第145話 もう一つの事件:side.柊士
……ここはどこだ?
古びた畳の上で柊士は目を覚ました。
体を起こすために手足を動かそうとして、紐のような細いもので自分の身動きが封じられていることに気づく。後ろ手に縛られ、両足も固定されていて、ご丁寧にも布で猿ぐつわまでされていた。
そこは見覚えのない小さな部屋。傘のかかった円い蛍光灯のお陰で明るいが、障子のかかった窓の向こうから光は入ってこない。
母親の命日。柊士は父親と護衛役たちと共に西の里に来ていた。
日向家の近くの寺に墓石はあるが、そこに母の骨はない。正確に言えば、この人界のどこにもない。
柊士の母は、鬼界に引きずり込まれて死んだからだ。
鬼界の穴が空いていた場所、そこに母の墓石がもう一つあった。
柊士は父親と共に、西の里にほど近い町外れにあるその墓石へ来るのが、毎年の習慣になっていた。
母が何故鬼界に引きずり込まれるような事態になったのかは聞いていない。幼い頃に説明されたかもしれないが覚えていないし、その後も誰も詳しいことを語ろうとしなかった。
柊士が見た母の最後の姿は、カッコいい守り手になるのだと言った自分に、子どものワガママをあやすように、『皆をお願いね』と笑った姿だった。
墓参りは必ず昼間。鬼も妖も出ない時間に父と二人だけで行く。必ず晴れた日に、日の照る時間に出て、日のあるうちに帰って来る。
同じ場所に鬼界の穴が開くことはほとんど無いが、それでも、危険を避けるに越したことはない。
この日も、いつもと同じように父親と一緒に墓参りをしていたはずだった。
1年ぶりに来たのだ。雑草も生えるし墓石もよごれる。周囲の草むしりを行い、墓石を洗い、少しずつ周囲を整えていく。
そうしている間に、墓石の管理をしている近所の寺の住職がやってきた。40代くらいのその男は、毎年やってくる柊士達に、時々挨拶に来てくれる顔見知りだった。
住職に墓石の管理について話がしたいと父親が呼ばれ、あと少しだからお前は掃除をしていろと言われて一人その場に残った。
ある程度片付けて線香をあげ、くゆる煙をみていると、小学校低学年前後くらいの男の子がやってきた。
「お兄ちゃん、落とし物しちゃったんだ。一緒に探してくれない?」
無垢な瞳で首を傾げる少年を面倒に思いつつ、柊士は眉根を寄せた。
できたら付き合いたくはない。
しかし、少年は一人きりで周囲には誰も居ない。母親の墓の前で無下に断るわけにもいかないと、柊士は仕方なく重い腰を上げた。母を亡くした頃の自分と、多分同じくらいの年頃だ。このまま追い払ったら母から叱られるような気がした。
柊士は、溜息をつきつつ少年の後についていく。何を無くしたのかと問えば、小さなビー玉。そんなもの見つかるわけ無いと途方に暮れながら、宝物なのだと悲しげに言う少年とともに探し回った。
少年が遊び回ったであろう場所を遡りつつ、辿り着いたのは、小さな神社の境内だった。
社の周辺で遊んでいたのだと言われ、周囲を歩いて見て周る。ふと、社の下に光るものが目に入った。
遊んでいる間に縁の下に入ってしまったのかもしれない。
幸いにも、その社の下は、屈めば大人でも中に入れるくらいの隙間がある。柊士は体を潜り込ませつつ、膝をついて手を伸ばした。
その瞬間だった。影の中で何かが動いたと思う間もなく、何者かに腕を捕まれ、体ごと思い切り縁の下に引きずり込まれたのだ。
踏ん張りが効かない態勢だったこともあり、もがき抵抗しても意味をなさず、あっという間に暗がりに連れ込まれる。
更に、背中から何かにのしかかられ、そのまま首をしめられた。
恐らくそのまま意識を失ったのだろう。気づいたら、この小さな畳敷きの部屋の中で手足を縛られ転がっていた。
昼間だからと油断した自分を殴り飛ばしたくなってくる。これでは奏太のことを何も言えない。
身じろぎして何とか手足の縛めを取ろうともがくが、全く何の意味もなく、無駄に体力を消費しただけだった。誰か 、と声を上げたところで、くぐもった声しか出てこない。
手入れの行き届いた人家に見えるが、
柊士はただ無様に畳の上で転がり周囲を伺うことしかできないまま、長い時間をポツンとそこで過ごしていた。
一人でそうしていると、嫌なことばかり思い出す。
先程まで墓参りしていたせいもあるだろう。母を失った日、結が柊士の代わりにあちらへ行くと聞かされた日。そしてこの手で……
たぶん、何もわからないまま母を失った時よりも、母を失た後に何かというとお節介を焼きながら支えてくれていた結が、自分の代わりになった事のほうが、たぶん衝撃は大きかった。
ずっと父親と二人きり。忙しいと村田に押し付けられていた柊士の側にいたのは、結だった。
母親が居ないとバカにされたときに、柊士より先に立って相手に向かって行ったり、夕飯を家で食べろと無理やり手を引っ張って家に連れ帰ったり、風邪をひけば看病すると言って押しかけてきて村田を困らせたり、参観日の日に柊士の父がちゃんと来てるかわざわざ別のクラスなのに確認しに来たり。
互いに大学に進学し、住む場所が離れても、もう一人自分と同じ守り手がいる、そう思えば多少の無理はきいた。
だから、結があちらへ行った時、柊士の中で、母を失い何年も張り詰めていた何かががプツンと切れた。
それでも柊士が今こうしているのは、恐らく奏太の存在が大きい。
最初は関わりになるまいと思った。守り手の仕事をすると自分で決めるなら勝手にすればいいと。でも、向こう見ずで、真っすぐで、純粋で、それ故何かと無茶をする奏太を、放っておけなかった。自分が見ていてやらなければと、いつの間にか思い始めていた。
自分が結に支えられてきたように。そして、母に守られていたように。
自分とあと一人だけになってしまった守り手を支え守らなければと、そう思っていた。
それなのに自分がこの様か。そう、柊士は自嘲した。
それからどれくらい経っただろう。不意に、背後で襖が開き、とっと畳を踏みしめる音がした。それとともに、フッと猿ぐつわを外される。
「ご機嫌如何ですか? 柊士様。」
それは、嫌になる程聞き覚えのある声。
「……湊、どういうつもりだ?」
「そのように怖いお顔をなさらないでください。
目の前に座り、するりと頬に回された手を、柊士は頭を振って払いのける。
「今すぐこれを外せ。」
「それは少々難しいご相談です。陽の気で焼かれては敵いませんから。しかし、人と野良の妖ごときにどこまで出来るか心配でしたが、きちんと役目を果せたようで良かったです。」
「あの子どもを利用したのか?」
子どもを利用したことにも、自分がそれにまんまと嵌められた事にも、苦い思いが湧き上がる。
湊はそれを見抜いたようにニコリと笑った。
「守るべき対象だからでしょうか。奏太様も貴方も、人への警戒が本当に薄いようで。」
「……お前、奏太に何をした?」
思わぬところで出された奏太の名に、柊士は身を硬くした。湊の口振からすると、恐らく奏太も自分と似たような手口で誘き出されたに違いない。拘束され、閉じ込められているだけならまだ良い。ただ、もし何かしら手を下されていたとしたら……
緊張しつつ答えを待つと、湊はフフっと笑いをこぼした。
「殺してはいません。証人になっていただいただけです。鬼の魂が入れ替わっていたことを、証言する方が必要だったので。」
湊の言っていることがすんなり理解できずに、柊士は眉根を寄せる。それに気づいたのか、湊は軽い口調で続けた。
「随分前になりますが、体はそのままに持ち主の魂だけを取り出せる呪物をたまたま手に入れたのです。それを使って入れ替えさせていただきました。私の母と、白月様の魂を。」
「……お前の母親と……白月の……?」
「ええ。父が抱えていた行商人は本当に良い物を取扱っています。里への出入りが禁止になったことが悔やまれます。」
……魂を入れ替える呪物? それを使って、白月と湊の母親の魂を入れ替えた……?
「父は巧妙に隠していましたが、私の母は鬼と妖の混血です。母の美しさに心を奪われ、抵抗できないよう捕らえて連れ帰り、声を奪い、閉じ込め、周囲から隠し、凌辱し、私を孕ませたそうです。」
湊は何でも無いことの様に言うが、榮の為したことに吐き気がした。
湊は後妻の子どもだと聞いた。でも榮は、普通に後妻を迎えた訳ではなく、無理やり捕えて拘束して妻に据えたということだ。鬼との混血を普通の妖と偽って。
「今まで母に自由はありませんでした。だから、一時の自由を与えて差し上げたのです。恨んでいたであろう妖達を治める頂点と、魂を入れ替えて。」
「……白月はどうした?」
柊士が問うと、湊は待ってましたと言わんばかりに笑う。
「母の血には、使い勝手の良い力が含まれているのです。母の体と遠慮する必要が無くなったので、体中傷だらけにはなりましたが、思う存分血を抜かせていただきました。ああ、それだけだと丈夫な鬼の体でも死んでしまうので、人を食料として与えてやりましたよ。」
湊はそこまで言うと、今度は取ってつけたような憂いの表情を浮かべる。
「でも一つ問題が。母上の血に欲情する男は多いのです。鬼の体に慣れぬせいでしょうか。手足を縛めていたせいもあるかもしれませんね。抵抗できずにそのまま非力なはずの人の男共に押し倒されて……ああ、これはあまり口にするようなことではありませんね。ただ、何人与えても結局同じだったので、仕方なく私が殺して生肉を口に突っ込んで差し上げました。」
憐れむような演技じみた言い方をした湊に、全身がザワッと粟立った。
体は湊の母親でも、中身はあいつだ。
その体を切り刻み、複数の男に暴行させたと、そして元は自分と同じ人間の肉を食べさせたと、目の前の男はそう言っているのだ。
結の顔がまぶたに浮かび、柊士はギリと奥歯を噛んだ。
「ふざけんな、クソ野郎!!! あいつを今すぐ解放しろ!!!」
「ああ、もう解放して差し上げましたよ。鬼として、元護衛役の手にかかって斬られていましたから。」
「………………は?」
まるで周囲の時が止まったような感覚がした。キーンと耳鳴りがし、息をするのも忘れる。
「………………まさか……殺したのか……? ……結を……」
「殺したのは亘ですよ。柊士様。」
…………意味がわからない。亘が殺した……?
亘は、とにかく結を慕っていた。どこまでも結の従者でいようとしていた。結が守り手の任につくようになってから、最期まで。いや、白月となった後もずっと。それを…………
「奏太様の腹を死なない程度に刀で刺しておいたのです。血に染まった様子を見て、近くにいた鬼の仕業だと思ったようですね。」
「……奏太にも、手を出したのか……?」
……仕組んだのか…………この男が。奏太を囮にして大怪我を負わせて、結を亘に殺させるために…………
「思いの外、皆が上手く動いてくれました。亘は自分の手で敬愛する主を殺したことに気づいていません。でもいずれ奏太様から伝わるでしょう。妖界の白月様が偽物だとわかれば尚の事。」
「……なんで……そんな事を……」
湊は満足気に、にんまりと笑った。
「復讐ですよ。優梛様の。」
「…………母さんの?」
自分の母親と湊の繋がりがみえない。それに、何故亘と結、それに奏太までが巻き込まれないといけないのか。母に、あいつらが何をしたというのだろうか。
「あとでゆっくり聞かせて差し上げます。まだ、仕上げが残っていますから。」
「…………仕上げ?」
「偽物の白月様はいずれ処分されるでしょう。帝不在の妖界に、新たな帝をお送りせねばなりません。奏太様が適任でしょう。もっとも、その儀式は成功しませんが。亘は今の主も、その手で殺すことになるんですよ。」
まるで決定事項のように言う湊に、柊士は奥歯を噛んだ。
「ふざけたことを言うな。転換の儀には、日向家当主の承認が必要だ。俺は絶対に承認しない。」
「それは残念ですね。あの方の忘れ形見を、母上の血で汚すのは躊躇われるのですが……」
湊は残念そうな素振りを見せることなく、懐から、赤黒い液体の入った瓶を取り出す。
それは以前、都築に見せられたのと同じもの。
「母上の血には、母上と血縁である私の言葉に男を従わせる力があるのですよ。」
湊はそう言うと、目を細めて心底楽しそうに笑った。
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