第108話 疫病神の正体②

「何を驚いておる。うぬが呼ぶから来てやったというに。」


 その言葉に、俺の後ろにいた父はもちろん、祈祷きとうをしていたはずの宮司もピタリと動きを止めて、突然現れた少女を凝視する。


「一体いつの間に……」

「……何処から現れたんだ……?」


 しかし、少女は二人の疑問に答えることなく、いつか見た時のように、着物の袖と裾をわずかに翻しながらふわりと浮かび上がり、祭壇のうえに尊大に腰掛けた。


わらわは、ここに複数まつられる神のうちの一柱だぞ。祈りの言葉は一応届く。常ならば人前には姿は現さぬが、汝の声が聞こえた故来てやったのだ。」


 ……は……? 神……?


 唖然と少女を見つめていると、少女は呆れたような表情をして俺を見下ろす。


「何を呆けておる。土地神だと教えてやっただろう。」


 ……土地神……

 言われてみれば、確かにそんな事を言っていた気もするけど……


 ただ、そうは言っても、あの時はとにかく必死で、そんな事に気を配ってなんて居られなかった。少女の正体なんてどうでも良くて聞き流していたのだ。


 そうやってあの雪の日の事を思い出していると、宮司からも、


「……神……様……?」


という声が漏れ聞こえてきた。

 宮司は完全に目を見開き固まってしまっているし、父も同じように口をポカンと開けて少女を見ている。


 神様が目の前に現れるなんて、普通に生きていたら起こることじゃない。二人の反応の方が正常だろう。

 ただ俺は、あの一件があったせいで目の前の少女の存在を普通に受け入れてしまっている。

 しかも、敬う相手というより警戒対象だ。生贄にされかけたことは絶対に忘れない。


「……それで、ここに何しに? もう生贄いけにえはいらないだろ?」

「だから、言っているだろう。汝が呼ぶから来てやったのだ。厄ははらってやれぬが、理由くらい教えてやろうと思ってな。」

「……理由?」

「汝が妙な事に巻き込まれ続ける理由だ。知りたかろう?」


 少女は俺の方をじっと見つめて小首を傾げた。


「まあ、それは知りたいけど……」


 俺が言うと、少女は満足そうに頷く。


「汝らにはこれからも力を貸してもらうと、もう一人の小僧と約束したからな。これくらいなら、いくらでも教えてやる。」

「え、は? もう一人の小僧って……」

「汝が呼んだもう一人の陽の気の使い手だ。悪鬼の封印には、にえより直接気を注ぐが効率が良いとわかったからな。」


 にこやかに笑う少女に、苦い気持ちが沸き上がる。生贄にならなくても、死ぬ思いであの結界を塞いだのだ。しかも、俺一人の力では全然足りなかった。


「あれをまたやれって……?」

「あそこまで封印の力が弱まっていなければ、ああはならぬさ。少なくとも、死ぬようなことはあるまい。」


 俺達がそんな話をしていると、父が恐る恐るといった様子で声を上げた。


「……おい、奏太、一体何の話だ? お前、また変な事に……」


 ……そういえば、混乱させないように悪鬼の話や生贄の話まではうちの両親には言っていないと柊士は言っていたっけ。


「な、何でもないよ。柊ちゃんもちゃんと状況は把握してるから、大丈夫。……たぶん……」


 父は最後に口籠くちごもった俺にいぶかしげな視線を寄越す。ツイっと視線をそらすと、その先にいた少女は肩をすくめた。


「まあ、もう一人の小僧にも言ったが、手を貸すつもりが無いなら、今までのように贄を埋めるだけだ。どうするかは汝らに任せるさ。」

「そんな事させられる訳無いだろ!」


 思わず声を荒げると、少女はニコリと笑みを浮かべた。


「良い心掛けだ。時期になったら呼びに行く。

 それで、汝の問の答えだが……」


 そう言いつつ再びふわりと飛び上がり、俺の前に座り込むと、少女は指でトンと俺の胸の辺を突いた。


「汝の元に次々と厄介事が訪れるなら、それは厄ではなく、汝の宿命が呼び寄せているものだ。」

「……宿命?」


 あまりに曖昧で不確かな答えに、俺は首を傾げて少女を見る。妖も鬼も神も居るのだ。疫病神がついていると言われた方がまだわかる。

 宿命だなんて言われても全然ピンとこない。

 すると、少女は何故わからないのかとばかりに片眉をあげた。


「汝の命、その血に宿るとがが、厄介事を引き寄せている、ということだ。」

「……咎って何? 俺、何も悪いことしてないけど……」


 心当たりが全くなく眉をひそめると、少女は首を横に振った。


「汝の話ではない。汝らに流れる血の話だ。

 そもそも、汝らの祖先は咎を犯し妖へ成り下がった神だと聞く。陽の気にも陰の気にも耐える異質の存在だったそうだ。」


 ……そんな話は初耳だ。父を振り返ってみたが、父はポカンとしたまま首を横に振る。宮司に視線を向けても同様だ。


「厄介事に巻き込まれると言うが、汝らはその咎のツケを払わされている、といった方が正しい。咎のつぐないの為に人の世を護り妖の世を護る。それが先祖の血を色濃く継ぐ汝らの背負う宿命だ。故に、自然と護るべきものに害成す存在に引き寄せられていく。」


 ……先祖の咎のツケ? それを、千年以上経った今もまだ、俺達子孫が払わされていると……

 一体どれだけ悪いことしたら、末代までツケを払わされるような事になるのか、途方に暮れる。


 でも一方で、血が原因だとしたら、最近急に妙な事に巻き込まれるようになったり、柊士より俺のほうが巻き込まれている現象に説明がつかない。


「先祖の血のせいだって言うけど、今まではこんな事無かった。妙な事が起こるようになったのは、役目を負うようになってからだ。だろ?」


 父の方を見ると、父は難しい顔で俺と宮司、そして少女を見た。


「……大きな事件は無かったが、昔から、ちょこちょこ変なことは起きてた。夜中に怖いものが出たと泣くことが多かったし、出かけた先で突然行方が分からなくなったこともあった。何かがいると怖がって近づかない場所もあった。明らかに人ではない何かを友だちと呼んで家に連れてこようとしたこともある。お前には言ってなかったが、手を光らせる前からあまりに妙な事が起こるから、ここに厄払いにも来たし、里の者を近くにコッソリつけてもらっていた時期もあった。」


 俺は唖然として父を見た。全然気づかなかった。それに、これといった覚えがあまりない。

 すると、少女はフンと鼻を鳴らした。


「幼少期に大きな事が無かったのにも理由はつく。物事は見える範囲でしか起こらないのだ。

 家の中だけ見えていたものが、住む地に広がり、更に外へ。人界を知り妖界を知り鬼界を知り、この世のことわりに近づく程に、課せられる宿命も目を覚まし大きく重くなっていく。

 見える世界が広がれば、それだけ範囲は広がっていくものだ。」


 つまり、役目を担い、いろいろ知ったからこそ起こっている問題だということか……


「柊ちゃん……もう一人の陽の気の使い手よりも俺の方が厄介事に巻き込まれているのは?」

「ただ単に汝に見えていないだけかも知れぬぞ。

 それに、誠にもう一人の小僧が汝のようになっておらぬのなら、そちらは周囲を使って上手くやっておるのだろう。己の宿命を自覚し起こる事柄を制御し周囲を上手く使わねば、命などいくらあっても足らぬだろうからな。」


 ……なるほど……

 確かに言われてみれば、柊士は上手く妖連中や、場合によっては俺を使って対応しているような気もする……


 解せない思いであれこれ思い出していると、少女は再びふわりと浮き上がり、祭壇の上に戻りつつ、何気ない調子で、


「まあ、ほんに大変なのはあちらに遣わされた者の方であろうが。」


と続ける。


「あちら?」

「妖界だ。汝は人の世に住み妖の世に関知せぬで済んでいるが、人の世に生まれ育ち妖の世に遣わされた者は、人を護る宿命の上に妖を護る宿命まで負わされる。汝ともう一人の小僧の倍の荷を背負っているということだ。まだ汝の荷は軽いと諦めよ。」

「え、それってハクの事?」

「名まで知らぬが、それが妖界の帝のことであればそうなるな。」


 俺が唖然として少女を見つめていると、


「おい、奏太、それってまさか、結のことか?」


という父の声が小さく響く。


「うん。」


 そう短く答えると、父は顔色を悪くして口をつぐんだ。


「贄として妖界にやった者が向こうでさらなる重荷を背負わされていることに罪の意識でも持ったか?」

「……贄って……」


 小さな俺の呟きに、少女は何気ない調子で答える。


「贄だろう? それ以外に何がある。」


 そしてうつむく父をチラッと見たあと、少女は仕方がなさそうにハアと息を吐いた。


「まあ、妖界に閉じ籠もっていれば、そのうち人界との繋がりも薄れ、妖界のことだけに専念できりるようになろう。今までの帝もそうであっただろうしな。」


 ……いや、今までの帝はそうかもしれないが、今のところ、ハクはしっかり人界に関わろうとしているんだけど……


「閉じ籠もって無かったらどうなるの?」

「いつまでも繋がりは切れずに、どちらにも巻き込まれ続ける。何れも結界を強固に閉じさえすれば、厄介事自体が減る故、根本解決するならばそちらだろうがな。さすれば汝が巻き込まれる厄介事も減るだろう。」


 ……結局は、結界を強固にすることが一番重要だってことか……


「あのさ、ついでに知ってたら教えてほしいんだけど、人界の結界石って何処にあるかわかる?」


 俺が問いかけると、少女は首を傾げてあごに手を当て、視線を上に向ける。


「はて、何処だったか。何やら問題ごとがあったはずだが……破壊されたか、隠されたか……」

「は、破壊!?」


 俺は思わず声を荒げた。


「まあ、待て。覚えておらぬだけだ。完全に破壊されていれば、人界と鬼界は今頃一つの世界になっておる。そうなっておらぬのだら、何処かにはあるはずだ。思い出したらまた教えに来てやるさ。」


 少女はのんびりとした様子でそう言った。



 結局、少女はそれ以上何を語るでもなく、


「用はこれで終わりだな。また呼ぶ故、その時は頼むぞ」


と言い残してふわりと浮かび上がったあと、その場でフッと姿をき消した。


 少女が消えると、宮司も父も張り詰めていた空気を緩める。


「まさか、神様が顕現為さるとは……」

「奏太が粗相でもしないかとヒヤヒヤしたぞ。」


 二人はそう息を吐く。


 俺は、結局何かが解決したわけでもなく、改めて結界を強固にしろと言われただけで、何だか不完全燃焼だ。


 明日から、どうしようかな……


 そう考えながら、祭壇の上の鏡を見つつ途方に暮れた。

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