第133話 奏太の異変②:side.柊士

 都築が柊士の元を訪れたのは、その翌日のこと。日が沈んで間もなく、伴を一人だけ連れてやってきた都築に、家の中がピリッと警戒感に包まれる。


 弟が事を起こし、父親を処刑された存在だ。今のところ都築は日向に対して協力的で従順な態度を保っているが、誰もが都築に対して半信半疑にならざるを得ない。


 それでも、ここで都築に抜けられて困るのは柊士達だ。事件の真相を明らかにする意味合いでも、西の里の安定の意味合いでも。


 日向のお膝元が不安定になっている今、西や北の地でも大きな混乱が起これば、柊士達には支えていられなくなる。

 北は雀野の長子が治めているので安心ではあるが、この状況下では、西を治める都築の存在もまた、必要不可欠なものだった。無下には扱えない。


 部屋に通すと、都築は懐から一つのコルク詮の詰まった小瓶を取り出した。

 中には赤黒いドロリとした液体が揺れている。まるで血液のように見えるそれに、柊士は眉を顰めた。


「これは?」

「拓眞の部屋から一つだけ出てきました。奏太様が仰った、『甘い香りのする赤黒い液体』の正体かと。」


 淕がそれを受け取り、柊士の机の上に置く。

 手にとってコルクに触れると、都築は静かに声を響かせた。


「お開けにならないほうが宜しいでしょう。微かに匂いを感じる程度であれば然程影響はありませんが、じかに臭気を吸い込んだだけで、思考を阻害され、心身を何者かに支配されるような不快感に陥ります。不思議なことに、女子には匂いは感じ取れてもそれ以上の影響が無いようですが。」

「中身に検討はついているのか?」


 都築は残念そうにゆっくり首を横に振る。


「いえ。無駄とは思いつつ情報を得ようと捕らえた残党に見せたのですが、結局は何も。

 ただ、普段はブツブツとうわ言を呟きながらぼうっと座り込んでいる状態にも関わらず、詮を抜いた途端に立ち上がり執拗にそれを求め始めました。言動からそれを服していた可能性がある上、どうやら、強い依存性があるようです。」


 淕はそのようなおぞましいものを柊士の前には置いておけないとばかりに、机の上からそれを取り上げる。


「証拠品なので処分はできませんが、厳重に管理したほうが良いかと。」

「ああ。ただし、里ではなく当家で管理する。いいな、都築。」


 柊士が見定めるように視線を向けると、都築も首肯した。


「ええ、それが宜しいでしょう。いつ悪用しようと思う者が現れるともわかりません。

 ただ、奏太様は愚弟によって一度それを口にされたと伺いました。全て吐き出したとはいえ、微量でも体内に取り込んでいることでしょう。御身体が心配です。」


 依存性があり、臭気を取り込んだだけで異常をきたすようなものを、奏太は一度口にしている。

 その事実に柊士はゾっとする。


「近頃の御不調はその影響もあるかもしれません。」


 そっと囁くように発せられた淕の言葉に、柊士は小さく頷く。


「淕、妖界の温泉水を用意しろ。」

「承知いたしました。奏太様をお呼びしておいて良かったですね。そろそろいらっしゃる頃でしょう。」



 里や亀島家に関する確認をいくつか交わして都築が帰っていくのと入れ替わりで、奏太が来たと村田から知らせが入る。


「都築が来てたみたいだけど、何だったの?」


 訝るように廊下を振り返る奏太には、きちんと巽と柾が着いていた。少なくとも役目はしっかり果たされているようだ。

 奏太の方も、良いか悪いかは置いておいて、柾が守り手に盲目的に忠誠を誓うようなタイプではない分、椿達を見る視線よりは落ち着いているようにも見えた。


「大した事じゃない。」


 柊士が答えると、奏太は不満気に柊士を見る。


「……いつまで子ども扱いするつもり?」

「子どもだろ。役目の最中に感情に任せて護衛役を傷つけた上に、自分から切り捨てようとするんだからな。」


 フンと鼻を鳴らすと、奏太はジロと巽を睨んだ。


「ぼ、僕じゃありません!」


 慌てて顔の前で両手を振って否定する巽に、奏太はチッと舌打ちをする。


「じゃあ、椿か。」

「そういうところだ、馬鹿。何を苛ついてる。あの事件は、そいつ等が悪いわけじゃないだろ。」

「そんなの分かってる。悪いのは、護られてないと何もできない俺の方だ。」


 ギリと奥歯を噛む奏太に、柊士はハアと息を吐いた。


「お前のせいでもない。お前に持たせた御守りの意味を忘れたのか? お前は、命懸けでお前を護った亘の尊厳まで侮辱するつもりか?」

「……そんなつもりは……」


 奏太はそれだけ言うと口籠り、悔しそうに唇を噛んで俯く。


「お前がやってるのは、そういう事なんだよ。護られた命を自ら危険にさらした上に、お前を護ろうとする者を遠ざけてどうする。亘が護ったのはそんなに軽いものか? あいつの戦いは無駄だったとでも言うつもりか?」

「柊士様。」


 淕が柊士と奏太の様子を見兼ねたように声を上げた。

 奏太は口を引き結んだまま、じっと床を見つめている。

 口では分かったような事を言っていても、本当の意味で理解している様子のない奏太に、柊士自身も苛立っていた事に思い至り、冷静になれと自分自身に言い聞かす。


「分かってる。淕、奏太に薬を。」

「はい。」


 目の前にコトリと小瓶が置かれても、奏太は動こうとしない。ヤキモキするように巽が奏太と柊士を見比べ、柾は奏太がどうするのかを見定めるようにしている。


「それを飲め。」


 柊士が言うと、奏太はようやくピクリと動く。


「……なんで? これ何?」

「妖界の温泉水だ。お前の体の中に、拓眞に飲まされたものの影響が残っている可能性がある。」


 奏太の異変が拓眞に飲まされたもののせいか、それとも亘が倒れた事に依るものなのか、実際にはわからない。


 前者であれば、薬で改善する可能性が高い。でも、後者であった場合、傷を癒やすには相応の時間が必要だ。


「あの時、全部吐き出した。その後特に異常はないよ。」

「いいから飲め。」


 しかし、奏太は俯いたまま首を横に振る。


「俺に無駄に使うくらいなら、亘に使ってよ。」

「亘にはきちんと使ってる。」


 妖界との間が閉ざされた今、護衛役に妖界の温泉水を使っている場合ではない。ただ、亘が回復しない限り、奏太の心が回復しない可能性がある。

 だから柊士は、渋る尾定を言い含め、状況に応じて亘にも使うように言ってあった。


「だとしても、今まで以上に貴重だろ。俺は大丈夫だから、いざという時のために残……」

「黙れ。無理やり飲まされたいか?」


 ウダウダと理由をつけて瓶を手に取らずにいる奏太の言葉を遮り、声を低くして脅すように言うと、奏太は再び口を噤む。


「奏太様、お飲みになった方が良いのでは……? 少しでも御身体が楽になるかもしれませんし……」


 恐る恐る、奏太の後ろから巽が声をかけると、奏太はギュッと一度目を瞑る。

 それから震える手を伸ばし、ようやく小瓶をその手に取った。


 コルクの詮を引き抜き、フーっと息を吐きだす。その唇も小さく震えている。


 奏太の持っている小瓶は、都築が持ってきたあの小瓶と大きさも形も酷似したものだ。せめてコップに入れてやるんだったと苦い思いが湧く。


 しかし、栞に指示を出そうと声を出しかけたところで、奏太は意を決したように、ぐいっと中身を飲み干した。


 柊士はそれに、ほっと息を吐く。

 これで少しはましになるだろうか。そう思った時だった。


 奏太がポトリと小瓶を取り落とす。更に、その表情が苦悶に歪んだ。


「……柊ちゃん……これ、ホントに……妖界の……」


 絶え絶えにそう言いながら、苦しそうに胸を押さえて前かがみになる。それを巽が焦ったように支えた。


「奏太様!」

「奏太!」


 柊士も慌てて立ち上がり、奏太に駆け寄る。

 奏太は俯いたまま巽に体を預けて動く気配がない。


「淕! あれは……!」


 妖界の温泉水でこのようなことになるわけがない。一体どういうことかと、尖った声で淕を問い詰めようと振り返る。


 しかし、言葉を続ける前に、スゥスゥという寝息が聞こえてきて、柊士はピタリと動きを止めた。

 まじまじと奏太を見ると、奏太は間の抜けた顔で巽に寄りかかって眠っている。


「……あの……どうやら問題なさそうです……」


 巽の言葉に、柊士は深く深く息を吐き出した。


「……悪い、淕。」

「いえ、私も驚きました。尾定殿から預かってきたものだったので、まさかとは思ったのですが……何事もなくて安心しました。」


 柊士はそれに頷いて見せると、再び奏太に視線を移す。巽の言う通り、問題なく眠っているようだ。


「巽、念の為、様子をよく見ておいてくれ。柾、引き続き護衛を任せるぞ。」


 柊士の言葉に、巽は「はい」と歯切れの良い返事をし、柾の方は、コクと無言で頷いた。

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