第102話 疫病神の再来①

 遥斗ととっている講義のうちの一つに宿泊研修会があると知ったのは、つい先日のことだった。

 泊りがけで農村を訪れ環境や歴史、その地の生活を調べるというものだ。

 住んでいるところが農村なのに、わざわざ別の農村に行かされて調べ物とは、一体どういうことだろうか。


 講義の終わりに宿泊研修の説明が突然始まり唖然としていたところで、


「シラバスに書いてあっただろ。」


と遥斗に笑われた。


 当然、両親や周囲の者からは不安視の声が上がったが俺にどうこうできるものではない。

 正当な理由なく参加しなければ単位を落とすと脅され、家族にはもうちょっと考えて履修登録しろと文句を言われながら当日を迎えることとなった。

 両親はわかるが、柊士にくどくど説教されたのは未だに解せない。


 大学からバスに揺られること約二時間。着いた先は山間の長閑な村だった。

 周囲の景色の雰囲気は、思った通り俺の家の周りと大して変わらない。

 俺達は、一泊二日で村の端に建てられた青年自然の家に宿泊することになっていた。


 この研修の目的は、自分で課題を立て、あらゆる手段を用いてそれを調べてレポーティングすること。その為、調べるテーマは各自が設定することになっていた。昼間は各自のテーマに沿った研究を行い、夜はレクリエーションが用意されている。


 俺は遥斗に誘われ、この地の伝承を調べることに決めていた。


「でも伝承って言ったってなぁ」

「この辺、結構、妖怪とか鬼の伝承は多いらしいよ。」

「え、地域の風習とか民間信仰について調べるとかじゃないの?祭りの成り立ちとか……」


 テーマを決めるのが面倒だったので遥斗の案に乗ることにしたのだが、まさか妖怪や鬼について調べようとしていたとは思わなかった。

 俺にとっては、それはもはや伝承というより身近な生活の一部だ。それに、妖怪や鬼の伝承が多いなんて縁起でもない。


 汐と亘が一時的に御役目から外れたこのタイミングで妙な事に巻き込まれでもしたらと思うと、不安になる。亘の不在は柾が担うことになったと柊士から聞いたが、俺はまだ柾の事をよく知らないし、案内役が誰になるかも聞いていない。


 右も左もわからないまま、否応なしに汐と亘に連れ回されていたあの時とは状況が違う。

 面倒事には意識的に近づくな、汐の声と表情が目に浮かぶ。


「……テーマ、変えようかな……」

「なんだよ、今更。いくら怖がりだからって、妖怪や鬼なんて御伽噺が怖いわけじゃないだろ、流石に。」

「いや、まあそうなんだけど……」

「調べるなら二人でやった方が早いしさ。ほら、ひとまず郷土資料館に行こう。皆もう動き始めてるよ!」


 遥斗はそう言いつつ、俺の背を押す。


 ……まあ、資料調べて、市役所の人に話を聞くくらいで終わるなら別にいいか。



 不安は過ぎった。でも強行突破した。だからいつも余計な事に巻き込まれる。なんで学ばないんだろう、そう思ったときには大抵後の祭りだったりする。

 汐と亘の言う通り、俺には疫病神がついているのかもしれない。



 遥斗と共に郷土資料館で文献を読み、この地に伝わる伝説を調べていく。

 伝わる内容はざっくり以下の通り。



 ―――それは遠い昔の話。


 一体いつ何処から来たか、ある時を境に峠に鬼が住まうようになった。

 峠にはこの地と他の地を結ぶ唯一の道があり、その道を通って行商が訪れ、この地の者もまた別の村へ物売りに出かけていた。

 元々水が少なく作物が育ちにくい地であったため、他の村や町との交流は生きていくのに必須であった。

 しかし、峠に住まう鬼により、運ぶ食べ物も通る者も皆食われてしまうようになった。

 あの峠には鬼が出る。そんな噂のせいで誰も訪ねてこなくなり、村の者達は貧困の中、次第に食うものに困るようになっていった。


 そこに現れたのは、背に翼の生えた一人の優しげな青年だった。

 青年は言う。

 鬼に困っていると聞いた。鬼や悪い妖怪から人の世を守る役目を担う御方の命でこの村に住まう鬼を確認しに来たのだ、と。


 村人は歓喜した。

 青年の力になるため、村の男も同行させて鬼退治に向かう。


 しかし、戻ってきたのは青年一人。傷つき翼を無くし同行した男達までも失い、それでも命からがら鬼を退治したのだと、大事な村人を失うことになり申し訳ないと涙しながら語ったのだという。


 尊い犠牲の元、村には平和が戻り、他の地との交流も再開。次第に潤いを取り戻していった。


 青年は、失った男達の代わりに孤児引き取り育てながら、村の隅にあった廃寺に住むことにした。

 気のいい青年は時折別の村からも孤児を引き取り育てていく。


 村人は、村に尽くしてくれる青年のために立派な寺院を贈り、感謝の意を示したのだという。



「……なんか、いろいろおかしな話だな。」


 俺が言うと、遥斗はハハっと笑う。


「まあ、民話だからね。」


 ……にしても、鬼や妖から人の世を守る役目、ね。


 偶然すぎて嫌になるが、もしも翼のある青年に指示を出したのが守り手なのだとすると、きっと、確認というのは偵察に来たということだろう。

 以前汐に教えてもらった。最初から鬼と戦うのでなく、一度見に来た上で状況に応じて複数人で対処に向かうのだと。

 相手がどんな者かもわからないのに、鬼退治になんて向かうだろうか。

 それに、今の里の連中を見ていると仲間意識と守り手への忠誠心は強いけど、その他に対しては結構ドライだ。人が鬼によって殺されたところで、この地に定住を決めるような事までするだろうか。


 まあ、たまたまそういう奴だったのかもしれないし、時代ってこともある。こんな話を真に受ける俺の方がどうかしてるか……


「ねえ、その寺が、まだこの地域に残ってるっぽい。それまとめたら行ってみよう!」


 遥斗は持っていた本をパタンと閉じ、キラキラした目でそう言った。



 昼食を済ませたあと寺院に電話で連絡を取り、俺達は目的の寺院に向かった。集合時間は三時。話を聞いて戻る余裕は十分だ。


 訪れた寺院はごく普通の何処にでもあるようなものだった。庭には紫陽花がきれいに咲いていて、民家への入口と法要等を行う本堂への入口がそれぞれにある。


「あ。」

「どうした?」


 声を上げた俺に、遥斗が首を傾げる。

 紫陽花の下にキーホルダーが一つ、落ちていたのだ。小さなクマのキーホルダーとそれに括り付けられた可愛らしい小花の描かれたピンクの御守りは、この寺院の物かどうかはわからない。

 ここに訪れた人が落としたものなのかもしれない。見たところ落としたばかりのようで、汚れはほとんどない。

 俺はそれをヒョイと拾い上げた。


「それ、どうするの?」

「お寺に預けるよ。御守だし、あんまり放置しておくようなものじゃないだろ。」


 預けて置けば、持ち主が見つかるかもしれない。そう思い、ひとまずポケットに滑り込ませた。


 俺達は民家の方の入口へ来るように言われ、チャイムを鳴らす。すると、


「どうぞ、中へお入りください。」


という穏やかな男性の声が聞こえてきて、俺達は玄関を開けた。

 広い土間の向こう側、奥まった廊下の入口で、背の低い老人が作務衣に身を包んで立っていて、柔和な笑みで、この寺院の住職だと挨拶してくれた。


 俺達は窓のない廊下を通り、奥まった部屋に案内される。部屋にも窓はない。そのせいか、外はすごく良い天気なのに、部屋の中はジメッとしていて薄暗いような気がした。


「大学の研修だと役場の方から聞いていますよ。大変ですね。私は独り者なので、お話できるお相手がいるのは嬉しいものですが。それで、何についてお聞きになりたいのでしょう?」


 そう尋ねられて、俺達は先程まで調べていたこの地に伝わる鬼と妖の話を住職に説明していく。


「このお寺が、その妖が住んでいた寺だったのだと知って、何かその証拠になりそうなものや、それにまつわる風習のようなものがないかと思って。」


 遥斗が言うと、住職はなるほどと頷いてから微笑んだ。


「証拠のようなものはありませんが、それにまつわる風習なら、いくつかありますね。

 一つは寺院の造り。

 入ってきてから窓がない事に気づきましたか? この建物には極端に窓が少ないのです。

 それに、この地で行われる葬儀や法要は基本的には夜に行われます。

 どちらも、この寺の最初の住職が妖であったという言い伝えが元にあるためです。

 妖は日の光に弱く、太陽の下に出られぬため、と聞きます。

 おかしな話かと思われるでしょうが、村を救った恩人に合わせ、それが未だに伝わって根付いているのですよ。」

「それって、貴方も妖怪の血を引いているって事ですか?」


 遥斗が無邪気にそう尋ねると、住職は声を上げて笑った。


「そうであったら、随分夢のあるお話ですね。残念ながら、私には妖の血は流れていないと思いますよ。」


 住職の反応に、遥斗は少しだけ残念そうな表情を浮かべる。よほど、そういったものに興味があるのだろう。普通の感覚であれば、きっと住職のように笑い話になるはずだ。


「それから、この地では、未だに土葬なのです。これは、昔峠に住まう鬼が喰うに困って時々降りてきた事に由来しているそうです。生者を喰らわれぬよう、死者へと目を逸らしたのだと言い伝えられています。鬼を倒したあとも、同じ様な事が起こらないようにと、火葬とならずそのまま残った風習だそうですよ。」


 それから、調べた民話ももう一度住職に話してもらったが、そちらは特に、書物に記載されたものと大きな違いはなかった。

 ただ、この地の風習が知れたのは発見だったと思う。


 話を大方聞き終わると、俺達は聞いた話を書き留めつつ寺をあとにした。

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