閑話 ― side.晦:守り手様の稽古 ―

 目覚めたのは、私の方が朔よりも少しだけ早かった。


 あの日、拓眞様が里のから複数の武官と鬼を連れて現れた。

 何故こんなところに鬼が居るのかと思う間もなく襲いかかられ、抵抗したが一矢報いることもできずに私も朔もあっという間にのされてしまった。


 拓眞様は俺達を襲ったあと、外で奏太様を待ち構えて襲ったのだと、目覚めてから聞かされた。

 あそこで我らがきっちり食い止めていればと悔しい思いが沸き上がる。


 奏太様は御無事だったが、亘と椿が負傷した。亘は奏太様を体を張って御護りしたが、それによって重症を負い、未だに目覚めていないそうだ。



 何とか動けるようになってきた頃、拓眞様が現れた時の状況を聞きたいと私は御番所に呼ばれた。


 向かってみると、御番所の勢力図は完全に塗り替わっていて、今まで幅を利かせていた亀島派の者達が肩身狭そうにしていて、代わりに雀野の天下となっていた。


 ただ、それ以上に気になったのは、ヒソヒソと文官達が私を見て何事かを囁やきあっていることだった。


 事情を聞くために待っていた瑶殿に理由を聞くと、文官達の態度に眉を顰めつつ教えてくれた。


 どうやら拓眞様は我らを襲い入口を突破したあと、そのまま我らを外に連れ出したらしい。そして、奏太様を捕らえる為の盾として使われたのだ。朔ではなく、私自身が。

 奏太様はお優しい。初めてお会いした時からそうだった。朔にも私にも、御迷惑をおかけした紬にさえも、心を砕いてくださるような方だ。

 奏太様は、私を盾にされて陽の気を放てず、結局拓眞様の手に捕らえられることになった。


 話を聞いて愕然とした。

 私が弱いばかりに拓眞様を里の外に出したばかりか、奏太様を危険に晒す原因になっていたなんて。不甲斐なさに身を切られるような思いがする。


 様子を見るために稽古場に出ても、武官達にも文官達と同じ様な目で見られる。淕や椿が気にかけてくれていたが、私はそれ以上に自分自身が許せなかった。



 いつもは朔が隣に居る家への道をトボトボと一人で帰ると、庭に兄上が出ていた。

 そして何故か、困った顔の巽と奏太様がそれに向き合うように立っていた。


 一体どうなさったのだろう。そう疑問に思う間もなく、私は思わず駆け出した。


 許して頂ける様な事では無い。奏太様自身が危険にさらされ、毒を含まされた。その奏太様を護ろうとした亘が倒れ、奏太様は大層御心を傷められたのだと聞いた。私が力不足であったばかりに、奏太様は身も心も傷つく事となったのだ。

 許して頂けるはずがない。


 ただ、そうと思っていても、一言だけでもお詫びをせねばという思いでいっぱいだった。


 私は奏太様と兄上の間に入り、奏太様に向って跪き頭を垂れる。キーンと耳鳴りがして、鼓動が早く打ち付ける。


「奏太様、誠に申し訳御座いませんでした。私が不甲斐ないばかりに、本来、貴方様の盾にならねばならぬ時に敵の盾にされ、御身を危険に晒すこととなってしまったと伺いました。どの様な咎めもお受する所存です。誠に、申し訳御座いません。」


 自分で思っていた以上に早口に発せられるその言葉は、まるで自分のものでは無いように聞こえる。

 怖くて奏太様の御顔を見ることができない。


 ギュッと目を瞑り、下される沙汰をじっと待つ。すると、


「やめろ。もういい。」


という、低く凍てつくような御声が振ってきて、ヒッと自分の喉が鳴った。


「……も、申し訳御座いません! 私はただ……」

「いいって言ってるだろ。聞こえなかったのか?」


 私の言葉を遮った奏太様の御声は、今まで聞いた事もないくらいに冷たい響きを帯びている。


 私は恐る恐る顔を上げる。本当に私の前に居る方は、あの奏太様なのだろうかと少しだけ不安になる。もちろん、それ程お怒りであるということなのだろうけれど。


 ただ、そうしてこの目に映ったその御顔は、紛れもなく奏太様で、凍えるような御声とは裏腹に、酷く悲痛なものを抱えていらっしゃるように見えた。


 奏太様の御顔に見入っていると、腰のあたりをトンと突かれる。ハッとすると、兄上が刀の鞘で私を何度か小突き


「邪魔だ。」


と眉間に皺を寄せていた。


「……申し訳ありません。」


 私がスッとその場を離れると、ポンと肩を叩かれる。振り返ると、巽が先程と同じ困った顔に、少しだけ同情を混ぜたような表情で私を見ていた。


 ちょいちょいと手招きされて、奏太様と兄上から離れると、巽は声を潜める。


「今は邪魔をしないほうがいいよ。ようやく柾さんが折れてくれたんだ。奏太様は水をさされたく無いだろう。」


 巽が言うには、奏太様が兄上に稽古をつけて欲しいと仰ったらしい。

 自分の身くらい自分で守れる様になりたい、と思い詰めたように仰っしゃり、半ば巽を脅すようにしてここにいらっしゃったそうだ。


 ただ当初、兄上は今の奏太様の状態ではお教え出来ないと申し上げたらしい。

 奏太様は今、真っ直ぐに武に心が向いている訳では無い。後悔や自責の念に駆られて自分を見失っている方にいくらお教えしても、身にはつかぬと。


 兄上の言うことはよく分かる。

 奏太様の御顔を拝見するに、このまま稽古をしたとて、無闇に刀を振るうだけになってしまうだろう。


 それでも、以前は乗り気だったのにと、とにかく教えてくれと、奏太様が食い下がり、巽も奏太様と共に頼み込み、兄上を何とか丸め込んでようやく稽古をつけると頷いたところで、私が飛び込んで行ったらしい。


「奏太様はそれもあって、お怒りに……?」

「ああ、まあそれも無いことはないと思うけど、そっちは多分別の要因だね。」

「別の?」


 そう訪ねたが、巽は曖昧に笑う。


「あんまり晦は気にしなくて大丈夫だよ。あと、あの日のことを悔やむのはわかるけど、奏太様は別にそれ自体に怒っている訳じゃないから……あ、始めるみたいだね。」


 じゃあ何をあんなにも、と尋ねようとしたところで、あちらの準備が整ったらしく、巽は奏太様の様子が見えやすいところまで移動していく。

 私もそれに着いていくと、


「柾さんがやり過ぎるようなら止めないといけないんだけど、晦も協力してよ。怪我もあるから無理のない範囲で、だけど。今は椿がいないから……」


 巽は、二人の様子を見渡せる縁側の近くの壁にトンと背をつけながら、情けない顔で、頼りなさげにそう言った。



 兄上の稽古は厳しい。でも、戦った経験が殆どない奏太様にはかなり手加減をしているのは見て分かる。


 それでも、幾度となく竹刀で打たれ、押し込まれて倒れ込み、土と砂にまみれ、みるみるうちに息を切らして奏太様は傷だらけになっていく。

 兄上は、稽古という建前があるからこそだろうが、守り手様に傷を負わせる事に躊躇いがない。きっと、そういう者は里には多くない。

 ただ、少しでも強くなろうとするのなら、傷一つ負わせぬようにと遠慮する者よりも、兄上のような者に稽古をつけてもらった方が良いのだろう。


 紬が薬箱を用意しながら私の傍らに座る。

 ハラハラした様子で心配そうに奏太様を見つめている。


「奏太様、お可哀想。柾兄上は厳しすぎます。」

「兄上だって、きちんと奏太様の状態を確認しながら稽古をつけているさ。私や朔相手の時は容赦ないだろう。」

「でも……」


 紬はそう言うが、奏太様自身もやめる気配は全くない。いくら兄上に地面に転がされても、肩で息をしながら何度でも立ち上がる。


 まるで何かに突き動かされているように。

 強くなりたい、それもあるのだろうけれど、何だか立ち止まったら死んでしまうのではと思わされるような危うさがある。


「……本当は、奏太様ではなく、我らがあの方をお護りできるように強くならねばならないのに……」


 私は思わずそう零す。

 すると、近くに居た巽がスッと人差し指を自分の口元に当てて


「奏太様の前でそれは禁句だよ。」


と言った。


「だって、事実じゃないか。」

「そうなんだけど、多分、今の奏太様には一番痛い言葉だから。」


 私は首を傾げる。巽が言おうとしていることの意味が分からない。

 すると、巽は仕方が無さそうに眉を下げた。


「……ここ数日、あの方を御側で見ていてわかったけど、僕らがあの方を御護り出来なかったと後悔を口にする度に、これからはきちんと御護りすると決意を口にする度に、あの方は多分、御自分を責めるんだ。御自分の為に周囲の者が傷ついていくのだと。僕らにとっては当たり前のことなのに、お優しいからこそ、あの方は御自分に責があると思い込んでる。

 ……亘さんが起きれば、もしかしたら、あの方の心を軽くする様な事を言って差し上げられるかもしれないんだけど……」


 巽はそこまで言うと言葉を濁した。

 亘の容態はそれほど良いものではないと、言外に言っている事がわかる。


「……だから、僕と椿は、心で思っていても、後悔を口にするのはやめた。あの方の重荷にならないように、必ず御護りするなどと口にするのはやめることにした。今のあの方には、その言葉一つひとつが鉛のようにのしかかっていってしまうから。

 柾さんは、そもそもそんな事を言う方じゃないから、もしかしたら奏太様も頼りやすかったのかもしれないね。」


 私は口を噤んで、顔や体に砂をつけ、歯を食いしばって兄上に竹刀を振り上げて向っていく奏太様を見る。


 守り手様をお護りすることで我らが傷つくことに、あの方が責任を感じる必要なんてないのに。


 それでも、あの方にそんな風に思わせてしまうのは、我らが弱いせいだ。

 あの方が不安にならない程に強く御護り出来ていれば、あの方は、あんな風に鬼気迫るように強くなろうとはなさらなかったはずだ。


「……何れにせよ、我らのせいではないか……」


 私の呟きに、巽からの返事は返ってこなかった。



 しばらくすると、何処かで聞きつけたのだろう。汐が家の者に案内されて庭に駆け込んで来た。


 兄上と奏太様の姿を見つけると、汐は眉根を寄せる。胸に手を当て不安そうに奏太様を見る姿に、何だかギュッと胸が締め付けられるような気がした。


 ザザーっと兄上に奏太様が突き飛ばされて地面に体を擦るつけると、汐は慌てて駆け寄っていく。


「奏太様、お願いですから、どうか御体を休めてください。あの日から殆ど眠れていないのでしょう。貴方がどれ程御自分の体を痛めつけても、亘は目覚めません。」


 奏太様が心配なのはわかるが、本来、稽古の最中にあの様に入っていくものではない。

 私と巽が揃って汐の元へ向かうと、汐に向ける奏太様の目がスッと冷たくなるのがわかった。


「関係ない。俺がやりたくてやってるんだ。」

「奏太様!」

「放っておいてくれよ。」

「しかし……」


 汐がそう二の句を告げようとしたところで、巽はポンと両手を汐の肩の上に置く。


「汐ちゃん、体を動かしていたほうが気が晴れることもあるよ。奏太様がご無理をなさるようなら、僕がお止めするから。」

「でも……」


 巽は渋る汐をなだめて立たせつつ、


「汐ちゃんには僕から話しますから、続けてください。」


と奏太様と兄上に言うと、先程まで私達が居たところまで戻る。


「少しだけ、奏太様が為さりたいようにされるのを見守った方がいいと思うよ。」

「……でも、あの御様子では……」


 一心不乱に稽古に向かう姿は、どうしても痛々しく見えてしまう。それはよく分かる。でも、奏太様の気の済むようにして差し上げた方が良いという巽の意見も分かる。


「亘さんの側で蹲っているより、よっぽどいいよ。後悔から来るものだとしても、少しでも前に進もうとしてるんだから。

 それに、体が疲れれば、もしかしたらグッスリ眠ってくださるかもしれない。柾さんがやり過ぎるようならきちんと止めるから、今は少し様子を見ようよ。」


 巽のその言葉に、汐は口を噤んで俯いた。


 私には、汐にかけてやる言葉が見つからない。奏太様の心を軽くして差し上げる方法も知らない。


『亘さんが起きれば』

 不意に、巽の言っていた言葉が思い出される。


 ……亘が起きたら、少しは何かが変わるのだろうか。


 そんな思いが一瞬過ぎる。しかし直ぐに私はその考えを振り払いたくて頭を振った。


 何を考えてるんだ。

 結局あいつ頼みじゃないか。


 自分の無力感と共に、私は奥歯を噛み締めた。

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