閑話 ―side.湊:唯一の居場所②―

 家では拓眞兄上の奴隷、御番所では父の言いなりの小間使い、空いた時間で里を出て母を生かすために食料を捕りに行く生活が続いた。

 母が自由を奪われたうえで父に飼われ、その血を引く自分は、いったい何のためにここにいるのか、そう思いながら日々を過ごした。


  

 ある時、突然、日向の当主が交代した。先代が高齢で動けなくなってきた事が要因だと聞いた。


 新しく当主になられたのは、人で言えば三十に満たない年頃の女性だった。

 名は優梛ゆうな様。

 里の皆によく目の届く方で、丁寧な仕事をすればよく褒め、手を抜いたとわかる者には厳しかった。弱きを助けてすくい上げ、里の権力者にもよく目を光らせ、皆からよく慕われていた。


 それは私も例外ではない。優梛様が当主になられてから、仕事のやりがいは大きく変わった。父の対応もやらされる仕事も変わらなかったが、その一つひとつに優梛様が目を留め褒めてくださる。それがとにかく嬉しかった。


 逆に、優梛様からの評価が厳しかったのが、父や兄だった。私や部下に仕事を押し付け、自ら動くことは殆どないのだから、当然だろう。

 自分達が評価されず、忌み子である私だけが評価される。それに疎ましさが増したのか、父と兄の当たりは更に酷くなっていった。


 父は口だけで手を上げる事はないが、拓眞兄上には些細なことでも、よく殴られ蹴られる。痣を誤魔化すことも増えていった。

 


「湊、私の所で働かない?」


 優梛様がそう声をかけてくださったのは、そんな日が続きしばらくした頃のことだった。父の態度を見兼ねたのかもしれない、痣を見られてしまったのかもしれない。それでも、


「湊は優秀だから、書類仕事を手伝ってくれると嬉しいわ。」


と言ってくださったことがうれしくて、一も二もなく頷いた。優梛様が救いの女神のように見えた。


 優梛様は直ぐに父に交渉してくれて、少々揉めたようだったが、私は優梛様の御側で働くことになった。

 更に、ただの書類整理係だと格好がつかないからと、案内役に任じてくださった。


 日向の御本家に部屋を貸してくださるとも言われたが、それはお断りした。本当はそうしたかったのだが、母の世話が残っている。

 優梛様に後ろ暗い事をしているという意味でも、優梛様の御側で暮らすことができないという意味でも、母が何となく疎ましい存在のように思えた。


 優梛様の書類仕事をお手伝いしつつ、時々結界の綻びを塞ぐ御役目にも同行させて頂いた。簡易的ではあるが、陰の気の結界張ることはできる。それを優梛様は喜んでくださった。

 優梛様の護衛役やもともといた案内役に受け入れられるかが心配だったが、温かく迎えてもらえて、自分にもこんな居場所ができるのかと、不思議な心地だった。


  

 事件が起こったのは優梛様が当主に就任されてから数年後のこと。

 

 優梛様には御本人の他に、守り手様である誠悟せいごという名の弟君がいらっしゃった。もうお一人弟君がいらっしゃったが、その方には陽の気を操る力はなく、御二人で結界の綻びを閉じて周られていた。


 更に、優梛様には柊士様、誠悟様には結様という御子がいらっしゃった。どちらの御子も、母父が守り手様であるせいか、人の祭りで手を光らせる前から陽の気を使う片鱗があった。

 次期守り手様だと密かに期待され、護られて過ごしていらっしゃった。

 

 その日、柊士様と結様は、同世代の者たちと通う学び舎の行事に泊まりで参加されていた。


「……危険ではありませんか?」


 予定が決まる数日前に護衛役にそう問われると、優梛様は困った様に笑われた。


「皆との思い出くらい作らせてあげたいじゃない。里からも護りはつけるし、何かあれば私も誠悟も駆けつけられるようにするから。」


 守り手様となられる資質を持つ子は、鬼や妖が引き起こす事件に何故か巻き込まれやすい。優梛様も承知の上で、それでも息子に普通の子と同じような経験させたかったのだと、そう仰った。



 日が沈み御本家に向かうと、優梛様はちょこちょこと時計を見ては、“しおり” と書かれた薄い冊子に目を通し、ソワソワと落ち着かない様子で過ごされていた。


「御心配なのでしょう。きっと、一日中こうしていらっしゃったのだと思います。」


 もう一人の案内役がクスリと笑いながらそう言った。でも、優梛様が何故その様に落ち着きなくされているのか、私にはどうしても理解ができなかった。


 そうしているうち、ドタドタと廊下を駆ける音が響いてきた。その足音は優梛様の御部屋の前でピタリと止まると、焦ったように声を張り上げる。

 

「優梛様、宿舎の近くに鬼界への穴が開き、鬼が複数侵入、柊士様と結様の御姿を見失ったと……!」


 周囲に動揺が走った。


 未来の守り手様候補である御二人が同時に行方不明になり、更に鬼が侵入してきているなど、異常事態だ。


小夜さよ、誠悟と粟路に連絡を。武官を動かしてと伝えて。くぬぎと私は先に行く。」

「私も行きます!」


 テキパキと案内役と護衛役に指示を出す優梛様に、私は声を上げた。置いていかれては堪らない。すると、優梛様はコクリと頷いてくださった。

 

 御夫君に家のことや、宿舎からの電話対応などを任せて優梛様は夜空に飛び立つ。


 着くと既に人がチラチラと懐中電灯で周囲を照らしながら辺りの捜索を進めていた。こうなると、我ら妖は動きにくくなる。


「道が舗装された付近は、人に任せましょう。私達は山中を。」 


 優梛様の指示に従い、暗く人では探しにくい山中に入り込む。子どもの足だ。もしも山に入ったとしてもそこまで深くは行けないだろうと、山際付近を探して回る。


 次第に、空を飛べる者を中心に武官が集まり始め、俄かに空が騒がしくなる。


「柊士様がいらっしゃいました!!」


 どこからか、そう声が響いた。


 声の方に向かうと、先代当主の護衛役である淕が柊士様の御側で必死に山へ駆け出そうとされるのを止めている。


「柊士!」


 優梛様が椢を飛び降り、駆け寄ると、柊士様はハッと顔を上げてピタリと動きを止め、優梛様の姿を探しだす。その姿を見つけると、じわっと瞳に涙を湧き上がらせた。

  

「おかあさん! ゆいが!」


 駆け寄った柊士様に、優梛様はホッとしたような表情を浮かべ、ギュッと御子息を抱きしめる。


「……よかった……無事で……」

 

 自分の母からは想像もつかぬその様子に、何故か胸を締め付けられるような心地になった。その様に大切にされていることへの羨望かもしれないし、優梛様の愛情を一身に受ける柊士様への嫉妬でもあったのかもしれない。


「柊士、結ちゃんはどうしたの?」

「……おにに……つれてかれた……みんなでそとでごはんたべて、あそんでて、むこうに、なにかいたっていうから、ついていって、そしたら……」


 泣きじゃくりながら、柊士様はたどたどしく説明をする。


「どこに行ったか、わかる?」

「……あっちの、うえのほう……」


 先ほどまで、柊士様が淕の手を振り払ってでも向かおうとしていた方角だ。 

 

「わかったわ。大丈夫。結ちゃんはお母さんが必ず見つける。」


 優梛様が言うと、ぶんぶんと柊士様は首を横に振った。

 

「おれも、さがす! おれだって、おかあさんみたいな かっこいい “もりて” になるんだから! ゆいは、おれがさがしてやんなきゃ!」


 さっきまで泣いていたくせに。優梛様の足手まといにしかならないのだから、さっさと戻れば良いものを。


 そう思っていると、優梛様は優しく諭すような声を出した。

 

「ねえ、柊士、聞いて。守り手の大切な御役目は、鬼や悪い妖から、人や良い妖を守ることよ。だから、柊士は皆を護っていてくれる? お母さんがお泊りの部屋に入ると、皆びっくりしちゃうでしょう。だから、柊士には、お友だちや先生を守っていてほしいの。できる?」

「でも……」

「大丈夫。結ちゃんはお母さんが必ず連れて帰る。柊士には淕を預けるわ。淕は中には入れないけど、柊士の護衛役として外にいる。だから柊士、皆の事をお願いね。」 


 優梛様はそう言うと、もう一度柊士様を抱きしめ、立ち上がる。そのお顔は、見たこともない母の顔から、守り手様、日向家の御当主のものに戻っていた。

 

「淕、柊士をお願い。何名かと共に宿舎に連れて帰って周囲を守って。万が一鬼が現れた場合には、武官の指揮と鬼の排除を任せるわ。」

「承知いたしました。那槻なつきかずら、共に来い。」


 淕は駆けつけていた別の武官を連れて柊士様を宿舎へ送る。その姿を確認したあと、優梛様と我らは再び夜空に舞い上がり、今度は柊士様が指し示した方角へ向かった。

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