閑話 ―side.湊:唯一の居場所①―

 母が後妻で、自分は兄達と腹違いであると聞いたのはいつだったか。


 前妻は都築兄上と拓眞兄上を産んで死に、その後、父は私の母を迎えた。


 亀島家の当主が見初め、里の外から新たに迎えられた幸運な妻。その美貌を外に出さぬよう、当主は大層妻を大事にし、屋敷を与えて何不自由なく過ごせるよう惜しみない愛情を与えていた。

 しかしいつからか、体の弱い後妻は病に伏せるようになり、一層外に出ることはかなわなくなった。

 

 

 表向きの話ではあったが、私自身もそう聞かされ、母の住む離れではなく母屋に住んでいた。伝染る病だと母に会うことは許されず、いつか母の姿が見えぬかと、何度遠くから離れを眺めたかしれない。


 私が物心ついた頃には、既に都築兄上は西の里に行っていて、母屋で過ごす兄弟は拓眞兄上だけだった。


 都築兄上にはどうだったか知らないが、父は拓眞兄上にも私にも大して興味を示さなかった。雀野への劣等感と嫉妬、敵愾心だけで前に進むような人だった。

 たまに子どもに興味を向けたかと思えば私と拓眞兄上とでは、扱いが異なっていた。

 

 会えずとも母のいる私を羨んでか、後妻の子、病気が伝染ると虐げる拓眞兄上を、父は止めるでもなく黙認していた。

 それどころか、面倒な事柄や裏方雑用ばかりを私に任せ、表にでる役目は拓眞兄上に任せていく。兄はそれに増長し、父のいない間の私への扱いは、まるで奴隷のようだった。使用人も父と兄の言いなりで、私に手を貸すような者はいなかった。


 それでも、私の居場所はそこしか無かった。誰も手を貸してくれなくても、父に居ないように振る舞われても、腹違いの兄に奴隷のように働かされて暴力を振るわれても、私にはそこにしかいられる場所が無かった。


 御番所に出るようになっても変わらない。力のない私は文官仕事をするようになったが、父の力が深く及ぶ御番所の中で、父の機嫌を損ねぬように、ただ黙々と働いた。


 いつだっただろうか。父も兄も不在の日があった。使用人から無視をされても、横暴に振る舞う者が居ないだけで心が落ち着いた。疲れ果ててぼんやり縁側に座って離れを見る。


 いつものように、扉も雨戸も固く閉じ、まるで空き家のようにすら見えた。でも、中には母がいるのか……そう思うと、自分の母という人がどんな人なのかを見たくなった。

 父も兄も居ないのだ。今のうちならば会えるかもしれない、そう思った。


 周囲を見回し、誰もいないことを確認して、離れの中に入った。暗い廊下を抜けて、母を探していくつも戸を開く。でも、離れには、母どころか誰もいない。シンと不自然な程に静まり返っていた。


 どこかへ出かけているのだろうか、それとも、母などそもそもいなかったのだろうか。

 そう思いつつ、一番奥の部屋の戸に手をかけた。


 そこに現れたのは、部屋ではなく、地下へと続く階段。倉か何かだろうか、そう思い下っていくと、一体どこに続いているのか、鬼火のランプに点々と照らされた長い通路に出た。

 通路と言っても、土穴を掘り固めたような粗末な作り。私は興味本位でその通路を辿っていった。


 一体どこまで続くのか、歩いても 歩いても倉のようなものに着かない。

 里の結界すら越えたのではないだろうか。父は里の者に知らせず良からぬものを隠しているのではないか。見てはいけないものでもあるのではないか。

 何もない通路をひたすら歩いていると、そんな不安感が湧いてくる。

 一方で、もしかしたら、なにかの理由で里に住めない母の住まいに続いているのかもしれない、そんな期待感もあった。


 どれほど歩いたか、目の前に重く頑丈そうな扉が現れた。母の家と言うにはあまりに無骨で、父が里から隠したい何かなのだろう、そう落胆しながら、私は扉に手をかけた。


 鍵はなく、重い扉がギギっと軋みながら開く。


 中は土の壁がむき出しになった空間。その奥に、見たこともないほど美しい女が一人、ぽつんと座っていた。ただし、その手は縛られ、足は鎖で土壁に繋がれ、頭には白い角を二本生やしている。妖艶な笑みでニコリと笑いかけた女が鬼だとわかり、私は目を見開いて土の壁にトンと背を預けた。


 父が隠したかったものはこれか、そう思った。


 父が見初めるほどの美貌、病で外には出せぬ母、その母が居るはずの離れから長く続く通路の先にあった土で出来た穴蔵。でも、そこにいたのは、手足を繋がれた鬼だった。


「……まさか、そんなはずは……」


 思わず、そう言葉が漏れた。

 

 そんなはずはない。きっと、父が何かに利用するために捕えただけの鬼だろう。鬼であれば、里から隠そうとするのもわかる。私とは無関係だ。


 そう思いつつも、否定する頭とは裏腹に、真実を確かめんとする心と口が、勝手に動いていた。


「……お、お前の名は?」


 恐る恐る尋ねる私に、鬼は少しだけ目を丸くした後、ニコリと笑む。

 

 “たまぐも”


 そう、鬼の口が動く。

 声はない。ただ、口が動いただけ。


 それでも、私には、脳裏に焼き付いて離れない程の衝撃だった。


 “玉雲”


 それは、会うことすら叶わなかった、自分の母の名だったから。


 私は呆然とそこにへたりこんだ。


 

 どれほどそうしていたかはわからない。 

 不意に、ガチャガチャと音が響き、ギイと扉が軋む。私が入ってきた扉ではない。もう一つ、別の扉があることに、その時初めて気づいた。


 入ってきたのは、父の護衛役の一人。そしてその手に、意識を失った見知らぬ若い男を抱えていた。


 護衛役は俺に気づくと驚いたように目を見開き、それから、まるで何かを企む父のような柔和な笑みをこちらに向けた。


「これはこれは、湊様。人目を盗み、御母上に会いにいらっしゃったのですか? 御父上にしっかり叱って頂かなくてはなりませんね。」


 言葉が出なかった。他者の口から、目の前の鬼が母だと明確に言われたことへの衝撃と、父に言いつけられることへの恐怖。逃げ出すこともできたかもしれないが、体がどうしても動かなかった。


 護衛役は母の前に無造作にゴロッと若い男を転がす。何とも美しく満足げな顔を浮かべたあと、母は白く大きな牙を覗かせて、ガブリと男の首筋にかじりついた。


「貴方の御母上は大変に美食家でいらっしゃる。見目の良い男にしか食が進まぬようです。御気に召す者を見つけるにはなかなか苦労するのですよ。」


 どこか遠くに聞こえる護衛役の声をよそに、まるで飢えた獣のように口を血に染める姿に息を呑む。ただ、醜悪なはずのその行為に目を離せなくなったのは、私にも鬼の血が流れていたからかもしれない。



 父の護衛役は母に食事を与えると、両側に鍵をかけられるようになっているのか、入ってきた扉に内側から鍵をかけ、私の腕を捕らえるように掴んで後ろ手に捻り上げて土の穴蔵から離れへ続く方の扉へ連れ出した。


 母屋に入りに父の部屋に連れて行かれる。使用人はいつもの通りに見て見ぬふり。兄が居なかったことだけが唯一の救いだろうか。見られていれば、どの様にバカにされ外で言い触らされたかわからない。


 護衛役が父の部屋の前で呼びかけると、いつ帰ってきたのか、父の声が中からくぐもって聞こえた。



 父は驚いた様子もなく護衛役の報告を静かに冷めた表情で聞き、跪かされた私を見下ろしていた。

 隠していたものを見られた後ろめたさも、子が言いつけを守らなかった憤りもない。

 ただ、その辺のゴミでも見るような目だった。


「……私は何者なのですか……」


 興味の無さそうな父の様子にポロリと疑問がこぼれ落ちる。

 父の口から聞きたくない。そうは思っても、どうしても黙っていられなかった。

 

「鬼の血を引く女と私の子だ。残念ながらな。」


 父は、説明するのも面倒だとばかりに、短く、そうとだけ告げた。それから、チラと私を捕えた護衛役を見る。


「ちょうど良い。あれの世話は子であるお前に任せる。とう、いろいろ教えてやれ。」


 そう言うと、父はしっしっと手を振り、私達を部屋から追い出した。


 

 私の相手を任された燈は、面倒そうにしながらもいろいろ教えてくれた。


 鬼と妖の混血で、人に紛れて暮らしていた母は、その美しさから、たまたま里の外に出ていた父に見つかり連れ帰られた。しかし、母には鬼の血が色濃く、更に奇妙な力があった。それが何かは聞かされなかった。ただ、その力を封じるために声を奪い、鬼の力を振るわないように拘束し、深い土の穴蔵に閉じ込めたそうだ。父は人目を忍び母の元へ通っては、手足を拘束され動けぬ母を凌辱し、ついには私を孕ませた。


「鬼の血を引く忌み子、それが貴方様です。」 


 燈は愉快そうにそう言った。


 その日から、私の仕事に母の世話が加わった。


 燈に連れられ、母の食料を探す。母は生粋の鬼ではないせいか食事の回数は然程多くなかった。けれど、数週に一度は必要であるため、人里に降りては見目の良い男を見つけて連れ帰る。

 母の食料を捕るのは苦労した。母の気に入る容姿でないと食べようとしないからだ。その為、的頃な若者であればそのままさらい、まだ幼ければ目だけつけておいて育つのを待ち、良い頃合いで捕えるのだと教えられた。


 食事すれば排泄も必要だ。離れに繋がるのとは別の扉はそのまま山中に出られるようになっていて、まるで囚人か愛玩動物のように鎖で繋がれた状態で、時折燈が外に連れ出していた。


「さすがに湊様にそのようなことはさせられませんから」


 燈はそう言いつつ、私に任された仕事だと言うのに、食事も排泄も、甲斐甲斐しく対応してくれた。


 身を清めるときには、燈の妻が駆り出され、こちらも丁寧に対応する。


 “母は父に飼われている” そう表現するのが正しいのだと、夫婦を見ていてそう思った。

 

 

 母のことを教えられたその日から、父の態度は明らかに変わった。兄上と私の差はよりハッキリ明確になり、御番所でも小間使いをさせられ、どんな些細な失敗も許されず詰り貶されるようになった。


 “鬼の血を引く忌み子”


 今までは、それでもある程度は何も知らぬ息子に対して取り繕おうとしていたのだと、真実を知らされて初めて理解した。

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