第92話 妖界での療養②

 亘が目覚めたと聞いたのは、それから一日経った頃だった。

 俺は温泉の湯を飲んだことでだいぶ力が戻り、普通に歩けるくらいにまで回復している。


「回復しても、二日は様子を見なければなりませんよ。」


と、ハクの侍医である紅翅に言われたが、もう大分元通りだ。


「紅翅は回復してからが長いの。」


 陰の気を抜きに来たハクに伝えると、苦笑するようにそう言った。



 俺は康太に案内されて、目覚めた亘のいる部屋に向かう。

 俺の護衛には、あの雪の日晦達と一緒にいた男、柾がついていた。亘が動けない為、それに継ぐ実力者を俺の護りにと選ばれたらしい。


 柾は晦と朔の兄らしく、以前聞いた二人の話だと場所も構わず亘に戦いを挑む迷惑者だという話だったが、見た目ではそんな雰囲気はない。

 大らかで明るい、そんな感じがするだけだ。


 亘の部屋に入ると、そこには既にハクがいて、側に尾定が控えていた。


 当の亘はしっかり体を起こしていて、特に変わった様子はなさそうだ。死にかけていたと聞いていたが、元気そうな様子を見てホッと息を吐く。


「亘、よかっ……」


 俺はそう言いかける。

 しかし、全てを言い切る前に、亘は布団の上にきっちりと背筋を伸ばして正座をし、その場でガバっと土下座の姿勢で頭を下げた。


「え、ちょ、ちょっと亘、どうしたんだよ、急に。」


 慌てて声をかけると、亘はいつもとは全く違う低く厳かな声を出す。


「御守りすべき時に御守りできず、護衛役としての務めを果たすことができず、誠に申し訳御座いません。」

「……は? ……いや、だって、亘だって大変だったんだろ。鬼に襲われてた仲間を助けようとしたって……」


 俺がそう言うと、亘は頭を下げたまま、首をゆっくり横に振る。


「優先すべきは貴方でした。奏太様はあの日、命を失いかけたのだと伺いました。護衛役が役目を果たせなかったこと、慚愧に堪えません。」

「でも、目の前で仲間が鬼に襲われてたら、普通助けに行くだろ。俺の状態なんて、その時の亘には分からなかったわけだし。」

「それでも、一直線に貴方の元へ向かっているべきだったのです。そうしていれば、御守りできていたかもしれません。鬼の一体くらい何とかなるだろうという私の思い上がりが招いた失態です。」

「いや、でもさ……」

「私の不手際です。申し訳御座いません。」


 亘は更にググっと深く頭を下げる。

 本当に、一体どうしたのだろうかと心配になるような態度だ。

 それに、汐のときと同じで、別に俺は謝って欲しいわけじゃない。無事なら別にそれでいいのだ。

 仲間を救おうとした亘を責めるつもりなんてない。


「むしろ、俺は仲間のそんな状況を見ておいて無視するような奴に護衛役なんてしてほしくないよ。信用できないだろ、そんな奴。」

「しかし、それで御役目を全うできなけれな、本末転倒です。此度の失態、どのような咎めでもお受けいたします。」

「だから良いってば。もし伯父さんや柊ちゃんに何か言われたら、俺が言い返すよ。それに、榮や粟路さんに何か言われたとしても無視すればいい。お互い無事だったんだ。それでいいだろ。」

「しかし、それでは他に示しがつかぬでしょう。」

「示しとかそんなのどうだっていい。別に俺はどう思われたっていいよ。どうせ榮達には既に良くは思われてないんだし。だから、頭をあげろって。」


 しかし、亘はその状態のまま動こうとしない。

 俺はハアと息を吐き、亘の側にしゃがみこむ。


「もう分かったから。」


 そう言っても、亘は頭をあげようとしない。


「頭上げろって、亘。」


 もう一度呼び掛ける。


 ていうか、何でこんなに頑ななんだよ。いつもはふざけてばかりのくせに、こんな時に限って……これ以上、俺に一体どうしろって言うんだよ。


 そう思い途方に暮れていると、見かねたようにハクが俺の横に同じようにしゃがんだ。


「ねえ亘、奏太が困ってるよ。守れなかったと悔やむ前に、主の言う事くらい聞いてあげたら?」

「しかし……」

「御役目を果たせないばかりか、主の言う事すら聞けないの?」


 ハクの辛辣な言葉に、亘は一度、ギュッと拳を握りしめたあと、ゆっくりと体を起こした。しかし、その顔は眉根を寄せ険しい状態のままだ。


「眉間にシワ寄ってる。怖い顔はやめて。」


 ハクはそう言うと、俯きそうになる亘の眉間に、人差し指をグリっと押し当てた。


「は、白月様……!」


 思わぬ行動に、亘は戸惑うような情けない声を出してハクを見る。しかしハクはお構いなしにその人差し指をグリグリと上下左右に動かした。


「俯かない。怖い顔しない。反省は分かったから、ちゃんと目を逸らさず今の主を見なさい。主の言葉に耳を傾けなさい。今、貴方がすべきことは何? 少なくとも、後悔ばかりで立ち止まることではないでしょう。」


 ハクがそう言うと、亘は困惑しつつ


「あ、あの……しかし……」


と口走る。


「しかしじゃない。言い訳しない!」


 亘はハクに額をグリグリされながら、助けを求めるような、困ったような顔で俺を見た。


 ……本当に、ハクには敵わないな。


 俺はできるだけ主らしく見えるように背筋をスッと伸ばす。すると、ハクはニコリと笑って亘の額からフっとその指を外した。


「気にするなって言ってるだろ。咎めることなんてしない。これからちゃんと守ってくれればそれでいい。俺だけじゃなく、汐を含めて、だからな。」


 俺がそう言うと、亘は眉と眉の間を赤くした間抜けな顔のまま、再び頭を深々と下げた。


「……はい。御厚情、誠に痛み入ります。奏太様。」



 その後、亘はゴフゴフ言いながら尾定に大量の温泉の湯を飲まされ、青い顔で膝に布団をかけた状態で座った。


「無茶をするな。あんな状態になる前に逃げろ馬鹿者が。治療するこっちの身にもなれ。」


 尾定は亘に湯を飲ませながら、そう吐き捨てた。でもそんな言い方はしているが、亘が湯を飲み終え診察したあとのホッとした表情を見れば、尾定もまた、亘の心配をしていたことはわかる。


「尾定さん、亘は大丈夫?」


 俺が尋ねると、尾定はコクリと頷く。


「ああ。驚くべき効能だ。しばらく飲み続けた方が良いだろうが、もう心配いらないだろう。」



 それから数日、俺達は療養のため、という名目でその場に留まった。


 俺達が寝泊まりしていた場所は、ハクの言った通り、あのカルデラのような場所にあった温泉地で、そこにハクが建てさせた数階建ての旅館のような建物だった。


 以前戦のあとに翠雨達が話していたように、この温泉地全体に陰の気の結界が張られ、周囲を囲む岩壁と結界によって許可された者以外は近づけないようになっているらしい。


 今回は、ハクに出入りの自由を許可されていた俺と尾定がいて、さらに柊士から受け入れ許可を求める手紙がハクに送られた事でスムーズに受け入れに至ったという事だった。


 それから、あの時には自然にできた温泉の周りに申し訳程度に足場と小屋があるという感じだったが、今や高級旅館とその庭園か、というくらいに整備されている。

 保養地にすると意気込んだハクが計画を立て、時々泊まりに来たいと言ったハクの為に璃耀が整えさせたのが、今の状態なのだそうだ。

 温泉は、人界の温泉宿のように女湯と男湯があり、内風呂と露天風呂、飲料用の湯を汲む場所が作られるという徹底ぶりだ。


 建物自体は、下層階は兵たちが利用する場所で、上層階に行くにつれて重鎮や賓客向けの部屋になっているとのことだった。

 ハクの部屋は最上階。一番安全なところにハクが泊まれるようになっているらしい。


 俺は賓客向けの部屋に通されていたのだということを、あとになってから教えてもらった。そういえば、亘のいた部屋に比べて随分綺麗な部屋だったような気がする。


「白月様の従弟様なのですから、当然です。」


と、俺の身の回りの世話をしてくれていた毛助が言った。


 部屋の外を歩いているときも、人界の妖の里にいる時のような対応だ。

 この前妖界に来た時には不審な小僧扱いだったのが、随分な対応の違いで戸惑いすら湧いてくる。


 まあ、ハクと一緒にいる時の周囲の視線はあの頃と全く変わりは無かったけれど。


 湯に浸かって体を癒やしてこいと紅翅と尾定に送り出されて亘と温泉に向かう途中、


「言葉や態度は丁寧ですが、何というか、闇討ちでもされそうな雰囲気はありますね。」


と亘がぼそっと呟いた。

 どうやら俺が気づいてないだけで、ハクと一緒にいない時にも似たような状況だったらしい。

 その一言に気を引き締めたのは言うまでも無い。

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