第132話 奏太の異変①:side.柊士

 妖界側との話し合いが持たれて数日。あちらへの面目を保つため、亀島家の処理は早々に行われた。

 つまり、榮に刑が下されたのだ。


 柊士自身が直接その場に行った訳では無いが、榮の最期は聞くに耐えぬ程、怨嗟に満ちたものであったと聞いた。


 己の不遇さと妖界側の理不尽さ、ここまで尽くした日向に見捨てられたのだという恨みを叫び、死んだ息子である拓眞を切り捨て自分は何も知らなかったのだと責から逃れようと見苦しくもがいた。

 一方で、同席した都築に親への情は無いのかと涙ながらに訴え、残される妻や湊の名を口にして同情を集めようとした。


 言い表すのもはばかられるような榮のそれを一身に受けたのは、刑を見届ける為に同席した柊士の父だった。


 榮の処刑をもって、日向の当主代理もまた、その役目を終える。


 責任を取る、そういう建前ではあったものの、本人の表情は、肩の荷をようやく下ろしてほっとしたようなものだった。


 三百年に一度の大役を果たさなければならなかった上に、前代未聞の叛乱を収めねばならなかった。代理としては重すぎる責務だっただろう。


 ここからは柊士にその責務が引き継がれる。


 榮の抜けた穴を埋め、その派閥にあった者達の処遇を考えねばならない。

 軍事の殆どを粟路の配下が取り仕切っていたのと同じ様に、政務の殆どを榮の配下が取り仕切っていた。


 父を処刑された湊が、都築と同様にこちらに協力的であることが唯一の救いだった。

 里を動かし管理していくのに重要な仕事は、日の目を浴びない地味な仕事だ。しかし、表に立ちたがる榮に代わって、それをコツコツこなしていたのが湊だった。


 組織を再編させ、粟路の息子達や瑶も使って動ける者をうまく配置していけば、混乱なく済みそうだ。



 書類仕事が切りの良いところまで進み、コトリとペンを置くと、


「お疲れでしょう。少し休憩にいたしましょう。」


と、栞が柊士に微笑む。


 当主となってから、栞が側で手伝いをしてくれるようになった。

 大きな事件が起きたこともあり、護衛役も常に交代でつけている。


 淕は柊士の側を離れたがらなかったが、下の者をより強く育てねばならぬ上、武官達の統制も取ってもらわなければならない。

 確実に信頼できる者にしか任せられない仕事だ。


 同様に奏太のところにも、念の為に護衛役と何かあった時に知らせができる案内役を常につけさせるようにした。


 ただし、奏太は当初、自分の側に誰かを置くことを渋っていた。


 特に汐に関しては、頑なに自分の側に置きたがらなかった。確実な護りのない場所で、自分の近くに居て汐に何かがあったら困るのだと。


 本来、その危険も併せ呑んでの案内役と護衛役なのだが、亘が倒れて奏太の気持ちが安定しない中、常に三人で行動していた汐を慮る気持ちが今まで以上に増しているのだろうと解釈した。

 ただ、誰もつけないわけには行かないので、代わりに案内役として巽を側に置くことを半ば無理やり了承させた。


 更に、護りとして近くに武官もつけたかったのだが、こちらは案内役をつけるよりも拒絶が激しかった。

 口論が平行線となった結果、淕の助言によって、仕方なく武官には目立たないよう遠くから様子を見させる事に着地した。


 話してみてわかったが、奏太の状態は思っていた以上に不安定だ。


 戦いの直後、感情が抜け落ちたような状態が気がかりだった。

 拓眞達に対してだけでなく、味方である者達を自分の陽の気に晒したと聞いても、大した反応が返ってこなかった。


 その後、亘が生きていると知って涙を流した事にほっとしたのだが、その後の様子も普段とどこか違っていた。

 椿や巽、つまり、自分の護衛役へ向ける視線が、凍りつくような色を帯びていたのだ。自分の心を無意識に殺しているかのように。


 本当は心を落ち着ける時間を設けた方がいい。亘が目覚めるのを待てるのが一番良いのかもしれない。


 でも、結界の綻びはそれを待つことなく口を開ける。


 当主の役目に縛られて動けない柊士に代わって、今日は奏太が役目にあたっていた。

 騒動の後で新たな人員をつけるわけにも行かず、同行者は変わらず、柾、椿、巽の三人だ。


 柊士はチラチラと時計を見ては、奏太達の帰りを待っていた。


「栞、役目から奏太達が戻ったか、村田さんに確認してきてくれ。」


 栞に声をかけると、彼女は少しだけ頬をふくらませる。


「近頃、柊士様は奏太様のことばかりではありませんか。」

「俺が当主になってあいつに役目を任せる機会が増えるんだ。仕方が無いだろ。」

「その前からですよ。私、妬いてしまいます。」


 淕にせよ栞にせよ、こういう事を言い出すと本当に面倒だ。


「仕事をしないのなら、里に帰らせるぞ。」


 柊士が頬杖をついて仕方なく言うと、栞は更に頬をプクリと膨らませたあと、蝶の姿に変わってふわりと舞い上がり、外を守らせていた那槻に戸を開けさせて出ていった。


「随分と腹を立てているようですが、何が?」

「何でもない。」


 柊士はハアと息を吐く。


 里が不安定な今、そこに住まう者達も、柊士の周囲も、皆がピリピリとしている。柊士自身にもあまり余裕はない。


「……頼むから、これ以上、余計な問題ごとを増やさないでくれよ……」


 柊士らしからず、思わずそんな言葉が口をついた。



 鬼界の綻びを塞ぐ役目から奏太達が帰ってきたのは、深夜0時を過ぎた頃。


 奏太は一言村田に報告をしたあと、柊士に顔を見せることもなく、チラと亘の様子を確認してすぐに家に帰ったらしい。


「椿を呼んで報告をさせろ。」


 巽は奏太に着いていったはずだし、役目の後の護衛役は柾がすると決まっていた。


 指示をだすと、栞は素直にスゥと扉へ向かう。

 里での雑事をこなして戻ってきた淕がなだめて、なんとか機嫌を直したところだった。



 椿は、部屋に入ってくると居心地が悪そうにこちらを見て頭を下げる。


「お呼びと伺いましたが……」

「奏太の様子はどうだった?」


 柊士が手早く本題に入ると、椿はピタリとその動きを止める。

 それだけで、何かがあった事は察せられた。


「何か問題が?」

「……それが……その……」


 不審に思いながら問いかけると、椿は言いにくそうに口籠る


「……あの……その……鬼界の綻びは問題なく閉じられました……ただ……」


 歯切れの悪い椿に、柊士は眉を顰める。


「時間が惜しい。さっさとしろ。」


 声が少しだけ尖ったせいだろう。椿はビクっと小さく肩を震わせ、ようやくおずおずと、役目に向かった時の話を始めた。


 曰く、今回の綻びは小鬼が抜けられる程度の穴があいていていて、到着時、小鬼一体がこちらへ侵入しようとしていたらしい。


「小鬼の一体など、大したことはないので、柾さんと巽に奏太様の周囲の護りを任せて私が前に出たのです。

 ただその瞬間、俺の前にでるなと物凄い形相で仰って……」


 椿はそう言うと、腕に巻かれた包帯をギュッと握る。


 ……椿が鬼の前に出た瞬間、か。


 柊士はあの日に聞いた出来事に思考を巡らす。


 確か、あの日もそうだったと聞いていた。三体の鬼の相手をしたのは、亘の指示を受けた椿だったはずだ。小鬼相手にせよ、その光景が重なったのだろうか。


 柊士は椿の包帯に目を向ける。


「その怪我は小鬼に?」

「……あ、いえ……あの、混乱されていたのだと思うのですが……奏太様が私を御自分の後ろに下げようとされて、陽の気のこもった手でそのまま……」


 混乱していたのか、陽の気を制御できていないのか、それとも、椿を止めるために意識的にやったのか……

 何れにせよ、護衛役を傷つけ自分の後ろに下げる行為は見過ごせない。護衛役をつけている意味そのものがなくなる。


「……それからどうした?」

「見兼ねた柾さんが小鬼を……

 何事もなく小鬼を処理できたことで奏太様も落ち着かれたようで、そのまま結界の綻びを閉じられました……でも……」


 椿はそこまで言うと、一度口を開きかけてから、再び口を噤んで僅かに視線を下げる。


 ……まだなにかあるのか。

 柊士は知らず知らずの内にこめかみを押さえる。


「気になった事は全て報告しろ。円滑に役目の遂行が成されないままじゃ困るんだよ。」


 柊士の言葉に椿は眉根を寄せ、絞り出すように続けた。


「……柾さんが、これ以上奏太様をお護りしきれないと言い出したんです……護衛対象の方に妨害されては護衛の御役目を満足に果たせないからと……

 柾さんの言い方も良くなかったとは思うのですが、それに奏太様は、それならそれでいい、と仰って……護衛なんてしなくて良いと……綻びまで運んでくれればそれでいいからと……」


 柊士はこめかみを抑えていた手を放し、頭痛を起こしそうな額にてのひらを押し付ける。冷やとした感触は一瞬だけ。熱を持ち始めた額に直ぐにそれも温められる。


 問題事だらけだ。どいつもこいつも。


「それで、柾は今どうしてる? まさか、護衛の任を放棄している訳じゃないだろうな?」

「ま、まさか! 私と巽が説得して、奏太様の家の前で護衛の任を続けています。」


 ……二人で説得して、か……


 柊士はギッと背もたれに寄りかかって天井を仰ぎ、深く息を吐き出す。


「柊士様。」


 淕の気遣わし気な声がすぐ隣から聞こえてくる。柊士はそちらに視線をチラと向けた後、重たい体を起こして再び椿に向き合った。


「……他に変わったことは?」

「いえ、御役目の最中では、その他には特に……ただ、やはり良く眠れていらっしゃらないようです。綻びを塞いだあとも、陽の気の放出で目眩を起こされたようで、しばらくその場から動くことが出来なかったようですし……御身体も、御心も、消耗されているように見受けられます……」


 椿の声は、本気で奏太を心配するようなものだ。柾のように役目を放棄しようとするような事はないだろう。今の奏太には貴重な存在だ。


「……そうか、わかった。里に戻って良い。」

「……はい。」


 椿は一礼すると部屋を出ていく。


 その背を見送りパタリと扉が閉じると、淕が困ったような声音を出した。


「柊士様も、どうかお休みになってください。消耗されているのは、奏太様だけではないでしょう。」

「こっちはただ忙しいだけだろ。あいつの方が重症だ。できたら、しばらく役目に向かわせるのも避けたいくらいだ。」

「しかし、奏太様のお力は必要です。いくら妖界側の綻びが無くなったとはいえ、未だ鬼界側の綻びは開き続けていますし、近頃は数も多いです。当主となられた貴方が動くには限界があります。」

「わかってる。でも、今の状態では、わざわざ命を捨てに行かせるようなもんだ。」


 護衛役の前に飛び出したり、不要だと切り捨てようとするのが続くのなら、役目を担わせるのは危険だ。奏太にとっても、それを護る者にとっても。


「栞、俺からも直接連絡するが、明日奏太を連れてくるように巽に伝えてくれ。それから里に戻って、次に綻びが見つかったら役を振る前にこちらへ相談するように瑶に伝言を頼む。場合によっては俺がいく。ついでに、奏太の様子を汐にも伝えてやれ。」


 一度、しっかり奏太と話した方がいい。それでもダメなら、しばらくは自分が役目を負う他無いだろう。


 柊士は溜息をつきつつ、疲れた目元を揉むように押さえる。


「……やっぱり、奏太様の事ばかり。」


 栞が不服そうにそう溢す声が聞こえてきた。

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