第172話 友人の懸念:side.璃耀

璃耀りよう様、蒼穹そうきゅう殿がいらっしゃいましたが、いかが致しましょう? 随分と気が急いているご様子ですが、御約束は無かったかと……」


 突然の軍団大将の訪れに、副官であるこうが困ったような声をだした。

 普段であれば、約束もない面会依頼は誰が来たかを確認するだけで追い返させる。突然の訪問を受け入れるのは、白月本人か、白月に関する事柄を運んで来た者、それから浩に止められぬ勢いで翠雨が押しかけてきた時だけだ。

 白月の覚えめでたい軍団大将が、大きな図体で勢いのままにやってきて対応に困ったのだろう。浩はいつもよりも申し訳無さそうに璃耀の様子を伺っている。


「良い、通せ。」

「はい、承知いたしました。」

 

 ホッとした様子の浩を横目に璃耀は確認していた書類をパサリと置くと、まとめて脇に避ける。璃耀には蒼穹の要件に検討がついていた。いずれ自分から訪れる予定だったのだ。ちょうどよい。


「浩、人払いを。其方も外せ」

「しかし……」


 蒼穹を連れて入ってきた浩にパッと手を振って戸を示す。しかし、部屋に二人だけにして残していくのを躊躇うように、浩は璃耀と蒼穹を見比べた。真面目であることは間違いないが、柔軟性に乏しいのが浩の欠点でもある。

 

「二度も言わせるな」


 璃耀がにべもなくそう言い放つと、突然やってきた張本人である蒼穹は、気の毒そうに浩に目を向けたあと、トンと軽く肩を叩いた。

 

「宇柳を外に待たせてある。要件が済めば浩殿を呼びに行かせよう。心配せずとも良い」

 

 渋々といった様子で出ていく浩を見送ると、蒼穹は仕方が無さそうに璃耀を見る。


「もう少し愛想よくしたらどうだ? 浩殿はよくお主に仕えていられるな。そのうち辞められるのではないか?」

「数日で辞めていった者の中で残ったのが浩だ」

「……あー……それは何と言うか……もしそうであれば、尚の事大事にしたほうが良いのではないか……?」


 なんとも言えない顔で閉じた戸の向こうに目を向けた蒼穹に、璃耀はフンと鼻を鳴らす。


「今は浩のことなどどうでも良かろう。其方の要件は何だ?」


 おおよそ検討はつきつつも璃耀がそう問うと、蒼穹は殊の外真面目な顔で璃耀をじっと見た。


「お主、本気か?」

「は? 其方の要件は浩の話よりも優先度が低いのか?」

「そうではない。お主、本気で鬼界に行くつもりか?」


 自分も白月を探しに鬼界に行くから、協力しろと記した文を届けさせたのは今朝の話だ。


「そのつもりだが?」


 璃耀が静かに答えると、蒼穹の目がくわっと見開いた。


「鬼界がどの様なところか分からぬわけではなかろう!? そもそも、お主が行って何になる。それに、万が一の事があれば、蔵人所と雉里をどうするつもりだ?」

「では逆に聞くが、あの方の居ない蔵人所に残って何になるというのだ? 翠雨様にでも仕えるか? 冗談ではない。私はそもそも、白月様の側近くにお仕えするために朝廷に戻ったのだ。あの方の居ない幻妖宮など、なんの価値もない」


 きっぱりと言い切った璃耀に、蒼穹は唖然としたような顔をする。

 

「……まさか、二度もお主からその言葉を聞くことになるとは…」


 百年程前、璃耀は同じようなことを同じように蒼穹に宣言して幻妖京を出た。心からお仕えしていた先帝の死後のこと。正しく妖界を治める力もその資格もないのに帝位に就こうとした驟雨しゅううになど仕えていられるかと言って。

 それでも璃耀がここへ戻ってきたのは、白月が驟雨を討ち帝位に就く決意をしたからだ。そうでなければ、幻妖宮になど二度と戻って来るつもりはなかった。

 白月が戻らなければ、朝廷を動かしていくのは驟雨の弟であり、現柴川家当主の翠雨だ。人界が柊士や奏太を手放すとは思えないし、白月の残した手段によって人界の者が帝位に就かずとも妖界を維持できるようになった。


 ……白月様の居ない幻妖宮に残って、翠雨様に仕えていくなど、真っ平だ。

  

「浩を柴川に仕えられるくらいには教育してある。蔵人所は私が居なくてもアレがある程度回していくから問題ない」

「しかし、蔵人所は浩殿に押し付けられても、以前のように雉里の家を押し付けられる兄はいないだろう。どうするのだ?」


 前回家を出た時には、兄である琥鳳こほうに家を任せた。正確には、置手紙だけを残して何も言わずに家を出た。能力から次子である璃耀が当主に就いていたが、長子が当主になることに何の問題もない。唯一、譲られる兄が屈辱を感じて引き受けるかどうかが懸念ではあったが、家を出た璃耀にはもはや関係がなかった。

 その兄も、驟雨に仕えていたことで既に処刑されている。

  

「兄上と共にその妻も処刑したが、生まれて間もなかった子はこういう事もあろうかと残してある。五十年は私の戻りを待たせるが、それ以降はその子が当主を継げる年になっているだろう」


 五十を超えれば妖は成人として認められる。それまでに白月を連れて自分が戻れば良し、そうでなければ、一度捨てた雉里の家など他にくれてやったところで別に問題はない。今の状態でその頃を迎えれば、人と同じ様に歳を取る白月は恐らく老いているだろう。無事に妖界に連れ戻せても、あの方の為には山羊七のところにでも共に引っ込んでおいた方が良い。


琥鳳こほう様の子か……」


 蒼穹は嫌そうに呟いた。

 盲目的に驟雨に仕え、権力にしがみついていた兄を良く思う者は少ない。家を飛び出し全てを押し付けた璃耀も多少の後ろめたさはあるものの、それでも馬鹿な兄であったと思っている。

 

「どの様に育つか分からぬが、取り立てようが没落させようが、翠雨様に任せておけば良い」

「……また投げやりな……」

「白月様の御代に混乱を招くようであれば許し難いが、あの方も私も居ない京がどうなろうが知ったことではない。存分に苦労すれば良いのだ」

「……お主は、翠雨様にも容赦がないな」


 呆れた様に蒼穹は言うが、璃耀はそもそも翠雨とは反りが合わないのだ。戦禍で如実に出ていた主より治世を優先する思想も、強引に物事を通そうとする姿勢も、わがままで自分本位な言動も、どうにも相容れない。白月に仕える為に必要だから協力しているだけで、近寄らずに済むならそれに越した事はないし、できるだけ主にも近づけたくない。妖界を治める為に苦労するなら勝手にしておけと思う。


「まあ、お主の考えはよくわかった。しかし、行き先は鬼界だぞ。戦う術を持たぬお主が、その様なところへ行けば、命がいくらあっても足りないのではないか?」


 こちらをじっと見つめる目には、璃耀への心配が色濃く映っている。しかし、璃耀はここを譲るつもりはない。白月を迎えに行くのは自分だと決めている。


「戦う術が全く無いわけではない。四貴族家の子として身を護る為の武は一応それなりに身につけている。」


 苦手であることは間違いないし、誰かを守って戦えるほどの力はない。根っからの文官気質だ。それでも、京を出たあとは、長い年月、自分の身を守りながら妖界のあちらこちらを放浪してきた。


「いざという時の毒や薬の類も準備しておくつもりだ。あちらに連れて行く人材に薬師が居たほうが何かと便利なこともあるのではないか?」


 放浪の旅の中で生計立てるために身につけた薬売りの知識は、それなりに役立つこともあるだろう。

 

「……未だに自分を薬師だと思っているのはお主だけだ」


 蒼穹は疲れた顔でそう言った。 


「では、何があっても着いてくるつもりなのだな?」 

「あの方をお迎えに上がるのは私の役目だ。それだけは譲らぬ」

「………………わかった」


 何か言いたげな長い長い沈黙の後、蒼穹はようやく諦めたように深々と息を吐いた。


「せめて、自分の護衛は連れて行け。白月様と同じで、自分の周囲の護りを疎かにするお主はどうにも心配でならぬ。お主が死ねば、白月様も気に病まれる」

「そちらの人選は終わっているのか? 軍団の全てを連れて行くわけにはいかなかろう」

「とっくに終わっている。今は対鬼の訓練を集中して行っているところだ。問題はお主の事だけだったのだ。せめて、翠雨様の了承は得ておけよ」


 蒼穹の言葉に、璃耀はあからさまに顔を顰めた。


「……許可が必要とは思えぬ」

「白月様不在時に朝廷を動かしていくのはあの方だ。必要ないわけがなかろう。そんなに嫌そうな顔をするな」


 そうは言われても、面倒事が残っていることに気分が重たくなってくる。許可自体を得るのは難しくないが、それに伴う嫌味と翠雨自身が共に行けない事への僻みに付き合わなくてはならないのが億劫でならない。

 大して時間のかからぬ要件でも、本人の気が済むまでグチグチと文句を言われ続けるのが常なのだ。


 すんなりと許可を取り付け、愚痴を煙に巻いて出てくるにはどうすべきかと考えてはじめていると、不意に蒼穹が何かを思い出したように、ぽんと手を打った。

 

「そうだ、翠雨様といえば、あの方が何やら不老不死について調べ回っているようだぞ。噂に尾ひれが付き、ご自分の寿命を伸ばし、白月様の不在に驟雨様と同じ様に帝位を得て妖界に君臨するおつもりかと訝る者も多い」


 その話は璃耀の耳にも届いていた。白月のいた頃はそれなりに慎重に周囲を動かし表に漏れないようにしていたようだが、不在となった今、秘密裏に動かす必要がなくなったのか、噂や憶測が広がってきている。

 

「噂など放置しておけ。翠雨様が驟雨と同じ轍を踏むとも思えぬ。どうせ、白月様の為に探し回っているのだろう」


 五百年生きる妖や、妖の血を色濃く継いでいたこれまでの帝と違い、人界から送られてきた白月の寿命が人と同じ百年だと聞かされた時の翠雨の様子が少々気になっていた。何かを考えているのだろうと思っていたが、不老不死の術を探していたらしい。


「お戻りになった白月様が不老不死になったとて、困る者は居まい。御本人に恨まれるのは翠雨様だけだ」

「……やはり、あの方は望まぬか」

「翠雨様とて、望まぬとわかっているはずだ」


 それでも、あと百年と待たずに別れが訪れるのは耐え難い。いくら翠雨と気が合わなくとも、その気持ちだけは、璃耀にも理解できる。


 ただ、そんなことよりも前に、鬼界へ行ったあの方を無事に連れ戻すのが先決だ。連れ戻すことができなければ元も子もない。主も自分も不在の間やその後のことは翠雨に任せておけば良い。


 そういう意味では璃耀は翠雨を信頼していると言えなくもないのだが、璃耀自身はそれを認めるつもりはない。


 璃耀は白月の部屋がある方へ視線を向けてから、小さく息を吐いた。

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