一章

第175話 侵入者の相談①

 金曜日の夜。映画館で観られなかった映画が放映されるということで、コーラとお菓子を準備し、万全の状態で自室のテレビの前にいた。流れてくるのは現代ミステリー。とある町に古くから伝わる文献が鍵となって事件が起こる謎解き探偵モノだ。

 

 しかし、先ほどから、


「ああ、あの主人公の後ろの白い影は一反木綿ではありませんか?」

「この鳥をズタズタに割いたのは鬼の仕業だろうが、これ程不用心では、次はこの男が襲われるのではないか?」


などと背後がうるさい。現代ミステリーに鬼も一反木綿も出るわけがない。

 

 当たり前の様な顔で亘と巽が一緒に映画を観て、いちいち気になったことを口にしているせいで全く集中できない。主人公と共に謎解きをするどころか、あらゆる事象が鬼と妖の仕業に置き換えられて頭の中がグチャグチャだ。映画が始まる前にさっさと部屋から追い出しておけばよかった。重要なシーンを、巽による『犯人はぬらりひょん』説に気を取られて見逃した今では、もう後の祭りだが。


「そもそも、俺が守り手になってから、そういう如何にもって妖怪をあんまり見ないんだけど、ホントにいるの?」


 映画の中身を半分諦めつつそう問うと、巽は不思議そうに首を傾げる。


「普段から鬼と戦っていらっしゃる方が何を仰ってるんですか?」

「いや、別に俺は普段から鬼と戦ってるわけじゃないし、そもそも戦ってるのは俺じゃないし」


巽の言い方では、まるで鬼との戦いが日常のように聞こえるが、それほど頻度高く鬼に遭遇しているわけではない……と思いたい。


「そうじゃなくて、妖の話だよ」

「ああ、まあ、所謂、化け狸や化け狐のように、鳥獣や爬虫類、虫から派生した者の方が多いのは確かですね。でも、僕はお目にかかったことはないですが、妖界の陽の山の麓には河童がいるそうですし、しんも出ましたし、人魚や龍神様も居るそうじゃないですか。それに、外見を誤魔化してるだけで里にだって一つ目も居れば三つ目もいますし、小人や巨人なんて程度の問題ですから。ぬらりひょんも、雪女も、そういう能力ってだけですし。汐ちゃんだって蝶ですけど、一歩間違えれば座敷わら……」


 巽はそこまで言いかけて、はっと口をつぐんだ。それから口元を押さえてキョロキョロと周囲を見回す。


「……汐がこの場に居なくて良かったな、巽」


 亘の呆れた様な低い声が落ちた。 

 確かに、巽の不用意な発言で汐を怒らせるところまで、容易に想像がついてしまった。もう少し、口は災いのもとという言葉を学んでほしいところだ。

 

 まあ、そもそもこの状況は良いのか、という根本的な話もあるのだけれど。

 少なくとも二人は護衛の御役目の最中だ。映画なんて見ている場合じゃない。きっと汐がこの場にいたら、真面目に役目を果たせと言われる二人と共に、受け入れている俺も含めて叱られるのだろう。


 ピンポーン


 不意に鳴り響く玄関チャイムに、まさか汐かと、全員の背筋がピッと伸びた。こんな時間にやって来る者など普通の来客ではない。


「……僕が見てきます」


 恐る恐るといった様子で巽が立ち上がる。窓の外から汐に見られていたのではと不安になり、ついカーテンがきちんと閉まっているか確かめてしまった。


 それからしばらく。


「……巽、戻って来ないね」


 もはや虚しくBGMと成り果てたミステリー映画の音を聴きながら俺が呟くのと、亘が眉根を寄せて立上がるのは殆ど同時だった。


「念の為、部屋の外の様子を伺います。奏太様は壁を背に、ここから動かないでください。」

「え、まさか何か……」

「わかりませんが、警戒するに越したことはありません」


 低く声を潜めた亘に、先ほどとは違う緊張感が走る。俺もコクリと頷き息を殺した。カチャっとドアが開かれ、亘は廊下に視線を走らせる。

 瞬間、ダン! という大きな音が響き、気づけば、亘がしゃがみ込む様な体勢になっていた。


「え、亘!?」


 思わず声をあげ、何が起こったのかとよく見ると、亘の下、見知らぬ小男が腕を押さえ込まれ、亘の膝で背中に伸し掛かられ、首筋に鋭い鷲爪を突きつけられた状態で床に伏している。


「守り手様に無断で近づくような真似をして、無事で済むとは思っていまいな?」


 亘は感情の映らない冷たく凍えるような目で男を見下ろした。今まで見たことがない、背筋がゾッとするような視線。


 まるで別人のような様子にゴクッと唾を飲み込むと、下にいた小男が悲鳴のような声を上げた。


「も……申し訳ございません! 守り手様にご相談差し上げたきことがあっただけなのです! 決して危害を加えようなどとは……っ!」

「相談? その様な戯言、誰が信用する」

「本当です! どうか、お話だけでも!」


 しかし、亘は表情一つ変えない。問答無用とばかりに首に突きつけていた鷲爪を振り上げ、そして――


「亘っ!!」


 俺が叫ぶのと、巽が亘の手に飛びつくのは同時だった。


「亘さん! 落ち着いてください!」

「不審者を入れたのはお前だろう。」


 亘はジロリっと巽を睨みつけると、乱暴に腕を大きく振るう。あまり力を入れていないように見えたのに、巽は思い切り突き飛ばされ、離れたところにある壁に背をドンと叩きつけられ、うっと呻き声をあげた。

 

「なにしてんだよ、亘!!」


 しかし、亘は俺にチラッと視線を寄越しただけで答えない。巽はほんの少し顔を顰めたあと、再び小男を押さえている亘に飛びついた。


「亘さん、この場で始末するのは待ってください! 聴取も必要ですし、捕えて御本家に引き渡すだけで十分ですから!」

「邪魔をするな。お前が先に排除されたいのか?」


 亘は小男の腕を掴んていたもう一方の手を離し、巽の腕をグンと引く。バランスを崩した巽の体は、仰向けにドッと床に叩きつけられる。そして、鈍く光を反射した爪が今度は巽に向き――


 感情を殺した様な亘の目に背筋がヒヤっとした。少なくとも、仲間に向ける視線ではない。


「やめろ、亘!」

「奏太様、僕は大丈夫ですから……!」


 俺を制止するように叫ぶ巽を無視して、俺は思わず駆け出し手のひらに陽の気を籠めた。そして、体ごと突っ込むようにして巽に向いた亘の手を掴む。


「――っ!」

 

 ジュッという音と焼けるような匂いが立ち上る。歯を食いしばり声を殺しピタリと動きを止めた亘は、睨みつけるような目で俺を見た。


「……何故、止めるのです?」

「巽が言った通りだ。やりすぎなんだよ」

 

 亘の動きが止まった事を確認して、手のひらの陽の気を霧散させる。会話が成立しそうなことに、俺は小さく息を吐いた。


「仲間にまで手を上げてどうするんだよ。頭を冷やせ、バカ」


 俺が言うと、亘は俺をじっと見たあと、侵入者である小男見下ろし、巽に目を向ける。それから、キツく掴んだままの巽の腕を静かに離した。


「……申し訳ありません」

「巽に言えって」 

「……悪い、巽」


 目を僅かに伏せて言う亘に、巽は安堵したように大きく息を吐き出した。


「いえ、亘さんの仰る通りです。この男の侵入を許したのは僕の不注意でした。申し訳ありません」


 巽は体勢を立て直し、正座の状態で深く頭を下げる。


 そこへ、バンバン! と外から窓を割らんばかりに力強く叩く音が聞こえた。


「――奏太様! 先ほど室内から大きな物音が聞こえましたが、何かございましたか!? 奏太様!!」


 外で護衛をしていた者達の声だ。もしかしたら少し前から呼びかけられていたのかもしれないが、混乱の中で全然気がつかなかった。


 巽が、よいしょ、と声を上げて立ち上がる。 


「巽、怪我は?」

「僕は大丈夫です。それよりも、あの方々を止めないと窓を叩き割られてしまいそうですし、亘さんの手当をしないと。薬の使用許可を頂けますか?」


 巽が視線を向けた先には、赤黒く焼け爛れた亘の手があった。

 

 どんな怪我も治癒させられる妖界の温泉水の取引は、ハクの手紙にあった通りに正式に再開されて備蓄は十分にある。


「そっちは俺がやる。巽は外の説明を頼むよ。亘、そこの侵入者は殺すなよ。命令だからな」

「……はい」


 唸るような声で了承した亘に、俺は小さく頷き返した。


 棚から瓶に入った薬を取り出し、未だ小男の上に乗って取り押さえたままの亘の手にバシャバシャとかける。


「止める為とはいえ、悪かったよ。ごめん。」

「……いえ」


 片腕で巽を壁に叩きつけるような力に対抗できるわけがないと思って、勢いよく陽の気を手に集めて掴んでしまったおかげで亘の手は大変な事になっていた。

 

 でもまさか、俺の言葉も無視して、仲間であるはずの巽にまで手を上げるなんて。


「……どうしちゃったんだよ、急に……」


 俺の知っている亘は、何だかんだ言ってもいつも冷静で、周囲をよく見て、晦や朔をからかいながらも指導したり、周囲を諫める役割すら担っていた。それなのに……


 でも、亘は俺から目を逸らすだけで、何も言わなかった。


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