第174話 周囲の変化
湊の起こした事件から一ヶ月半。俺の周りではいくつか変化が起こっていた。
まず、護衛役。
今まで彼らは夕方から明け方まで、俺の家の外で護衛をしてくれていた。あくまでひっそりと、俺の普段の生活をできるだけ崩さないように。
しかし、護衛役が俺についていて不在だったこともあるが、湊が放った刺客が難なく我が家に侵入し、俺の両親に危害を加え、俺を殺そうと待ち伏せしていた。きっと、あの日あの時、心配した汐が部屋まで送ると言い出さなければ、今頃俺は死んでいた。
外からの護衛だけでは足りぬ。柊士以下、里の上層部の意見が一致したらしい。
今まで外を守っていた俺付きの護衛役、つまり亘と椿は、交代で俺の家の中で護衛をすることになった。巽が含まれないのは案内役にカウントされたからだ。案内役は護衛役とペアになって同様に俺の家で待機している。いざという時の連絡係だそうだ。
一方外は、柊士と伯父さんと粟路が厳選した武官数名が交代で護っている。今までも巡回の者はいたらしいが、新たに貼り付きで護る者が加わった。挨拶だけはしたけれど、普段は以前の亘たちのように身を潜めて護ってくれているので、姿を見ることは殆どない。
ちなみに柾は、正式に妖界の面々と共に鬼界へ行くことが決定し、共に行く十数名と共に対鬼の訓練に明け暮れているらしい。
当初、母は亘達が家に入ることを拒否していた。
今までも亘や汐は何度か家に立ち入っていたし、顔見知りになっていた。それでも、妖を家に入れたくない、自分にも家族にも近づいてほしくないと、母は強硬に主張した。大学生になった俺を連れて家を出ると言い始めるくらいに。
本家で妖が身近な状態で育った父と違い、多少接した事があるにしても、母にとって妖は未知の存在。その妖に殺されかけたのだ。きっと遥斗と同じ様に、すべてが悪に見えてしまうのだろう。そう理解した。
それでも、護りのない場所に行くのは危険だ。護衛という名の監視が増えるのは窮屈だけど、それも仕方がないことだと今では当然に思える。
それに、亘たち護衛役の家の立ち入りは里の上層部の譲歩だった。本当は柊士と共に本家にひとまとまりでいて欲しい、そう粟路には乞われていた。
俺達家族が自分の家で暮すことを容認してくれたのは柊士と伯父さんだった。だけどこれまでの危険を考えれば今まで通りとはいかない。本家に淕や武官の多くが出入りし常駐するように、せめて慣れた護衛役を常にそばに、それが条件として提示された。
母には、俺と父で丁寧に説明した。納得するまで何度も。亘や汐と経験してきたことや何度も守ってもらっていたこと、護衛役達がいなければ死んでいたかもしれないこと。あの日も俺や父母を救ってくれたのだということ。たとえ日向家から離れもきっと危険に巻き込まれるだろうということ。父からも、俺が知らなかった子どもの頃の出来事を引き合いに出し、里の者達に護られてきた事を伝えていた。
完全に理解を得たとは言い難い。それでも、ここに居たほうが安全だということはわかってくれたようだ。渋々ではあるが、俺の護衛役と案内役だけは受け入れてくれることになった。
一方、本家には妖界の使者が入れ代わり立ち代わりで常駐するようになった。本家と妖界の間を繋ぐ扉の向こう、関所と呼ばれる事になった建物に、妖界の軍団が待機し、人界で鬼界への穴が開くのを今か今かと待ち構えている。黒の渦が発見され次第、関所と幻妖宮に知らせが届くことになっているそうだ。
柾達、鬼界突入組は毎日のように関所に出入りして、妖界の者達と合同訓練をしているらしい。動きが洗練され、妖界の者達との連携もとれるようになってきたようだと、様子を見に行っていた椿が教えてくれた。
あれから、まだ鬼界への穴は開いていない。けれど、妖界と人界の精鋭が鬼界へ行く、その緊張感で本家はいつもよりピリピリしていた。
柊士も伯父さんも、使用人の村田まで、里の立て直しに妖界の対応にと忙しそうにしている。
あまり邪魔にならないように、と汐達に言われ、よっぽどの用事がない限りは本家に行くのを控えるようになった。
俺は学校に行く以外、基本的に家からでなくなった。父母も護衛役と案内役も心配しながら家で待っているのがわかっているので、寄り道もせずに帰宅する。
その代わり、友人達が頻繁に家に来るようになった。遥斗もその一人。
「見届けるって言っただろ」
遥斗はそう言いながら、最初は硬い表情をしていたけれど、次第に慣れてきたのか楽しそうな顔も見せるようになってきた。お菓子を食べながらゲームをして、映画を見て、他愛もない話をして。取り繕うこともなく、妖の話もした。
日本のとある集落を舞台にしたホラー映画を見た時には、遥斗に宿泊研修の時に何が起こっていたのか聞かれた。疑われ、誤魔化し、関係が悪化したあの日。自分を護るために死んだ者を思い出すと未だに胸が痛む。それでも包み隠さず全てを話した。
そして、雪の日のこと、遊園地でのこと、遥斗が関わっていない、俺が経験してきたことも。
ただ一つ。
「ハクちゃんは?」
その問だけには答えられなかった。本家の抱える因習を公にできないという理由もある。でもそれ以上に、ハクの事を思い出すと言葉に詰まる。
「……まあ話したくないなら別にいいよ。他のこと、いろいろ話してもらったし」
以前はあれ程しつこく探ろうとしていた遥斗が気遣うような声をだしたことに目を丸くすると、遥斗は
「今、自分がどんな顔をしてるのか、気づいてる?」
と言いながら、自分の眉間を指で軽く叩いて苦笑した。
あれから、皆が何となくハクの話を避けている。護衛役も案内役もまとめて、俺の前ではその話題をださない。
一番気にしているはずの亘も普通を装っていた。ただ、家にいる時間が長くなったせいもあるかもしれないけれど、時折すごく難しい顔で考え込んでいる姿を見かけるようになった。俺に気づくとすぐに表情を戻そうとするけど、下手くそな作り笑いにしかなっていない。
無理をしなくていい、そう伝えた方が良いのか迷ったけど、それこそ無理な話だろうと思い、俺も何も触れずにいる。
事件は終わった。でも、誰も彼も、何もかも、落ち着くことはない。せめてハクが何事もなく無事でいてくれたら、そう願わずにはいられない。
事件の傷跡を見せないように、普通通りに、今まで通りに。亘だけじゃない。皆が努めて表面だけを取り繕う。今にも崩れそうな均衡の上で、それでもやってくる日常をジリジリした思いでやり過ごしていく。
次に鬼界の口が開くまで――
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