪えて、渋々、ぴちょんと泉の水に足をつける。


 ……あ……あれ、そんなに冷たくない。


 そのまま数歩足を進める。何だかほんのり温かい。寒空の下、全裸で外にいるよりよっぽど快適だ。

 そのまま勢いでザバザバと中に入っていくと、尾定はようやく満足したように頷いた。


「さて、妖界への入口は、この泉の底だ。渦があるから迷うようなことは無いだろうが、ちゃんと着いてこいよ」


 そう言うと、ザブンと泉に潜っていく。

 それに倣って自分も潜ると、水の中は綺麗に澄んでいて、確かに一際深くなっている底に灰色の渦があった。

 浮きの代わりになってしまっているバッグが途轍もなく鬱陶しい。スイスイと潜っていく尾定を忌々しく思いながら何とか渦にたどりついた。


 しかし、それを潜ると視界が一変した。

 凄く濁った水の中だ。尾定の姿も見えず、一瞬、どちらが水面か分からなくなる。海で波に飲まれたときのようにパニックを起こしそうになった途端、クイっと浮き上がるバッグに体が引っ張られた。

 さっきまで邪魔でしかなかったバッグが天の助けのようだ。そのままバッグに引っ張られるまま水面に浮かび上がると、尾定は水に浸かったまま待ち構えていた。


 周囲は鬱蒼とした木々に囲まれ、いつか見た原生林の様相だ。

 それに、自分が浮いている泉の水は、人界で見たものとは違って絵の具を溶かしたような水色をしている。獺に潜らされた陽の気の満ちる池と同じ色だ。ただ、広さは全然違う。


 再び岸に上がると、水に浸かっていたせいで、凍りつくような寒さに晒された。慌てて尾定のタオルで体を拭き、着替えを済ませる。ホッと息を吐くと、尾定が周囲をぐるりと見渡した。


「ここは陽の山と呼ばれる場所だ。陰の気に包まれている妖界にありながら、ここだけは人界と同様に陽の気に満ちている。妖では近づけない場所だ。万が一妖に襲われるようなことがあっても、ここに逃げ込めば手出しはできない。今から山を降りるが、よく道を覚えておけよ」


 俺は、尾定の言葉にコクリと頷く。


 昼の妖界に来るのは初めてだ。

 まだ昼前のハズなのに、既に夕方か黒く厚い雲に覆われた雨の日のように薄暗い。何となく陰気な雰囲気だ。まあそれが陰の気に満ちているということなのかもしれないけど。


 そんな事を思いながら、尾定に着いて山を降りる。すると、一面紫がかったピンク色の蓮花れんげ畑に出た。

 真冬のはずなのに、少し大ぶりな蓮花の花が見事に咲き誇っていてとてもキレイだ。それに、何だかちょっとだけ光っているように見える。更に、蓮華畑よりもやや濃い色合いの蝶がキラキラとした粉を振り撒きながら数匹舞っていた。


「うわぁ」


と感嘆の声を上げていると、尾定は不意に、蓮花の中に蠢く緑の何かに声をかけた。


「おい、弟子! 蓮花をもらいに来たぞ!」


 屈んでよく見えなかったが、ぐっと背を伸ばすとその姿がよくわかる。


 緑の体で、頭に皿が乗っている。


 ……河童……?


 尾定が声をかけると、河童は蓮花の水遣りをしていたのか、取手のある木桶と酌を持ってこちらを向き、あからさまに嫌そうな顔をした。


「……尾定さん、河童の弟子がいるの?」


 尾定にそう問いかけているうちに、河童が蓮花を掻き分けてこちらへやって来る。


「俺は尾定の弟子じゃない。それに、河童と呼び捨てるのをやめろ小僧。翅経しきょう様と呼べ」


 何とも偉そうな河童だ。


「……尾定さんの弟子じゃないんだ」

「俺の師匠は、時の大君の侍医様だ。そこのヤブと一緒にするな」

「ヤブとはなんだ。顔ほどの大きさの大蜂に刺されたお前を助けてやったのは誰だ」

「だから代わりに蓮花を融通してやってるだろうが」


 ……なるほど。悪態をつき合いながらも、持ちつ持たれつでやっているらしい。


「尾定さん、大君の侍医ってどういうこと?」

「平たく言えば、帝の主治医ってことだ」


 ……帝。


 汐は、以前妖界で助けてくれた宇柳うりゅうの言っていた “あの方” が帝位についたのだろうと言っていた。何だか世間は狭いというか、変な繋がりがあるものだ。


「つい最近、凄い政変があったんだよね? 大丈夫だったの?」

「おお、良く知っているな、小僧」


 河童は感心したような表情を浮かべる。


「妖界の端にあるこのあたりに大きな影響はなかったが、京は凄かったらしいぞ。前の大君が鬼と通じて京に大量の鬼を放ってうえで幻妖宮に立て籠もり、それを今の大君が軍を先頭で率いて打倒し京を守ったのだそうだ。あの方は英雄だと、こんな辺境にも噂が届くほどだ」


 自分の師匠が仕える大君の話に、河童は得意げに胸を張る。


「それは喜ばしい事だが、お前の自慢話はもう聞き飽きた。こっちは薬草を取りに来たんだ。こいつを連れて行ってくるから、蓮花を用意しておけよ」

「偉そうに指図するな。小僧、お前もこんなのが師匠とは先が思い遣られるな」

「は!? 師匠じゃないよ。無理矢理連れてこられただけで」


 この強引すぎる医者の弟子など勘弁してほしい。

 そう思っていると、尾定はカラカラと笑い始めた。


「まあ、これから育てていくさ。お前、それなりに成績も優秀だと聞いたぞ。本気で頑張れば医大も目指せるさ。俺が教えてやろう」

「いや、だから弟子になるつもりなんて無いんだって!」

「じゃあ、何になりたいのかもう決まっているのか? 聞かせてみろ」

「……そ……それは……」


 正直、そんなの決まっていない。何となく、入れる大学に入って良さそうなところに就職できればそれでいい、くらいの感覚だった。上京するかどうかすら決めていないくらいだ。


「じゃあ、選択肢の一つにくらい据えておけ。今のうちに頑張って、必要に迫られた時に選べるくらいの選択肢を持っておくに越したことはない」


 何だか破天荒に見えた爺さんから、凄くまともに人生の教訓を得た気がする。


 将来どうするか、か……


 自分の生きる現実世界から離れた場所で、自分の将来に思いを馳せることになるとは思わなかった。



 尾定に陽の山の周辺を連れ回され、この草はあれに効く、この草はこれに効く、と丁寧に教えられる。


「すべて覚えなくてもいいが、妖界に来て危険な目に会うこともあるだろう。覚えておいて損はない。いくつかは記憶しておけ」


と言われ、フムフムと真剣に聞いていく。


 途中、狸や狐、いたちねずみといった妖達に尾定が声をかけられていく。尾定はこの辺りの妖に随分顔が売れているらしい。


 声をかけられる度に、採集したばかりの草をタッパーから出しては少しずつ妖達に渡していく。まるで妖達の薬師のような感じだが、採集したそばから減っていくのでなかなか集まらない。


 ようやく蓮花用以外のタッパーがいっぱいになる頃には体力を使い果たし、ヘトヘトになっていた。何故高齢の尾定がピンピンしているのか、不思議で仕方ない。しかも、疲れのせいか、何だか胸の辺りが重苦しい感じがする。


「顔色が良くないな。そろそろ戻るか」


 薬草から目を離し俺の顔を見た尾定にそう言われて蓮花畑に戻ると、河童が蓮花の花びらを綺麗に一枚一枚とったものをザルに乗せて持ってきた。


「これくらいでいいか?」

「ああ。十分だ」


 そう言うと、尾定はそれを二枚つまみ上げ、一枚をこちらに寄越す。


「体に陰の気が溜まって胸が苦しくなるんだ。陽の気に晒されれば抜けていくが、ひとまずこれを飲み込め。少し楽になる」


 尾定は自分の分の一枚をそのまま口に入れ、ごくんと呑み込んだ。俺もそれに倣って口に含み呑み込む。しばらくすると、少しずつではあるが、胸のつかえが取れてきたような気がした。


 俺が休憩している間、尾定は慣れた手付きで蓮花をタッパーに入れていき、すべての準備が整うと、河童と簡単に挨拶を交わしあった。


 それから再び陽の山を登り、不透明な泉に潜り、尾定を見失わないように泳ぎながら俺達はようやく人界の泉に戻ってきたのだった。


 何だか、物凄く密度の濃い一日だった気がする。

 尾定の言っていた通り、陽の山を登り陽の泉に浸かり人界に帰ってきて本家で休憩している間に、重苦しかった胸のつかえは綺麗サッパリ消えていた。


 陰の気に晒され続けると良くない、と今まで言われていた理由がよくわかった。


 その日俺は泥のように眠り付き、次の日に起きたのは昼過ぎになってからだった。

 今年のクリスマスは、実質、大して知らない爺さんに妖界を連れ回されただけで終了したのだった。

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